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2019/06/23

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017

今さらながら、電子積ん読になっていた、@yomoyomoさんの『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017(ver. 1.1.1[2019-03-02])を読了。

様々な事件があった後だけに、なおさら切実な話題が多い。現在顕在化している問題の多くが、2010年代前半から半ばにかけて、その姿を現しつつあり、それに関する、根源的な議論も既に行われていたことがよく分かる。むしろ、今こそ読まれるべき時期がきたと言えるだろう(積ん読正当化ともいう)。

それは、本書で紹介されている様々な記事や論考、主張についても同様で、例えば、Bruce Schneier「プライバシーの不変の価値」(2006年の記事の翻訳)とか、今こそ百回くらい読み返したい。

他にも、中央集権的プラットフォームによるウェブのクローズド化、アルゴリズムのブラックボックス化の危険性、IoTを通じたデータ収集と監視社会などなど、提示される論点どれもが現在の動向と結びついていて、読むべき人が読めばもっと興味深い議論を展開できるのだろうと思いつつ、本書と関係があるようなないような、思いついたことを2点、忘れないうちに書き残しておこうと思う。

一つは、先日、ちょっとだけバージョンアップ版を書いた「デジタルアーカイブの「哲学」概論 ver. 0.2」に書いたように、デジタルアーカイブがウェブの思想に影響を受けているのだとすれば、巨大プラットフォームに囲い込まれつつあるウェブの中で、デジタルアーカイブが果たすべき役割は何だろう、ということである。例えば、Googleブックス図書館プロジェクトや、Googleアートプロジェクトのように、直接的にプラットフォーム企業がデジタルアーカイブの領域に進出してきている事例はあるものの、全体としては、デジタルアーカイブの構築は分権的に行われているし、CCライセンスの採用などフリーカルチャーに親和的な方向で今のところ発展してきている。

しかし、一方で、金も技術もない機関が、デジタルアーカイブを構築して、所蔵する資料をデジタル化し、ネットで発信しようとした時に、個別にサーバを立てて維持するのは困難だろう。もっと広く多くの機関がデジタルアーカイブを構築できるようにするには、簡便で安価に利用できるプラットフォームが必要になる。その時、中央集権的ではない仕組みを維持し続けることができるだろうか。

あるいは現在、全国レベルのデジタルアーカイブの統合ポータルとして、ジャパンサーチの構築が進められているけれど、デジタルアーカイブの構築自体は分散的で、様々な機関が提供するメタデータを取りまとめることが前提の組立てになっている(「ジャパンサーチとは?」を参照)。もし今、万が一、ジャパンサーチが特定の機関や資料を排除したとしても、個々の機関がその資料を提供する限り、ウェブでその資料に到達できる可能性は(難易度は上がるが)維持はされる。しかし、ジャパンサーチの影響力が圧倒的になってしまったらどうなるのか、という問題は残る。まあ、圧倒的になれるような状況ではまだ全然ないと思うのだけど……

などとつらつら考えていたら、もしかしてP2Pって、実はデジタルアーカイブに理想的な仕組みだったんじゃないか、という気もしてきた。分散的で中心がなく、PCを使って簡単にメタデータとコンテンツを世界中で共有できたわけで。まあ、ユーザの区分とか、話はそう単純ではなかっただろうとも思うけど、何となく、そういう世界も見てみたかったなあ、という気もしている。

うーん、yomoyomoさんの本とほぼ関係なくなってるな。

もう一つは、読んでいるうちに、カール・ポランニーが指摘していた、人類史において資本主義的な市場経済は例外的で、社会に埋め込まれた経済である互酬と再分配の役割が大きかった、という話を思い出したのだった。例えば、

重本直利「カール・ポランニー「経済を社会に埋め込む」と社会経営学: 「複合社会(Complex Society)」像にふれつつ」社会科学研究年報 (47), 207, 2017-05 https://ci.nii.ac.jp/naid/120006353524

で議論されているような話は、おそらく、中央集権化をどう回避して、自由を確保し続けるのか、という点で、ウェブの現状と問題は共通しているのではないだろうか。もちろん、ポランニーとは時代背景も扱う事象も違うので、論点は大きく異なるところも多いわけだけれど、上記論文で引用されている

