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2004/11/28

図書館は公共デジタルアーカイブになれるか

 第6回図書館総合展(会期:2004年11月24日〜26日 会場:パシフィコ横浜)で、11月25日に行われたフォーラム「図書館は公共デジタルアーカイブになれるか 「デジタルであること」と「公共性」の視点から」(13:00-17:00 於・パシフィコ横浜アネックスホールF202)について、忘れないうちに。

 と、その前に。
 「日々記—へっぽこライブラリアンの日常—」のエントリー「第6回図書館総合展」で、「情報創造館のDVDは本当に志のある方に買っていただきたいと考え、あえて購入を見送らせていただ」いた、という一言を読んで、恥じ入ることしきり。何も考えずに入手してしまったからなあ。自分に「志」は、というと……うーん、やっばり、気持ちと実行力と、両方揃っていての「志」だよなあ。これからが問われるってことですな。せっかく仕入れた情報を無駄にしないようにしないと(といつつ、まだ具体的には何も考えていないのだけれど……)。

 で、本題のフォーラム「図書館は公共デジタルアーカイブになれるか」。
 野末俊比古氏(青山学院大学助教授)による趣旨説明のあと、坪井賢一氏(ダイヤモンド社取締役)の司会でフォーラムは進行。
 まず、高山正也氏(慶応義塾大学教授)による講演「公共デジタルアーカイブをめぐる政策の動向」では、内閣官房長主催の「歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用等のための研究会」、そしてそれを受けた形で発足した内閣官房長官主催の「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」での議論の概要を紹介。アーカイブズとして必要なヒト、モノ、カネが整備され、文書が資産であり組織・機関のDNAであるという文化が定着することが必要であることが強調されていた。まず前提として、あるべきアーカイブズが確立されてこそ、「公共デジタルアーカイブ」が成立しうるのであって、デジタルライブラリーが掛け声倒れになってきているからといって、「デジタルアーカイブ」に置き換えれば物事が進むようになるというのは幻想にすぎない、といった指摘をされていたのが、印象的だった。
 続く牟田昌平氏(国立公文書館アジア歴史資料センター主任研究員)の講演「公共デジタルアーカイブ〜アジア歴史資料センターをめぐって」は、国際シンポジウム「中国東北と日本−資料の現状と課題」で、中国側は档案館(文書館)関係者が多数含まれていたのに対し、日本側は図書館関係者ばかりが声を掛けられていてアーカイブズ関係者は事実上ほとんど無視されていた(が、牟田氏は押し掛け(?)参加をしたとのこと)、という話に始まって、日本国内のデジタル化事業が、民間資金を導入した結果、デジタルデータの権利が民間のものとなって、自由な公開ができなくなったケースが少ない、といった現状の問題点を紹介。対して、アジア歴史資料センターの基本的構想が、ニコラス・ネグロポンテ『ビーイング・デジタル』、ローレンス・レッシグ『コモンズ』を基礎としていることなど、アジア歴史資料センターの活動が、そうした現状の反省の上に立ったものであることが説明された。「デジタルであること」を生かすために、技術等の仕様のオープン化の必要性や、「公的な知の記憶装置」として著作権などによる利用制限がないことが、公共デジタルアーカイブの基本要素である、との指摘は、国立公文書館のデジタルアーカイブにも反映されている模様。それにしても、政治的に決まったアジア歴史資料センターの設置という課題を、ある意味逆手にとってここまで持ってきたその努力には頭が下がるばかり。
 浜田忠久氏(市民コンピュータコミュニケーション研究会代表)の講演「『市民社会の情報基盤』〜公共デジタルアーカイブをめぐって」では、市民コンピュータコミュニケーション研究会(JCAFE)の活動を紹介しつつ、情報を発信する、ということ自体が、その情報に公共性を持たせるという宣言でもある、という根源的な視点を提供しつつ、NPOの発信する情報の現状と問題点を紹介。NPOが発信する情報は特定分野の専門情報であり、NPOの活動そのものが情報を産むものだ、という特性がある一方で、図書館などの公共機関にNPO発の情報が集積されておらず、充分に活用されていない現状を説明しつつ、その問題点を踏まえてNPO-Webdeskなどの活動を行っているという事例が紹介されていた。公共的であることと、中立的であることは別のことであって、公共的な情報は議論に関する情報である、判断しないことは公共的であることとは違う、という指摘も刺激的。
 最後の常世田良氏(浦安市教育委員会生涯学習部次長)の講演「パブリックドメインとしての公共図書館」は、デジタル、という視点から、有料のデータベース、電子ジャーナルなどが、米国では、公共図書館を通じて提供されることで、事実上パブリックなものに変換されている、という事例を紹介しつつ、日本の現状が米国の状況とかけ離れていることを指摘。ビジネス、医療、法律の三分野の情報が、日本の公共図書館における生き残りの鍵だ、という指摘もあり。
 質疑応答も活発に行われたが、いくつか印象に残った点だけ。
 高山氏は、講演を補足する形で、文化を変えていくためには、現場側の努力と、リーダーの力の両方が必要であり、アーカイブズは今、その時と人を得ている、といったコメントをされていた。ロビーイング的な、政治的活動の必要性まで踏み込んで主張されていたのが印象的。最近のマスコミでもアーカイブズが話題になることが多いのは、偶然ではない、ということだろう。
 また、常世田氏からは、図書館界ではまだガダルカナルを戦っていると思っている人が多いが、実際には沖縄戦がとっくに終っている状況だ、という痛烈な発言も。
 高山氏が最後に紹介した、カナダ、オーストラリアの文書館でも、最初からアーカイブズの必要性を認める文化があったわけではなく、現場とリーダーの努力で文化を変えていった、という話に希望を見いだしつつも、現状の厳しさを再認識する4時間だった。
 全体としては、図書館の話とアーカイブズの話が、あまりうまく斬り結ばなかったような気もするけれど、図書館屋があまり認識していないアーカイブズの話をじっくり聞けた点に意味があったのかも。まだまだ学ぶべきことがいっぱいあるなあ。
 ちなみに、このフォーラムは図書館総合展事務局の主催なのだけれど、NPO法人 知的資源イニシアティブ(IRI)が企画・運営を行ったとのこと。今後もフォーラムなどを開催していく模様。

