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2004/08/29

宇田川興斎の写真

 津山洋学資料館の「友の会だより」(No.45 [2004年7月])をパラパラと見ていたら、「資料探究 早稲田大学図書館特別資料室洋学文庫で発見! 宇田川興斎の姿明らかに」なる記事が(p.8に掲載)。今まで知られていなかった、宇田川興斎の写真が発見されたとのこと。
 津山洋学資料館は、大正9年(1920)に妹尾銀行津山東支店として建てられた和洋折衷建築を活用した、津山藩の洋学者・蘭学者の業績を中心に扱う博物館で、小さいながらも、継続的かつ充実した活動を続けている(やはり予算は厳しいようだけれど、何とか乗り切ってほしい…)。実は、一度しか行った事がないのだけれど、以来友の会には入会している。会員に郵送される「友の会だより」には、時々こういう記事が掲載されるので見逃せない。
 宇田川興斎(1821-1887)といっても、知っている人はほとんどいないだろうけれど、西洋の化学・植物学を初めて日本で体系的に紹介した宇田川榕庵の養子であり、西洋植物分類を本格的に適用した日本最初の植物図鑑『草木図説』の飯沼慾斎の実子、という人物だったりする。これまで肖像画も写真も知られていなかったのだけれど、今回の写真が発見されたことで(図版を見る限り、あまり状態はよくないみたいだが)、その顔形が初めて明らかになったらしい。
 写真が発見された早稲田大学図書館の洋学文庫といえば、洋学・蘭学の研究者の間では知らぬものとてない存在のはずなのに、どうして今ごろ新発見資料が出てくるのか、と思っていたら、「これまで発行された所蔵目録以後に整理されたようで、写真の存在はまったく分からず仕舞」だったとのこと。うーむ、目録だけでコレクションの全貌をわかったつもりになってちゃいかん、ということか。

2004/08/27

季刊・本とコンピュータ 2004年夏号

 『季刊・本とコンピュータ』2004年春号(発行:大日本印刷 発売:トランスアート, 2004)を今さらながら読了。
 やはり一番面白いのは、永江朗「出版社はなぜ消えないのか」。出版危機だといわれながらも、書店はバタバタと潰れているのに、出版社は(相対的に)結構生き残っているのは何故か、という視点から、書店と人文系出版社の現状をリポートしたもの。結論からいうと、出版社側は人件費などの経常経費を見直し、商品展開を変更することで、生き残りを図る余地があったが、既に経費節減を限界まで進めてきた書店にはその余地が残っていなかった、とのこと。うーむ、書店を経営する、というのは、今やえらく困難なことなのか。一方で、後継者のいない地方出版社は消えていくばかりだし、図書館が(特に全集などの「巻数もの」の)本を買わなくなった影響がかなり大きいことも指摘されている。
 佐藤俊樹「本はまだ生まれていない」は、「マルチメディア」的な環境の普及を背景に逆説的に、純粋に文字だけのメディアが持つ可能性を語り、ガブリエル・サイド「バベルの混乱を嘆くなかれ」は、出版の持つ多様性こそが重要だと語る。「特集・古本屋のはじめかた」は、古本屋の基本を分かりやすく解説。
 仲俣暁生「共有地の開拓者たち 第四回 山形浩生さん」も、翻訳家としての側面を重視した構成。切り貼り編集のバロウズ本、なんか昔見た事があるような気がするんだけど、記憶違いかなあ。
 という具合に、今回は紙の本にぐっと引き寄せられた構成。「未来の本のつくり方 特集・2100年の本」も、今の本の延長線上に未来の本を捉えている。
 『本コ』もあと一年、四号で終了、とのことで、軸足を「本」に置いて、そこから考える、という方向性になっているのかな? それだけ「本」が難しい状況に置かれていて、「コンピュータ」が新しい可能性を示し切れていない、ということなのかもしれない。

