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2005/11/28

マンガと公共図書館

 先日(2005年11月26日)、久しぶりにマンガ史研究会に参加してきた。
 発表テーマが「マンガと公共図書館」では、こりゃ何としても行かねばなるまい。
 発表者は横浜市立中央図書館の吉田倫子さん。雑誌記事索引で確認すると、ヤングアダルトサービスや、公共図書館におけるマンガの扱いに関して、継続して発言されてきている方だということがわかる。
 おそらく今回の発表内容についても、何らかの形で文章にまとめられるのだと思うので(期待してます)、内容の詳細についてここで紹介することはしないが、とりあえず(私なりにまとめた)要点はこんな感じ。

・最近の日本におけるコンテンツ振興政策には、保存やアーカイブの視点が欠如している。
・行政だけの問題ではなく、研究者や評論家も、マンガの保存の必要性について、積極的な発言を行なっていない。(大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川書店角川oneテーマ, 2005)が、数少ない例外)
・文化の継承、人材の育成の基盤として、マンガの保存機能・研究機能を持った、マンガ専門のアーカイブが必要であることを、強く訴えたい。
・保存のためには、紙質が悪いことの多いマンガ資料の特性を考慮した、外光対策や温湿度制御が可能な施設が必要であり、既存の施設を安易に転用するには無理がある。そして、専門的な知識を持った職員の確保が必須。
・酸性紙問題などを考慮すると、物理的な保存には限界がある。デジタル化を前提にした保存を今後は考えるべきではないか。
・しかし、こうした保存機能を、一般の図書館が担うには無理がある。保存機能と普及機能は、分けて考えるべき。公共図書館や学校図書館は、普及を中心的な役割と考えるべきだろう。
・マンガを読むためのリテラシーが、子供たちから失われつつあり、マンガの普及について、本気で取り組むべき時期にきている。
・マンガ喫茶では、個々の作品を読むだけで完結してしまい、作品の背景や、関連する資料へのつながりを持たせることができない。図書館がマンガを所蔵し、提供する意義はそこにある。
・しかし、公共図書館や学校図書館関係者は、長い間、マンガをまともな図書館資料として認めず、収集方針を明確に持っている場合であっても、小説等とは異なる基準を設けて、限定的に扱っているのが現状。多くの公共図書館では、購入ではなく、寄贈が主な収集手段となっている。
・こうした現状を変えていくためには、市民と、研究者が声をあげていく必要がある。今回の発表は、そのための問題提起を目指した。

 という具合か。ちょっと省略しすぎかもしれないけれど……。
 さて、一日たって、この問題提起に対する私自身の考え方が、少しずつ、まとまってきたのでコメントしておきたい(その場で発言できれば恰好良かったのだけれど)。

 まず、マンガの保存機関が必要であることについては、全面的に賛成。
 公立では、国立国会図書館(国際子ども図書館を含む)、国際児童文学館など、私立では現代マンガ図書館など、マンガ資料を保存している機関はあることはあるが、公立の施設はマンガ「も」集めているだけであって、マンガ資料の特性を配慮した保存・提供体制を組んでいるわけではない。そして、現代マンガ図書館は個人の力に多くを負っており、永続的な保存のためには、財政面を含めて、より強固な体制が必要だろう。
 とはいっても、具体的な組織形態をなかなかイメージできないのが、自分の限界か。今、公立の施設としてありうるとすれば、国立近代美術館フィルムセンターのような、親組織(フィルムセンターの場合、実際にはさらにその上に独立行政法人があるわけだけれど)の下にぶら下がる形態か、と妄想してはみるものの、それが理想的かというと……。うーむ。
 実際の運営そのものは、NPOだろうが何だろうが、色々な形態が考えられるとは思うものの、財政基盤が脆弱では何にもならない(民間でできることは民間で、とはいうものの、儲からないことに金をしっかり出してくれる「民間」はさほど多くはない)。何か妙案はないものか。
 内容についてはデジタル化、ということになるのだとは思うものの、実はデジタルデータを保存する方法はまだまだ手探り状態なので、デジタルデータのみでの保存は望ましくないのではなかろうか。デジタルからフィルムに出力してバックアップ、といったことも必要になるかもしれない。
 また、マンガを印刷された紙の状態で保存することも重要だろう。印刷・製本の状態も、将来的には、重要な情報となるはず(国立国会図書館のように、カバーを廃棄し、製本しなおしたりしている資料は、資料としての情報量は実は減ってしまっている)。現物保存の原則は(困難なのは確かだけれど)可能な限り守りたいところだ。

