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2004/03/01

追悼・網野善彦

 「訃報:網野善彦さん76歳=元神奈川大教授、歴史研究に影響」。
 亡くなったのは2004年2月27日午前2時。「遺志により献体する。葬儀は行わない。自宅は公表しない。」(毎日インタラクティブの訃報より)とは、なんという潔さ。
 出世作ともいえる『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』(平凡社)が1978年だが、私にとっては、阿部謹也との共著『中世の再発見 市・贈与・宴会 対談』(平凡社, 1982)や、他の研究者との共著論集『中世の罪と罰』(東京大学出版会, 1982)、あるいは『異形の王権』(平凡社, 1986)あたりの印象が強い。多分、『無縁・公界・楽』も1987年の増補版で見ていたはずだ(が、よく覚えていない)。
 あのころは、東西の中世史が、異様に知的刺激に満ちて見えた。今やすっかり「世間学」の人、という印象の強い阿部謹也のヨーロッパ中世史についての著作なども、むやみやたらに面白そうだった記憶がある(中身は覚えていないあたりがなんだが)。
 その、とにかく面白そうな中世史の、日本史側の代表が、網野善彦だった。歴史は視点を変えて読み込み直すことで、まったく新しい相貌を見せる、という、歴史研究にとってある意味で根本的なことを、とても分かりやすく示してくれた。さらに、山口昌男の文化人類学などとも共振ししつつ、学問というものが、とてもスリリングで、刺激的だということを、体現する存在の一人だった。後に、宮崎アニメ(『もののけ姫』)のパンフに登場することになろうとは、当時はまったく思いもしなかったが……。
 ただ、その面白い中世史が、実に地味な史料の読み込みの積み重ねの上に成立していることは、勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書, 1982)に、というか、勝俣先生の一般教養向けの講義で教えてもらったような気がする。当時は理系だったために、こんなに面白い講義はない!と一人で興奮して、周りから浮いていたような記憶がある。その後、理系プロパーからどんどん外れた道を歩んでしまったのは、そういう時代に居合わせてしまったからだ、ということにしておこう。
 最近の網野善彦の著作では、講談社の『日本の歴史』第00巻として出た、『「日本」とは何か』を挙げるべきかもしれないが(これを読むと「日本古来」とか「日本の伝統」とか「昔から日本は」とかいう表現はうかつに使えなくなる)、個人的には『古文書返却の旅 戦後史学の一齣』(中公新書, 1999)を推したい。漁村文書を集めた文書館設立構想とその挫折、そして借用という形で集めてきた文書の顛末を語りつつ、著者の半生史を語るという一冊。文書史料がなければ(近代史も含め)歴史研究は成り立たないにもかかわらず、史料の散佚、破壊が進んでいるという現状批判もさりげなく盛り込んである。史料に対する姿勢は、すぐにイデオロギー論争にはまりこんで、議論の基礎を置き忘れてしまう癖のある人にも、お勧めだろう。
 さて、最初に追悼特集を組むのはどこの雑誌だろうか。

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