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2018/02/26

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」
日時:2018年2月11日(日曜日)13:30~17:00
会場:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum17.html

に先日参加してきた。
これまでの例からすると、詳細な報告書が今後作成されて、上記ページで公開されると思うので、詳しくはそちらを見ていただくとして、いくつか気になった点だけ、メモ的に書いておこうと思う。

まず、このイベントの性格について、確認しておこう。
配布資料の表紙に

企画運営:「文化資源学フォーラムの企画と実践」履修生

とあることから分かるように、このフォーラムは、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻という大学院の演習の一環となっている。
フォーラム冒頭の中村雄祐氏(同大学院教授)の説明によれば、M1、D1の学生が1年かけて企画を練り上げ、開催するという、人文系の大学院では珍しいタイプのグループ演習なのだそうだ。
あ、ちなみにこのメモでは、敬称は「氏」で統一するのでご容赦を。学生と先生とで区別しているとややこしいので。

修士1年の鈴木健吾氏による開催主旨説明では、テーマ設定に至るまでの過程も紹介された。候補としては、50年前の学生運動や、オリンピック・パラリンピックなどが候補になったそうで、運動と祝祭の対立という議論を経て、近代の周年行事を考察することになったとのこと。なるほど本当にグループ演習だ、という感じである。
また、開催主旨説明に合わせて、配布された学生による論集のダイジェスト的な報告もされていた。この学生の論集がなかなか面白いのだが、ネットで公開されるかどうか分からないので、目次を掲げておこう。

学生報告(1):「皇紀2600年」1940年
「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の絵画にみる〈日本的なもの〉の〈保存〉(大橋利光)
「紀元二千六百年祈念万国博覧会」における保守と進歩(石橋幹己)
紀元二千六百年記念行事を彩った音楽――国家による音楽利用(高橋舞)

学生報告(2):「明治100年」1968年
明治百年を巡る「歴史戦」(鈴木健吾)
明治百年記念事業と国立歴史民俗博物館(市太佐知)

学生報告(3):「明治150年」2018年
「明治150年」関連施策の概況(田中淳士)
「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈)
祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六)
松田陽准教授に聞く――「明治期の文化遺産を取り巻く状況と明治150年事業について」(聞き手:門脇愛)

さて、フォーラムの本体は、古川隆久氏(日本大学文理学部史学科教授)の講演「紀元2600年奉祝の諸相」と、佐藤卓己氏(京都大学大学院教育学研究科教授)の講演「記憶の歴史化イベントとしての明治百年祭」と、講演のお二人にモデレーターとして木下直之氏(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻教授)を加えたパネルディスカッション「明治150年について」の3部構成。
詳細は報告書で見てもらえば済むことではあるのだが、一応、ポイントだけ紹介しておくと、古川氏の講演では、経済効果を狙った万博、オリンピックが、紀元二千六百年記念事業に合流していく過程や、国家イデオロギー浸透策的性格が強調されがちな紀元二千六百年記念事業の中にも、当初から観光振興的な要素が含まれていたことなどが紹介されていた。記念式典の日は昼から酒が飲めると飲食店が満員、とか、神武天皇の聖跡を訪ねることを名目に奈良への観光に出かけるなど、戦時下の息抜きとして記念事業や式典を捉えていた様子も興味深い。
佐藤氏の講演では、トルコからの留学生トパチョール・ハサン氏の博士論文「戦後日本における近代化「記憶」と「場」の揺らぎ―メディア・イベント「明治百年祭」(1968)を例に―」の概要が紹介されていた。現在を象徴する1964年の東京オリンピックと、未来を象徴する1970年の大阪万博に挟まれ、同時代的には様々な議論を呼び起こし大規模な式典も開催されながら、現在はほぼ忘れられた存在となっており、過去を指向する「明治百年祭」について、背景や反対論、京都とハワイの事例にみる受容の多様性などが紹介されていた。なお、トパチョール・ハサン氏の博士論文の一部を構成すると思われる次の論文が公開されているので、そちらも参照いただくと良いかと。

