2017/07/01

虎屋文庫編著『和菓子を愛した人たち』

虎屋文庫 編著『和菓子を愛した人たち』山川出版社, 2017
https://www.yamakawa.co.jp/product/15104

虎屋文庫ホームページで連載されていた「歴史上の人物と和菓子」から、「百人の人物を選び、大幅に加筆修正して誕生」(p.2)したのが本書とのこと。
紫式部に始まり森茉莉まで、テーマごとに9章構成で、和菓子と様々な人物との関わりを紹介している。一人当たり、基本見開き2ページのコンパクトなスペースの中で、人物と和菓子を紹介しつつ、図版も豊富に使用。執筆・編集には相当の苦労があったのでは、と想像させられる。あくまで軽い読み物としての体裁が貫かれているが、それも深い調査と知識の裏付けがあってのものだろう。
教科書に載るレベルの著名な人物に加えて、淡島寒月『梵雲庵雑話』や、岩本素白「菓子の譜」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/001534/card52198.html )、金沢藩の支藩大聖寺藩の最後の藩主前田利鬯(としか)の日記(「御帰県日記」『加賀市史料 8』加賀市立図書館, 1988所収)など、様々な文献から菓子に関する記述が集められていて、それだけでも圧巻。
既に現在は作られなくなってしまった和菓子も多く紹介されているが、文献などから再現した図版や、現存する類似の菓子を併せて紹介するなど、往年の姿を想像できるような作りになっている。
巻末には、年表、索引(菓子名と人物名)、参考文献リストあり。
注目すべきは、デジタルアーカイブの活用ぶりで、図版には国立国会図書館所蔵の古典籍があちらこちらに顔を出し、大阪府立中之島図書館の人魚洞文庫データベース https://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/ningyodou-index.html や、中村学園大学の貝原益軒アーカイブ http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/ 、江戸東京博物館の目食帖(収蔵品検索 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/search から)など、デジタル化とインターネット公開の成果が縦横に利用されている。本書のような出版物に利用されるようになった、ということは、裏を返せば、デジタルアーカイブを提供する各機関は、取り上げられた各資料を安定的に公開し続けることを、あらためて求められているのだとも言えるだろう。
また、「あとがき」(p.290-291)では、各地の学芸員から教えられた史料の存在やエピソードなどがあったことが紹介されている。企画展示やホームページでの連載が、各専門機関・専門家とのネットワーク形成につながり、それがまた本書のような成果につながった事例としても、興味深い。
余談だが、本書を読んだら、ついでに国立国会図書館の電子展示本の万華鏡「あれもこれも和菓子」 http://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/25/index.html もぜひ。

2016/10/16

日本語学 vol.35 no.10 [2016年9月]感想ツイート

メモ。金文京「中国古典文学研究と漢籍データベース検索」日本語学 v.35 n.10 [2016年9月] p.2-9。ある漢詩に関する、描かれている状況からすると、作者別人じゃね?という疑問を四庫全書の全文DBで解決という事例を通じて、古典全文DBによる研究の変化を論じる。

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

さらに「問題は、現在の日本の学界では、コンピュータ検索が十全にできる環境が整っていないことにあると思える」と指摘。日本の漢籍全文DB普及の遅れについて、「これでは中国の研究者と同じ出発点にさえ立てないに等しい」と危惧を示している。>金文京「中国古典文学研究と漢籍データベース検索」

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

メモ。陳力衛「『四庫全書』などの全文データから明らかになること—漢語の出典確認の可能性をめぐって」日本語学 v.35 n.10 [2016年9月] p10-22。日本独自の漢字熟語とされるものを、四庫全書DBで検証し、これまでの研究とは異なり中国由来だったりするケースを紹介。

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

そもそも使いこなすには漢文の素養が必要であり、また、四庫全書自体の限界(採録年代や改変など)もあるものの、これまで「一語十年」かかった研究の「一語一年」への短縮や、それによる研究の飛躍的発展への期待が述べられている。>陳力衛「『四庫全書』などの全文データから明らかになること」

