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2014/03/02

古賀勝次郎『鑑の近代 「法の支配」をめぐる日本と中国』春秋社, 2014

 申し訳ないのだが、私個人としてはこの本をお勧めはしにくい。残念ながら、私にとっては非常に読みにくい本だったのだ。そういう場合は、普通、こんな風にブログで採り上げようとは普通思わないのだが、本書については、書いてある内容自体は、何やら面白かったんである。
 というわけで、以下、本書の内容を、私なりに説明してみることにする。本来書いてあることと全然違ったりする可能性が、いつにも増して高いので、そういうものと思ってご覧いただきたい。

 本書では、次の三つの問いについて論じている。

(1)西洋の立憲主義、法治国家的な制度を、何故明治期の日本は一定程度確立することができたのか。
(2)そして、それが何故崩壊したのか。
(3)日本では曲がりなりにも成立しえた立憲主義が、何故中国では確立しなかったのか。

 これらの問いについて答えるために、本書の前半では、西洋法思想史と、中国儒学史、法家思想史の講義が展開される。大枠をざっくりまとめておく。この辺、基礎知識がないので、大誤解になっている可能性が高いので、あまり信じないように。

 西洋の法思想は、ローマ法とキリスト教を淵源とする自然法を中心に、法の正統性の根拠として、立法者の外部に立法者を超えた何かを置く思想が根強くあった。また、「善悪」を論じる倫理に対して、「正不正」「権利」の概念と結びつくことで、法は社会の基礎として高い位置を占めていた、というのが、本書における西洋社会の特徴の見立てである。
 ちなみに、自然法ではないが、歴史的に形成された慣習に根拠を求める歴史主義も、立法者の外部に根拠があるとする意味では、この伝統に連なるということもできるだろう。
 そうした、立法者の外部に法の根拠があるとする法思想に対する批判として、ドイツを中心に、法実証主義と呼ばれる、立法者と立法目的、そして法自身の合理性を根拠とする法思想が出てくる。ところが、法実証主義は、法を政策実現の手段とする考え方とつながることで、法と「正不正」の概念の切り離しが進むとともに、立法者やその執行者自身も法に縛られるという法治国家の基礎を切り崩すことになっていく(戦間期のドイツや日本など)。

 一方、中国の儒学では「正不正」概念は、「徳」「礼」などの倫理ともに、「政」と強く結びつき、法と結びつくことは無かった。むしろ、法や制度を実利を求めるものとして軽んじる傾向が強かった。この儒学が国家の正当な学として位置づけられ、科挙による官僚制の基礎となったために、科挙を通過した中国の官僚は、法制度運用の実務に疎い者が少なくないという、状況を引き起こしていったという。
 対する法家は法を重視したが、統治の手段として法を重視したのであって、法(特に刑罰)によって民衆を縛るということはあっても、立法者や為政者が法に縛られる、という考え方はほとんどなかった。
 唯一の例外が、孔子以前に成立した思想であり、法家思想の創始とも言われる管子である。管子は、後の法家思想につながる要素を持ちつつも、一方で、法と道徳を強く結びつけ、両者が重なる領域の重要性を指摘しており、西洋の自然法思想に近い要素を内包していたのである。

 こうした前提を踏まえ、本書は先の問いに、次のような答えを出している。

(1)日本では、江戸後期〜幕末期に、西洋の自然法思想に近い要素を持った『菅子』の研究が安井息軒によって進み、その弟子または周辺の人たちが西洋の法制度を理解し、日本への導入に活躍する素地を作った。
(2)しかし、一旦は法治国家の確立に成功したものの、日本には自然法思想的な伝統は定着せず、むしろ、法家思想に関する教養が法実証主義を受入れることを容易にした。また、法実証主義は、法を立法者と為政者の意図を実現するための手段と化すことで、国家の権限と権力を強化することで社会変革を目指す国家社会主義等と結びくこととなった。これらの結果、立法者、為政者に対する法の支配は切り崩され、日本の立憲主義、法治主義は崩壊した。
(3)中国でも、管子を梃子として、西洋の立憲主義、法治主義を導入する動きが進み、辛亥革命を経て、当時最も立憲主義を理解していたと思われる宋教仁を中心として制定した憲法、中華民国臨時約法に結実する。しかし、この暫定憲法の下で複数政党による選挙が行なわれたものの、第一党の党首であった宋教仁は袁世凱によって暗殺され、その後の混乱の中、立憲制は崩壊してしまった。ちなみに、その後の社会主義国家における法思想は、法実証主義に近いものであり、法は立法者=計画者が計画の実現のために制定するものであって、立法者自身が法に従う法治主義とは異なる性質のものである。

と、本書の結論を私なりに大ざっぱにまとめると、こんな感じ。

 何と言うか、本書のテーマは、実に現在的なものなんじゃなかろうか。
 本書を読んでいると、今の日本に必要なのは『管子』の読み直しなんじゃね?、という気がしてしまう。いや、別に本書では現在の問題として議論されているわけではないのだが、読めば読むほど、なんだかそんな気分に…

 また、その管子の研究を進め、多くの弟子を育てた安井息軒(1799〜1876)も興味深い。
 例えば、息軒の私塾三計塾で学び、明治期に活躍した人物としては、谷干城、陸奥宗光、井上毅、千葉卓三郎らが紹介されている(特に谷干城は三計塾での教育について詳しく書き残している)。ほかにも大量の名前が並んでいるのだが、自分がよく知らない人も多いので省略。三計塾以外に息軒と親交があった人物としては、木戸孝允、西村茂樹らの名前もあがる。
 安井息軒は、朱子学者以外で昌平黌の教授となった(文久2年(1862))最初の人物である。徂徠学の影響を受けた儒者であるとともに、師の松崎慊堂や清朝考証学の影響を受けた考証学者でもあった。本書では、その立場を「法、制度を重視する考証学」と表現している。「周礼」を中心とした中国古代法制史研究を踏まえた上で、管子などの中国思想の理解を進めたということなので、現在の言葉で言えば、法制史研究と思想史研究を同時に行なったような感じだろうか。正直、本書を読むまで、中国法制史研究の意義を甘く見てました。反省。

 ちなみに、本書では特に触れられていないようだが(見落としてたらすみません)、森鷗外「安井夫人」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card696.html)は、息軒(=仲平)の若き日の姿を描いた作品だったりする(というのは、wikipediaの安井息軒の項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E6%81%AF%E8%BB%92 で知った)。それにしても、森鷗外、どんだけこのあたりの人物ネタにしてんだ。

 ああ、まとまりがどんどんなくなってきた。要するに、何が言いたいかというと、ニーチェとか孫子とか現代語訳するんだったら、管子を出してくれ、ってこと。それから、息軒についての(もうちょっと読みやすい)新書とか、人物叢書がほしいです……

 余談だが、安井息軒旧蔵書は斯道文庫に受け継がれている。詳細は、高橋智「安井家の蔵書について : 安井文庫研究之二 」『斯道文庫論集』No.35(2000), p,189-257 http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000035-0189 等を参照のこと(蔵書印の紹介もあり)。
 も一つ余談だが、本書で紹介されている管子の言葉で最も衝撃的だったのはこれ。

「衆人の言、別に聴けば即ち愚なるも、合して聴けば聖」

 まるで集合知……だよね、これ。中国でも最も古い時期の思想が(たまたまなんだろうけど)現在と斬り結んでしまう、というのは、何なんだろうなあ。

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