 公共図書館や学校図書館におけるマンガ、という問題については、門外漢もいいところなのだけれど、マンガを読む為のリテラシーの育成と、教養としてのマンガの必要性を、社会的にどこまで認めさせられるのかが、一つの分かれ目、という気がする。マンガを読む基本的能力を身に付けている、あるいは、代表作やその時その時に注目される作品を読んでいることが、社会生活を営むために必要な基盤である、という認識が、ある程度の割合の人たちに共有され、かつ、社会的に発言力の大きな人たちがそのことを強く主張する状況が生じれば、流れは大きく変わりうるだろう。
 一方で、研究会の席上、内記稔夫現代マンガ図書館長が、結果として貸本屋は公共図書館に駆逐された、といったような意味のこと(もうちょっと表現は柔らかかったかも)を語っていたことが印象に残っている。内記館長によると、かつての貸本屋は、一人一人の利用者に合わせて、読書相談にのったり、内容紹介をしたりと一種のレファレンス機能を果たしていたという(資料の装備のノウハウも、貸本屋が開発したものを図書館が採用していったものも結構あるらしい)。そういう話を聞くと、私立の有料公共図書館として、貸本屋やマンガ喫茶を発展させていく道もあってもいいような気もしてくる(それもまた、困難な道ではあるが)。……が、そのためには貸与権がやっかいか。うーむ。

 マンガと図書館の関係は、社会全体におけるマンガの位置づけによって決まってくるものだろう。マンガに関わる全ての人が、マンガを単なる消費財として消費して捨て去るのか、それとも、重要な文化的財産として認めるのか。後に続く全てのサブカルチャーにとっても、試金石になりうる問題ではなかろうか。ぼちぼち、正念場が近づいてきたかなあ。

2005/11/24

山口晃展

 仕事帰りに、相方と二人で、日本橋三越(新館)へ。『山口晃展』(会期:2005年11月22日〜27日)を見に出掛ける。
 この人の作品を、何故か「日本画」として紹介することがあるようだけど、画材は、カンバスに油彩だったり、紙にペンと水彩だったりするので、「日本画」じゃあないのでは。それとも、「日本画」とは、日本画的な人物の描き方のことだったりするんだろうか(と、妻が悩んでいるのだけれど、ほんとにどうなっているのだろう)。
 で、展覧会自体はというと、すばらしいの一言。図録がないのがもったいない。いや、図録があったら、『山口晃作品集』(東京大学出版会, 2004)が売れなくなるから、よくないか。
 細密画の如き、三越の広告の原画もすばらしいし、数々の代表作を手に触れられんばかりに近づいて見ることができるのがたまらない。マンガ仕立ての『すずしろ日記』を、久しぶりにじっくり見られてこれまた幸せ。
 広告で使われている作品とは異なる傾向の作品としては、澁澤龍彦の『菊灯台』(平凡社ホラー・ドラコニア少女小説集成, 2003)、『獏園』(平凡社ホラー・ドラコニア少女小説集成, 2004)の挿絵の原画もあったり。複製(かなり高い)を売っていたのにはびっくりしたけど。
 最近の作品では、情報を圧縮/強調する技法としての鳥瞰図法を取り込むことで都市の過去/現在/未来を縦横無尽にごちゃまぜにしてしまっていたり、やっぱり、この人の作品は面白くて刺激的だ。
 といいつつ、最大のヒットは、とある作品の欄外に鉛筆で書き込まれていた「シャンソン侍」だったりして。週末に行かれる方は、ぜひ、探してみていただきたい。セシボーン。
 ところで、入場する前に、Tシャツとか関連グッズが売れられているのを見て、二人して、「うおー、晃Tシャツだー」「晃グッズだ、すげー」とか騒いでいたのだけれど、ふと、振り向くと、作者ご本人にそっくり、というより、そのもののお方が……。き、聞こえてたかな。