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

ちなみに、『日本語学』2016年9月号の特集は「漢文の最新情報」。 http://www.meijishoin.co.jp/book/b226814.html 「「少年老い易く学成り難し」詩の作者と解釈について」とかも面白かった。「作者」の同一性とか、結構えーかげんなもんだった、ということがよくわかる。

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

あと、「出土『老子』と『老子』解釈の新局面」の、出土した古いテキストによって、「大器晩成」の「晩」は実は「免」で、極めて巨大な器はいくら作り続けても完成することがない、という無限概念に関する一節だったことが判明、という話が面白かった。>日本語学2016年9月号

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月16日

ちょっと補足すると、「中国古典文学研究と漢籍データベース検索」で紹介されている、作者が別人なのでは、という疑問は1時間程度でほぼ解決できたとのこと。様々な編纂の過程で混乱した情報を、全文テキストデータベースによって解きほぐすことができた、というのは、その有効性に関する分かりやすい事例かもしれない。。

それと、ツイートでも触れた(サブタイトル略したけど)、蜂屋邦夫「出土『老子』と『老子』解釈の新局面―楚簡『老子』・帛書『老子』・漢簡『老子』のもたらしたもの」(p.24-32)で紹介されている老子の古テキスト出土による様々な解釈の変化については、ちくま新書の湯浅邦弘『入門 老荘思想』 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480067838/ でも主題になっていたことを思い出した。

また、朝倉和「「少年老い易く学成り難し」詩の作者と解釈について―「詩の総集」収載の意味するところ」(p.34-45)で取り上げられている「翰林五鳳集」について「ちなみに、大日本仏教全書本の底本である国会図書館蔵 相国寺雲興軒旧蔵本は、現存する諸本の中で最も古く、由緒正しき伝本」(p.37)との記述がある。鶚軒文庫本については別に記載があるので、請求記号241-1か、862-108のどちらかだろうか。他の論文で詳述されている模様。

2016/02/11

利根川樹美子『大学図書館専門職員の歴史 : 戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』

利根川樹美子 著『大学図書館専門職員の歴史 : 戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』勁草書房, 2016
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b214134.html
を読了。
 自腹を切ったので、一言文句を言わせて貰えると、最初の読者に恵まれなかったのかな……という印象が強い。注記のリンクミスや付与漏れ、論点先取的な論述がなされている部分、箇条書きの項番付与漏れなど、誰かが一度丹念に読んでいれば回避できたのではなかろうか、というところが、ちらちらとあり、読んでいてつい気になってしまった。
 とはいえ、書いてあること自体は非常に興味深く、特に1960年代の岩猿敏生氏を中心とした専門職論の先駆性と、それらの議論が生かされることなく、公共図書館職員を中心とした待遇維持を中心とした論理に阻まれていく過程を論じるくだりは、「官製ワーキングプア」とまで言われてしまっている公立公共図書館における待遇の現状を鑑みると、何とも感慨深いものがある。
 本書全体として、いかに「貸出中心主義」が、様々な建設的提案の推進を阻む役割を果たしたが繰り返し論じられている。大ざっぱにまとめると、ここでの「貸出中心主義」とは、図書館サービスの中心を資料の貸出に置き、情報サービス的側面を軽視する考え方と、もう一つ、現職者は現状のままで専門職であり、新たな資格や教育制度等は不要とする考え方の双方を指している。その双方が渾然一体となって、図書館における専門職に関する議論を混迷させた事例が、繰り返し本書では紹介されている。
 例えば、1968年時点で文部省社会教育課長であった中島敏教氏の「司書養成制度の現状と将来」(『現代の図書館』9巻2号[1971年6月] p.92-96)に拠る部分(p.250-251)で、学校図書館司書の資格・教育の創設を目指す法案に対して、公共図書館の「司書の地位を低くすることになる」という理由で、日図協関連団体から反対の陳情があったという証言が紹介されていたのにはひっくり返った。そんな証言があったのか、ということにも驚いたが、中島氏の証言の裏が本書で取られているわけではないものの、紹介されている他の事例から考えるとかなり蓋然性が高い、と思わせてしまうあたりが何とも言えない。
 大学図書館の戦前と戦後の断絶と連続に関する分析がもうちょっとほしいな、とか、冒頭の大学図書館数の変動分析とか後の論述で全然参照されないじゃん、とか(このあたりも、最初の読者の不在を感じさせるが…)、いろいろ突っ込みたいところもあるし、何より文章が読みにくいのだけれど(自腹切ってるし、このくらいは書いても許されるよね…)、これから図書館における専門職論をやる人は、見ておくべき一冊かと。
 ちなみに、そもそも大学の教員側や学生側が図書館スタッフによる専門的な支援を積極的に求めていたのか、という点は、本書では論じられていない。欠点というわけではなく、そもそもスコープ外なので、そこはしょうがないだろう。
 ただ、これは本書と無関係な、まったくの私見なのだが、大学に所属する人文社会科学系の研究者が、資料の研究者個人又は研究室単位での囲い込み等、大学図書館という組織・機能を十分に生かすことができなかった、ということも、大学内における図書館と図書館職員の位置づけの背景としてあったのではなかろうか、という気もしている。そのことが、結果として、大学内における人文社会科学分野の研究における組織・制度的支えの必要性自体を掘り崩してしまった(そんな研究、大学でなくても、別に趣味で個人でもできるでしょ、とか)側面もあるのではなかろうか。
 この見立てに若干なりとも妥当性があるとすれば、本書で論じられている、大学図書館における専門職制度確立の敗北の歴史は、大学における人文社会科学分野を支える制度・組織の問題を考える意味でも、参照すべきものになるかもしれない。
 あと、本書で紹介されている岩猿先生の専門職論が格好良すぎなので、『岩猿敏生の挑戦と挫折』(敬称略)みたいな新書サイズの一般向けの概説書を書いていただけないものか、とか思ったり。

