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2004/06/13

経済学という教養

 稲葉振一郎経済学という教養』(東洋経済新報社, 2004)を読了。
 帯に「「人文系ヘタレ中流インテリ」に捧ぐ」とあって、そりゃ私のことかいな、と思ったら、「『現代思想』の、熱心な読者ではないまでも気にしていた人たち」や「「ポストモダン」だの「社会的構築主義」だのについて読みかじったことのある「人文系読書人」」がターゲットとのこと。あー、ストライク・ゾーンばっちりですな。
 近代経済学の現状を踏まえつつ、不況・不平等・構造改革の三つのキーワードを軸に、議論は展開。パレート最適(市場がうまく機能して、少なくとも誰も損をせずに効用が最大化された状態……でいいのかな?)という概念はどこかで聞いたことがあったような気がしたけど、すっかりわすれていたなあ。市場経済は、(うまくいっているときには)「弱肉強食」ではなく「共存共栄」を可能にするシステム、というのが、近代経済学の前提だ、というのはうかつにも認識してなかったので、思わず読みながら反省。先入観とは恐ろしい。
 では、市場がうまく機能していない場合(要するに不況の場合)は、というわけで、ケインズが登場。市場における個々のプレーヤーが合理的に判断すればするほど景気が悪くなる状態というのはありうるし、それは個々のプレーヤーがどんなにがんばってもどうにもならない「景気」という領域であって、それこそ公共的な領域なのではないか、という議論が展開されていく。この議論は、間接民主制の理論的基礎の問題にまで届いていて、その射程の長さに思わずうっとり。では景気をどうよくするのか、という点については、いわゆるリフレ派の立場を取っていて、そこでの賛否は分かれるのかもしれない。が、個人的には経済政策という問題が間接民主制システムの存立と密接に関連している、という論点だけでも大収穫だったりする。(余談だけど、第二次大戦終結時のケインズ晩年の苦闘を描いた、谷口智彦「円・元・ドル・ユーロの同時代史」の第24回から第28回(まだこの話は続くのかな?)をついでに読むと、ケインズが生きた時代の様子が窺える、という意味では参考になるかも)
 日本における経済論戦史や、そこで展開された議論が現在の構造改革論者とリフレ論者にどのように引継がれてきているのか、という歴史的視点も巧みに組み込まれているところも人文書読みにはぐっとくるのでは。
 議論の端々には、戦線を縮小、あるいは構造改革論にのめり込んでいく旧左翼への叱咤激励も。とはいえ、労働問題については、何となく物足りないなあ、経済取引の問題だけではなくて、個々の「人格」として扱われるかどうかの問題とかもあるような、と思っていたら、「労使関係史から労使関係論へ」という論文で既にしっかり論点は整理されていたりする。我ながら読み方が甘いなあ……。

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稲葉振一郎の『経済学という教養』(東洋経済新報社)をやっと読んだ。午前2時から読み始め、午前5時に読み終えた。一部の章を除けば、かなり刺激的な書と言ってよいと思... [続きを読む]

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