「トルコ共和国百年祭(2023年)のメディア・イベント-明治百年祭(1968年)との比較分析から-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 61. pp.285-297.
http://hdl.handle.net/2433/196900

「戦後日本の記憶研究と歴史学者の記憶意識-明治百年祭(1968)を例に-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 63. pp.367-378.
http://hdl.handle.net/2433/219234

パネルディスカッションでは、木下氏から、神戸須磨浦公園の現在は「みどりの塔」と呼ばれる記念碑についての話が紹介された。みどりの塔の説明板には、戦後まもなく、26年にみどりの羽運動で造られたとの説明が書かれているが、実はその裏に、神武天皇の陶製のレリーフが残っていて、実はこの塔は紀元2600年の慶祝記念物として、神戸新聞社が力を入れて建設されたものである……という話で、終わるかと思いきや、木下氏の話はさらに続く。このみどりの塔に置かれていた地球儀の像が、阪神淡路大震災の際に落ちたことで、震災のモニュメントになっているという。一つのモニュメントが時代に応じて、意味を変えていく、という興味深い話だった。
その後は、紀元2600年、明治百年、明治150年のそれぞれに関連して、講演のお二人による議論が展開されたのだけど、詳細は報告書にお任せすることにして、特に明治150年とデジタルアーカイブに関する議論を紹介しておこう。
まず、何故デジタルアーカイブが話題になったのかを確認しておこう。学生の論集でも紹介されているが、明治150年関連事業においては、建築物でも、式典でもなく、デジタルアーカイブ事業が取り上げられていることが一つの特徴となっている。
ソースとしては、首相官邸ウェブサイトの

「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議/内閣官房「明治150年」関連施策推進室
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/

で公表されている、第8回「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議でとりまとめられた関連施策と、

明治150年ポータルサイト
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/

の「デジタルアーカイブ」からリンクされている各データベース等を参照いただきたい。
なお、学生の論集では、個別のデジタルアーカイブの整備から連携の重要性について議論が展開されていたり(「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈))、デジタル化を次世代の継承のためと位置づけていたり(祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六))という形で、デジタルアーカイブが取り上げられている。
シンポジウムでは、明治百年との比較として、民間での出版事業との対比がなされていた。明治百年では、岩波書店『近代日本総合年表』や、筑摩書房『明治文学全集』、原書房『明治百年叢書』などの、基本的な文献・資料集が民間から刊行されたが、明治150年ではこうした基礎資料的なものがデジタルアーカイブとして提供されようとしている、という話である。木下氏は、アーカイブ化の重要性とともに、何がアーカイブされるのかが問われる、という問題も提起していた。
また、明治150年において「記憶の道具化」を避けえるか、という問いについての、佐藤氏による回避しえない、という回答をきっかけとして、検証可能性が確保される形で、デジタルアーカイブ化が進み、基礎資料が誰が利用できる状況を作り出していけるのかという課題が、木下氏から示されていた。同じ時代、事象であっても、光の当て方で、まったく異なる歴史が浮かび上がる、という状況をどのように作り出していけるのか、という問いでもある。
その一方で、佐藤氏からは、デジタルアーカイブについて文化政策とメディア政策という観点から触れる場面があった。文化政策として取り組む場合には、良いものを選別する、という方向になりがちなので、アクセスを幅広く、多く増やしていくというメディア政策として取り組むべき、との提言である。日本がいかに情報のハブとして機能し得るのか、海外にどう発信していけるのか、というメディア政策的視点が不足しているし、問われているという話だった。
これを受けて、木下氏からは、何を公開するのか裏には何を公開しないのか、ということが隠れているとの指摘があり、その事例として、日清戦争・日露戦争の際に皇居敷地内に作られた戦利品を入れる蔵(「御府」)についての話が紹介された。台湾からは、Googleマップで今も存在が確認できるものの、戦利品そのものは宮内庁は存在していないとしているのだが、実は、宮内庁書陵部のデジタルアーカイブで、かつてのその蔵の写真が公開されていたという話である。
(なお、戦利品の一例としては、台湾から返還要求のあった「台湾民主国の国旗」が紹介されていた。同国旗は台湾総督府博物館時代に作られた複製が国立台湾博物館に遺されている。 http://www3.ntm.gov.tw/jp/Collect_4_1_2_50.htm
また、デジタルアーカイブに限定された話ではないのだが、日本の「強み」としてかつては重視されていた軍事という側面が、明治150年関連事業では様々な点で欠落している、という話も示唆的だった。