2015/12/20

日本古書通信2015年11月号・12月号

 まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。
 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。
 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.html 発刊の背景と内容を紹介したもの。文中で紹介されているパネルディスカッション「社会とつながる近世文学」も中身が気になるところで、『近世文藝』 http://www.kinseibungakukai.com/doc/kinseibungei.html 101号でレポートされているとのこと。
 牧野泰子「私が出会った在米日本語稀覯書たち」p.12-13は、元プリンストン大学東アジア図書館日本資料担当司書であった著者による回想第2弾(第1弾は9月号に掲載された「アメリカ図書館界に足跡を残した思い出の人々」)。米国における日本古典籍資料整理に関する貴重な証言。国立国会図書館からの助っ人として相島宏さんの名前も出てきて、紹介される発言に相島さんらしいなあ、と思わずにやり。
 「書物の周囲」p.37-40では、『蟬類博物館−昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界』(練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.neribun.or.jp/furusato.html 編)は、10月1日から11月29日まで同館で開催されていた展示会 http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/events/events_z0301_00017.html の図録とのこと。蝉類研究の大家、加藤正世(1898-1967)の標本コレクションは東京大学総合博物館に寄贈されたとのことで、タイアップ企画だった模様。やってるの気付いてなかったなあ。小石川分館でも展示やってたのか。(「セミ博士の別室 加藤正世博物学コレクション」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2015Semihakase.html
 編集後記である「談話室」p.47の「「物」と「所有」が古本屋商売のキーワードで、文化のデジタル化、ヴァーチャル化がすすむ現在とは逆行する」という言葉が重いが、「所有」へのこだわりが完全になくなることはないような気もする。楽観的にすぎるかもしれないが。