「制度的な次元では、規制が自由を拡大もするし制限もする。この場合には、失われた自由と獲得された自由のバランスをとることのみが重要である」

というポランニーの言葉は、そのままローレンス・レッシグからの引用だといっても通用しそうなくらいだ。

単純化しすぎかもしれないけれど、かつて、ひつじ書房の松本功さんが提唱した投げ銭システムのように、市場以外の経済システムをウェブに持ち込もうとする取組みは、クラウドファンディング以外には大きな成功は得られていないけれど、ウェブの中央集権化に対する防波堤としては、実は重要なのかもしれない。そういえば、考えてみれば、P2Pも互酬的なシステムだったような。

広告によるマネタイズと、個人の活動から得られるデータの持つ価値の囲い込みという、ウェブを覆う経済システムとその勝者による中央集権化に対して、どのような規制を持ち込むことで自由を確保できるのか、また、より当初のウェブの理想に親和的な経済システムを導入することができるのか、というのは、引き続き考えていかなければならないことなのではないかな、と思ったりした。とりあえず、思っただけだけど。

2019/06/16

デジタルアーカイブの「哲学」概論 ver. 0.2

もう1年前になってしまったのたけど、ver. 0.1 http://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2018/06/ver-01-db25.html を公開した後も、色々つらつらと考えていた。とはいえ、1年前に書くのが難しかったことが、突然書きやすくなるわけもなく……というわけで、ますます中途半端なのだけど、とりあえず公開しておく。なお、主な変更点は、0の追加と、1と2への追記。

0 「デジタルアーカイブ」の源流について

「デジタルアーカイブ」という用語については、月尾嘉男氏が提唱した和製英語、というのが、通説になっている。用語の誕生の背景や、草創期の状況については、笠羽晴夫氏の整理が参考になる。

笠羽晴夫「デジタルアーカイブの歴史的考察」映像情報メディア学会誌, 61(11)[2007], p.1545-1548. https://doi.org/10.3169/itej.61.1545

なお、当初、デジタルアーカイブという言葉が指し示していた情報技術を用いた文化財の記録・保存という発想は、平山郁夫氏が提唱した「文化財赤十字構想」の中から生まれた、との指摘がなされていることにも注目を。

田良島哲「文化財の保存・活用とデジタル資源」ぶんかつブログ, 2019-05-21 https://cpcp.nich.go.jp/modules/rblog/index.php/1/2019/05/21/blog5/

「文化財赤十字構想」は、その後のデジタル複製の源流でもあり、色々な意味で、再検討が必要ではないかと思うが、今後の宿題。宿題ばかりが増えていく。

現在のデジタルアーカイブは、文化財保存への情報技術の活用という基本的な発想に、知的情報を共有する基盤としてのインターネット(特にWWW)の基本的なアイデアが結合したもの、と考えると分かりやすいかと思う。とりあえず、デジタルアーカイブは、最初からウェブを前提としていたものではない(むしろ博物館等の施設内での活用を想定)ということは、頭に置いておきたい。

1 ハイパーメディア/WWW

明示的に議論されることがほとんどない気がするのだけど、近年のデジタルアーカイブに関する議論においては、アラン・ケイのダイナブックや、ティム・バーナーズ=リーのWorld Wide Webのビジョンが前提されていると考えてよいと思う。デジタルアーカイブで、こういうことができるようになったら良いよね、ということのかなりの部分は、彼らのビジョンで既に描かれていて、デジタルアーカイブを改善していこうという議論を行う際には、意識的・無意識的に、ダイナブックやWWWのビジョンが呼び出されている。

SNSが、むしろウェブを破壊し、囲い込みによる共有地(コモンズ)の喪失が進みつつある状況下で、デジタルアーカイブこそ、当初ウェブが目指した理想が生き残っている、ということは、もう少し、自覚的に議論されてよいのではなかろうか。

あるいは、WWWが普及する前に蓄積された知識・文化・情報や、あるいはWWWに残らないデジタル情報と、今ここに存在しているWWWをつなぐ存在として、デジタルアーカイブを考えることも必要だろう。

ということで、やはり、原点を抑えておく必要があるのではないか、と思って確認したら、アラン・ケイも、ティム・バーナーズ=リーも、彼ら自身が書いたものを日本語で手軽に読める状態にないというのはどうしたことか。これで技術者教育や、経営者育成に困らないのだろうか(英語で読むからいいのか?)。