以上、雑駁なメモなのだけれど、時間もたってしまったし、いつまでも抱え込んでおいてもしかたないので、とりあえず公開しておく。

2018/02/10

三省堂書店池袋本店古本まつりで入手した本

三省堂書店池袋本店古本まつり(2018年2月6日~2018年2月12日)で入手した本について、備忘として(書いとかないと、何買ったか忘れる…)。

○筒井嘉隆『町人学者の博物誌』河出書房新社, 1987
http://id.ndl.go.jp/bib/000001837460

動物学者で、戦前から天王寺動物園や、自然史博物館等の文化施設に関わった人物……というより、筒井康隆の父親、と言った方が早いか。各所に書いたエッセイや、対談、回想録などを集めた一冊。梅棹忠夫との対談や、筒井康隆との親子対談もあり。
本書をパラパラと見ていると、現在も続く、大阪市立自然史博物館の活発なアウトリーチ活動の原形を作った方なのかも、という印象を受けた。動物園史、博物館史的に気になる本だったので、そのうち買おうと思っててずっと買ってなかったんだけど、お手ごろ価格だったので入手。

○寿岳文章『和紙風土記』 (日本の美と教養 ; 3) 河原書店, 1947 3版
http://id.ndl.go.jp/bib/000000910633

筑摩書房の1987年版はよく古書店で見るけど、河原書店(住所を見ると、京都市河原町蛸薬師下ルとあり。茶道雑誌を出してる河原書店とは別?)版を手に取るのは初めてかも。初版は1941年だけど、入手したのは1947年の第3版。カバーはかなり朽ちてきていて、畳まれて挟み込まれている状態だったけど、本体の状態は悪くはなし。本文用紙として、和紙風の薄くて軽い紙が使われていて、戦後間もないこの時期で可能な限り凝った作りをしようとしていたのでは。あと、戦後になっても、序文の年表記で紀元使ったままなのは、寿岳文章のこだわりなんだろうなあ。

○天理図書館『日本近世自筆集』 (善本写真集 ; 1) 天理図書館, 1953
http://id.ndl.go.jp/digimeta/2934979

冒頭の「天理圖書館創立以来蒐書既に二十数年」というくだりがあるけど、昭和5年(1930)竣工なのでそれが起点なのかな。便利堂の印刷だけあって、図版はモノクロだが鮮明。コロタイプ? 解説がまた短いながらも名調子で、例えば『花月日記』における松平定信の紹介の一節はこんな感じ。
「所謂寛政の治を布いた近世の名相。かねて和漢の学に通じ文藻に富み、趣味亦豊かに特に国文和歌に秀でた。本館、定信の遺稿を多く蔵する。」
こういう文体は真似できないよなあ、としみじみ。

○野々村一雄『回想満鉄調査部』勁草書房, 1986
http://id.ndl.go.jp/bib/000001797132

経済学者(一橋大学教授等)野々村一雄(1913-1998)の満鉄調査部時代の回想。回想なので色々限界はあるとは思うのだけど、千葉商科大学図書館長も務めたという著者による、満鉄図書館論的部分がちょっとだけ含まれている。p.419-423の「資料フォンドと資料活動」がそれで、大塚金之助(1892-1977)による東京商科大学(現・一橋大学)図書館や、帝国図書館に対する批判を引きつつ、満鉄大連図書館がいかに優れていたのかを語っている。
「僕の満鉄調査部在職当時、調査部資料課第一資料係主任であった、横川次郎、石堂清倫両氏の、資料への深い造詣と、係員に対する組織能力と、それにも拘わらずこの有能な「主任」自身が先頭にたって、資料の購入、分類、研究者へのリファランスに献身しておられる姿をまのあたり見た。大連図書館についても、同じようなことがいえる、これほど必要な資料がそろい、これほど使い易く、これほど館員の親切な図書館を、僕は知らない。」(p.422-423)
こうした記述を読むと、満鉄図書館のスタッフのあり方が気になってくる。
一方で、大連図書館で資料紛失発生を理由に、書庫立ち入りが停止された際に、立ち入りを強行したエピソードなども紹介されていて、大連図書館側の苦労が偲ばれたりも。