 続いて日本古書通信1037号(2015年12月号)からいくつか。
 能勢仁「最近の出版販売事情−今年に思うこと」p.4-6は、出版に関する近年の動向を今年の事件や数字を軸に論じたもの。当然ながら「栗田出版販売の民事再生の申請」から近年の取次に関する動向から話が始まる。一方で、日本の出版輸出(特に実用書・ビジネス書)や、流通ルートとしてのコンビニエンスストアとの協業の可能性についても言及。また、出版流通のプラットフォーム、販売ルートが集約されつつある現状も指摘。
 真田幸治「論文「雪岱文字の誕生−春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」の紹介」p.8-10は、タイトル通り、『タイポグラフィ学会誌』08(2015年) http://www.society-typography.jp/news/2015/10/08-1.html に収録された著者の論文の内容をかいつまんで紹介したもの。特に挿絵で知られる小村雪岱の使用した独特の書体を「雪岱文字」として、『鏡花全集』の箱に登場する「雪岱文字」について、これまで確認されていなかった雪岱の関与を周辺の証言を通じて論じている。
 牧野泰子「私の駆け出し時代からテクニカルプロセス分科会時代まで」p.11-13は、11月号に続く回想第3弾。今回は、CEAL(Council on East Asian Libraries http://www.eastasianlib.org/ )や、CRL(Center for Research Libraries https://www.crl.edu/ )に関する著者等の活躍が語られている。
 廣畑研二「さまよへる放浪記(3)」p.16-17は、林芙美子 著・廣畑研二 校訂『林芙美子放浪記 復元版』論創社, 2012. http://ronso.co.jp/book/林芙美子 放浪記 復元版/ を編集・校訂した著者が、放浪記の各版について論じた連載の最終回。戦後になっても伏せ字が復活したりまた削られたりと、何故か決定版が出ないままとなっていた、放浪記各版の差異や問題点が丁寧に辿られていて、スリリングだった。もしかして、『甦る放浪記 復元版覚え帖』論創社, 2013.の内容を圧縮して紹介したものだったりするのかな? http://ronso.co.jp/book/甦る放浪記 復元版覚え帖/
 12月という区切りだからか、内田誠一「短冊閑話」が第12回、張小鋼「中国・異域文化の往来」が第24回で連載終了。前者は、短冊という触れる機会が多くはない世界を様々な切り口で紹介、(自分で買うところまではいかないのが申し訳ないと思いつつ)毎回楽しませていただいた。後者は、毎回一つの植物を対象に中国古典を渉猟して、その中国への伝来や受容について論じたもの。現代版「本草学」といった趣で、こちらも毎回面白く読ませていただいた。最終回の鬱金香(チューリップ)も、唐代の宮廷での贅沢な使われっぷりに驚愕。
 八木正自「Bibliotheca Japonica CCXVI 追悼−新田満夫氏の事跡①」p.33は、今年の10月27日に亡くなった、前・雄松堂書店会長兼社長(むしろ創業者と紹介すべきかも)の新田満夫氏追悼文。1960年代から70年代前半の学術雑誌輸入拡大と、大学の新設に伴う和古書・洋古書購入の活性化を背景に、業績を伸ばしていった過程が語られていて、興味深い。「図書館総合展」の立ち上げにおいて果たした役割についても言及あり。
 古賀大郎「21世紀古書店の肖像 59 古書 上々堂(しゃんしゃんどう)」p.35には、「最近買取に行くと、貴重な資料を図書館が引取拒否した話をよく聞くそうだ」との記述が。「そういう貴重な資料を引取って、市場に戻していくのも、これからの古本屋の大事な役割なんじゃないかな、と店主は語った」とのこと。
 「書物の周囲」p.38-39では、津田良樹,渡邊奈津子 編集・執筆『海外神社とは? 史料と写真が語るもの』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2015.なるものが。2014年3月に開催された展示の図録とのこと。これは見たい、と思ったら、PDFでも公開されていた。ありがたや。 http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/c6j6oe000000034h-att/kaigaijinnjyatoha.pdf

