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2019/06/23

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017

今さらながら、電子積ん読になっていた、@yomoyomoさんの『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017(ver. 1.1.1[2019-03-02])を読了。

様々な事件があった後だけに、なおさら切実な話題が多い。現在顕在化している問題の多くが、2010年代前半から半ばにかけて、その姿を現しつつあり、それに関する、根源的な議論も既に行われていたことがよく分かる。むしろ、今こそ読まれるべき時期がきたと言えるだろう(積ん読正当化ともいう)。

それは、本書で紹介されている様々な記事や論考、主張についても同様で、例えば、Bruce Schneier「プライバシーの不変の価値」(2006年の記事の翻訳)とか、今こそ百回くらい読み返したい。

他にも、中央集権的プラットフォームによるウェブのクローズド化、アルゴリズムのブラックボックス化の危険性、IoTを通じたデータ収集と監視社会などなど、提示される論点どれもが現在の動向と結びついていて、読むべき人が読めばもっと興味深い議論を展開できるのだろうと思いつつ、本書と関係があるようなないような、思いついたことを2点、忘れないうちに書き残しておこうと思う。

一つは、先日、ちょっとだけバージョンアップ版を書いた「デジタルアーカイブの「哲学」概論 ver. 0.2」に書いたように、デジタルアーカイブがウェブの思想に影響を受けているのだとすれば、巨大プラットフォームに囲い込まれつつあるウェブの中で、デジタルアーカイブが果たすべき役割は何だろう、ということである。例えば、Googleブックス図書館プロジェクトや、Googleアートプロジェクトのように、直接的にプラットフォーム企業がデジタルアーカイブの領域に進出してきている事例はあるものの、全体としては、デジタルアーカイブの構築は分権的に行われているし、CCライセンスの採用などフリーカルチャーに親和的な方向で今のところ発展してきている。

しかし、一方で、金も技術もない機関が、デジタルアーカイブを構築して、所蔵する資料をデジタル化し、ネットで発信しようとした時に、個別にサーバを立てて維持するのは困難だろう。もっと広く多くの機関がデジタルアーカイブを構築できるようにするには、簡便で安価に利用できるプラットフォームが必要になる。その時、中央集権的ではない仕組みを維持し続けることができるだろうか。

あるいは現在、全国レベルのデジタルアーカイブの統合ポータルとして、ジャパンサーチの構築が進められているけれど、デジタルアーカイブの構築自体は分散的で、様々な機関が提供するメタデータを取りまとめることが前提の組立てになっている(「ジャパンサーチとは?」を参照)。もし今、万が一、ジャパンサーチが特定の機関や資料を排除したとしても、個々の機関がその資料を提供する限り、ウェブでその資料に到達できる可能性は(難易度は上がるが)維持はされる。しかし、ジャパンサーチの影響力が圧倒的になってしまったらどうなるのか、という問題は残る。まあ、圧倒的になれるような状況ではまだ全然ないと思うのだけど……

などとつらつら考えていたら、もしかしてP2Pって、実はデジタルアーカイブに理想的な仕組みだったんじゃないか、という気もしてきた。分散的で中心がなく、PCを使って簡単にメタデータとコンテンツを世界中で共有できたわけで。まあ、ユーザの区分とか、話はそう単純ではなかっただろうとも思うけど、何となく、そういう世界も見てみたかったなあ、という気もしている。

うーん、yomoyomoさんの本とほぼ関係なくなってるな。

もう一つは、読んでいるうちに、カール・ポランニーが指摘していた、人類史において資本主義的な市場経済は例外的で、社会に埋め込まれた経済である互酬と再分配の役割が大きかった、という話を思い出したのだった。例えば、

重本直利「カール・ポランニー「経済を社会に埋め込む」と社会経営学: 「複合社会(Complex Society)」像にふれつつ」社会科学研究年報 (47), 207, 2017-05 https://ci.nii.ac.jp/naid/120006353524

で議論されているような話は、おそらく、中央集権化をどう回避して、自由を確保し続けるのか、という点で、ウェブの現状と問題は共通しているのではないだろうか。もちろん、ポランニーとは時代背景も扱う事象も違うので、論点は大きく異なるところも多いわけだけれど、上記論文で引用されている

「制度的な次元では、規制が自由を拡大もするし制限もする。この場合には、失われた自由と獲得された自由のバランスをとることのみが重要である」

というポランニーの言葉は、そのままローレンス・レッシグからの引用だといっても通用しそうなくらいだ。

単純化しすぎかもしれないけれど、かつて、ひつじ書房の松本功さんが提唱した投げ銭システムのように、市場以外の経済システムをウェブに持ち込もうとする取組みは、クラウドファンディング以外には大きな成功は得られていないけれど、ウェブの中央集権化に対する防波堤としては、実は重要なのかもしれない。そういえば、考えてみれば、P2Pも互酬的なシステムだったような。

広告によるマネタイズと、個人の活動から得られるデータの持つ価値の囲い込みという、ウェブを覆う経済システムとその勝者による中央集権化に対して、どのような規制を持ち込むことで自由を確保できるのか、また、より当初のウェブの理想に親和的な経済システムを導入することができるのか、というのは、引き続き考えていかなければならないことなのではないかな、と思ったりした。とりあえず、思っただけだけど。

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