2004/11/27

第6回図書館総合展

 終了してしまってからの感想でなんなのだけれど、第6回図書館総合展(会期:2004年11月24日〜26日 会場:パシフィコ横浜)に、中日の25日に出かけてきた。
 まずは山中湖情報創造館のブースで熱い解説を聞き、噂の(?)DVDを購入。成果主義的な仕組みを導入している、とのことだけれども、説明してくれた方の生き生きぶりを見ても、某富士通とは大きく違う感じ。それにしても、日図協に図書館として認めてもらえない、というのはどういうことなのかなあ。指定管理者制度によって運営される公共図書館は、図書館法における図書館ではないという理屈? でも、公共図書館自体は私立だっていいはずなのに……???
 DVDは映像とナレーションで山中湖情報創造館の見学ツアー体験ができる、というもの。山中尋常高等小学校や、蒼生庵といった関連施設の情報もあり。さらにDVD-ROMとして開くと、行政側・NPO側の主要ドキュメントも見られる。指定管理者制度について関心のある向きは、必見……って、よく考えたらもう手に入らないのかな?
 その他はデータベース関連を中心に、各社のブースをうろうろ。お馴染のJapanKnowledgeなどに加えて、日外アソシエーツの「e-レファレンス/ツール」といった新顔も。レファレンス・ツール(辞書・辞典・目録類など調べもののための本)のWeb化の流れは、もう止まりそうもない。これからの図書館は館種を問わず、それを前提にして色々なことを組み立てないといけない、ということだろう。Oxford English Dictionary Onlineとか、洋もののツールは、既にWebが常識なわけだし。
 というわけで、新聞社系の戦前ものや、縮刷版CD-ROMは、検索データベースと画像イメージの組み合わせ、という意味では電子ジャーナルとまったく同じなわけだから、はやくWebに移行してほしいなあ、と思ったりもする。特に読売の明治から昭和にいたるまでの紙面をCD-ROM化したやつは、Web化すれば、海外でも展開できると思うけどなあ。これからは、一度電子化したら、パッケージの形ででコンテンツを売るモデルに頼らないほうがよいと思うのだけれど。まあ、その前に、テキスト系のデータベースだけでもとっとと自分とこで導入せいって話もあるか。自分のとこでは使ってないものばっかりなのに、何だかすっかり耳年増状態である。
 東京国際フォーラムから横浜に会場が移ったことで、人出はどうなのだろうと思っていたのだけれど、午後になると結構込み合っていた印象。土曜日が入らないという日程なので、一般の人はちょっと来場しにくくなったけれども、地方から出張で来る人にとっては、じっくりと情報集めができる場になったかもしれない。
 あと、図書館業務のアウト・ソーシングや人材派遣系の企業・団体の出展が目立っていたのが、印象的だったかな。
 時間がなくてあまりチェックできなかったけれど、RFID関連の出展も多少あり。その辺のテクノロジー系の話は、ASCII24の記事(第1回第2回第3回第4回)を参照のこと。
 それと、ポスターはあっても、垂れ幕とか横断幕とか人目を引く仕掛けが駅からのルートの途中になかったのは、ちょっと寂しかったなあ。業界人向け、と割り切っているからかもしれないけど。
 午後はフォーラムを聞いていたのだけれど、その話はまた別途。