アラン・ケイについては、浜野保樹氏の論考がまとまっていて分かりやすい。

浜野保樹「アラン・ケイ : 未来を見通す力とは何か」コンピュータソフトウェア. 7(4). 1990年 http://id.nii.ac.jp/1141/00287179/

浜野保樹「ハイパーメディアと教育II : アラン・ケイを中心に」放送教育開発センター研究紀要. 1. 1998年 http://id.nii.ac.jp/1146/00001145/

ダイナブックについては、次の記事の説明が簡明かと。

牧野武文 「連載:ハッカーの系譜(4) アラン・ケイ (1/7) 未来を予測する最善の方法は、それ
を発明してしまうこと」 THE ZERO/ONE. 2015年 https://the01.jp/p000966/

ティム・バーナーズ=リーについては、自らがTEDで、リンクトデータについて語っている次の動画を。

Tim Berners-Lee “The nest web” TED. 2009年 (日本語字幕あり) https://www.ted.com/talks/tim_berners_lee_on_the_next_web

メタデータも、オープン化を求められているデータの一つであり、標準化や、識別子の重要性も、全てティム・バーナーズ=リーのビジョンと繋がっている。そういえば、画像に関するAPI標準であるIIIFが重要なのは、デジタルアーカイブの画像データを、アノテーション(注釈)を分散的に付与することも含めて、リンクトデータの世界に解き放つ可能性を開いたからだとも言えるかもしれない。

さらに遡れば、1945年のヴァネヴァー・ブッシュのMemexは、様々な文献を自由に画面上に呼び出す(当時はマイクロフィルム技術の応用が想定されている)機器として構想されたものだが、使用者がテーマに応じて、さまざまな文献を結びつける経路(trail)を記録し、他のMemexに差し込んで共有する仕組みとしても構想されている。

(Memexについては、月尾嘉男, 浜野保樹, 武邑光裕『原典メディア環境 1851-2000』東京大学出版会, 2001, http://www.utp.or.jp/book/b302916.html p.280-285所収の抜粋訳を参照した。この本はとても便利なのでデジタル版がほしい…。)

とはいえ、様々な資料間のリンクが(多くの人の手によるのであれ、AIを含む機械的に構築されるものであれ)自然発生的に構築されていく世界はまだ来ていない。デジタルアーカイブは、こうした構想の子孫でもあるとともに、まだ不完全な実現形でしかないともいえるだろう。道のりは遠い。

[デジタルアーカイブという論点からは余談になるかもしれないが、ハイパーテクストについては、テッド・ネルソンのXanaduも含めて、テクスト構造自体の変革から議論すべきなのかもしれない。現状だと、分岐と様々なエピソードの組合せによって成立するゲームシナリオこそ、ハイパーテクストの後裔ではないか、という気もする。テッド・ネルソンもゲームブックに注目していたようだし。このあたりは、次を参照。

森田均「ハイパーテキストの社会」社会関係研究, 4(2) [1998.12], p.45-67. http://www3.kumagaku.ac.jp/srs/pfd2/4-2/4-2-45.pdf ]

2.オープンソース/オープンデータ/フリーカルチャーと著作権

インターネット以前のデジタルアーカイブの初期段階では、特定施設の中での利用が主であって、必ずしもオープンであることは主眼ではなかったように思う。とはいえ、現在では、無料で多くの人が、できるだけ制限なく使えるような状態で公開することが重視されるようになってきていて、背景としては、様々な情報や作品のオープン/フリー化を目指す運動が深く関わっている。とりあえず、こうした運動の概説としては、次の一冊を。

ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック: クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』フィルムアート社, 2012年.
http://filmart.co.jp/books/business/2012-5-10thu/ (PDFダウンロードあり)

この一冊で大まかなところはカバーできるが、せっかくなので、オープンの思想の源流としての、オープンソースによるソフトウェア開発文化についてもこの際触れておきたいところ。とりあえず、これは読んでおきたい。

Eric S. Raymond 著, 山形浩生 訳「ノウアスフィアの開墾」1998年 https://cruel.org//freeware/noosphere.html

また、ティム・バーナーズ=リーによるセマンティックウェブと具体的取組みとしてのリンクトオープンデータ(LOD)については、上述のTED動画を参照。ユーザによる様々な加工が自由に可能であることの意義もそこで触れられている。

