« 2003年12月 | トップページ | 2004年2月 »

2004/01/31

MOTアニュアル2004

 東京都現代美術館の特別展『MOTアニュアル2004 私たちはどこから来たのか/そしてどこへ行くのか』(会期:2004年1月17日〜3月21日)を見に行ってきた。
 「アニュアル」というのは、毎年、気鋭の作家数人(今回は8人)の最近の作品を取り上げる企画展。個展でも大量に人が押し寄せて来る、というほどメジャーではないけれども、今が旬、という作家の作品を、まとめて見ることができるおいしい企画である。ただし、本来は、こういう企画と作品購入がリンクしているべきなのかもしれない(そうすれば、自然に現代美術に関する結構いいコレクションが構築されていくはず)。とはいえ、今のMOTにそんな金はないんだろうなあ。
 で、中身だが、どの作品も、MOTの広い展示空間をどう使うのか、ということに気を配っていて、展示室を移動するたびに、うひゃあ、とさせくれて面白かった。といいつつ、強く印象に残ったのは、小瀬村真美の時間早送り型コマ撮りアニメーション・インスタレーション「黴−SWEET SCENT」とか、贋江戸+現代風刺+メカ+絵巻表現の山口晃の諸作品とか、三浦淳子の80過ぎても少女時代の女の友情は死なずドキュメンタリービデオ「琵琶の実待ち」(「マリみてファン必見」by妻)とか……いかん、全然、現代美術的視点(?)で見ていないことがバレバレだ。
 今回、『現代美術史日本篇』という、日本の現代美術史をMOT収蔵作品を中心に語っていくという小冊子を展示(ただし、まだ未完成。2月上旬に完成予定とのこと)していた中ザワヒデキデジタルネンドの人だったのか、と初めて知ってびっくりした)のアーティスト・トークがあったので、それも聞いてきた。日本の現代美術は、常にアメリカという中心に対する反応でしかないという指摘とか、でも、(歴史として語る場合には)物語的には楽しめる、といった話が面白かった。客席からの質問が、自分の考えを支持する回答を得ようとするかに聞こえるものが多かったのにはちょっと閉口したが……。
 ちなみに、図録はまだできていなかった。展示の方法自体が作品の一部ともいえるので、図録には展示された状態の写真不可欠。で、以前は別冊を後から出す、という方法を採っていたと思うのだが、今回はそういう贅沢な(?)やり方はできなくなってしまったのだろうか。図録がその場で欲しい人は、もうちょっと待ってから行くのが正解(急がない人は、予約して、送料込みで払えば郵送してもらえる模様)。

2004/01/30

図書館の学校 2004年2月号

 『図書館の学校』2004年2月号(no. 50)をぱらぱらと見る。
 南学「図書館のABC分析」がなかなか興味深い。ABCというのは、Activity-Based Costing(活動基準原価計算)のことだそうで、要するに、例えば、本を貸し出す、という業務を一回行うとどのくらいのコスト(人件費や使用する機器に関する経費とか)がかかるのかを、算出しよう、という話。当たり前といえば当たり前の、公共サービスは無料で行われているが、コストがタダなわけではない、という事実を、具体的な金額が見えるようにすることで明確に示そう、という意図が込められている。
 さらに、コスト構造を数字で見えるようにすることによって、常勤の職員が行うべき業務と、非常勤や嘱託職員に移行できる業務を切り分けることも可能になる、というのが、この短文の趣旨だったりするし、さらに、ベストセラーを貸す(借りる)ということにかかるコストを概算してみることで、実は一人ひとりが買うより高くついているのではないか、という問題提起までしてしまったりする。
 論争的といえば論争的かもしれないが、こういう視点が、図書館やその他の文化機関の経営論に欠けていることは間違いないので、そういう意味では必要な指摘なのだと思う。ただ、コストだけではなく、効果(特に、直接的ではない波及効果)の算出の試みも同時に行われないと、何に優先的にコストをかけるべきなのか、という議論はできないのではないかなあ。
 他には、木野修造「図書館のユニバーサル・デザイン 第11回 カウンター」が面白かった。なるほど、よくある横長のカウンターに複数人が座る、という形ではなくて、一人用のカウンターなら、そこに職員がいれば人は集まってくるし、いなければ人は来ない、そして、集まる時には自然に列もできるわけか……。空港のチェックイン・カウンターをヒントにしたそうだが、なるほどという感じである。
 あと、事務室とカウンターと閲覧室が連続した空間になっていることによって、相互監視の空間ができあがってしまう、という問題とか、そこらの建築家では出てこない(開放的空間は、いとも簡単に相互監視の空間に変わりうることを認識している建築家がいかに少ないことか。特にガラスによる「開かれた空間」は最悪ではないかと思う)指摘がされていて、面白かった。使える公共建築を作るためのノウハウについては、まだまだ考えるべきことがたくさんあるのかも。