2004/11/23

言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家

 あちこちで話題になっているようなので、今更ここで取り上げることもないような気もするのだけれど、でも面白かったので。佐藤卓己『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中央公論新社中公新書, 2004)について一席。
 戦時中の出版・報道、というと、居丈高な軍人に出版物の内容について強圧的な指導を受けて、止むを得ず軍国主義礼賛をせざるを得なかった……というイメージが何となくある。その軍人といえば、文学や学問に対する知識もなく、暴力的で権力を笠に着た嫌なヤツ、というのが定番で、自由主義的なインテリの出版人や執筆者に乱暴を働いたり……と、そんな感じ。
 で、その軍人の代表選手が、本書の主人公、鈴木庫三、ということになる。出版社の社史や出版人の回想に、暴言かましまくって、言論を弾圧した極悪人として登場するこの鈴木庫三、どっから見ても相当の悪、というイメージしか出てこない。ところが、ちょっと突っ込んで調べてみると、いったいどういう経歴、素性の何者なのかさっぱりわからない。というところから、著者の探索の旅が始まる。
 そして、徐々に集まる鈴木庫三が発表した数々の雑誌論文や著書。そこには、粗暴で無知な軍人のイメージとはかけ離れた、雄弁な著述家としての鈴木庫三がいた。いったい彼は何者なのか……。
 著者による資料探しの苦労話は、「あとがき」に詳しく書いてあって、これがまた、資料はそれを求め続ける者のもとにいつか必ず現れる、という伝承を証明する、泣かせる話だったりする。特に近現代史研究を志しているいる人は、あとがきだけでも一読を。
 それはさておき、ついに著者のもとに鈴木庫三に関する超一級資料が現れる。若い頃から書きためた日記や旧蔵書だ。本書は、この鈴木庫三自身の日記を軸に、その生涯を詳細に追いながら、雑誌掲載論文などによってその思想を語る一冊、ということになる。
 それにしても、この鈴木庫三という人はただものではない。少年・青年時代の苦学ぶりといい、陸軍に入って後の士官学校入学のための猛勉強ぶりといい、軍から帝大への派遣学生として研究に邁進する姿といい、その勉強家ぶりは鬼神のごとし。私なんぞの社会人学生としての苦労なんてまったく話になりゃしない。何しろ、その研究ぶりによって、軍ではなく、研究者としての道、という選択肢も、彼には開かれかけていたのだ。
 しかし、鈴木庫三は研究者ではなく、軍人、特に、教育を専門とする軍人としての道を選んでいる。
 時はまさしく、五・一五に二・二六、満洲事変と、大正デモクラシーの時代が終焉し、政党政治は崩壊に向い、軍部の政治への介入が強まっていくまさにその時代に、鈴木は教育学・倫理学の研究に邁進し、その後、軍内部の教育の改革、そしてジャーナリズムや文学を通じた国民の教育へとその活躍の場を移していくことになる。
 数多くの陸軍パンフレットを執筆し、雑誌等の指導、吉本興業など大衆芸能との連携など、七面六臂の大活躍。講演を頼まれることも多かったようで、その合間を縫って自らの論文を執筆していたりする。とにかくその仕事ぶりは凄まじい。
 で、こうやって読んでいくと、どうも悪の強圧的軍人、というのとは勝手が違う。苦労人だけあって、軍隊内部の理不尽な暴力には徹底的に反対し、部下の面倒見は良くて慕われていたようだし。上官に対しても自説を曲げず、信念に従って生きる、純粋というば純粋、窮屈といえば窮屈な人、という感じである。