デジタルアーカイブは、過去の蓄積をインターネットにおける創造の循環に組み込む仕組みでもある。このため、クリエイティブコモンズライセンスと、それを支えるフリーカルチャーの思想は、近年のデジタルアーカイブの動向と深く関わっている。『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』で尽きている気もするが、より手短に、ということであれば、次の記事か。

クリエイティブ・コモンズ・ジャパン事務局「クリエイティブ・コモンズの理念と実践: Web2.0における権利表現という文化について」情報管理. 49(7). 2006年 https://doi.org/10.1241/johokanri.49.387

「ドミニク・チェンとの対話 フリーカルチャーという思想をめぐって」 WIRED(日本版). 2012年 https://wired.jp/2012/07/09/freeculture/

こうしたオープン/フリーの思想に対峙する形で、著作権の強化が進められている。著作権が、一部の商業的創作者を対象にする権利から、インターネットを通じた発信が可能になったことによる人類総クリエーター時代に至って、あらゆる人に関わる権利に変化し課題と解決策については、ローレンス・レッシグ氏の一連の著作に詳しい。

『CODE VERSION 2.0』翔泳社, 2007. https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798115009

『コモンズ: ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』翔泳社, 2002. https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798102047

とりあえず、この2冊は押さえておきたい(いずれも山形浩生氏訳)。文化の継承と発展のためには、自由に様々な作品を利用する領域が必須であるにも関わらず、現在の著作権強化の流れが、その領域を根絶やしにしようとしていることに対して、レッシグ氏はいらだちを隠さない。

また、レッシグ氏は、法による直接的な規制以外にも、ソフトウェアやネットワークを制御するプログラム(コード)による規制や、市場や規範を通じた実質的な規制が可能であることを指摘している。

一方で、デジタルアーカイブの構築において、著作権は、様々なレベルで課題となってきた。

2009年に国立国会図書館が行った調査では、「デジタルアーカイブ等を実施・運営していない機関に対してその理由を複数回答で尋ねたところ,「予算がない」(79.7%),「人員がいない」(74.2%),「実際的なノウハウがない」(59.4%),「著作権処理が困難」(29.9%)という結果」となっていた(文化・学術機関におけるデジタルアーカイブ等の運営に関する調査研究報告書 第2章 第2節 調査結果の概要 http://current.ndl.go.jp/node/17892 より)。そもそも著作権処理を必要とする時点で、デジタル化の対象とすることにハードルがあったことがうかがえる。また、アーカイブサミット2015 http://archivesj.net/summit2015/ 、及び同2016 http://archivesj.net/archivesummit2016/ では、孤児作品対策が大きなテーマとなっていた。

なお、これらは、著作権を処理してデジタル化し(複製権)、インターネットで公開する(公衆送信権)ことについてのハードルの議論である。ここで、デジタルアーカイブには、インターネット以外に、施設内での提供というもう一つの源流があることを思い出そう。つまり、初期のデジタルアーカイブは、特定の施設の中でのみ利用できるという形での制御が組み込まれていた。これもまた、レッシグの示した、アーキテクチャーによる規制の一例ということもできるだろう。自由に著作物を利用できる領域が狭まれば狭まるほど、特定施設の中であれ、多くの著作物を利用できる環境を維持することは、より重要性を増すはずだ。デジタルアーカイブは、権利と利用の狭間で、利用の場を様々な形で保障するための仕組みとしても機能しうる。

なお、自然資源の管理制度に関する「コモンズ」研究から派生し、「多様で複雑な知識資源のガバナンス体制」を研究する知識コモンズ研究を、デジタルアーカイブ領域に適用しようという試みもある。

西川開「[A24] デジタルアーカイブの制度分析の方法論」デジタルアーカイブ学会誌, 3(2) [2019], p.123-126 https://doi.org/10.24506/jsda.3.2_123

著作権法制を含む、デジタルアーカイブを巡る制度論に関する検討は、まだまだこれからなのかもしれない。。

また、EUを中心に、プラットフォーム規制の観点から、著作権法制の変化が進んでいる。独自システムではなく既存プラットフォームをデジタルアーカイブの構築や、コンテンツ拡散に活用する際には、この動きは無関係ではないと思われるが、プラットフォーム規制とデジタルアーカイブの関係は整理されていないのではないか。とりあえず、現時点(2019年6月)の動向については、次の鼎談を参照。