2004/01/28

京の古本屋

 『京の古本屋』(青幻舎, 2003)を斜め読み。「京都モザイク(KYOTO MOSAIC)」という小型版のムックシリーズの4冊目(現在、8冊目まで出ているらしい)。
 要するに京都の古本屋ガイドなのだが、目次ページに「古書店利用の心得」として「本を手に取るときは、丁寧に扱いましょう」とか、「店内での大声も厳禁」などと、基本のマナーが書いてあったり、目録中心の無店舗店も紹介してあったりするところが、なかなかいい感じ。
 すごいのは、こういう本にありがちな店主に焦点を当てたコーナーがまったくないこと。人の顔が登場するのは、巻頭の永田紅(コラムを書いている)と、巻末の古書市風景だけ。あとはひたすら、店内に並ぶ本が主役である。潔い。本というモノが持つ魅力を伝えようという意志を感じる。
 出版社の青幻舎は、写真集を中心にした美術書出版が本業らしい。それだけに写真も印刷も美しい。積み上がった本なんて、全然美しいものではない(じっと自分の部屋を見る…)のだが、こうやって写真にすると、なんだか、きれいなものに見えてくるのだから恐ろしい。
 個人的には、数年前……いや、もう10年近く前なのか。以前、京都に古本屋巡りの旅に行った時の記憶が、少しだけ甦ってきた。いくつかの店は、そのころとあまり変わっていない様子で、少しうれしくなる。また行きたいなあ。

2004/01/27

エマ ヴィクトリアンガイド

 森薫・村上リコ『エマ ヴィクトリアンガイド』(エンターブレインBEAM COMICS, 2003)を二刷で買ってパラパラと読んだ。
 あれ、もう出ていたんじゃ……と思った時には店頭で見かけなくなってなっていたので、増刷されてよかったよかった。
 森薫による、軒並み広角レンズ風のパースの効いた構図の中に、物や人がてんこ盛りの描き下ろしイラストがやたらとあるのもすごいが、ビクトリア朝時代のイギリス(特にロンドン周辺)の生活について様々な角度から解説してみせる、ライターの村上リコという人もすごい。そうした細々とした情報と、『エマ』という作品がきちんと結びつけられて語られているところに、作品への愛を感じますな。単行本が付箋で二倍の厚さになっていた、というのも納得である。
 『エマ』のポイントでもある「階級」について、どのようなスタンスで書くかが結構難しいところだったのではないかと思うのだが、軽すぎもせず重すぎもせず、上流・中流・下層、どれか一つを美化することもせず、と同時に、階級間の壁の厚さをも伝えていて、こりゃお見事。うーん、うまいなあ。
 巻末に参考文献リスト(洋書も含む)がきちんと挙げられているのも良心的。出版年の記述がないのが玉に瑕だが、まあ、この手の本でここまで書いてあるだけでも、よしとすべきか。