 著者の検証によれば戦後に語られたイメージのかなりの部分は、記憶の捏造による部分が大きいようで、著者は、特に戦後に民主派に転向した文化人が、鈴木に罪を擦りつけたことへの怒りを露にしている。あまりに感情移入しすぎて、民主主義もファシズムも同じじゃないか、とか、筆が滑っているところもあるが(そこまでいくと贔屓の引き倒しだろう)、著者の気持ちも分からないではない。よく読むと、鈴木がまったく強圧的ではなかったか、というと、そういうわけでもないようなのだが、まあ、戦後のイメージの独り歩きは、やり過ぎであったことは間違いなさそうだ。
 個人的には、それよりも、本書で描かれた「趣味の戦争」の激烈さが印象に残っている。貧しさのために、幾度か進学の道を断念せざるをえなかった鈴木は、労働者や農民、女性といった、社会的な弱者を救うための社会改革を、「国防国家」という枠組みによって実現することを主張していた。教育の機会均等、男女の社会進出における平等、さらには、内地の生活水準を落としてでも植民地との平等化を図ることまで提唱している。これでは、自由主義を奉じる資本家的エートスを良しとするような人たちとは、ソリが合うわけがない。平均的生活水準の高い家庭の出身者が多かった海軍に対する反発も、根は同じだったらしい。むしろ、同じく貧しい階層からの出身者が多かった、共産主義にシンパシーを感じた人たちと、鈴木は協働することが多かったようだ。陸軍内部でも、陸大卒のエリート組と、叩き上げ組とは文化の違いがあって、鈴木は陸大エリートへの反発を日記に残している。
 こうした、「文化」・「趣味」の差異が、現在とは比べ物にならないほど大きかった、ということが、本書を読むとよくわかる。鈴木と歩調を合わせた文化人が結構いたのは、この「文化」を共有していたからだろう。特に、農村部と都市部の差異は、正直なところ、私にはリアルに把握することが難しいほど激しかったようだ。
 話がずれてしまうかもしれないが、戦後の、補助金行政により、都市部から地方への所得再分配を行った、自民党方式は、案外、こうした「趣味の戦争」に対して有効に作用したのではなかろうか。「戦後民主主義」日本の設計に関わった人たちは、おそらく本書で描かれているような、「趣味の戦争」の激しさを知り抜いていたんではないか、という気がする。
 現在、戦後社会を支えてきた所得再分配システムの機能不全から、むしろ、生活水準、「趣味」、「文化」の分割を進める方向に社会が向かっている感じだけれども、本書を読むと、そうした「趣味の戦争」によって生まれた溝は、「愛国心」では埋まらない、ということがよくわかる。「愛国心」による社会的統一性の回復を目指す、新保守主義的プログラムを信奉している人は、本書を熟読して、「趣味の戦争」の激烈さをいかに回避すべきか、研究しておくべきだろう(今の米国の状況との比較も有効かも)。
 それと、最近、増えてきている人文系総合誌は、こうした「趣味の戦争」においてはまったく無力だ、ということも、本書を読むとよくわかる。言論統制を進める側の鈴木庫三が大衆文化の持つ力を理解していて、大衆文化の担い手たちも、鈴木と歩調を合わせていた、ということの意味をじっくりと考えるべき時かもしれない(少なくとも、何か社会全体に影響を与えたいと思うのであれば、だけれど)。
 というわけで、恐ろしく色々な問題が絡み合っている一冊。少なくとも、出版史・ジャーナリズム史、教育史に関心のある人は必読だし、大衆芸能史関係の人も読みのがせないポイントがあるはず。戦前・戦中の社会に関心のある全ての人にお勧め。

