« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014/03/30

N+Note for NICOLAの使い心地

 N+Note for NICOLAは、NICOLA配列、つまり、いわゆる親指シフトキーボードを、iPadのソフトウェアキーボードとして実現した、iPad用のエディターである。詳しくはこちらの作者ブログを。

親指シフトキーボードが使えるノートアプリ「N+Note」をリリースしました。- 24/7 twenty-four seven
http://d.hatena.ne.jp/KishikawaKatsumi/20131107/1383755582

 親指シフトキーボードについては、別に詳しく説明したサイトがいくらでもあるので(例えば、NICOLA日本語コンソーシアム http://nicola.sunicom.co.jp/ 、親指シフト・キーボードを普及させる会 http://www.oyayubi-user.gr.jp/ など。どっちも更新は止まってる感じだけど)詳細は端折るが、かつて富士通のワープロ専用機に採用されていた独自配列のキーボードで、その入力効率の良さから今でも根強いファンが多い。
 私自身もそのファンの一員で、学生時代から現在まで、通常のJISキーボードで、親指シフト入力を実現する様々なソフトを渡り歩きつつ、現在も親指シフトで、入力をし続けている口だ。
 しかし、iOSについては、親指シフトを実現する方策は見当たらず、これはタブレットについては、Androidに乗換えるしかないのだろうか、と悩んでいる時に発見したのがこのN+Noteだった。
 無論、画面上にソフトウェア的に実現されたキーボードであり、物理的キーボードと比較すれば、到底入力しやすいとはいえない。しかし、iPhoneに比べるとフリップ入力のしにくいiPadにおいては、通常のローマ字入力に比べたらはるかに早く打てる。正直、思っていたよりも、ずっと打てるのでびっくりした。
 ただし、親指シフトの肝である、親指と他の指との同時打鍵の判定設定(設定メニューから、「シフトキーの遅延時間」で設定)が、緩くすると入力が遅くなり、きつくすると誤入力が増える。なかなか自分にあった設定にするのが難しい。
 それと、慣れないうちは、最下段のキーと親指シフトキーを同時打鍵しようとすると、つい親指が下に下がりすぎてしまい、微妙に画面外に親指がはみ出して、打鍵したと判定されないケースが発生したようで、入力ミスが頻発した。原因が判明した後は、意識して対応することで結構何とかなったが、最初は原因が分からず苦労してしまった。
 とはいえ、この文章自体もそうなのだが、予測変換と組み合わせることで、下書き程度には使えることがわかってきた。
 特に親指シフトユーザーで、iPad持ちの人は、多少の練習は必要だが、これさえあれば、それなりに文章を書けるようになるだろう。書いた文章は、Dropbox、Evernoteに保存できる他、メール、Twitter、Facebookに送ることができる。これで、文字数計算などができれば完璧なのだが、まあ、それは贅沢というものか。
 親指シフト愛用者で、iPadユーザーであれば入れておいて損はないアプリだと思う。

(2014-04-01 脱字修正)

2014/03/22

内閣文庫と昌平坂学問所旧蔵書

 先日、ちょっとした家庭内レファレンスで苦労したので、その過程を忘れないようにメモしておく。
 内閣文庫の林羅山の展示(平成25年度連続企画展「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」 http://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_25_6.html)がきっかけなのだが、相方から「昌平坂学問所の資料ってどういう過程で内閣文庫に入ったんだっけ」との疑問が出された。
 二人ともまずは長澤孝三『幕府のふみくら』(吉川弘文館, 2012)があれば手掛かりが何か書いてあるかもしれない、というのは思いついたのだが、こういう時に限ってどこかに埋れてしまって、出てこない。
 やむなく、他に何かあったかな、という家捜しが始まった。
 まずは、『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店, 1999)を見てみたが、林羅山や昌平坂学問所などの項目には資料の来歴についての記述はあまりない。
 しかたなく、本棚を漁ると、現在は内閣文庫に資料が受け継がれているという点で共通項がある福井保『紅葉山文庫 : 江戸幕府の参考図書館』(郷学舎,1980)が出てきたが、当然ながら昌平坂学問所の話は出てこない。
さらに本棚を漁っていたら、長澤孝三編・発行『内閣文庫思い出咄』(2001)が出てきた。これには、『内閣文庫沿革略』(内閣文庫, 1970)が再録されている。で、見てみると、
「維新後は、大学・書籍館・浅草文庫など数次の変遷を経て、明治十七年に太政官文庫に移管された。」
との記述が出てきた。太政官文庫=内閣文庫で大体大丈夫なはずだし、まあ、これでよいかな、と思い、一安心。
 しかし、この記述を見た相方からは、これでは「など」がどうなっているのか分からないではないか、との反応が…
この時点でもうすぐ日付が変わる時間帯になりつつある。早く風呂入って寝たいのに、何だこの細部に対するこだわりは、ニューなクラシックとかにブログが転載されたり、原稿載ったりする野菜な人たちの影響か、おのれ野菜め、とよく分からない逆恨みをしつつ、そう言われると自分も気になるので、もうちょっと調べてみることにした。
 今度は、直接答えは出なくても、何を見れば分かりそうかが分かるだけでも良いか、と戦略を変えることにして、鈴木俊幸編『増補改訂 近世書籍研究文献目録』(ぺりかん社, 2007) を見てみた。この目録、索引がないので、目次で当たりをつけるしかない。見ると「9.享受」のところに、「9.2 蔵書」があり、「昌平黌」の項目が立っている。おお、これだな、と見てみると、そのものズバリ、というのはなさそうだが、小野則秋「昌平坂学問所文庫の研究」がそれっぽい。まあ、ここまでか、と思ったところで、ふと気がついた。あれ?小野則秋なら、『日本文庫史研究』(臨川書店, 1988(改訂新版第三刷))が、あったような…と思って見てみたら、下巻の第二章が「昌平坂学問所文庫の研究」で、その第七節が「余論−維新後における昌平黌の旧蔵書」ではないか。
 というわけで、これでかなり詳細が判明。大枠としては先の『内閣文庫沿革略』の記述で良いのだが、大学の前後がかなり錯綜していることが分かった。一方、浅草文庫から太政官文庫に入るまでの間の経緯は、小野則秋の記述でもはっきりしない。ただ、その日はこれで諦めることにした。
 その後、さらに、樋口秀雄「浅草文庫の創立と景況」参考書誌研究 (4), 1-9,図巻頭2p,[1972年3月] http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050876_po_04-02.pdf?contentNo=1 を見てみたら、浅草文庫後の経緯が詳述されていた。こりゃなんともややこしい。内務省と農商務省に、陸軍まで絡んで、綱引きが行なわれていたわけだ。さらに、小野則秋がやや詳しく書いているように、特に貴重な典籍は宮内省図書寮にも移しているわけで、こりゃよくわからない訳である。