2004/01/25

異界繁盛記 ひよこや商店

 巣田祐里子『異界繁盛記 ひよこや商店』(角川書店あすかコミックス)の第1巻をぱらぱらと読む。
 巣田祐里子(ホームページのURLはhttp://sudamaga.xuu.jp/index.htm。勝手にリンクするな、ということのようなので、リンクはしないけど)の作品を読むのは久しぶりなのだが……あまりに変わっていないのでびっくり。『アニパロ・コミックス』時代に、既にスタイルを確立していたんだなあ。もちろん、衣装や髪形など、キャラクターの作りはちゃんと今風の要素を組み込んでいるのだけれど、ごちゃごちゃした画面の構成とか、ああ懐かしい、という感じ。
 マンガ市場が広がっているとは思えないのに、常に新人が参入してきているわけで、描きつづける場を確保しつづけること自体が難しいはず。そういう中で、商業誌で描きつづけている、ということは、それなりにすごいことだと思うので、なんとなく、良かったなあ、としみじみ。といいつつ、次の巻を買うかどうかは、ちょっと微妙だったりするんだけど。

2004/01/22

ミュージアムが都市を再生する

 上山信一・稲葉郁子『ミュージアムが都市を再生する 経営と評価の実践』(日本経済新聞社, 2003)を読了。
 タイトル通り、危機的状況に置かれている博物館・美術館をいかに再生するか、という話なのだが、単に合理化しろ、民間の経営センスを導入しろ、というところで終らずに、ニューヨークなど、欧米の事例を検討しつつ、地域の再生の中核として博物館・美術館をいかに活用するのか、という議論が展開されている。
 特に、文化施設の直接的な収益による経済効果のみを語る愚(よくマスコミでやる、ほらこんなに赤字です、というやつ)を徹底的に批判しているところが痛快。東京都が行った江戸東京博物館に対する事務事業評価を「本庁側の無責任な思い付きといわれても仕方がない」とばっさり切って捨てるあたり、よくぞ書いてくれた、という感じである。現状の評価は、より有効な経営のためのものではなく、単なる「管理統制」にすぎない、という問題提起は重い。
 直接的な来館者数や、入館料収入の多寡ではなく、それぞれの施設の果たすべき役割を明確にし、その上で、その役割を果たしているかどうかを評価する、という仕組みが必要、という提言は、図書館や劇場など、様々な公共文化施設にも共通して通用するものだろう。
 こうした提言の背景にある、文化施設の活動から生まれる様々な波及効果を引き出したほうが、短期的な赤字減らしに走るよりも、中長期的には税収の拡大につながりうる、という発想は、箱物先行の時代には省みられなかったものかもしれない。もう箱物を作る余裕がなくなったからこそ、いかに箱を生かすか、という問題提起が現実的に見えてきた、というなかなか皮肉な状況というべきか。

2004/01/21

21世紀の学問のすすめ

 夏木好文『21世紀の学問のすすめ ユビキタス社会を生きるために』(ひつじ書房, 2003)を読了。
 なんだかちょっと不思議な本。一昔、いや、十昔くらい前であれば、こういった社会システムの再設計の提案を分かりやすい言葉で語る、というのは、パンフレットの役目だったのだと思う。そして、今その役割を引継いでいるのは、本よりも、むしろ、Webだろう。にもかかわらず、あえてハードカバーの単行書という形を取った、というところが面白い。
 著者は、某大手コンピュータメーカー(中を読むとどこなのかは書いてあるが)を辞めて、ITコンサルタントの道を選んだ人なので、コンサルタントとしての名刺代わり、という側面もないではないとは思う。けれども、ひつじ書房という、様々な提言を積極的に行う出版社から、ハードカバーで本が出されている、ということ自体が、この本に内容以上(というと著者には申し訳ないのだが)の意味を与えている。出版社というフィルターを通すことで、著者だけの思い込みではない、ということが、ある程度保証される、とでもいおうか。
 主張としては、高齢化社会を前提にした、60歳以上の人たちの活力を生かした、「自立資本主義」社会を構築しよう、というもので、同時に、基盤サービス会社、記録局といった、ユニークな社会基盤整備の提言も行っている。その提言自体は、実際にやろうとすると制度設計がかなり難しそうな感じだが、「戦争放棄を唱えつづけ、攻撃を受けたとたんに再軍備、という愚は絶対に避けなければなりません」というあたりに見えるバランス感覚のおかげで、素直な問題提起としても読める。このあたりが、ひつじ書房というフィルターを通り抜けることができたポイントなのかもしれない。

