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2004/10/22

脳死・臓器移植の本当の話

 風邪を引いて寝込んだり、その後、慌てて頼まれ研修講師の準備でどたばたしたりで、更新が一時停止してしまっていたが、ようやく久しぶりに更新。いくつか読んだ本が積みあがっている(読んでいない本はもっと積みあがっているのだが)のだけれど、最近読んだものから片づけることに。
 まずは、小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP研究所PHP新書, 2004)。正直、これを風邪を引いてぼおっとした頭で読んだのは、少々無謀だったかも。夢に出てきそう……。
 というのは、本書の前半が、欧米の最新の研究動向を踏まえつつ、「脳死」が本当に「死」の名に値するのか、という問題を論じているため。何しろ、アメリカでは、「脳死」した人から臓器を取り出す際に、麻酔をかけるのが当り前になっているらしい。脳が回復不能なまでに壊れちゃっているんだから、意識なんてないし痛みなんて感じないはずなのに、メスを入れると血圧が一気に上昇し、額には汗、目には涙、そして、そのまま進めるとのたうち回る……というのは、常識なんだそうな。日本でも、脳死した人から臓器を取り出す時には、麻酔を使ったり、あるいは、筋肉弛緩剤のようなものを使って動けなくすることが推奨されているとのこと。つまり、明確な意識は残っていないかもしれない(あるいは、もしかすると残っているけれども、外部とコミュニケーションすることができないのかもしれない)が、痛みは感じている可能性がある。体の部品を一つ一つ切り出される猛烈な痛みの中で、もう一度死んでいく「脳死」者……。このイメージが、熱に浮かされた頭に強烈に焼き付いてしまった。正直、もうドナーカードを持つ気はしない。
 他にもラザロ症候と呼ばれる、人工呼吸器を停止すると肘を曲げて、両手を咽や口元に添えるような動作をする「脳死」者(これは連続写真もあり)など、強烈なイメージで語る部分だけが記憶に残りがちだが、実は、本書はそれだけの本ではない。
 脳は身体の有機的統合の中心であり脳が破壊されれば有機的統合は崩壊する。つまり、人の生命が維持されている、ということを支えているのは脳の活動であって、脳の基本的な機能が破壊されてしまえば、一体的な生命としては存在できない、という理屈が、「脳死」の理論を支えていた。ところが、Alan D. Shewmonという人による最近の論文では、実際には脳がなくとも成立する有機的統合の例はたくさんあり、脳は中枢ではなく、調整役に過ぎない、ということが示されてしまった、ということが本書では紹介されている。今や、「脳死」が「死」である、という学問的根拠は失われつつある、ということだ。このために、欧米の脳死による臓器移植を推進する論者からは、「脳死」が「死」ではない、ということを認めた上で、臓器移植医療のためならば、「脳死」状態の人を殺すことは容認される、という議論まで出てきているらしい。
 いや、意識がなければ死んだも同じじゃないか、という人もいるかもしれないが、それは「脳死」という言葉に引きずられているのだ、と、著者は指摘する。意識がない、ということは、外側からは確認のしようかない。意識が戻らないまま眠りつづける植物状態の人は、外見的には意識がないように見えるが、実は重度のコミュニケーション不全に陥っているだけ、という話もあったり(実際、リハビリによって徐々に回復する例もあったりするらしい)、意識の有無=生命の有無、と考えるのは、実は生きて意識のある人を意図的に殺してしまう可能性に道を開く、危険な思考の罠だったりする。
 そもそも、移植した場合としない場合の生存率は統計的にきちんと調査されているのか、とか、実際に行われている「脳死」による臓器移植に問題はないのか、という点についても、様々な資料や最新の研究成果に基づいて議論が進められている。特に、1999年の「脳死」移植第1号のケースの緻密な検証は圧巻。「脳死」状態になる可能性が高い患者が受けられるのが、救命医療ではなく、「脳死」するまで何度でも行われる脳死判定となる可能性が、そこでは浮き彫りにされている。
 しかも、人工呼吸器を外して自発的な呼吸運動が起こらないことを確認する、つまり、呼吸できない状態を意図的に作り出す、という判定手順は、厚生省(現・厚生労働省)が定めた手順では、最後まで行わないものとされていたはずなのに、第1号のケースでは何度も行われていたことが語られる。実際、危険なほど血中の二酸化炭素濃度が高まっていたにも関わらず、事後の公の検証の場では、何も問題は指摘されていないという。さらに、判定の妨げになるはずの中枢神経抑制薬、筋肉弛緩薬が(けいれんなどを押さえるために)何度も患者に投与されているときては、いったい何を信じたらいいものやら。
 当時の異常な報道の過熱ぶり(そういえば、NHKの報道はあの頃から何か「たが」が外れてしまって、何か一つのニュースだけを過剰にとりあげることが多くなった気がする)に対して、事後検証の欠如が徹底していたことにもがく然としてしまう。
 こうした実証的な議論に加えて、最初と最後に『星の王子さま』を題材にした一種の「たとえ話」が語られている。治療のために臓器を待ち望んでいる人たちに同情を寄せるのであれば、臓器を提供した側の死がどのようなものであるのかについても同時に見据えた上で語らなければ、単に人体ビジネスの立ち上げに貢献するだけになってしまいかねない。「たとえ話」の中身は実際に読んでもらうしかないが、こうした厳しい現状の中で、単に反対のための反対だけではなく、「死」とは何なのか、ということを、正面から論じようとした、それが著者の答えなのだろう。
 臓器移植法の改正が議論されている昨今だからこそ、読んでおきたい一冊。ドナーカードについて、どうしようかなあ、と思っている人もぜひ。

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