○登張信一郎『竹風酔筆』南光社, 1936
http://id.ndl.go.jp/bib/000000724656

ドイツ文学者、登張信一郎(竹風、1873-1955)のエッセイ集。
岡村敬二先生の『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』(武久出版, 2017)によれば、登張は1938年に渡満して建国大学講師となり、1940年には建国大学図書科長として満洲国立中央図書館籌備処を見学している(p.185)。……ということに、買って家に帰って確認して初めて気付いたのだった。
本書はもちろん、満洲に行く以前に出たものなので、満洲関連の記述が特にあるわけではないが、斜め読みしていると、診察室に掲げられた高山樗牛の書簡をきっかけにした医師佐々竹馬との交流の話や、山口高等学校での教え子に河上肇がいた話など、色々と興味深い話が語られている。
登張が戦後に書いたもので、満洲時代に関して触れたものがないかについては、ちょっと確認してみた方がよいかもなあ。

○『図書』昭和24年11月号(復刊1号)岩波書店
http://id.ndl.go.jp/bib/000000017161

中谷宇吉郞「滯米雜記―書籍の周邊」(p.2-5)に、米国の日本研究の動向と、東アジア図書館についての言及が含まれていたのと、お手ごろ価格だったので入手。
米国が対日戦中に取り組んだ日本語教育が背景となって戦後の日本研究が盛んになった、という中谷の分析も興味深いが、特に「加州大学の東亜図書館」(現在のUC BerkeleyのC.V. Starr East Asian Library http://www.lib.berkeley.edu/libraries/east-asian-library のことかと)に関連して、中谷の以前からの知人である図書館員「マッキノン嬢」についての記述が面白い。ちょっと長くなるが引用しておこう(漢字を新字体にしている点はご容赦を)。

「マッキノン嬢は、札幌のミッションスクールである北星女学校の先生を以前してゐて、戦前私の家の向ひに住んでゐたので、その頃からの知り合ひである。
 今年の一月、マッキノン嬢は、日本へ本を買ふために派遣された。その時東京で会って、いろいろ打ち合わせをしておいたので、今度桑港へ着くと、すぐその家を訪ねた。そして次の日は東亜図書館を見せてもらった。
 この東亜図書館といふのは、加州大学の中央図書館の一部にあつて、ハッフ博士(ミス)が主任で、マッキノン嬢は、その助手のやうな仕事をしてゐる。…(以下略)」

この「マッキノン嬢」だが、私立大学図書館協力委員会の2016年度講演会 http://www.jaspul.org/ind/committee/kokusai/symposium.html での、マルラ俊江氏の講演「日本研究司書の仕事−カリフォルニア大学を事例として」の講演記録 http://www.jaspul.org/ind/asset/docs/Marra-ShidaiTokyo%202016_kouennaiyo.pdf に三井文庫購入の交渉を行った人物として登場するElizabeth McKinnon氏ではないだろうか。同じく「ハッフ博士」は初代館長Elizabeth Huff氏だろう。講演資料 http://www.jaspul.org/ind/asset/docs/Marra-ShidaiTokyo%202016_shiryo.pdf に写真も紹介されている。もしかすると中谷の言う「日本へ本を買ふために派遣された」というのは、三井文庫関連の交渉のためだったかもしれない。
なお、中谷は、当時の東亜図書館の日本の戦後刊行資料の選書が今一つとの感想を抱いたようで、戦後の日本の出版物にも良いものがあると、自著『雪の研究』をマッキノン嬢に紹介して、早速注文するとの反応を得ている。「心臓の強いことは、アメリカでは不道徳の中にはひつてゐないので、たいへん話がし易い」と述べているのが面白い。
後半は、日本との比較で、米国における図書(もちろん米国で出版されたもの)購入の困難さ(書店自体の少なさと、品揃えの貧弱さ、取り寄せ対応の悪さ)を縷々述べていて、1940年代末の米国の書店状況のレポートとして興味深い。
余談だが、三井文庫がUCバークレーに入った経緯については、早稲田の明治期資料マイクロ事業について書かれた