2004/08/23

清沢洌 外交評論の運命 増補版

 北岡伸一『清沢洌 外交評論の運命 増補版』(中央公論新社中公新書, 2004)を読了。
 清沢洌(きよさわ・きよし)といえば、何といっても『暗黒日記』なわけだが、本書は清沢の『暗黒日記』以前の、評論家としての活躍を主に追っている。
 と、いいつつ実は『暗黒日記』は積ん読状態だったりするのだが、本書を読んだらがぜん面白そうな気がしてきた。とにかく、この清沢という人は鋭い。日本の満洲権益が、生命線だなんだと騒がれていたわりには、反日感情を強める対中国貿易に比べれば、投資と利益の関係で考えれば、取るに足らない、なんて現在から見てもえらく正しい主張をガンガン展開したりする。本書で描かれる、日本外交の転回点となるポイント、ポイントで的確な分析を容赦なくかましていく姿は、文句なしにかっこいい。
 政府や世論に迎合せずに、独立した意見を主張しつづけるために、知人の経営する飲食店に投資したり、不動産を買ったりと経済的にも独立を保つ、といったドライかつ合理的な姿勢は、日本の社会では当然嫌われたりするわけだが、現在の視点から見ればむしろ先駆的。情報源である海外の雑誌や新聞を直接購入しているところもさすがというべきだろう。
 そんな清沢も、一度だけ徹底して日本を擁護する狂信的愛国者ぶりを海外で演じたことがあるという。蘆溝橋事件、つまり日中戦争勃発の直後に、国際ペン・クラブ理事会に日本ペン倶楽部代表として出席した時だ。その際、清沢は、文化施設や病院まで攻撃対象にする日本軍に対する非難の声を前に、徹底した日本擁護に走っている。しかし、欧米の言論人たちの、反対意見にも耳を傾ける徹底してリベラルな姿勢に感銘を受け、帰国後に再度、批判的言論活動を再開したという。「愛国」おそるべし、だが、リベラルな言論の力も、捨てたものではない。
 そうした清沢だからこそ、一方的に英米に敵のレッテルを貼って、狭量な愛国熱をあおり、結果として国民を窮地に追いやっておいて、いざとなると国民の覚悟が足りない、という徳富蘇峰を徹底して批判する論説を、昭和20年3月という時点(その年の5月、清沢は病で急死している)で展開することができたのだろう。今再評価されるべきは、徳富蘇峰ではなく、清沢洌ではないのか、という気分にさせる一冊である。
 副読本としては『清沢洌評論集』(岩波文庫, 2002)がお勧め。本書で紹介されている清沢の論説が、抜粋の場合もあるが、かなり収録されていて便利だ。
 ちなみに、増補版になって、サブタイトルが「日米関係への洞察」から、当初予定していたという「外交評論の運命」に変わり、巻末に補章として米国時代の清沢の活躍を論じた「若き日の清沢洌 サンフランシスコ邦字紙『新世界』より」が加わっている。前版を持っている人はご注意を。

2004/08/21

あきれた!図書館の無法者たち

 MBS毎日放送の番組、「VOICE」の2004年8月16日 放送分で、公共図書館における利用者による資料の切り取りや延滞、盗難などについてレポートしたもの、らしい(放映を見ているわけではないので…)。

あきれた!図書館の無法者たち

 損耗率の問題、ではもう済まなくなってきているのかなあ。
 モラルの問題だけではなくて、公共図書館の社会的な位置、というのか、社会的に期待される役割(冷房のある勉強部屋ではない何か)を、これからどうしていくのか、という問題も絡むような気も。
 単に、売ってる書店ですら平気で盗んでいく人たちがいるわけだから、無料で貸している図書館であればなおさら、ということなのかもしれないけど、どこまでをリスクとして折り込んで運営していくのか、なかなか難しそう。