2004/01/20

平賀源内展

 Mac OS X 10.2から10.3に移行するのに手間取ってしまった。意外に普段使っているシェアウェアとかに互換性がなかったりするのが困りもの。
 それはさておき、江戸東京博物館で開催されていた『平賀源内展』(会期:2003年11月29日〜2004年1月18日)に最終日の1月18日に行ってきた。
 昼過ぎに行ったのも悪かったかもしれないが、えらく混んでいたのでびっくり。平賀源内にそれほどネームバリューがあるとは思っていなかったので、油断してしまった。おかげで、ゆっくり展示を見るとはほど遠い状況に。とほほ。
 しかし、展示物自体はいいものが集められていた。いきなり、みなもと太郎の『風雲児たち』の原画が展示されていたのには驚愕。なるほど、この手があったか。
 オランダから借りてきた源内と同時代の様々な機器類や、火浣布の包み紙(解説が書かれている)などの源内ゆかりの品々もなかなかだが、とにかくすごかったのは、博物図譜の展示。源内自身による貝類図譜を筆頭に、松平頼恭『衆鱗図』『衆禽画譜』、堀田正敦『堀田禽譜』など、正に江戸時代の博物図譜の中でも超一流といえる逸品が並ぶ。よく借りられたなあ。図録も図版多数でお買い得。展示されていなかった図も多数見ることができる。
 この後、東北歴史博物館、岡崎市美術博物館等を巡回するとのこと。博物図譜ファン(日本全国に何人いるのか知らないが……)は必見。

2004/01/17

動物園のデザイン

『動物園のデザイン』(INAX BOOKLET, 2003)をぱらぱらと読む。
 INAXギャラリーの「動物園のデザイン」展の図録を兼ねた一冊(残念ながら展示は見ていない)。上野動物園を中心に、動物と人とが出会いの場としてデザインしなおされつつある動物園の現在を、写真とコラムで紹介している。
 同時に、疑岩、疑木や製作工程を紹介したり、象のネイルケア・セットや動物の運搬状況の写真があったりと、普段は見られない動物園の裏面を見るという意味でも楽しめる。
 うがった見方をすれば、動物園は、裏方の部分を見せ、変化を強調していかなればならない状況に追い込まれているともいえるだろう。東京都が、都が運営する各文化機関に対して示している厳しい姿勢は、動物園についても例外ではないらしい。動物園の置かれた厳しい状況が透けて見える一冊でもある。

2004/01/15

MOE 美少年特集

 MOE(白泉社)2004年2月号の特集「人気美少年大図鑑 少女マンガVS少年マンガ」を(今ごろ)ぱらぱらと見る。
 特集の中心になっているのは、萩尾望都と清水玲子の対談。萩尾望都の、

うん。自由に描けるというのはすごくありますよね。女の子でここまで描くと嫌がられるんじゃないかとか、自分が女性だから自己規制をしてしまうところがあって、そういうことから全部自由になれるところ、そう、性別が無い感じで少年を描くことが自分にマッチしたのかもしれない。

という発言が興味深い。でも、後半は大煩悩大会に……。
 特集全体としては、漫画史への目配りが当然のようになされている(その筋の人には不十分な内容かもしれないが)のが、なんとなく感慨深い。まあ、1980年代すら歴史になりつつあるのだから、当たり前のことなのか。
 それにしても、アニメーション特集(全然関係ないが、十兵衛ちゃん2にノルシュテインが出ているのにはひっくり返ってしまった)とか、もはや何の雑誌なんだかわけがわからないなあ。

2004/01/13

熊とワルツを

 トム・デマルコ/ティモシー・リスター著,伊豆原弓訳『熊とワルツを リスクを楽しむプロジェクト管理』(日経BP, 2003)を読了。
 なるほど、リスクを管理するとはこういうことだったのか、と目からウロコが落ちまくる一冊。冒頭のウィリアム・クリフォードの『信念の倫理』からの引用から、いきなり横っ面を張り倒される。一部を(孫引きになるが)引用しよう。

