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2005/01/23

MacPower 2005年2月号

 我が家は時ならぬ「塊魂」ブームで機能停止状態。何故今更、と聞かれても困るが、やり始めたら何だか止まらなくなってしまったのだからしょうがない。というわけで、更新も一休み中。論文の査読結果、反映はどうするんだ、という話もあるのだけれど……。

 話は変わって、『MacPower』2005年2月号(16巻2号)についてのメモ。
 『MacPower』が、アップルのMacintoshを中心にした雑誌から、Macを使って何らかの表現活動を行っている人を軸にした雑誌に方向転換してから、1年以上がたつ。で、現在発売中の2月号は、色々な意味で象徴的な言葉が目に付いたので、記録の意味を込めて。

OさんのHP社製のWindowsノートと僕のPowerBookは、撮影のベストショットを切り出すための単なるJPEG再生機として役に立ったようだ。Oさんのひと言は、デジタル系の道具に拘泥しすぎると人間同士のコミュニケーションの機微や配慮が欠けてくるという危惧だったのだろう。−−菊池美範「日々ノ雑感 春は都電に乗って」p.183
最後の最後に思いきって言ってしまおう。私は、Macユーザーについて生真面目に考えることにも、また大上段から語ることにもすっかり飽きてしまった。もはや何がMacユーザーであり、誰がMacユーザーなのかといんたことについて興味はない。そしてまたそのような問いに対して、心身をすり減らしながら詰め寄ることの意義も感じられない。いや、無駄な誤解を避けるべく正確さを期すのであれば、もうそんなことをする時代は終ったのだと無責任に言っておこう。−−岩淵拓郎「新Macユーザー概論 最終講義 Macユーザー解放宣言」p.188
アイ・ビー・エムが選んだ未来は、今のパソコンの延長線上にはないことがこれではっきりしました。つまり、未来にパソコンは存在しない。少なくとも、今のようなパソコンは存在しない、と断言したようなものです。あたしには、そっちのほうが驚きというかニュースなんですが、誰もそういう話はしてくれないようでね。−−田淵純一「私を初心者とか、ビギナーと呼ばないでいただきたい! 第121回 高き頂を求めるならまずは低き裾野の広さを知れ」p.191
今と10年前で違う点を挙げるならば、'95年当時、パソコンの未来には夢があった、そしてその行方を予想するのは非常に楽しい行為だった、ということではないだろうか。−−へろどとす「月刊10年前 間違いだらけの「未来予想図」」p.192

 かつての『MacPower』は、パーソナル・コンピュータは世界をどう変えるのか、ということを、雑誌のコンセプトにしていたのではないかと思う。少なくとも、私はそういう雑誌だと思って読んでいた。コンピュータというものが、個人が使うものとして生活に入り込んで行くことで、何かが変わるはずだ、という確信が、雑誌の端々に表れていたように思う。
 けれども、上に挙げたような言葉が並んでいる様子を見ると、パーソナル・コンピュータが世界を変える時代は、もう終ったのかもしれない。別の言い方をすれば、世界はもう変わってしまった、これから変わるとすれば、それは、パーソナル・コンピュータによってではない、ということだろう。そのことを、この号は、(図らずも、なのだろうけれど)、見事に示してしまっている。
 こういうコラムが読めるから、『MacPower』はやめられないのだが、しかし、パーソナル・コンピュータの未来を語れなくなってきた今、この雑誌がパーソナル・コンピュータ誌であることを、いつまで看板としつづけることができるのだろう。Macというブランドが、その看板を支え続けられるのか、あるいは、別の道を選ぶ時がくるのか。さて。

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コメント

 こんばんは。はじめてMac(PowerBook100)を手にした時に感じた時のことを思い出しました。あのころは、「デスクトップ」「フォルダ」「ファイル」という概念そのものが新鮮で、意味もなくフォルダを作成して遊んでました(笑)。その時は世界が少しだけ変化してた、のかも。
 ブログなど、Web上で機能する情報管理ツールが発展すると、パソコンは、それ自体がパーソナルな意味をもつものから、それを使って何かをするための「端末」に再びその位置づけを変えるのかも知れませんね。

 ebonyさん、コメントありがとうございます。
(それと、pass the note aroundの更新が再開されて、こっそり喜んでます。コメントつけてなくて、すみません)

 日本のパソコンメーカーが、こぞってパソコンを「家電」にしようとしているのも、同じ流れなのかな、などと考えたりもしています。
 私の最初に買ったMacは初代LCでしたが、とにかく操作することが面白かったですし、インストールしなおしたりすることにすら、夢中になっていた記憶があります(初期のTrueTypeフォントをフロッピーディスクでインストールしたのも、今となってはいい思い出です)。
 でも、そんな面倒な「家電」は、やっぱり、あんまり売れないですよね。
 私が考えたのは、パソコンは、家電になっていくことで、「端末」だったり、あるいは、コンテンツ・サーバだったり、という形で、何にしても、存在感がなくなっていくことになるのでは……、といった感じなのですが、『MacPower』自体は、クリエーター指向を強調することで、ちょっと違う方向を目指しているような気もします。

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