 以下を経由。

Easy Lazy Diary?  [news][book]あきれた!図書館の無法者たち
モノグラフ 2004.8.20(金)
Locked Room 2004年8月19日(木)22時42分57秒

2004/08/20

歴史のための弁明

 しばらく前に読み終っていたのだけれど、マルク・ブロック著/松村剛訳『歴史のための弁明 歴史家の仕事 新版』(岩波書店, 2004)について。
 帯に「練達の新訳!」とあるのだけれど、率直にいって読みにくい。複数の草稿を元に編纂された1997年刊の校訂版を元にしているそうで、恐ろしいことに、初期の原稿になく最終稿にある部分が[ ]で示されていたりする。つまり、もともとのフランス語で、最終稿で追加されたものとして表示されている部分が、日本語でもちゃんと(かたまりとして)そのように表示されている、ということになる。そりゃ直訳調にするな、というのは無理な話だよなあ。学問的に厳密、という意味では正しいやり方ではあるのだろうけど、何とも取っつきにくいのがもったいない。
 中身は歴史研究の方法論を、自然科学や、社会学と比較しつつ論じる、というもので……なんて、説明はまあ不要なのかな。歴史研究の対象が、結局は人間である、ということが強調されているのが印象的。後半は、歴史研究における批判や分析、といった方法論の特徴(限界と可能性)を論じていて、じっくり読むと面白い。読みにくいけど。
 解説によると、著者のマルク・ブロックは、リュシアン・フェーヴルとともに『アナール』誌を創刊した人とのこと。知らなかった。それにしても、対独レジスタンスに参加してドイツ軍に銃殺され、本書を完成できなかったとは、これまた知らなんだ。ついでに、戦後に遺稿を最初に出版したのはリュシアン・フェーヴル。うーむ、なんか、面白そうな人のような気がしてきた。ブロックの伝記(キャロル・フィンク著/河原温訳『マルク・ブロック 歴史のなかの生涯』(平凡社, 1994))を、そのうち読んでみるかなあ。