2005/11/16

忘れたころに思い出バトン

 MIZUKIさんのところから、思い出バトンを渡されていたのだけれど、ほったらかしになっていたので、ぼちぼち。
 でも、実をいうと、昔のことは、あんまり思い出したくないような……。

【Q.1:小学校・中学校・高校の中で一番思い出のある時期は?】
 楽しかったのは高校かなあ。
 校内暴力吹き荒れる中学校も、マンガやアニメ好きの友達ができた(そして道を誤った)という意味では思い出深いのですが。思えば、うる星やつらが分岐点だったよなあ。そういえば、ガンダム(ファースト)の再放送やら、ミンキーモモ(初代の方の本放送)を見る為(ビデオなんてなかったし)に部活をさぼってダッシュで帰ったりしてたのも、中学のときか。うーむ、いかん、忘れろ、忘れるんだ……。

【Q.2:一番お世話になった先生は?】
 小学校のときのM崎先生。偏屈な子供をよく面倒みてくれました。

【Q.3:得意科目】
 中学までは、実技がない科目は、大抵なんとかなっていたような(嫌なやっちゃなあ)。
 高校からは数学・物理・化学ですか。今では考えられません。

【Q.4:苦手科目】
 体育! ヤツほど憎いものはなし。我が生涯の敵といっても過言ではないでしょう。
 後は、漢字の書き取りですか。ワープロが出てきた時には、夢の機械に思えたものです。
 高校からは英語も今一つだったような。

【Q.5:思い出に残っている学校行事を3つ】
 K口探検隊が半馬人を発見する、というストーリーのビデオをみんなでとった高校2年のときの文化祭とか、同室の連中が何故かみんな一眼レフを持っていた高校のときの修学旅行とか。えーっと、演劇部で関東大会まで連れてってもらったのは、高校1年だったかなあ。

【Q.6:クラスでのキャラは?】
 何でしょうね。小学校高学年の時には、休み時間に一人で、図書館から借りた早川の海外SFノヴェルズ(ハードカバーのやつ)を一人で読んでたりする大変嫌な子供でした。まあ、どっちかっていうと、優等生タイプだったのかなあ。ただ、オタクだし。どういう位置にいたのか、よくわかんないです。

【Q.7:学生時代の呼び名は?】
 ばーちゃんとか、ばっちゃんとか。ひどい時には、ばふん(○ば君、が訛った)、なんてのもありました。

【Q.8:好きな給食は?】
 黒糖パン。むぎゅむぎゅとつぶして食べました。

【Q.9:繋げる5人】
 毎度すみませんが、繋げません。

 ああ、しんど。やっぱり、年をとった分だけ、自由になるっていうのは本当ですな。

2005/11/14

はみだしっ子を盗作?

 「日々記―へっぽこライブラリアンの日常―」のエントリー「誰のためのパクリ」経由(MIZUKIさま、思い出バトン、ほっぽらかしててすみません……)で、初めて、三原順『はみだしっ子』を盗作した推理(?)小説がある、という騒ぎが起こっていたことを知る。しかも、もう収束しているみたいだし。
 いかん。はっきりいって、三原順ファン失格だ。