 こういったことは、実は何か別の資料を見ると、簡単に分かることなのかもしれないが、後で何かの参考になるかもしれない(ならないかもしれないが)ので、メモとして残しておく。

(2014-03-22 21時ごろ追記)
 野菜の人から、この論文を読め、という指令、じゃなかった、ご教示をいただいたので、追記しておく。



NDL-OPACだとこちら。
http://id.ndl.go.jp/bib/3590580
Cinii Articleだと……おっと、今日は電源設備工事中だったか。残念。

2014/03/02

古賀勝次郎『鑑の近代 「法の支配」をめぐる日本と中国』春秋社, 2014

 申し訳ないのだが、私個人としてはこの本をお勧めはしにくい。残念ながら、私にとっては非常に読みにくい本だったのだ。そういう場合は、普通、こんな風にブログで採り上げようとは普通思わないのだが、本書については、書いてある内容自体は、何やら面白かったんである。
 というわけで、以下、本書の内容を、私なりに説明してみることにする。本来書いてあることと全然違ったりする可能性が、いつにも増して高いので、そういうものと思ってご覧いただきたい。

 本書では、次の三つの問いについて論じている。

(1)西洋の立憲主義、法治国家的な制度を、何故明治期の日本は一定程度確立することができたのか。
(2)そして、それが何故崩壊したのか。
(3)日本では曲がりなりにも成立しえた立憲主義が、何故中国では確立しなかったのか。

 これらの問いについて答えるために、本書の前半では、西洋法思想史と、中国儒学史、法家思想史の講義が展開される。大枠をざっくりまとめておく。この辺、基礎知識がないので、大誤解になっている可能性が高いので、あまり信じないように。

 西洋の法思想は、ローマ法とキリスト教を淵源とする自然法を中心に、法の正統性の根拠として、立法者の外部に立法者を超えた何かを置く思想が根強くあった。また、「善悪」を論じる倫理に対して、「正不正」「権利」の概念と結びつくことで、法は社会の基礎として高い位置を占めていた、というのが、本書における西洋社会の特徴の見立てである。
 ちなみに、自然法ではないが、歴史的に形成された慣習に根拠を求める歴史主義も、立法者の外部に根拠があるとする意味では、この伝統に連なるということもできるだろう。
 そうした、立法者の外部に法の根拠があるとする法思想に対する批判として、ドイツを中心に、法実証主義と呼ばれる、立法者と立法目的、そして法自身の合理性を根拠とする法思想が出てくる。ところが、法実証主義は、法を政策実現の手段とする考え方とつながることで、法と「正不正」の概念の切り離しが進むとともに、立法者やその執行者自身も法に縛られるという法治国家の基礎を切り崩すことになっていく(戦間期のドイツや日本など)。