生貝直人, 曽我部真裕, 中川隆太郎「HOT issue(No.22)鼎談 EU新著作権指令の意義」ジュリスト, (1533)[2019.6], p.ii-v,52-63. http://id.ndl.go.jp/bib/029685126

3.学術情報・研究のデジタル化/オープン化とデジタルヒューマニティーズ/デジタル人文学

学術雑誌を中心としたオープンアクセスや、STM(自然科学、工学、医学)系を中心としたオープンサイエンスも無関係ではなく、むしろ関係は深まりつつあるが、これを読むと背景が分かる、というのがなかなかない。とりあえず、デジタルアーカイブとの関連についての問題提起としては、次を参照。

林和弘「口頭発表[A31] オープンサイエンス政策と研究データ同盟 (RDA)が進める研究データ共有と、デジタルアーカイブの接点に関する一考察:新しい研究パラダイムの構築に向けて」デジタルアーカイブ学会誌. 2(2). 2018年 https://doi.org/10.24506/jsda.2.2_40

デジタルアーカイブは、学術研究においては、特にデジタルヒューマニティーズ/デジタル人文学の基盤となりうる。ただ、なりうる、ということと、実際に研究に使える環境を整えることの間には裂け目があり、これを超えるための取組みが必要とされている。この観点からの議論については、永崎研宣氏の一連の論文、ブログ記事などどれも参考になるが、どれか一つ、ということだと、図書館との関係が中心ではあるものの、背景も含めて概説しているこちらを。

永崎研宣「大学図書館とデジタル人文学」大学図書館研究. 104. 2016年 https://doi.org/10.20722/jcul.1439

この論考では、デジタル技術が研究の内容や、研究への参加の仕方自体を変化させていること、研究の前提として標準化の意義などがコンパクトに論じられているが、加えて、図書館員を中心とした研究を支援するスタッフの役割の重要性が語られている点がポイントで、デジタルアーカイブの人的側面についての言及が少ないこともあって貴重かと。

なお、デジタルヒューマニティーズに関連して、蛇足かもしれないが、

ピーター・シリングスバーグ 著/明星聖子・大久保譲・神崎正英 訳『グーテンベルクからグーグルへ: 文学テキストのデジタル化と編集文献学』慶應大学出版会, 2009年.
http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416718/ の巻末に収録された

明星聖子「編集文献学の不可能性――訳者解説に代えて」

は、日本における人文学の研究基盤を今後どう構築、維持するのか、という点で、研究者の視点からの切実な問題提起となっており、もっと読まれてしかるべき文章だと思う。

4.ナショナル/ローカルなコミュニティ形成

デジタルアーカイブを通じたコミュニティ形成については、特に地域のデジタルアーカイブの場合に、推進している側が目的として言及することがあるが、理論的な検討はあまりなされていないのではないか。

デジタルアーカイブだから登場したという論点ではなく、図書館・博物館・文書館等において、特にナショナリズムとの関連で主に否定的な観点から議論となってきた論点ではあるが、ナショナルな一体性が完全に崩壊した時に、内戦という名の隣人同士の殺し合いが起こった事実を東欧やアフリカで繰返し見てしまった以上、危険性だけではなく、その必要性も含めて、論じ直しが必要なのかもしれない。

出生地や血統に寄らない、国/地域の統合の仕組みとしての、文化・歴史・自然誌の共有。背後に同じ知的文化的蓄積を共有している、という認識を、ネット時代にどうやって作り出すのか。出生地、血統主義に偏りつつある現状にどう異なる統合のあり方を提示できるのかが、デジタルアーカイブに問われているともいえる。

事例としては、まずは、Europeanaの第一次世界大戦関連事業を。

E1535 - Europeana 1914-1918:第一次世界大戦の記憶を共有する試み http://current.ndl.go.jp/e1535

Europeanaは、特に第一次世界大戦関連の事業を通じて、ヨーロッパという地域の統合・包摂を文化を通じて実現することを目指しているように思えるのだが、この観点からの日本語で読める分析はなかなか見つからない。敵同士として戦った戦争を、統合を支える共通の記憶として呼び起こす、というのは、東アジアの現状からすると、ちょっと信じがたいし、どこまでうまくいったのかは気になるところだけど、ともかくも、取り組むことができた、ということ自体が一つの希望ではないか。