 まとめのサイト「飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較」や、「ブログ・ヘッドライン・鳥部勝則『誰のための綾織』が三原順『はみだしっ子』に類似?」、そして、出版社側のコメントなどを読んだりしていると、何とも不思議な感じ。
 特に、よくわからないのが、出版者側のコメントにある「素材カードに該当部分が紛れ込んでしまった」、という表現。これが著者側のホンネなのだろうか。せめて、実はめちゃめちゃ三原順のファンで、今回の小説も『はみだしっ子』へのオマージュを目指していたんです、とか、いってくれれば、まあ、しょうがないかなあ、という気分にもなったろうに。これでは、『はみだしっ子』を単なる素材扱いしやがって! と、ファン心理を逆なでしてしまっているような気が。
 とはいっても、三原順自身、『はみだしっ子』の中のフレーズを、他の人の作品の一部などを素材にして作り出している。それは『はみだしっ子語録』(白泉社ヒロインブック, 1981)で、ほんの一部だけだけれど三原順自身の言葉で明らかにされていることだったりするわけだし(あれ? この本、NDL-OPACでヒットしないような……)。だから、個別のことについて(まあ、確かにやりすぎ、という感じはあるけれど)、あんまり目くじらを立てるのは、どんなものかな、という気もしてしまう。
 むしろ、正直なところ、『はみだしっ子』が「盗作」されたことをきっかけに、三原順と『はみだしっ子』の名が、世の中で話題になったことの方が、私には嬉しかったりする。暴論かもしれないけれど、問題の書の出版社には、「同書を絶版とし、順次、市中在庫の回収」なんてことはせずに、白泉社と組んで、『はみだしっ子』と並べてガンガン売ってほしい。
 三原順作品は(一部の例外を除いて)ほとんどが、白泉社文庫に入っているわけだけれど、入手できる状態がずっと維持されるかどうかはわからない。このまま、同時代に体験した世代だけの思い出で終ってしまったのでは、私としては面白くないのである。
 この事件の影響で自粛などすることなく、世の小説家(もちろん、漫画家も)のみなさんには、がしがしと三原順作品をネタとして使っていただきたい。そしてもちろん、そのネタばらしを、後書きやらインタビューやらで思いっきり垂れ流していただきたい(今回みたいなやり方では、作家生命が危なくなっちゃうし)。そして、三原順とその作品を、後世まで伝えていってほしい。それが、(最初に失格しておいて何だが)三原順ファンとしての私の切なる願いである。
 ……とはいうものの、遺族には遺族の思いがあったりするだろうからなあ。うーむ。