2004/08/16

コミックマーケット66

 週末、コミックマーケット66に出かけた。当初は二日目(14日(土))のみの予定だったのだけれど、直前になって売り子を頼まれ三日目(15日(日))にも参加することに。しかし、40の声が聞こえてきているというのに、コミケで二日間も売り子をしているとは、学生時代にはとても考えられなかったなあ、としみじみ。
 といいつつ、二日目は、相も変わらず「十二国記」と「歴史系」、それから「マリみて」をチェック。
 「十二国記」は、原作が長期間出ていないにも関わらず、妙に人が集まっている。何でだろうと、業界通の知人に聞いてみたところ、「あれだけ再放送してればねぇ」とのこと。なるほど、NHKのおかげなのかも。ただ、アニメの続きをやるという話もなさそうなので、この盛り上がりがいつまで持つのかは難しいところかもしれない。いつも買っているお気に入りのサークルの一つが採録本だったり、別のサークルは原作が出るまで別ジャンルに移行を宣言していたり、徐々に限界が近づきつつある感じもする。逆にいえば原作がでれば一発なんだけどねぇ。
 歴史系は三国志と新撰組の圧勝、という感じ。戦国ものと(新撰組以外の)幕末が衰退しつつあるような気がしたんだけど、回ったのが終盤で1/3くらいは撤退後だったので、あまり正確な観測ではないかもしれない。新撰組は大河ドラマもあるし、わかるけど、三国志のこの根強さ、というのはちょっと謎。あと、気になったのは、幸徳秋水ら大逆事件ものがいくつか出ていたところ。中国共産党やおいを初めてみたときにもぶっとんだものだが、戦前日本の社会主義活動家という着眼点は結構おいしいかも。こうなったら労働運動関係者もぜひ。
 「マリみて」は、やっばり女性が中心になっている(らしい)サークルの方が、なんとなくしっくりくる感じ(やっばり少数派ですが)。あと、中心に扱うキャラクターが、サークルによって固定化する傾向が強まっている感じがして、細分化が進んでいるなあ、という印象。ジャンルの発展過程としては、普通のことかもしれないけど。
 三日目は、売り子をしに行ったはずなのに、何故かついつい長時間うろうろしてしまう。久しぶりだったので、「創作(少女)」と「評論」は全部回ろう、と自らに間抜けなノルマを勝手に課した結果、へろへろに。まあ、全部、とはいわないまでもかなり見て回れたかな?
 「創作(少女)」のあたりをうろうろしてみると、しばらく回っていなかった間に、手芸小物系が大人気に。いや、それも自己表現だとは思うのだけれど、マンガよりも小説よりも、手芸小物が人気というのは、ちと寂しい気も。マンガについては、ほのぼの系とダーク系に二分化されている感じ。ただし、どちらも何か物足りない気がしてしまってあまり購入せず。なんとなく、どっちも世界と斬り結ぶことをしない、という点で共通しているような。とはいえ、水準以上の作品はたくさんあって、すごいなあ、とは思ったのだけれど、一つ買い始めると、全部買わなければいけない、という程度の差で並んでしまっている感じがして、手を出すに出せなかったところがある。結果として、絵本的な作りとか、形式そのもので差異化を狙っているところと、多少粗っぽい絵だけどコピー誌で勝負、といったところに手が出てしまった感じ。
 「評論」は、最新刊よりもここ数年のバックナンバーを買い込むことが多かった(おかげで、えらく散財)。ということは、それなりの水準のものが安定して出ている、という状態なのかもしれない。アニメやマンガの評論は少数派(まあ、前からそんなに多くはなかったか……)だったような。以前はよくあった、読書感想文を集めたタイプの本はwebに移行してしまったのか、ほとんど姿を見なかったなあ。
 図書館ネタの同人誌を出しているところは、二ヶ所発見。今後もコンスタントに本を出してくれるといいのだけれど。といいつつ、二日間通うのはきついから次回は確認できないかも……。

 余談だけれど、いつの間にやらユニーク・アクセスのカウンタが1万を超えていた。最初の二ヶ月分くらいは、カウントされていないのだけれど、まあ、誤差の範囲でしょう。こんなネタの後でなんですが、毎度のぞいてくださるみなさんに感謝です。

2004/08/13

The September Project -- What's your library doing on September 11?

The September Project

 要するに、今度の9月11日に、みんなで近所のpublic space、特に、公共図書館に集まって、民主主義や市民の権利、愛国心について議論しあいましょう、というプロジェクト。University of Washingtonなどが資金を提供している。
 "Libraries are ideal hosts for community events."と言い切ることで、公共図書館の持つ価値を社会に呼びかけようとするプロジェクトでもあるみたい。アメリカで、公共図書館がどのようなものとして(あるいは、どのようなものであるべきかと)捉えられているのかが、何となくほの見える気がする。

2004/08/10

インパクトファクターを解き明かす

 山崎茂明『インパクトファクターを解き明かす』(情報科学技術協会, 2004)を先日読了した。
 インパクトファクターというのは、学術雑誌に関係する業界ではよく知られている言葉で、最近では、研究者の業績評価と絡めて言及されることも増えてきている。で、それは何かというと、ISI(Institute for Scientific Information社、現在のThomson ISI社)の創設者である、ユージン・ガーフィールド(Eugene Garfield)博士が提唱した、学術雑誌の評価指標の一つだったりする。
 ちなみに、ある雑誌の2004年のインパクトファクターは次の計算で求められる。

2004年のインパクトファクター=2002年と2003年にその雑誌に掲載された論文が他の論文に引用された回数/2002年と2003年にその雑誌に掲載された論文総数