もう一つの事例としては、渡邉英徳氏の関わった東日本大震災、広島、長崎、沖縄に関するデジタルアーカイブがある。これらの取組みにおいては、デジタルアーカイブを利用する側ではなく、構築、維持していく側のコミュニティ形成こそが重要とする点が特徴。次を参照。

渡邉英徳『データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方』講談社, 2013年. (講談社現代新書)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210720 渡邉英徳「多元的デジタルアーカイブズと記憶のコミュニティ」人工知能学会誌. 31(6) .2016年.
(本文リンク) https://drive.google.com/open?id=0B7uKeVg3VJZRMUNaRHBCZ2tVSUU

こうしたローカルなデジタルアーカイブは、ナショナルレベルのコミュニティ形成とは異なる、多様な主体の形成という意味でも重要かもしれない。アイデンティティの根拠をナショナルなものだけに頼ることによる社会の不安定化や冗長性の欠落を避ける仕組みとして、多様なデジタルアーカイブの存在が必要、という議論もありえるように思う。

5.情報社会論

情報技術が社会をどう変貌させるのか、という議論と、デジタルアーカイブがどうあるべきかの議論は、本来は密接に関連するはずなのだけど、案外、まとまったものを探すとすぐに出てこない。あるいは、情報技術のインパクトがフロー情報中心であるためか、そこに一定の蓄積(ストック)を構築しようとするデジタルアーカイブについては情報社会論の枠組みでは扱いにくいのかもしれない。

論点整理としては、紙しかないので、入手に一手間かかるが、中井正一に言及しつつ、新たな時代における文化資本としての電子図書館・デジタルアーカイブについて問いかける次の論文を。

合庭惇「文化の再定義のために: 電子図書館とデジタルアーカイブ」現代の図書館. 34(3). 1996年.
http://id.ndl.go.jp/bib/4141260 (合庭惇『デジタル知識社会の構図 : 電子出版・電子図書館・情報社会』産業図書, 1999年.にも再録)

次の合庭惇氏の論文も参考になるかも(こちらはネットで読める)。

合庭惇「情報社会論のための脚注」哲学. 1997(48). 1997年. https://doi.org/10.11439/philosophy1952.1997.69

より深く追求したものを探すとしたら、翻訳ものを探るべきか、とも思うものの、山形浩生氏の次の書評を読むと、どうしたものかと、途方にくれる。

山形浩生「なんかえらく古くさいハイパーメディア万歳論なんですけど。(『月刊 論座』2000 年 06 月)」YAMAGATA Hiroo. 2000年 https://cruel.org/other/gutenberg.html

時代をすっとばす形になるが、情報技術が社会を変容させる、という議論の最新バージョンとしてはとりあえず、この一冊を。

ケヴィン・ケリー 著, 服部桂 訳『〈インターネット〉の次に来るもの  未来を決める12の法則』NHK出版, 2016年 https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817042016.html

特に、デジタルアーカイブとの関連では、「4. SCREENING スクリーニング/画面で読んでいく」を参照。
ここでは、これまでの「読む」(READING)行為から、スクリーン上のイメージを読み、操作するSCREENINGへの変化が、主に本・書籍を例に論じられている。デジタルアーカイブ構築の際に行われるデジタル化とは、物理的な資料・作品を、スクリーンに表示できる形式に変換する営為であり、どのような未来を目指してそれが行われているのかを考える材料になるかと。

[予告]

この他、デジタルアーカイブの「哲学」を考えるために考えておきたいことについて,まだまとまらないのだけど、項目だけ示しておく。すでに挫折気味…。

  • デジタル情報の長期保存とボーンデジタル情報
  • 文化経済学とデジタルアーカイブの経済効果
  • 民主主義を支えるものとしての文化と、運営の専門性と自律性* 収録対象の選択とコレクションの構築