2004/11/21

文化資源学フォーラム2004「文化経営を考える〜オーケストラの改革・ミュージアムの未来」

 今日は……と書こうと思ったら、ありゃ、日付が変わってしまった。
 昨日(11月20日(土))は、文化資源学フォーラム2004「文化経営を考える〜オーケストラの改革・ミュージアムの未来」を聞きにツマと一緒に東京大学(本郷)へお出かけ。
 第1部「オーケストラの改革」では、一時は解散直前まで追いつめられた札幌交響楽団の改革、そして復活について、経営側(佐藤光明(札幌交響楽団前専務理事))、楽団員側(荒木均(札幌交響楽団チェロ奏者))の両者からの証言が。泥沼からはい上がってきた人たちの発言は、さすがに重さが違う(アマ・オケにいたことのあるツマがしきりに頷いていた)。そこに年に60回(だったかな?)コンサートに通う文化政策の小林真理先生がきっちりコメントで絡む、という展開。
 第2部「ミュージアムの未来」は、川崎市民ミュージアムの改革事例(深川雅文(川崎市市民ミュージアム))や、神奈川県立近代美術館が抱える問題などについて(太田泰人(神奈川県立近代美術館普及課長))の話。改革にまい進する川崎と、若干迷走気味の神奈川近美、そこにアサヒビールでメセナをやってきた加藤種男(横浜市芸術文化振興財団専務理事)氏が、自説を開陳して絡んでいく。
 簡単にまとめてしまうと、いかに「市民」の中に入り込み、そして味方を増やしていくのか、という問題意識の存在は、公的な資金を得て運営されている、文化・芸術関連の組織・機関が生き延びていくための条件として共通している、という感じだろうか。もちろん、ただ生き延びることが目的なのではなくて、オーケストラであればそのオーケストラとしての「音」を、ミュージアムであれば「コレクション」を、生かし、広め、伝えていくことの意味が、絶えず問われなければならないわけだけれども。
 そして、それは、図書館でもまったく同じことであるはずだ。ただ、プロフェッショナルとしての技能という面で、常に演奏技術を問われるオーケストラの楽団員や、企画展示において展示対象に関する知識を問われる学芸員と比較して、図書館員にはどれだけのものがあるかというと……。
 あとは、組織のトップ、あるいはリーダーという存在が、変革期においてはやはり重要なんだなあ、ということをしみじみと感じた。実際に動くのは現場なのだけれど、現場が動けるような舞台を作ることは、上に立つ者の責任、ということか。自分は、部下にそれだけの舞台を用意できているだろうか、と思うと、かなりがっくり気分に。
 時間はオーバー気味だったけれど、それだけ、話が白熱したってことで。メモは特にとらなかったので、細かいことは書けないけど(文化資源学会の学会誌『文化資源学』に報告が掲載予定とのこと)、充実した内容で、面白かったなあ。

 終了後は、最近落語にこっているツマに連れられて落語協会2階の黒門亭の寄席へ。小さなスペースで、一つ一つの話をじっくり堪能できる、ってのがいいですな。

2004/11/18

恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近!

 ああ、やっぱり面白い。エドモンド・ハミルトン著・野田昌宏訳『恐怖の宇宙帝王 暗黒星大接近!』(東京創元社創元SF文庫 キャプテン・フューチャー全集 1, 2004)をついつい読みふけってしまう。
 小学生の頃にハヤカワSF文庫版のキャプテン・フューチャー・シリーズに出会わなければ、人生色々変わっていたに違いない。今となっては良かったのか悪かったのか。私の少年時代をSFで染め上げた、恩深く罪深いシリーズだ。時代が時代(1940年代の作品)だけあって、太陽系の各惑星が居住可能で原住民がいたりと、科学考証的には、うひゃあ、というところがあるけれど、きっちりと冒険活劇しつつ、ちょっととぼけた味わいのキャラクターがいい感じ。偶然に救われたりとか色々あるけど、細かいことはいいっこなしでしょ。
 正直、読み返すのが怖くもあったのだが、いやあ、ちゃんと面白くて嬉しくなってしまった。さすが野田大元帥、見る目が確かだなあ。鶴田謙二による表紙や口絵もいい感じ。ちゃんとコメット(キャプテン・フューチャーの宇宙船)が、原作どおりなのがいいですな。ジョオンが黒髪の長髪、ってのは賛否両論ありそうだけど。
 コメットといえば、ハヤカワ文庫版と同様、口絵に断面図がついているのだけれど、今回、見返してみて、「マイクロフィルム参考図書ロッカー」というのがあることに、気がついた。そういえば、昔読んだときにもあった気がする。
 このロッカー、キャプテン・フューチャーの科学の師匠である「生きている脳」サイモン教授(脳だけケースの中で生きていて、しゃべったりするんである)と、キャプテン・フューチャーが、悪の科学者の謎を解明するために、過去の論文を調査するために使ったりする、という具合に登場する。