 要するに、一定期間に引用される率が多い雑誌は、その分野で重要性の高い雑誌であろう、という考え方のもとに作られた指標、という説明でいいのかな?
 何で引用された回数なんぞがわかるのか、というと、ISI社が長年、Science Citation Index(ここでいうScienceは自然科学のこと。現在は、Social ScienceとHumanitiesのCitation Indexもある)という論文の引用関係を索引化(当然現在はデータベース化)して販売する事業を行ってきたからだ。もともと、ISI社は分野毎の学術雑誌の目次速報であるCurrent Contentsを提供するところからスタートして、さらに引用文献索引であるScience Citation Indexに進んでいる。どちらにしても、あらゆる雑誌を収録対象にすることはできない以上、何らかの指標に基づいて収録するかどうかを判断することになる。
 ところが、例えば、単にその雑誌が引用された回数だけをカウントしてしまうと、掲載論文数や刊行頻度が高い雑誌が有利になってしまう。そんなこんなで色々な要素を考えた末にこのインパクトファクターという指標を、ガーフィールドさんは提唱する事になるのだが、偏差値の例を思い出せばわかるように、数字は独り歩きするもの。今や研究者個人の業績評価にまで、インパクトファクターが影響を与えるようになってしまった。
 本書に紹介されている例によると、自分の論文が掲載された雑誌のインパクトファクターの合計を提示させたりする研究機関まであるらしい。インパクトファクターは、あくまで雑誌ごとの評価指標の一つでしかないので、そんなものを足し合わせたところで、その数字には何の意味もないのだけれど……。所詮、学者も数字にゃ弱いってことか。
 大学図書館を中心にした図書館でも欧米の学術雑誌を買う・買わないの判断の指標として、インパクトファクターが使われているのだけれど、本書を読むと、インパクトファクターに過度に頼るのは危険であることがよくわかる。完全な解法はないわけで、実際には色々な判断基準を組み合わせて、どの雑誌が影響力があり、金を出して買う価値ある雑誌なのかを判断していくしかない。まあ、単に機械的に数字で比べて決めればいいだけなら図書館員には何の知識も必要ないわけだから、ある意味で完璧な指標はない、ということは、図書館屋としてはありがたい(作業としては手間がかかるけど)ことなのかも。
 本書では、インパクトファクターの特徴や、様々な問題点、限界を紹介しつつ、インパクトファクターの問題点を回避するために提唱されたいくつかの評価指標などもあわせて紹介していてわかりやすい。まとめかたも簡にして要を得る、といった具合の、便利な一冊。一般書店では手に入らないみたいなので、関心のある向きは情報科学技術協会に直接注文を。

