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2007/11/25

文化資源という思想—21世紀の知、文化、社会/「世界を集める」展/「植物のビーズ」展

 3連休の中日、国立民族学博物館開館30周年記念フォーラム「文化資源という思想—21世紀の知、文化、社会」(日時:2007年11月24日 13:30〜16:30 会場:国立民族学博物館 講堂)に出掛けてみた。
 それにしても、郊外から郊外への移動は時間がかかる。
 早めに出て、ゆっくり常設展を観ようかと思っていたら、案外時間が確保できず。結局、常設展料金で見られる企画展(常設展示会場内)をまずは中心に。
 一つ目は「「世界を集める」―研究者の選んだみんぱくコレクション」(会期:2007年7月26日〜2008年3月4日 会場:国立民族学博物館 常設展示場)。これも国立民族学博物館開館30周年記念の一環。民博の研究者56人(現役研究者全員、とのこと)が、一人一人、収蔵品から一点(ないし一件)を選んでコメント付きで展示する、という企画なのだけれど、これが面白い。
 通常、博物館の展示といえば、展示されているモノについての記述(どこの地域のどこの民俗の何か、とか)を行なうのが定番なのだけれど、今回の展示のコメントは、(全員ではないけれど)研究者一人一人のモノに対する関わりを語るものになっている。研究者というレンズを通して、モノ一つ一つにまつわる物語が見えてくる、という感じか。民博の常設展示だと、とにかく物量に圧倒されて個々の展示物にまで意識がいかない感じなのだけれど、この展示はそれとは対照的。
 ちなみに、図録の序文に書かれていたが、この企画は、2006年東京都写真美術館で開催された「キュレーターズチョイス」展に触発された面も大きいとのこと。異なる館種の博物館/美術館間の影響関係、という意味でも興味深い。あ、あと図録の巻末には、各研究者自身の関連著作目録を収録。
 もう一つは「植物のビーズ―つくって、つないで」(会期:2007年10月4日〜12月18日 会場:国立民族学博物館 常設展示場)。これまた、国立民族学博物館開館30周年記念となっている一方で、2005年から鹿児島大学、ラオス、神戸と、会場を移しながら行われている、トラベリング・ミュージアムの一環でもあるとのこと。鹿児島大学総合研究博物館と共催になっている。
 この展示のテーマとなっているのはジュズダマと呼ばれる植物の種子。かたくて、つやつやしていて、その上中心部に糸を通しやすいような穴が空いているために、世界各地で(特に今回の展示では東〜東南アジア)ビーズと同様に使われているとのこと。
 衣服や装飾品を中心に、様々な形態で使われているのも面白いかったが、何よりも、今回の展示品を収集した際の、研究者のフィールドノートが追加の解説付きで展示されていて、今回の裏テーマでもある民族植物学がどういう学問かを分かりやすく示していたのが印象的。
 さらに、フィールドノートに記録された情報を読み解いて示してくれることで、それぞれのモノがどういう文脈で使われていて、どういうかたちで収集されたのかを、観る側が読み取れるようになっている。これはもう、「世界を集める」展の拡大版、といってもよいのではなかろうか。研究者がどのように対象(モノとそれを使っているヒト)と斬り結んできたかを展示で表現することで、モノがただのモノではなくなる感じがたまらない。
 会場では、今回の展示品を収集したと思われる鹿児島大学総合研究博物館の落合雪野准教授のインタビュー映像を上映。これも民族植物学への熱い思いが語られていて印象的だった。
 で、お昼をレストランみんぱくで食べて(みんぱくランチのカレーは、私には結構辛かった)から、本題のフォーラムへ。
 館長挨拶の後、民博に新設された文化資源研究センターの吉田憲司センター長から趣旨説明。「世界を集める」展でも、吉田氏がコメントしていた、アフリカのザンビア共和国のチェワ族の民族舞踊の話が記憶に残った。
 元々、死者の葬送儀礼だったチェワ族の舞踊が、新しい祭の創設(1980年代だったか、90年代だったか聞きそびれた)にあたって、王に奉納される舞踊として活用され、その祭が「伝統」として注目されることで、世界無形遺産に指定された、という話だったのだが、さらに、今年の祭では、三ヶ国に跨がっているチェワ族が国境を越えて集まり、ザンビアのチェワ族の王に踊りを奉納する、という形がとられたという。しかも、その三ヶ国の首長(大統領)が揃って臨席するというおまけ付き。新しい集団のアイデンティティを生み出す効果を持ち始めている、という意味で、文化の資源化の一例となるのではないか、という話だった(と思う)。
 また、配布されたパンフにも書かれていた「これまで蓄積されたものや、これまで当り前だと思っていた身の回りの事物に新たな光をあててその価値を見いだし、そこでの発見をより多くの人びとと共有していこうという姿勢」が、「文化資源」という言葉の意味ではないか、という提起は、結局、今回のフォーラムの結論を先取りするものになっていたように思う。
 続いて、ナイジェリア大学のクリス・イクェメジ上級講師が登場。ナイジェリアにおいて、いかに文化が政治に従属するものとして扱われているか、という話から始まり、もともと一体であった芸術と技術が分離されてしまった問題などが論じられた……のだと思うのだけれど、会場が暗くなったせいか、この辺りから睡魔に襲われてしまい(早起きしたのが裏目に出た)、次のケンブリッジ大学ニコラス・トーマス考古人類学博物館長と併せて、あまり覚えていないのだった(こちらは、近代におけるマオリ族の民芸作家(?)の作品の再発見の話とかがあったような)。我ながら何と失礼な。
 続いては、東京大学大学院の木下直之教授が、博物館/美術館と似ていながらまったく異なる絵馬堂(絵馬は自然に朽ちていったり、廃棄されたりする)、保存されないまま忘れられてしまった祭礼・年中行事の際に飾られた「つくりもの」、そして現在取り組んでいる神田祭復元プロジェクトという三題噺について発表。
 民博の関雄二先端人類学研究部長は、ペルーにおけるクントゥル・ワシ遺跡で起きた、金製品の発見と、その後の地元住民による博物館運営へと至る顛末を報告。
 最後は以上のメンバーに司会の民博の川口幸也准教授を加えての討論。色々議論はあったと思うのだけれど、博物館という装置の限界を認識しつつそれを「飼いならしていく」必要を指摘した関氏の発言や、人が文化の中で生活することの重要性を指摘したイクェメジ氏の発言が印象に残っている(あんまりメモとってないので、何ともいえないのだけれど)。
 「文化資源」という言葉は、「文化遺産」や「文化財」に取って代わるラベルではなく、一つの姿勢だ、というのがとりあえずの結論なのだろうけれど、まあ、あんまり先に概念あり、という形で考えるのではなく、実践の中から、新しいあり方を見いだしていけばいいんじゃないだろうか、というのが、聞いていてのこちらの感想だったりする。
 何にしても、民博は、上で触れた二つの企画展のような新しい実践ができるのだから、様々な領域で新しい展開が可能なだけの地力はあるのでは。今後の民博にちょっと期待してしまおう。

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文化を高めるものとして、最近話題の図書館のすぐれちゃん、真珠書院ですね!!
図書館のすぐれちゃん!
出版文化に貢献した本かも?

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