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2020/02/02

2020年2月1日三田図書館・情報学会月例会 「教育と図書館の関係について考える」(根本彰慶應義塾大学文学部教授)感想

慶應大学三田キャンパスで開催された、三田図書館・情報学会月例会に、根本彰先生の「教育と図書館の関係について考える」という発表を聞きに行ってきた。
レジュメが論文形式で書かれていることを考えると、何か別の形で発表される可能性もあるので、内容について詳しく紹介するのはやめておく。

(2020-02-03 補記)当日の資料は、根本先生が事前に次のご自身のブログで公開されていたので補記しておく。

三田図書館・情報学会月例会「教育と図書館との関係を考える」発表原稿(オダメモリー)
資料へのリンク

当日の発表も、大筋は資料の通り。ただし、前半に集中的に口頭での補足が入って、終盤はかなり端折った展開になっていたので、資料だけ読むと、若干印象が異なるかも知れない。(補記ここまで)

一応、内容をざっくり言うと、「図書館」という枠組みを一旦踏み越えて、個人が自分の知を構築していく営みと、社会がそれを共通の確立された知識として組み込んでいく過程全体を、「教育」という角度から捉えた上で、その過程全体を視野に入れて図書館が果たす(べき)役割を考えていく、という議論を展開、という感じ(だと思う)。客観主義、経験主義、構成主義、といった教育学上の概念などを援用した、野心的な議論だった。

以下、発表の内容の本筋と直接リンクはしていないと思うのだけれど、話を聞いて自分が思いついたことを忘れないうちにメモしておく。

一つ目は、ドメイン分析とヨーロッパの図書館情報学の話。
Hjørland, Birger. (2002), Domain analysis in information science: Eleven approaches – traditional as well as innovative. Journal of Documentation, Vol. 58 No. 4, pp. 422-462.
https://doi.org/10.1108/00220410210431136 を下敷きにした議論の中で、図書館情報学の方法論として紹介された「ドメイン分析」という考え方が、まず印象に残った。これは「情報がその利用者コミュニティ(ディスコースコミュニティ)との関係で発生しコミュニティが関わる」ものとのこと。ざっくりと、情報がやり取りされるコミュニティごとに、必要な情報の組織化や、情報に到達するための案内方法が異なる、ということを示したもの、という感じで理解。(引用は発表レジュメから。以下同様。)
さらに、「これはヨーロッパの図書館情報学やドキュメンテーションの伝統を背景として、個別領域ごとのメタ的なアプローチをしてきたことの発展形である」とも論じられていた。要するに、コミュニティごとに情報システム、情報サービスのあり方は異なる、と捉えた上で、領域間での共通要素を切り出し、それをまた各領域ごとにカスタマイズする、という欧州の図書館情報学の特徴を示すものと理解した。さて、ここで、本筋から外れて、ふと、以前、自分が翻訳に関わった、ドイツの電子情報保存プロジェクトnestorの保存計画のためのガイドラインを思い出した。これだ。

保存計画のためのガイドライン 手続モデルとその実装 バージョン2.0(朝日大学機関リポジトリ)
http://id.nii.ac.jp/1128/00005314/

このガイドラインは、電子情報を種別ごとに分けた上で、それぞれがどのようなコミュニティによって使用されるかを想定し、そのコミュニティの特製に応じて、保存すべき要素を決定していく、という形で構成されている。欧州の図書館情報学が、コミュニティによる情報利用のあり方の違いを踏まえて組み立てられているのだとすれば、その伝統は、電子情報保存の領域においても活用されているのではないか、といったことを思ったりした。
ちなみに、発表本筋の話は、欧州の図書館情報学の考え方は、日本の図書館においても、各種の図書館ごとのドメインを考えるという形で、適用可能ではないか、という議論に展開していくのだけど、詳述はしない(というかできない)。