2004/08/08

世紀の祭典 万国博覧会の美術

 東京国立博物館に、『世紀の祭典 万国博覧会の美術〜パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品〜』(会期:2004年7月6日〜8月29日)を見に出かけた。
 日本国として初めて正式参加した1873年のウィーン万博(ちなみに、その前の1867年に幕府・薩摩藩・佐賀藩がパリ万博に参加)から1905年のリエージュ(ベルギー)万博まで、日本が出展した工芸(美術)品を集めた第一部と、1855年から1900年までのパリ万博に出展された絵画を中心とした西洋美術の変遷をたどる第二部、という二部構成。
 はっきりいって、壮絶なのは第一部。和洋折衷バロックとでもいうか、超絶技巧と悪趣味スレスレのエキゾチズムてんこ盛り、欧米人のハート狙い撃ちの巨大工芸品が次々ならぶ前半もすごいし、西洋の美術の枠組みに自らを合わせていくことで、輸出工芸品の展示ではなく、高い文化度を象徴する美術品であることを狙った後半の展示品も当時の関係者の執念が伝わってくる。
 全体を通覧する事で、江戸の職人が消えて、西洋美術の枠組みに対応した芸術家が生まれてくる過程が浮かび上がってくる、という構成もお見事。
 現在の視点から見て、「芸術的」であるかどうか、という枠組みとは無関係に、あらゆる工芸分野における超絶的な技巧を楽しむ、というのが、一番素直な楽しみ方かもしれない。逆にいうと、「芸術」「美術」という規範が切り捨てているものは何なのか、ということも、何となく、浮かび上がってくる。
 面白い展示品はあっちこっちに散らばっていたのだけれど、個人的にはアール・ヌーボー丸出しの陶芸にびっくり。こんなのあったのか。
 あとは、「自在」と呼ばれる金工による可動置物もすごかった。超リアルに作られた鷹とか、龍とか、カマキリとか、海老が、ちゃんと各パーツが動くようにできているんである(動かした姿は写真でしか確認できないのだけれど、よく見ると関節とかが動くようにできているのがわかる)。精密フィギュアの原点を見た、という感じ。
 リエージュ万博の「百花百鳥の間」の下絵を用いた部分的な再現も壮絶。四面の壁、天井全てが鳥と花が大量に織り出された綴織で囲まれた部屋、という代物なのだが、天井に織り出された大量の鳥が全部精密に羽を広げた腹側の姿だったり、リアリズムなのか幻想的なのか、何だかもうよくわからない空間が作られていたことが、断片からですら浮かび上がってくる。
 第二部は絵画中心で個人的にはあんまりピンとこなかったが、その中では、パリ万博関連の案内用地図や全景図といった印刷物、ポスター類が面白い。同じパリ万博とはいっても、1855年の1回目から1900年の5回目まで、その度毎に全く新しく最新技術を用いた建築が作られている様子がよくわかるし、ポスターに描かれた妙な見せ物っぷりも、万博が持つお祭り的要素を伝えていて何とも怪しげ。
 ちなみに、今回、音声ガイドを使ってみたのだけれど、後半の西洋美術史本流の話になると、いきなり詳しくなるのには正直閉口。見せるべきは絵画作品そのものじゃないんじゃないのかなあ。そういう意味でも、「美術」「芸術」の抱える問題を感じさせる展示だった。
 この後、大阪市立美術館名古屋市博物館を巡回する、とのこと。「美術品」とは何なのか、考えてみたい人はぜひ。
 後、余談だけれど、東京国立博物館のWebサイトに、「今日の博物館」とか、「今日出会える名品」というコーナーができていた。要するに、その日その日の展示の全体像や常設展示の入れ替えの状況が把握できる仕組みなんだけど、いつでも自分が見たい作品が展示されているとは限らない、博物館ならではのサービスとして注目かも。

2004/08/04

2004 構造改革下の公共図書館 低成長時代に求められる図書館像とは

 指定管理者制度により運営されている図書館として今話題の山中湖情報創造館日々記などより)。AVCCから発行されている『2004 構造改革下の公共図書館 低成長時代に求められる図書館像とは』 の巻頭座談会ではその山中湖情報創造館の館長も登場して、指定管理者制度も含めた図書館のアウトソーシングについて論じている。職員の収入レベルの設定の問題なども含めて、興味深い話が色々書かれているので、感心のある向きは一読の価値ありかと。
 指定管理者制度については、内閣官房構造改革特区推進室が7月23日、構造改革特区の第5次提案に対する各府省庁からの回答を発表、このなかで大阪府大東市から提案のあった「指定管理者制度を活用する公立図書館の館長・専門的職員等の設置規定の弾力的運用」に対して、文部科学省が「現行法の規定により対応可能」との回答を行ったことが、JLAメールマガジンで報じられている(内閣官房の発表資料はこちら(PDF)。まあ、以前から文部科学省が提示していた方針を再確認しただけ、という気もしなくもないけれど、これで、各地方公共団体は、図書館運営について直営以外の選択肢をより検討しやすくなった、という効果はありそう。
 愚智提衡而立治之至也で指摘されているとおり、公立図書館の運営を官だけで行うことにこだわりすぎるのは、ピントを外した議論になりつつあるのかもしれない。