「そしてこの研究室の一隅にあるロッカーには、かつて出版された文献や資料のなかの貴重なものがすべてマイクロフィルムにおさめられて並んでいる」(p.50)

「この研究室にはまた、おどろくべき量の参考図書が−−本は一冊もない書庫がちゃんとそなえられていた。それは四角いキャビネットで、その中にはかつて出版されたあらゆる貴重な専門書や数表のたぐいが全部マイクロフィルムにおさめられ、それを読むときに使う装置(リーダー)とともに格納されているのである。」(p.294)

 このくだりを読んで、何かを思い出さないだろうか。私の頭に浮かんだのは、そう、ヴァニヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)のmemexだ。memexは、ブッシュの考えた仮想の機械で、超高密度のマイクロフィルムと検索機構との組み合わせで、厖大な文献を自由自在に見ることができる、というもの。電子図書館構想の元祖、ともいわれている。
 で、キャプテン・フューチャーとmemexとどっちが早いかというと、第1作の『恐怖の宇宙帝王』が1940年、memexの発表は1945年、ということになる。まあ、キャプテン・フューチャーの方には検索機構についての記述は特にないので、memexのオリジナリティがなくなるわけではないのだけれど、宇宙船の研究室の片隅にマイクロフィルムで構築された図書館が収まっている、というイメージを1940年に描いたハミルトンはやっぱりすごい。それに、電子図書館のルーツが、キャプテン・フューチャーにある、と思うと、図書館屋としてはちょっと楽しい気持ちになるので、とりあえず、以後、私の中では、電子図書館の原点はmemexではなくて、コメットの研究室、ってことにする。
 もう一つ、今回読み返して驚いたのは、太陽系の各惑星の原住民が大きな役割を担っている、という点だった。文化人類学SFだ、といってはいいすぎかもしれないが、地球人の植民地となった各惑星に、純朴な原住民が住んでいて、時に高貴な野蛮人(『ラスト・サムライ』みたいなもんですな、見てないけど)として活躍したりするんである。そして、原住民は、独自の言語と、独自の文化を持ち、時に、高度な文明を持っていたりする(今は失っていることもあり)し、文明の高い低いに関わらず、原住民には原住民の誇りや文化がある、ということが常に意識的に描かれているところに、何ともいえない味わいがある。1940年という時代が米国にとってどういう時代だったのか、もう一度見直してみないと、ハミルトンの先進性はよくわからないのだけれど(戦間期の植民地独立運動の状況とか、よく知らないからなあ)、実は結構、別の読み方が可能な作品なのかもしれない。
 もちろん、こんな斜めからの読みをせずとも、単なる娯楽作品として楽しめるので、ご安心を。
 それにしても、野田昌宏作の新・キャプテン・フューチャーも文庫化してくれないもんかなあ。

2004/11/16

ジェリー・パーネルの混沌の館にて

 全然本題と関係ないのだけれど、小寺信良「被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (後編)」は、いい記事だったなあ。内容についてどうこう、というより、こういう絶妙の距離感で文章が書ける、ということにぐっときてしまう自分が浅ましい……。