[2019-06-17追記] 冒頭部分の日本語が妙だったので、ちょっと修正しました。また、改行設定がおかしかったようなので、それも修正しています。

2019/06/09

天理ギャラリー「奈良町 -江戸時代の「観光都市を巡る」-」展

 天理ギャラリー第167回展「奈良町 -江戸時代の「観光都市を巡る」-」(会期:2019年5月12日~6月9日)に終了日に駆込みで行ってきたので感想をメモ。

 今回の展示は、天理図書館所蔵の保井文庫の資料を中心に、奈良町が登場する江戸期の文学作品なども交えて、主に近世の奈良町の姿を多面的に紹介したもの。

 ちなみに、保井文庫は、奈良在住の郷土史家・収集家、保井芳太郎(1881-1945)旧蔵の古文書・近世文書等のコレクション。『天理図書館四十年史』(天理大学出版部, 1975)によると、保井の没後、奈良県外への流出を危惧した歴史家永島福太郎(1912-2008)の斡旋で、天理図書館に収蔵されることになったとのこと。同四十年史によるとその規模は約6万点(p.517)。なお、保井の古瓦のコレクションは、天理参考館の収蔵となっている。搬入は、終戦間際の1945年8月13日に、「敵艦載機の跳梁の間をはかって行なわれた」(p.106)と四十年史にあるように、緊迫した状況下での資料受入だったようだ。

 以下、展示の中から、いくつか気になった資料を紹介。番号は、天理図書館のページに掲載された出品目録の番号と対応しているので、適宜ご参照を。

 『建久二歳辛亥十月御巡礼記』(5)は、『建久御巡礼記』の名前で知られるが、展示資料が、唯一の完本とのこと。帝に仕えていた采女の入水、という、猿沢池について語られる定番エピソードの出典。

 『二条宴乗記』(7)は、興福寺の一条院門跡に仕えた二条宴乗の日記。元亀2年(1571)に、松永久秀によって薪能が再興され、久秀も一族とともに見物したことについて記載されている。松永久秀といえば、奈良の大仏殿を兵火に巻き込んだ(永禄10年(1567))ことで悪名高いが、奈良町復興にも寄与したそう。

 一方で、大仏修復のための勧進に幕府が関与し、奈良奉行に勧化金を集約する仕組みが整えられていった状況を語る文書群(12-1,2,3)も、興味深かった。

 その他、特に面白かったのは絵図や、奈良を訪れた人々の残した日記、旅行記。特に絵図については、元禄期から大正期まで、奈良の中心部の案内図がまとめて展示されていたのがすごかった(13-1~8)。建物が変ったところ、変らなかったところ、鹿の扱いの時代による変化(明治初期は鹿は囲いの中にまとめられている)なども読みとれる。

 『大和名所図会』(16)では、茶屋で鹿に餌をやる様子も描かれていたり。なお、同じ図は、早稲田大図書館本 でも確認できる http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_05326/ru04_05326_0001/ru04_05326_0001_p0025.jpg。右の人、鹿煎餅投げてるよね、これ…

 『大坂京奈良旅中備忘録付旅途指掌』(21)は、国学者の伴信友の旅程表と備忘録。奈良町滞在は半日ほどだが、元興寺の五重塔に6文払って登っている。旅程表には「遠見ヨシ」、備忘録には「アヤフクテオカシカラス」と記載しており、景色は良かったものの、どうやら五重塔の上は、あまり居心地が良くなかったようだ。

 『寺社名所拝覧記』(27)もそうなのだが、17世紀末には案内人による観光案内が確立されていたせいで、効率的に見物できる分、奈良町での滞在時間は短いことが多かった模様(京都のついで、みたいな感じか。現代もそうかもしれないが…)。奈良に数日間連続滞在という例は珍しかったそうで、奈良の薪能を目的にした旅行の記録『奈良之道連』(30)では、宿屋の亭主が声をかけて、語り合ったことが記されている。

 江戸後期に武士が残した『大和廻り日記』(31)では、鹿に食べ物を与えると「あつまりてこれをあらそいくふ」と、記されていた。ちょうど少し前に、

渡辺伸一「奈良のシカ保護管理の歩みとこれから―その社会学的検討―」生物学史研究, 2017, 96 巻, p. 35-52 https://doi.org/10.24708/seibutsugakushi.96.0_35

を読んだところだったので、奈良の鹿の置かれた環境の変化と、一方で変らぬ鹿の行動とを合わせて考えさせられた。

 展示全般としては、詳細な翻刻をプリントで配布してくれるのはありがたかった。一方で、パネルにあって図録にない説明が結構あって(保井文庫の説明もパネルはあったけど、図録には解説なし)、しまった、もっとちゃんとメモとっておけば良かった、と後で後悔。展示リストにない、参考展示(主に絵図・地図類)もあって、これもちゃんとメモをとっておけば……という感じだった。まあ、最終日に駆け込む方が悪い、という話なんだけど。

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