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2005/04/09

メディア・ビオトープ

 水越伸『メディア・ビオトープ メディアの生態系をデザインする』(紀伊国屋書店, 2005)を読了。
 例えば、全国紙と各県一つずつの地方紙のヒエラルキーでがっちり固められた新聞、その新聞と密接な関係を持ちつつ東京を中心とした民放5系列とNHKによって全国がネットされているテレビ、といった現在の(マス)メディアの状況は、本当にもう未来永劫変わらないものなんだろうか。
 インターネットが、新しい自分たちが発信するメディアになりうる、という言葉には、もう何のリアリティもないんだろうか。
 そんな疑問、というか、期待みたいものを、かすかにでも持ったことがある人は、本書を読んでほしい。なんというか、泣ける。それに、少し、希望が湧いてくる。
 もちろん、著者は様々な新しいメディア実践に関わってきただけあって、簡単に現在のメディアを巡る状況が変わるとか、インターネットなどの新しいメディアによって、これまでとまったく異なる自由なコミュニケーションの世界が生まれるとか、そんな単純化された物語は語らない。
 著者が語るのは、例えばこういうことだ。実は、現在のメディアを巡る状況は、人為的に作られたものだし、昔からずっとこうだったわけではない。新聞でいえば、地元に根ざしたコミュニティペーパー的な新聞が言論統制の一貫として整理統合されたのは1942年のことだし、テレビでいえば現在の民放5系列が完成したのは1970年代のことに過ぎない。そのことを、著者は平易な言葉で指摘している。
 本書では、メディアは、単に何かを伝える媒体ではなく、コミュニティを支える柱、というかドームとして捉えられている。例えば、新聞の全国紙−地方紙というヒエラルキーは、中央集権的で均一な国家というコミュニティを支えるために作られたものだったりするわけだ。しかし、今のマスメディアのあり方では、受け手と送り手が分離してすっかり乖離してしまい、コミュニティが硬直化してしまっている。
 著者が繰り返し使うのは杉林の比喩だ。人工的に植林された杉の林では、他の種類の植物が育ちにくい。また、あまりに杉ばかりになった結果、花粉症のような弊害も生まれている。現在の日本のメディア状況も同じようなもので、小さなコミュニティを支えるメディアがないわけではないにしても、なかなか根付きにくい状況だし、メディアの寡占状態が続いていることで、様々な問題も生じている。
 一方で、新しいメディアとして登場したはずのインターネットや携帯も、状況はそんなに大きくは変わらない、ということも、指摘されている。最初は双方向のコミュニケーションに重心が置かれるメディアだったのに、今では、どちらかというと、情報や娯楽を受け取ったり引き出したりすることがその使い方の中心になってきているんじゃなかろうか、という具合。
 ではどうすればよいのか。現状を肯定して、一方通行のメディアによって流布される情報や娯楽の消費者である以外に、道はないのだろうか。
 そこで、著者が提言するのが、メディア・ビオトープという隠喩であり、方法だ。ビオトープというのは、もちろん、失われた自然を、人為的に様々な生物が暮らしやすい場を用意することで回復しようとする例のあれである。
 ビオトープは人の生活空間の一部に、自然を組み込んでいく場だ。また、小さなビオトープ一ヶ所だけでは成立しない、複数のビオトープがネットワーク化されることが必要とされてもいる。同じように、人工的・歴史的に作られたマスメディアでガチガチに固められた社会の中に、作り手と受け手が分離するのではなく、相互にコミュニケーションしながら、コミュニティを形成していく、小さなメディアのビオトープのネットワークを作っていこう。一つ一つは小さなメディアであり、そのメディアに支えられた小さなコミュニティであっても、それがいくつか集まってネットワークを形成していけば、簡単に消えていくことはない。
 本書で語られているのは、そういったメッセージだ。
 著者は、メディア・ビオトープが簡単にできるとか、現在のマスメディアのあり方が簡単に変わるとか、そんなことは一切書いていない。それでも、希望はある、と繰り返し語るだけだ。
 実は、こうした主張以上に本書を特徴づけているのは、著者が考えたり、ディスカッションしたりする際に使っている手書きのスケッチ(作画ソフトで清書したりはしないところがいい感じ)だったりする。様々なアイデアをわかりやすくイメージとして捉えやすくしてくれている。本の作りとしても、平易な文章と手書きのスケッチとの組み合わせが、いい感じの一冊だ。
 特に、公共図書館や、博物館、美術館に関係している人は、この本を読んでみてほしい。これから何を目指せばいいのか、どこへ向かえばいいのか、わからなくなっているのであればなおさらだ。様々な比喩・隠喩やスケッチから、必ず何か得るものがあると思う。一時的に消費されるだけのものを利用者に渡して終わり、ではなく、コミュニティを支えるメディアとなる、というのがどういうことなのか。そこから、これからの公共施設のあり方を、組直すことは可能なのではないかと思う。
 と、いいつつ、では自分が何をするのか、というのは、なかなか見えないんだよなあ。でも、(例え良い状況とはいえないにしても)希望がないわけじゃない、ということを、こうやって書いてくれている人がいることは、とてもありがたい。ちょっと勇気が出てきた気がする。
 あ、あと、著者の関わってきたメル・プロジェクトの紹介も少々あり。5年で終わりとはもったいない気がするけれど、存続することそのものを目的にしちゃったら終わりだから、それはそれでよいのかもしれないなあ。

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コメント

状況に絶望し、そこからかすかな希望の光を見いだし、自分自身で出来る事を行う...
今でこそあたりまえの単語として使われている「環境教育」も、20年前に、様々な分野の人たちが、それこそ地球環境の実情に対する「絶望」と、それでも希望の光を見続けた人たちによって、今日の「環境教育」があるのです。
メディア・リテラシー、情報教育、市民メディア、地域情報拠点などなどが束になりはじめ、そうした次の時代への、かすかではあるかもしれないが「希望の光」となるように感じています。
....あの時も確か...5年で終了する団体が、社団法人として生まれ変わったんだよなぁ...

maru3さん、コメント、ありがとうございます。

一方で、他者との対話を閉ざす方向に社会が動いている時だからこそ、かすかな希望の光、というのが、より生きてくる気がします。

ところで、「あの時も確か」の「あの時」というのはいったい……。

はじめまして。
記事を参考にさせて頂きたいと思いまして、
TBを送りました。TBを送って頂けたら、嬉しく
思います。ご不要でしたら、お手数ですが、
削除されてください。

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