ひとたび行動すれば、それは永久に正しいか間違っているかのどちらかだ。その善か悪がたまたま結果を生まなかったからといって、それが変わることはない。無実だったことにはならない、見つからなかっただけだ。正しいか間違っているかは、信じたかどうかではなく、なぜ信じたのかの問題である。何を信じたかではなく、どのように信じるに至ったかの問題である。結果として正しかったかどうかではなく、目の前にある証拠を信じる権利があったかどうかの問題である。

 要するに、実際には存在していたリスクを「そのようなリスクについて語るのは望ましくない」(あるいは「愛社精神が足りない」でも「気合いが足りない」でもよい)といった理由でなかったことにする、あるいは解決したことにする、といった行動は、結果としてうまくいったとしても、「間違っている」ということを、指摘しているのである。
 もちろん、デマルコなので、ソフトウェア開発プロジェクトの話を中心に、具体的なリスク管理の手順が紹介されていくことになるのだが、考え方そのものは、どのようなプロジェクト(一定期間、一定の資源で、特定の目標の達成を要求される全てのこと)に応用可能だろう。
 大きなリスクを見逃すために様々な小さなリスクを注意深く詳細に分析と監視するという事例、とか、個人的な挑戦としてはじめたプロジェクトでまともにリスクが管理されることはない、とか、「間違えるのは構わないが、不確かなのは駄目だ(事前に失敗するという可能性に触れることは許されないが、結果として失敗しても誰も責任を問われない)」ルールがまん延している組織はもうおしまい、とか、上司に読ませたいネタが満載である。
 ただし、これは素晴らしい、ぜひ自分の仕事でも活用しようと思っても、「楽観主義(嘘をつくこと)」があたりまえの環境で真実を話すと、話した人がいちじるしく不利な立場に置かれる」、「最悪の組織は、魅力のない結果ではなく、魅力のない予測を罰する」という警告もきっちり書かれていたりする。本書を読んで共感してしまった人は、組織の中で、自分自身のポジションに関するリスクをとるかどうかの選択を迫られることになるので、そのつもりで。

2004/01/12

情報検索のスキル

 三輪眞木子『情報検索のスキル 未知の問題をどう解くか』(中公新書, 2003)を読了。
 読んで楽しい、という文章ではないが、情報検索/提供関係の仕事をしている人は必読だろう。
 内容的には、問題解決のための情報の探索プロセスに関する、欧米の研究のエッセンスをコンパクトにまとめた上で、必要な情報を入手するためには、探索する人の自己効力感(何かを達成可能である、という感覚)が重要であることを指摘する、というもの。情報リテラシー教育に関する内外の動向についても触れている。
 個人的には、まったく不案内な分野に踏み込んだ場合、最初はわけがわからなくとも、複数の文献などを読んでいる内に、徐々に用語などを理解できるようになっていく、ということを明確に指摘している点に共感。どんな分野にせよ、何か一冊読めば、すぐにわかる、というのが幻想にすぎないことがよくわかる。
 まったくの余談だが、私にそのことを教えてくれたのは、大滝詠一だったりする。レコードを聴いても、ラジオを聴いても、わけのわからない単語だらけだったが、とにかく、色々聴いているうちに、ある程度は(今でもよくわらかないところがあるが…)わかるようになってきた。何年かかっても、しつこく追いかけていれば、それなりにはついていけるようにはなるものである。まあ、「それなり」を超えるためには、それ相応の努力が必要なのだろうけど……。