もう一つ印象に残ったのは、前置き的な話の中で出て来たもの。日本の図書館が今一つ発展しきれないのは、欧米の図書館のでき上がった形式だけを持ち込んで、その背景となる歴史的蓄積を無視して導入されたからではないか(そしてそれは戦前も戦後も同様なのでは)、という問題意識が提示されていたこと。
この議論については、今回の月例会で、チラシが配布されていた「根本彰先生退職記念シンポジウム『近代日本の知識資源システムー図書館、出版、アーカイブの観点から」(2020年3月21日 14:00-17:00 会場:慶應義塾大学三田キャンパス)でも展開されるようで、共同研究なども準備されているとのこと。
この話を聞いてちょっと思ったのは、江戸期以前において、「教育」の中で書物やドキュメントが果たしてきた役割や、書物を分析・活用しようとした活動について、それがどう近代に接続されたのか(されなかったのか)という論点も同時に必要なのではないか、ということだった。例えば、米国と欧州の図書館のあり方は異なるし、欧州内でも、フランスやドイツ、北欧など、それぞれ図書館のあり方は異なっているように思える。単なる接ぎ木では駄目だ、というのであれば、持ってくる先の海外の図書館のあり方だけを見て、その歴史や文化を丸ごと移植すべきだ、という発想だけではなく、それぞれの国・地域の文化・歴史に応じた図書館のあり方があると想定した上で、日本の歴史や文化に適合的な図書館のあり方を探る必要もあるのではないだろうか。
ちなみに、このあたりの海外文化・制度受容の話は、大滝詠一の分母分子論や普動説とも接合しうるのかもなあ、と思ったりもしたけど、これはちょっと宿題かな。

あともう一つ。最後の質疑応答で、学校図書館の現場において具体的にどうすればよいのか的な質問があったけれど、図書館情報学に全ての解を求めるのはそもそもちょっと違う気がした。以前から、図書館情報学における研究と現場の乖離、という議論があるけれど、ちょっと捉え方の筋が違うのでは、という話でもある。
もう少し具体的にいうと、現場で必要となるのは、図書館情報学だけではなくて、それ以外の様々な異なる領域で開発され、研究されたスキルなんじゃないだろうか。例えば、組織内の意識改革が必要なら経営学の先行するの知見が必要だろうし、制度を変える必要があるのであれば法学や政治学の知見も必要だろう。考えてみれば、理工学系でも、理論と実験は違うし、それを工学に落とし込むのもまた違う話で、さらにそれを工業製品に落とし込んだり、工場のラインに乗せたり、その工場のラインを安定的・高品質で運用したりするのは、それぞれ異なるスキルが必要なはずだ。一つで何でも解決してくれる魔法の学問やスキルなんてのはもともと存在していない、と考えるべきではないだろうか。
図書館でもそれは同じことで、図書館情報学は、図書館という領域に特化した理論や、技術や、あるいは理念などを提示してくれるものではあるけれど、それを現場に落とし込むためには、図書館が普通に人で構成された組織であり、法制度・社会制度の中に置かれたものである以上、図書館に限定されていない別の知識も必要なんじゃないかなあ。別に研究が現場から乖離しているのではなくて、現場が必要なものが、図書館情報学の中に全部揃っている訳ではない、というだけのことなのでは。
ここはちょっと発表内容の、図書館情報学が教育学や文学部の他領域と接続していない、という論点とも関連するかもしれないが、裏返すと、図書館情報学の側も、自分たちのディシプリン内に閉じるのではなく、どこで他の領域と接続していくのかということを意識して展開する必要があるのかもしれない。
……などということを考えたりしたのだけど、すぐに忘れそうなので、ここで記録しておく。

(2020-02-03 追記)発表当日は、後半急ぎ足だったこともあって、触れられていなかったのだけれど、当日資料の末尾の次の一節は実は極めて重要な問題提起であるように思う。望まれるものをそのまま提供することが公共性を持つ、という理屈は、フェイクとヘイトと歴史修正主義が跋扈する出版状況下では、成立しえないのではないか、という問題に、正面から向合うべき状況が生じているのではないだろうか。

これまで、図書館は中立性を装い価値の問題を避ける傾向があったが、社会的営為あるいは社会的機関として価値の問題は避けて通れない。資料や情報の選択や評価、 知と知とを結びつけるレファレンスの過程、どのようなタイプの情報システムをつくりど のように経営するのかといった政策や経営は、いずれも知に対する社会的な価値と関わる。

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