山本信男「カリフォルニア大学図書館と天理図書館が本事業へ参加したことについて」『ふみくら : 早稲田大学図書館報』no.32[1991.10.25]
http://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/fumi/32/32-06.html

の参考文献として掲げられている(が、掲載誌名が違ってる?)、

Sherman, Roger (1982) "Acquisition of the Mitsui Collection by the East Asiatic Library, University of California, Berkeley," Journal of East Asian Libraries: Vol. 1982 : No. 67 , Article 2.
https://scholarsarchive.byu.edu/jeal/vol1982/iss67/2
(本文PDFへのリンクあり)

に詳しいようで、当然ながら、この論文中にMcKinnon氏の名も登場している。ちゃんと読んだわけではないが、三井側との折衝は相当大変なだったようだ。

○『ブツクエンド通信』第8号 (1983年) 青山毅
https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN0024858X

国立国会図書館の所蔵が見当たらなかったので、書誌へのリンクはCiNii Booksに。なお、タイトルの「ブツク」の「ツ」は、少なくとも入手した第8号では小さい「ッ」ではない。
書誌・雑誌細目等を中心にした個人雑誌(といっても、寄稿者も多い)なのだが、そういうものが存在しえたというだけで、とにかく驚いた。
出版者であり、主要な執筆者であもる青山毅(1940-1994)には、日外アソシエーツの『詩歌全集・内容綜覧』(現代日本文学綜覧シリーズ)等、文学関連の書誌・覆刻の編著が多数ある。ありがたいことに、Hatena Keywordに立項されていて http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%C4%BB%B3%B5%A3 それによれば、日本文学館、日外アソシエーツに勤務したようだ。
大学図書館にはそれなりに所蔵があるので、超レア、というわけでもなさそうだが、あまり見る機会もないと思うので執筆者と記事名を掲げておく。

目次 1
青山毅「《プロレタリア演劇》《プロツト》細目」 2-13
浦西和彦「『プロレタリア演劇』と『プロツト』」 14-22
青山毅「《美術新聞》《音楽新聞》細目抄」 23-29
米田義一「雑誌『文化人』細目」 30-38
久保忠夫「「日本学芸新聞」のこと」 39-41
藤本寿彦「丸山薫における昭和六年について」 42-51
林眞「小川未明 作品年表 補遺」 52-57
粕井均「藤沢清造略年譜」 58-60
荒井治「資料「河野通勢—信州での青春時代」」 61-67
青山毅「冠状動脈造影」 68-73
青山毅「復刻版と私〈書痴往来〉」 74-75
青山毅「資料—日本プロレタリア文藝連盟規定」 76-78
あとがき 79-80

こういった細目と、関連する解説、資料集的なものが混在したものとイメージしてもらうと良いかもしれない。
ちなみに「冠状動脈造影」は、青山による「書誌学時評」。日外アソシエーツの人物書誌大系、現代日本文学綜覧、年間人物情報事典や、城市郎『禁書三昧』等に加えて、私家版として刊行された田熊渭津子『日記の記録—近代文学を中心にした』(『日記の目録』 http://id.ndl.go.jp/bib/000001560165 と同じものか?)、藤本寿彦編『丸山薫集(一)』(全集逸文となっていた詩を手書き原稿オフセット印刷で刊行したものとのこと)などが紹介されている。
蒐書家や文学研究者とはまた異なる、書誌・資料集作成者のネットワークが存在したことがこの一冊からだけでも伺い知れるが、こうしたネットワークに、図書館はでき上がった書誌の購入者・利用者として以外に関与していたのかどうかが、気になっている。

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