2004/01/10

マリア様がみてる on TV

 完全にタイミングを外しているような気もするが、1月7日からテレビ東京系で放送が始まったTVアニメ『マリア様がみてる』の感想である。
 なるほど、考えてみればこういう話なんだから、CMのアニメ店長みたいに(?)金田アクションとかするわけにはいかんわなあ。カット割りとカメラワークで動きを出して、レイアウトでみせる、というのが基本になるわけだ。そういう意味では、絵コンテとレイアウトで全てが決まってしまうという、演出家と作画監督の腕が問われる作品なのかもしれない。
 とりあえず第1話は、カットごとに様々な技を繰り出して、動きのない場面に動きを作り出そうと頑張ってる、という感じ。でも、一番きっちりみせてほしい、それぞれのキャラクター間の関係と、祐巳と祥子との関係の微妙な変化については、結局、台詞と表情に頼ってしまったような。せっかくの工夫が、うまくかみ合わなかったんじゃないかなあ。あと、カメラ視点の動かしかたに何となく違和感を感じたんだけど、何が変だったのかよくわからない。うーん。
 日常芝居中心(のはず)だし、少なくとも演出的には素材として面白いんじゃないかと思うので、シリーズ中、一話くらい変な演出で、楽しませてくれるとうれしいなあ。

2004/01/08

自由の精神

 萩原延壽『自由の精神』(みすず書房, 2003)を読了。
 萩原延壽といえば、アーネスト・サトウの評伝『遠い崖』を書いた人、という印象が強い(といいつつ、『遠い崖』は未読なのだが)。ところが、1960年代初頭の論壇デビューのころから晩年までの、単行本未収録の論考を収録した本書を読むと、むしろ、初期の段階では、自由民権運動家であった馬場辰猪、自由民権運動家として出発しつつ外交官として活躍した陸奥宗光にこだわりまくった人なのであった。何で陸奥宗光かというと、研究テーマを決めようとした時に、ちょうど国立国会図書館憲政史料室で陸奥宗光文書が公開されたから、というなんとも拍子抜けする理由を飄々と書いてしまうあたりが、なんともいえない。一度こだわると徹底的にこだわるのだけれど、同時にフットワークの軽さも持っている、というのが、この人の魅力なのだろうなあ。
 初期の論考で論じられている「革新とは何か」という主題は、今読んでも古くない、というか、60年代の問題は現在も生き続けていることにがく然としてしまう。現状を変革し、新しいものに取り組んでいくことこそが「革新」なのであって、日本では「保守」の方がむしろ「革新」的である、という指摘なのだが、今でも全然変わっていないよなあ。だからこそ、真に「革新」の側であろうとすることが、いかに困難な課題であるかも指摘していて、重い。
 国際交流基金にも関わっていたようで、最後に収録されているインタビュー(というか対談か?)では、文化事業についても論じている。「結局、友だちができればいいわけですから」でまとめてしまうあたりが、実にいい感じである。英国びいきではあっても、進歩・発展ではなく、リトリート(retreat: 退却、撤退)のモデルとして英国を捉える、という視点も、今の国際社会における責任論や、世界経済における地位に汲々として、人材をすりつぶしている今だからこそ生きてくる気がする。
 余談だが、外務省の30年ルールによる文書公開制度は田中内閣時代に外相であった大平正芳が作り、後の大平内閣時代には、全省庁にそれを広げようとしていたという話は、全然知らなかったのでびっくりした。このとき、うまく話が進んでいれば、現在の文書保存制度を欠いた情報公開制度よりもう少しまっとうな制度が組み立てられたかもしれない。もったいなかったなあ……。

2004/01/07

お兄ちゃんと一緒

 時計野はり『お兄ちゃんと一緒』(白泉社花とゆめCOMICS)を読んだ。
 絵柄は、少し羽海野チカ(『ハチミツとクローバー』)の影響が見られるような気もする。一つのページの情報量が多いところも似ているような。そう思って見ると背景の処理も似ている気が……関係者?
 話の中身は、天涯孤独となった中学二年生の主人公の女の子に、突然、腹違いの兄が四人現れて、紆余曲折の末、新しい「家族」を築いていく、という、ほのぼの家族再構築もの。兄妹の禁断の……とか、そういうネタではないので期待しないように。話そのものには特に毒はないので、その辺、物足りない人もいるかもしれない。
 とはいえ、妹萌えの兄4人のどたばたぶりの描きっぷりが結構楽しいし、(兄の)父親の顔が常に隠されていたり(父性を代理する存在としての兄を強調?)する仕掛けもあったりと、意外に引き出しを持っている作家さんかもしれない。別の作品も読んでみたいなあ。