 それはさておき、ジェリー・パーネル『ジェリー・パーネルの混沌の館にて カリスマ・ユーザーが綴るパソコン20年史』(日経BP, 2004)である。
 日経バイトに連載されたエッセイの、1985年5月から2004年7月まで、その時代時代を象徴するものを選んで収録。CPUでいうと、最初の頃がZ80で、最後の方はPentium 4だったりする。
 それにしても、『神の目の小さな塵』(東京創元社創元推理文庫, 1978)をラリー・ニーヴンと共作したパーネルが、これほどまでにPCとその周辺機器を試しまくり、使いまくる人だったとは知らなかった(ニーヴンもちょこちょこわき役として登場するので、ちょいと古株のSFファンも一応要チェックかと。二人の共作の様子が少しだけわかる)。
 しかし、この20年間の変化の激しいこと激しいこと。メモリなんて、64Kから数Gですがな。その変化そのものが生々しく記録されているというだけでも、価値ある一冊だと思う。ARPANETの初期の姿(と、それが魅力を失った経緯)についての証言や、OS/2敗退の分析など、価値ある証言も多い。ExcelやPowerPointがMacintoshでしか動かなかった時代(いや、本当にそれぞれそうだった時代があったんだって)を知っている人であれば、たっぷりと楽しめるに違いない。
 が、そういう時代を知らない人には、えらい敷居が高い本になってしまっている。驚くべきことに、注がない。いや、CP/Mという単語(?)を見て、ああ、あったなあ、とか、TurboPASCALとか聞いて、あれね、とか思う人には必要ないかもしれないが、特に初期のエッセイは、既に歴史的ドキュメントなんだから、ちゃんとそこで書かれているものが何だったのか、注をつけておくべきなのではなかろうか。日経バイトなら、自分のところのバックナンバーひっくり返すだけで、結構できると思うのだけれど……。
 それに、当時の米国では通じるけど日本では?というような単語についても何の説明もない、というのもちょっと。いきなり、「Stewart Brand(Whole Earthで有名になった)」と書いてあってもなあ(この辺読むとわかるけど)。インターネットのおかげで、色んなことが調べやすくはなったけど、電車の中で読んでたら調べようもないし。ついでに元SFファンから言わせてもらえば、パーネルの作品で日本語訳が出ていたものですら、原題のまま表記してある、というのはいかがなものか(例え今絶版だったとしても、だ)。ちょっと調べればわかると思うのだけれど……。
 というわけで、読者を選ぶので、若い人には勧めないけど、パソコン少年だった年寄りにはたまらない一冊。推薦する。
 ただ、やっぱり、注を付けないことが、こういう本にとって正しい選択だったのかについては疑問だなあ。

2004/11/15

Sound & Recording Magazineにブライアン・ウィルソン『スマイル』の記事

 現時点で最新号の『Sound & Recording Magazine』23巻12号(2004年12月)pp.50-59に、Matt Bell「ブライアン・ウィルソン 37年の時を経て世に送り出された幻のアルバム『スマイル』」という記事が。
 2004年版『スマイル』のレコーディングがどのようにして行われたのかを詳細にレポートした記事と、1960年代版『スマイル』に関するコラムの組み合わせ記事。
 ブライアンとヴァン・ダイク・パークスが一緒に作業を始めたあたりのくだりは鳥肌もの。「そのときヴァン・ダイクはブライアンにこう声をかけた。“勇気を持たないといけないんだ、友よ”とね」とか。たまりませんな。
 1960年代版の音源がどのように活用されたのか、とか、2004年版のレコーディングの際のスタジオでの楽器の配置とか、細部に関する情報も多数。1966,7年ごろの音に慣れた耳にも違和感のない音を作りあげていった苦心の過程がよくわかる。
 若干、他のインタビュー(特にブライアン本人関係)とかと食い違う証言もあるのが気になるけど、何にしても、ブライアン・ウィルソン、あるいは『スマイル』のファンは必読でしょう。

