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2005/12/14

明治デモクラシー

 坂野潤治『明治デモクラシー』(岩波書店岩波新書, 2005)は、以前紹介した『昭和史の決定的瞬間』(筑摩書房ちくま新書, 2004)の明治版、といった趣。
 大きく違うのは、明治初期においては、大日本帝国憲法という決定的な縛りがまだなかった、というところ。前半は、地方の民権運動の担い手と、ルソーの影響の濃い愛国社との複雑な関係、あるいは、愛国社と福沢諭吉系の交詢社との対立など、交通も通信制度も発達しない状況下で、政府の弾圧を受けつつ、議会と憲法をいかにすべきか、という議論が激しく戦わされていたことが、当時の出版物などを題材に語られていく。
 議院内閣制と二大政党制を主張する福沢諭吉系の交詢社の憲法草案のくだりなど、これが明治憲法の基礎に据えられていれば、後に国家主義者があれほど跳梁することはなかったろうに……とついつい、歴史のIFを思わずにはいられない。
 が、こうした可能性に満ちた時代はあっけなく終りを告げる。自由民権運動は、憲法と議会の成立が政府側から約束された段階で収束していってしまうのだ。
 そして、間に大同団結運動を間に挟んで、大日本帝国憲法の時代となる。実は、本書の大同団結運動を論じたくだりがまた劇的で面白いのだが、いったい大同団結運動とは何ぞやということを短く説明するのは、私の筆力では無理。ぜひ本書を手に取って読んでいただきたい。
 さて、大日本帝国憲法の発効は、議会が持つ力を憲法そのものによって決定的に制限された状態から、いかにして間接民主制を基礎に置いた国家運営を現実的な運用として実現していくのか、という苦闘の歴史の始まりでもあった(このあたり、著者が戦前期の議会を論じる際と問題意識は共通している)。
 例えば、初期の議会においては、大日本帝国憲法の規定をどう運用するのか、という点について、政府と議会の間で真剣な対立があったことが、本書では論じられている。何と、大日本帝国憲法には、文武官の俸給と任免は天皇の専権事項であるという規定と、天皇の大権に属する支出については政府(ちなみに、明治憲法下の政府は議院内閣制ではないので、内閣は議会に対して直接の責任関係はない)の同意なくして議会はこれを廃したり削減したりできない、という規定があるのだ。いかに議会が官僚を減らして行政改革を行なうことを主張しても、この規定を組み合わせてそのまま運用すれば、不可能としかいいようがない(公務員的には、思わず、ちょっと明治憲法もいいかも、という気分に……)。
 第一回議会において、この規定を楯に、議会における予算審議を無視しようとする政府に対して、中江兆民は解散も辞さずの態度で臨んだ……のだが、ここで議会審議がいつまでも紛糾し続けたのでは、議会の存在意義が問われる、と考えたのが、板垣退助。状況を打開すべく、板垣退助率いる自由党土佐派が政府側につき、予算案はあっさり通過してしまう。ちなみに、この結果、中江は議員を辞職して抗議の意を表しているのだが、中江の辞職を支持したグループと、支持しなかったグループを区分けすることで、中江が議員に留まって戦えた可能性を検討していたりするあたりが(これまた歴史のIFだが)面白かったり。
 その後も、この問題を巡って、予算審議のたびに議論が起こったそうだが、最終的に日露戦争を経て、官民調和路線が定着し、議会を通じて政府の活動をコントロールする、という意味での主権在民論は、敗退することになる。
 他にも、二大政党制への動きが、どのように挫折したのか(二大政党、という形態がなかなか実現しないのは、別に今に始まったことではなかったりするらしい)、とか、色々な挑戦と、成果と、敗北が、本書では描かれている。
 さらに、著者は、大正期の美濃部達吉、北一輝(若い頃はバリバリの民権家だったとは初めて知った)の議論を最後に辿ることで、明治デモクラシーの遺産について、検証を行なっている。その中で、天皇機関説が、いかにアクロバティックな(?)論理を駆使して、天皇の権限を議会によって制限する根拠を導き出しているかを、個々の条文にそって検討を加えていく部分があるのだが、このあたりを読んでいると、現行の日本国憲法の筋の良さにしみじみとせざるを得ない。また、北一輝に至ってはさらに過激で、本書で紹介される北の「万世一系」主義批判は痛快ですらある。
 それにしても、本書を読んでいると、明治からこっち、何度同じ議論を繰り返しているのだろう、という感想が湧いてくるのは否めない。過去の議論から学び、乗り越えていくための基盤としての図書館は、(戦前のみならず戦後も)ほとんど役に立っていなかった(いない)のではなかろうか。ちと考え込んでしまった。

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