2004/01/06

東洋文庫名品展

 東洋文庫名品展(会期:2003年12月23日〜1月12日 会場:丸の内ビルディング7階 丸ビルホール)を見てきた。仕事帰りに行ったこともあってか、すかすかというほどでもないが、比較的空いていて、ゆっくり回るにはいい環境だったかもしれない。
 千代田区江戸開府400周年記念事業実行委員会が主宰者に入っているためか、江戸期の錦絵が中心。今回新出の資料がごろごろしていたり、やたらとどれも保存状態がよかったりするのがすごいが、東洋文庫の特徴である「東洋」という視野の広がりがこれでは全然見えてこないのでは。なんだかもったいない気もする。せめて、もうちょっと冊子を出してもよかったのでは、というか、見たかった、というのが本音ではある。東洋文庫にとって、「江戸」はテーマとして狭すぎたのでは。
 図録は図版満載で2000円とお買い得。図版の色の調整が甘い気がしなくもないが(ちょっと黄色がきついのでは?)、まあこの値段なら許せる範囲か。巻末に詳細な解説も付されていて、展示だけでは分からないことがいろいろ書いてあったりする。人の流れを止めてしまう可能性もあるので、やたらと展示に解説キャプションを付けられない、というのもわからないでもないが、こんなにいいネタがあるならもう少し付けてくれても……と思ってしまうほど。
 展示について文句をつけるとすれば、1485年刊のアントワープ版『東方見聞録』の展示キャプションに、テキストの成立年代である1295年を出していたのは誤解を招くのでは。刊行年を示すべきではなかろうか。とはいえ、実物が見られたのはうれしいので、あまり文句をつけてもしかたないかもしれない。

2004/01/05

図書館でミュージカル

 St.Burikamaの「図書館でミュージカル!!」で紹介されていた、図書館(多分、大学図書館)の閲覧室でいきなりミュージカルのパフォーマンスがいかす。米国だなあ。すぐにムービーの再生が始まるのでご注意を。

2004/01/04

熊野古道

 小山靖憲『熊野古道』(岩波新書, 2000)を読了。
 年末は、だらだらと『マリア様がみてる』の残りを最新刊まで読みふけっていたのだが、その話はまたその内に(次の新刊が出たときにでも)。
 本当は、里帰り移動時間に何冊か読めるだろうと思っていたら、電車の中でうとうとしてしまって読了したのはこれ一冊になってしまった。
 少なくとも平安時代から存在していたと考えられる紀伊半島の参詣路にについて、古代から中世にかけての参詣記を中心に、著者自身による現状踏査をふまえて解説した一冊。特に、本来の「古道」としての姿を楽しみたいと考えている人にとっては、著者自身の経験と、歴史的な検証を組み合わせた、古道歩きガイドとしても有用だろう(地図は少ないので、他のガイドブックとの併用は必須だが)。
 ちなみに、個人的には、最近の神社再評価の動きには、近代をすっとばして本居宣長とつなげているような危うさがあって、それは違うだろう、という感じを受けている。本書では、神仏習合、本地垂迹についても、きちんと抑えているので、安易な「日本古来の神道」幻想とは無縁ではあるけれども、近代に関する記述はほとんどないのが、やはり物足りない。
 神道の問題を考える際には、神仏習合と近代の国家神道の問題は避けて通れないと思うのだけどなあ。今の神道に刻印されている近代性に自覚的な金刀比羅宮みたいなところ(ちなみに今、金刀比羅宮でやっているイベントは、大原美術館と組んだ「ポロック以降・アメリカ現代美術展」だったりするし、今年は「皇紀二千六百六十四年」である)の方が、ある意味、まっとうな気がする。

« 2003年12月 | トップページ | 2004年2月 »

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Creative Commons License

無料ブログはココログ