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2006/09/27

地名の巨人 吉田東伍

 千田稔『地名の巨人 吉田東伍 大日本地名辞書の誕生』(角川書店角川叢書, 2003)を読了……してから随分たってしまった。
 もともとは近所の本屋でたまたま手に取った一冊。角川書店で地名、とくれば、『角川日本地名大辞典』が頭に浮かんで、何となく買ってしまったのだけれど、実際には、『角川日本地名大辞典』についてはまったく言及なし。現在も歴史地理学の基本文献といわれる『大日本地名辞書』をほぼ独力で執筆・編纂した、吉田東伍の伝記なのだから当り前といえば当り前なのだけれど……。
 吉田東伍(1864-1918)については、阿賀野市立吉田東伍記念博物館のサイトが詳しいので、そちらを参照のこと。本書は、あくまで在野に留まりつつ、巨大な研究成果をまとめあげた吉田の伝記であり、また、その学問を再評価する試みでもある。
 吉田の履歴は、結構波乱万丈で、まとめるのが難しい。知的活動、という意味では、近代における新たなメディアであった新聞を舞台に、教育論や歴史研究について論じるところから出発しているのだが、履歴としては、教員になったり、志願兵になってみたり、北海道に開拓に出掛けたり、日清戦争の従軍記者になったりと、一貫性のあるようなないような。
 学歴の面では、いわゆる西洋式の歴史学の薫陶は受けず、むしろ、近世における地域史研究の継承者であったといえそう。その方法は、文献や発掘に基づく実証主義的なもので、地域史研究においては、欧米の歴史研究の方法論の導入以前から、ある程度の文献を基礎に置いた研究手法が確立されつつあった、ということをうかがわせる。
 交流のあった人物も色々出てくるが、図書館史的には、市島春城との交流が目を引く。市島が新潟新聞にいた頃、吉田は度々この新聞に寄稿しており、市島はその力量を高く評価していて、直接、議論を戦わせることもあったという。その縁で、北海道から帰った吉田は、一時市島のもとに身を寄せていたりする。
 それと、『大日本地名辞書』の執筆には全国に散らばっていた厖大な史料を渉猟する必要があったはず。ただ、その方法論や人的ネットワークについては、本書では断片的にしか明らかにされていない。そこが残念、という気もするが、それはまあ無い物ねだりというものだろう。
 何故か、著者は吉田が朝鮮併合をどう評価していたのかにこだわっているのだが(戦後その辺りを理由に吉田の業績が評価されなくなっていったのかもしれない)、吉田自信がどうもはっきりと書いていない以上、帝国の版図が広がること自体については常に前向きだった吉田であれば、朝鮮文化に対する思い入れとの間で、相反する気持ちがあったのではないか、という程度に留めておいてよいのではないか。反対だった、と明記するのは、読み込みすぎかな、という気もする。
 それはともかく、本書で紹介される吉田の行政区分に関する議論(当時も地方行政区域の合併が盛んに行われていた)を読んだりしていると、こうした地域の歴史を遡りつつ、現在のあり方を考える、という吉田の方法論が、現在、奈良県立図書情報館の館長を著者が務めていることにつながっているのかな、とふと思ったり。いや、これも読み込みすぎ、というものかもしれないけれど。

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