 一方、中国の儒学では「正不正」概念は、「徳」「礼」などの倫理ともに、「政」と強く結びつき、法と結びつくことは無かった。むしろ、法や制度を実利を求めるものとして軽んじる傾向が強かった。この儒学が国家の正当な学として位置づけられ、科挙による官僚制の基礎となったために、科挙を通過した中国の官僚は、法制度運用の実務に疎い者が少なくないという、状況を引き起こしていったという。
 対する法家は法を重視したが、統治の手段として法を重視したのであって、法(特に刑罰)によって民衆を縛るということはあっても、立法者や為政者が法に縛られる、という考え方はほとんどなかった。
 唯一の例外が、孔子以前に成立した思想であり、法家思想の創始とも言われる管子である。管子は、後の法家思想につながる要素を持ちつつも、一方で、法と道徳を強く結びつけ、両者が重なる領域の重要性を指摘しており、西洋の自然法思想に近い要素を内包していたのである。

 こうした前提を踏まえ、本書は先の問いに、次のような答えを出している。

(1)日本では、江戸後期〜幕末期に、西洋の自然法思想に近い要素を持った『菅子』の研究が安井息軒によって進み、その弟子または周辺の人たちが西洋の法制度を理解し、日本への導入に活躍する素地を作った。
(2)しかし、一旦は法治国家の確立に成功したものの、日本には自然法思想的な伝統は定着せず、むしろ、法家思想に関する教養が法実証主義を受入れることを容易にした。また、法実証主義は、法を立法者と為政者の意図を実現するための手段と化すことで、国家の権限と権力を強化することで社会変革を目指す国家社会主義等と結びくこととなった。これらの結果、立法者、為政者に対する法の支配は切り崩され、日本の立憲主義、法治主義は崩壊した。
(3)中国でも、管子を梃子として、西洋の立憲主義、法治主義を導入する動きが進み、辛亥革命を経て、当時最も立憲主義を理解していたと思われる宋教仁を中心として制定した憲法、中華民国臨時約法に結実する。しかし、この暫定憲法の下で複数政党による選挙が行なわれたものの、第一党の党首であった宋教仁は袁世凱によって暗殺され、その後の混乱の中、立憲制は崩壊してしまった。ちなみに、その後の社会主義国家における法思想は、法実証主義に近いものであり、法は立法者=計画者が計画の実現のために制定するものであって、立法者自身が法に従う法治主義とは異なる性質のものである。

と、本書の結論を私なりに大ざっぱにまとめると、こんな感じ。

 何と言うか、本書のテーマは、実に現在的なものなんじゃなかろうか。
 本書を読んでいると、今の日本に必要なのは『管子』の読み直しなんじゃね?、という気がしてしまう。いや、別に本書では現在の問題として議論されているわけではないのだが、読めば読むほど、なんだかそんな気分に…

 また、その管子の研究を進め、多くの弟子を育てた安井息軒(1799〜1876)も興味深い。
 例えば、息軒の私塾三計塾で学び、明治期に活躍した人物としては、谷干城、陸奥宗光、井上毅、千葉卓三郎らが紹介されている(特に谷干城は三計塾での教育について詳しく書き残している)。ほかにも大量の名前が並んでいるのだが、自分がよく知らない人も多いので省略。三計塾以外に息軒と親交があった人物としては、木戸孝允、西村茂樹らの名前もあがる。
 安井息軒は、朱子学者以外で昌平黌の教授となった(文久2年(1862))最初の人物である。徂徠学の影響を受けた儒者であるとともに、師の松崎慊堂や清朝考証学の影響を受けた考証学者でもあった。本書では、その立場を「法、制度を重視する考証学」と表現している。「周礼」を中心とした中国古代法制史研究を踏まえた上で、管子などの中国思想の理解を進めたということなので、現在の言葉で言えば、法制史研究と思想史研究を同時に行なったような感じだろうか。正直、本書を読むまで、中国法制史研究の意義を甘く見てました。反省。

 ちなみに、本書では特に触れられていないようだが(見落としてたらすみません)、森鷗外「安井夫人」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card696.html)は、息軒(=仲平)の若き日の姿を描いた作品だったりする(というのは、wikipediaの安井息軒の項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E6%81%AF%E8%BB%92 で知った)。それにしても、森鷗外、どんだけこのあたりの人物ネタにしてんだ。

 ああ、まとまりがどんどんなくなってきた。要するに、何が言いたいかというと、ニーチェとか孫子とか現代語訳するんだったら、管子を出してくれ、ってこと。それから、息軒についての(もうちょっと読みやすい)新書とか、人物叢書がほしいです……

 余談だが、安井息軒旧蔵書は斯道文庫に受け継がれている。詳細は、高橋智「安井家の蔵書について : 安井文庫研究之二 」『斯道文庫論集』No.35(2000), p,189-257 http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000035-0189 等を参照のこと(蔵書印の紹介もあり)。
 も一つ余談だが、本書で紹介されている管子の言葉で最も衝撃的だったのはこれ。

「衆人の言、別に聴けば即ち愚なるも、合して聴けば聖」

 まるで集合知……だよね、これ。中国でも最も古い時期の思想が(たまたまなんだろうけど)現在と斬り結んでしまう、というのは、何なんだろうなあ。

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Creative Commons License

無料ブログはココログ