2004/08/03

厚生省の誕生

 藤野豊『厚生省の誕生 医療はファシズムをいかに推進したか』(かもがわ出版, 2003)を読了。
 厚生省が1938年に、陸軍の後押しを受けつつ、優生政策的な発想を背景にして、関係組織を統合する形で発足した経緯を語る第1章、欧米のリクリエーション運動の輸入、という性格を持ちつつも、国民動員を目的とした健康化のための活動として展開される「厚生運動」の展開を語る第2章までが、書名どおり、厚生省の設立前史から初期の活動を論じた部分。さらに、第3章では、満洲国における厚生運動の展開を追っている。それにしても、厚生省ができるまで、「厚生」という言葉が、今の「福利厚生」の「厚生」の意味では使われていなかったとは知らなかった。
 しかし、本書の白眉は第4章・第5章で論じられる国立公園と、第6章で展開される無医村対策についての分析だったりする。その意味では、ちょっとこのタイトルではもったいない感じ。
 今は自然保護の文脈で語られる国立公園だが、もともとは国民の健康増進(と初期には外貨獲得のための観光客誘致)が主要な目的として設置されたものだったりする。その後、1940年代になると「健民地」と呼ばれる「健民錬成」の場となり、軍事教練的な訓練の場として活用されるようになっていく過程が、資料に基づいて論じられている。
 無医村対策は、戦前の農村問題の一つの象徴だったようだ。開業医保護のために公立医療施設の設置に反対した日本医師会の運動との関連もあり、その経緯はなかなか複雑。国民を兵士、あるいは生産力として動員する必要性が、一定レベルの健康の維持のための無医村対策を政策目標に押し上げていく過程や、地域の様々な思惑の中で、実際の政策がほとんど実効性を持たないまま終息していく過程が、丹念な資料の分析から浮かび上がる。
 国立公園と無医村対策については、国レベルの政策論だけではなく、富山県公文書館に残された地域の行政文書を駆使した、個別具体的な分析も併せて展開されているところが読みどころ。最近、アーカイブズの必要性が(やっと!)認知されてきた感じがするけれど、歴史研究者にとって蓄積・保存された文書は宝の山だ、ということを実例をもって示してくれた感じ。やっばり、ちゃんと行政文書(司法も立法もだけど)は残さんといかんなあ。
 各章の末尾では、ファシズム国家としての戦前・戦中期日本、という結論(問題意識かそこから出発しているので、ある意味当然ではあるのだけれど)が、やや唐突に展開されるきらいもないではない。とはいえ、個々の分析自体は、単純なイデオロギッシュな議論に引きずられることなく、資料に基づいて丹念に展開されていて、じっくり読む価値はある。
 「今」こうなっている背景には、多かれ少なかれ、何らかの歴史的な背景がある、ということを、今さらながら思い出させてくれる一冊。国立公園や無医村対策について感心のある向きは、一読の価値ありかと。

2004/08/02

栃木県立博物館

 先日、ついでがあって、栃木県立博物館に行ってきた。企画展の「脊椎動物の進化」がお目当てだったのだが、常設展も予想以上にいい感じ。特に自然誌関係の展示が充実していて、最初にらせんのスロープをぐるぐると上っていくようになっているのだが、これが日光地方の生物の分布を模していて、上に行くほど高い場所の生物を紹介する、という仕組み。夏休みだけに小学生が走り回ってきゃーきゃー騒いでいた。
 企画展は途中から展示解説付で見る事ができたのが、ありがたかった。亀の甲羅って、ろっ骨がベースなのか、などなど、いろいろ感心したり。色々な動物の毛皮(熊とか狸とか鹿とか狐とか…)の触り比べとか、参加型の工夫もいい感じ。
 歴史系展示はじっくり見る時間がなかったのだが、よくまとまっていた印象。細かく見るともっと面白かったのかも。
 ちゃんとスタッフがいる博物館は、やっぱり面白い、ってことか……。

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