2004/11/14

徹底検証 大学法人化

 ここのところ某学会の学会誌(まだ3号雑誌を超えられるかどうかは未定)への投稿締め切りが近く、ひーひー言いながら書いていたので、更新できず。ネタは修論の焼き直しなので、新規に集める資料は最近の動向を押さえる程度、最小限でいいのだけれど、一応もう一度原典に当たっておこう、などと思ったらなかなか進まずに苦戦。blogで書くから気を使わない、というわけでもないのだけれど(著者にチェックされたりする可能性は0ではないからなあ)、やっぱり、論文に比べると気楽でほっとするなあ。
 さて、前置きはこのくらいにして、読み終った本が溜まっているので、少しずつでも片づけないと。まずは中井浩一『徹底検証 大学法人化』(中央公論新社中公新書ラクレ, 2004)から。
 おそらく、国立大学の法人化によって、制度がどう変わったのか、ということを詳細に知りたい人は、もっと別の適当な本があるのかもしれない。bk1の書評でも、事実関係の記述についていくつか突っ込まれていたし。
 ただ本書の魅力は、そういうところにはないような気がする。
 国立大学の法人化が必要だ、というような議論はいったいどこから始まったのか、どれだけの人が認識しているだろうか。本書を読んで、そうか!、と膝を叩いた人は自分一人じゃないと思う。なんと、あの大学紛争から始まっているのだ。
 大学紛争というと、安田講堂に立てこもってわーわーっ、というあれである(当事者だった方、てきとーな説明ですみません)。あの時、大騒ぎだったのは東大だけではなくて、多くの大学で、大学はいかにあるべきか、という問題も提起されていた。いたのだけれど、実際には、あれで変わった大学はほとんどなかったのも事実。あれが原因で、教授への道を閉ざされた優れた研究者が何人もいたことを考えると、何ともいえない話なのだけれど……。
 唯一の例外ともいえるのが、まったく新しいコンセプトの下に構想された国立大学、筑波大学だった。正直、この経緯はまったく知らなかったので、おお、なるほど、と思わず納得。しかも、本書によれば、法人化の際に行われた論点の大部分が、筑波大学の時に出尽くしていたという。そして、その筑波ですらうまくいかない、ということが明確になってしまったことが、法人化の議論の底流となっていたことが指摘されている。
 こうした、歴史的な視点を提供している点が、本書の最大の面白さであり、魅力なんじゃなかろうか。もちろん、通産省・経産省と、文部省・文科省との間の綱引きとか、国立大学側の動き(特に、国立大学協議会を中心にしたもの)を、各関係者のインタビューなどをもとに語る部分も、臨場感溢れる記述で読ませるのだが、それも歴史的視点があるとないとじゃ大違い。単なるルポルタージュで終っていないのは、やはりそこだろう。
 各関係者の証言は、ある意味で、誰もがいい子になろうとしている面もあって、物足りない点もあるけれど、この時点での証言として、記録するに足るものだろう。今大混乱する現場で戦っている人たちが、後にこの原因をきっちり再検証するためにも、決定過程に関わったこうした人たちの発言は記録されてしかるべきだと思う。
 そういう意味では、10年後、もう一度価値が出てくる一冊かもしれない。

2004/11/06

INFOSTA、UDC事業から撤退

 情報科学技術協会(INFOSTA)の会誌『情報の科学と技術』vol.54 no.11 (2004)の巻末(ページ付けなしの計3頁。後で引用するとき困る人がいるような)に、石川徹也「UDC事業の撤退に伴うお知らせ」が掲載されている。忘れないうちに、とりあえずメモ。
 最近の『情報の科学と技術』の、特にINFOSTAの運営関係の情報のところをよーっく読んでいた人には、UDC事業からの撤退は結構前から決まっていたことだというのは自明のことかもしれないけれど、きちんとその背景を説明する文章が掲載されたのは初めてだと思う。
 UDCというのは、国際十進分類法(Universal Decimal Classification)のこと。もともとは、十進分類法のご本家(?)デューイ十進分類法(Dewey Decimal Classification)をベースに、国際ドキュメンテーション連盟(International Federation for Information and Documentation、略称はFID)が、維持管理していたものなのだけれど、FIDは財政事情から撤退、1990年からは、UDCコンソーシアム(UDC-Consortium、略してUDCC)が維持管理を引継いでいる。
 で、各国1団体、ということで、独占的にUDCの出版・販売を行うことになっていて、日本ではそれをINFOSTAがやっていたのだけれど、要するに、ペイしなくなってしまったわけだ。INFOSTAの跡を引継ぐ団体もないようで、日本語訳のUDCは、以後、UDCCから直接入手するしかない。次の版の翻訳版は(引き受ける団体が現れなければ)出ないことになりそうだ。
 そもそも、母体だったFID自体もわけがわからない状態になっているようだし(私が知っているのは、2001年IFLAのDiscussion Group on Information and Documentation at Bostonまで。その後どうなったんだろう?)、この手の事業も、色々曲がり角に来ている気がする。
 UDCの、「Universal」が、欧米中心だ、という問題もあったらしく、この「UDC事業の撤退に伴うお知らせ」では、日本側から東洋医学に関する詳細な体系を提案したが、「東洋医学はUniversalではないので検討を継続する」とされたまま、ほったらかしにされている、という事例が紹介されている。なんだかなあ。
 同じ号の『情報の科学と技術』の巻末広告には、UDCのCD-ROM版、冊子版とともに、I.C.McIlwaine著、中村幸雄・他訳『UDCの使い方 国際十進分類法の利用と応用』(情報科学技術協会, 1994)も絶版、とのお知らせも掲載されている。権利関係上、しかたないのだろうけれど、UDCについて日本語で知る方法自体もなくなっていく、というのはなんというか……。

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