2005/11/10

物のかたちをした知識

 デービス・ベアード著,松浦俊輔訳『物のかたちをした知識 実験機器の哲学』(青土社, 2005)を読了。
 「物のかたちをした知識」、といわれるとなんじゃそりゃ、という感じではあるが、原題が"Thing Knowledge"ということが分かると、ちょっとイメージがつかめるかもしれない……と思ったけど、やっぱりつかめないか。
 要するに、科学的な知識は、論文の形で蓄積され、流通すると認識されていて、文章の形で論理的に記述されていることが、知識の最善にして唯一の形態みたいに思われているけれど、それは違うんじゃないの、という話。実際には、様々なモデル(DNAの二重らせんの発見に使われた分子模型とか)や、計測機器、実験器具など、物の形態で存在し、蓄積され、流通している知識もある、と、本書は色々な事例をあげて論じている。
 例えば、熱力学の話。熱力学の理論が確立していなくても(「熱」は何らかの粒子だと考えられていた。水蒸気は水と「熱」が組み合わさってできる、とか)、蒸気機関は開発され、改善されていったわけで、理論やそれを文章とは別に、蒸気機関やその実験機器という形でも並行して、知識は形成されていった、と考えるべきだろう、という話になる。
 ナレッジ・マネジメントとかをかじっていると、「暗黙知」とか「形式知」とか出てくるのだけれど、その時の「知」と、本書でいう「物知識(thing knowledge)」の「知識」は恐らく似たような概念なんだと思う、というと、わかる人にはわかるか。
 物知識のプラス面だけではなく、その限界も語られたりする。例えば、計測機器の場合、現代の計測機器はその内部に様々な知識(物理学についての理論や、電子機器の動作に関する知識や、誤差の補正や、生データの画像化のロジックとか)が、まとめて一つの機器の中に組み込まれている(こうした物知識を著者は「カプセル化された知識」と呼んでいる)。その中に組み込まれている様々な知識を、使う側は意識することはないし、むしろそんな必要ができるだけないように作られているものだったりもする。
 ところが、著者が例示しているMRI(脳の輪切り画像とかを映し出すあれ)のケースでは、画像として表示する際にデータを近似して処理するロジックから生じる虚像が写り込むことがあって(その現象はMRIを作った技術者にとっては当然のことだったが、MRIを使う医者にとっては何かが映し出されていると受け取られた)、そのために無意味な診断が行われた、という事例が紹介されている。それ以外にも、MRIで見えるようになったが故に、実際の病気の原因とは関係がなかったのに、無理な外科治療が行なわれたりした事例もあったり。カプセル化された知識は、カプセル化されているが故に、その限界が認識されにくかったりもする、という話。
 そんなこんなで、物知識に関する哲学的議論やら、分析化学が分析機器の発達によってどのように変化したのかといった歴史的議論やら、様々な論点がぎゅーぎゅーと詰まった一冊。正直、一読だけでは消化不良気味。それだけお得という見方もあるか。
 さらに、最終章のタイトルは「贈与」。計測機器・分析機器が商品として開発され、流通しているが故に、開発の方向性自体が、学問的関心からではなく、市場的論理で決まっている現状を踏まえて、「商品経済」と対立しつつ併存する「贈与経済」について論じていたりする。
 例えば、初期の実験機器メーカー(著者の父親が経営していた会社が例としてあげられている)が、学問的な関心に対応する形で機器の開発に取り組み、それによって研究者からの支援や、優秀な社員の採用が可能になっていたという。つまり、学問的貢献という「贈与」こそが、初期の実験機器メーカーを、学界という社会の一員たらしめていた、というわけだ。知を単なる商品としてのみ扱う愚を、著者は明確に指摘している。科学技術の分野だから、という話はあるかもしれないが、最近の「知財」や著作権問題について関心のある向きは、この最終章だけでも一読を。

2005/11/06

四人の青木貴司展

 昨日、所用で神楽坂に出かけた際に、たまたま「四人の青木貴司展」なるものが、アートスペースKで開かれていることを知って、ちょっと立ち寄ってみた。
 といっても、「青木貴司」という漫画家について何か知っていたわけでもなく(もちろん、ペンネームの「まぁし」、「中江紀子」も知らなかった)、ただ、ポスター(というかチラシか?)の絵柄が、妙に懐かしい感じがしたからだったりする。
 会場で配布されていた年譜によると、1978年から1980年代にかけて「まぁし」というペンネーム(他にも色々バリエーションあり)で日大系の同人誌を中心に作品を発表し、1988年から1992年には「中井紀子」名義で『クレッセント』(そういやそんな雑誌があったなあ)に作品を発表、1992年には、東京三世社から単行本『三日月3月』が刊行されている(が、私自身は全て未見)。
 小さなスペースながら、会場では、こうしたマンガ作品に関する展示だけではなく、レースデザイン会社時代のデザイン画や、晩年のペーパークラフト作品(「青木なる吉」名義)など、「青木貴司」というクリエーターの全体像を描き出そうとする、愛に溢れた展示になっていたように思う(その割には短時間しか見られなくてちょっと申し訳なかったような)。
 「青木貴司」氏自身は、2004年に病没。会場で販売されていた、復刻版の同人誌『いつか雨になる』(1982年作品)を見ると、絵柄に時代を感じてしまう面もあるものの(そこがちょっと良かったりもするのだけれど)、今風の絵柄に適応していっていたら、どんな作風になったのだろう、とちょっと思ってしまったりもする。
 ……と、書いたはいいけど、明日で終りだったとは。とりあえず、楽屋裏のブログは残しておいてほしいなあ。

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