2015/06/21

神里達博『文明探偵の冒険 : 今は時代の節目なのか』

神里達博『文明探偵の冒険 : 今は時代の節目なのか』講談社, 2015 (講談社現代新書)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883122
を読了。
 講談社『本』の連載(あとがきによると、2013年9月〜2014年12月とのこと)をまとめたもの。太陰太陽暦と太陽暦、占い、オリンピック、地震予知、STAP細胞などのトピックを、科学史や科学哲学の知見を盛り込みながら語るエッセイ、という感じ。
 副題にある「時代の節目」をキーワードとしつつも、実際に軸になっているのは、予想、予測、予知など、まだ生じていないことについての人々の思考のあり方だろう。今が「時代の節目」であるかどうかは、未来における評価を待たなければならないわけだが、それを今の時点で考えること自体が、結果として未来を考えることになる。
 実際に語られる題材は様々だ。「未来に対する人々の期待の様式」を、未来のあるポイントで何かが生起することを期待する「プロフェシー(予言)型」と、時代の節目を意図的に生起させることを期待する「プロジェクト型」にタイプ分けした上で、それぞれの特徴を論じた「卯の巻」や、川口浩探検隊を例に、科学における「面白さ」の必要性を語る「酉の巻」、起承転結と、Introduction-Body-Conclusionとの構造の違いから「物語」と「非物語」を峻別することを重視する西洋の知識人の姿勢を論じる「戌の巻」などなど。ずっと前にちらりと触れられた題材が、後の伏線になっていたりと、連載時ならもっと楽しめたであろう仕掛けも組み込まれていたりもする。
 歴史を振り返ることの重要性と有効性を(その限界も含めてだが)語っていたり、全体としてのトーンは一見前向きだが、そこここに著者の危機感が顔をのぞかせるところに味がある。
 特に、日本の現状に対する、
「より基底的な問題は、自らが情緒的・感情的なもの「ばかり」に突き動かされていることに、あまりに無自覚な人が多過ぎること、ではないだろうか。いずれそれは致命的に効いてくるのではないか、と不安になる。」(p.185)
という言葉が、何とはなしに心に残っている。

2015/03/01

東方 2015年3月号[409号]

 東方書店の『東方』2015年3月号[409号]をざっと読んだので気になった記事の感想等をメモ。

○本田善彦「世界の華人フォーラムを目指して ―『思想』編集陣と語る―」p.2-7
 『思想』といっても、岩波のあれではなくて、台湾で年平均3号ペースで発行されているという思想誌、とでもいえばよいのか。歴史・哲学から時事問題までカバーするとのことで、日本だと、総合誌ということになりそうだが、今の日本の総合誌とはちょっと違う印象。書店で長期間扱ってもらうために、あえて定期刊行の雑誌という形態をとらない、というあたり、時事問題を扱うにしても、ジャーナリスティックというよりも、より深い分析を重視していることがわかる。世界の華人の「共通の知的交流の場」を目指して、書き手も台湾に限らず、大陸、香港、北米と多様とのこと。
 読んでいて、日本語ではこういう、何となくみんな注目してる、的なメディアはもう難しいのだろうか(ネットを中心に色々な試みはあるけれど)、と思ってしまった。

○渡辺健哉「島田正郎が残したものと契丹国研究の現在――島田正郎著『契丹国』の新装版刊行によせて」p.8-13
 島田正郎『契丹国 : 遊牧の民キタイの王朝』(東方書店, 1993)が、著者の「回想」等を付して再刊されたことを受けての紹介。特に「回想」の紹介は、戦前期の東洋史研究において、実際にそこに(比較的容易に)行ける、ということが持っていた意味を浮かび上がらせていて興味深い。なお、島田が戦前期に参加した中国東北部における遺跡調査時の資料の一部は明治大学におさめられたとのこと。
 あと、本稿の著者(渡辺氏)が、関野貞、常盤大定らによる戦前期の東洋史研究について、継続的に調査されていることを初めて知った。満洲国絡みの話が出てこないかどうか、今度論文読んでみようかな。

○瀧本弘之「中国古版画散策(2) 『仏国禅師文殊指南図讃』 ―「入法界品」にあらわされた可憐な童子の求道遍歴―」p.14-17
 古版画と言いつつ、挿絵入り古版本を紹介。漢籍関係者は必見かと。今回は、宋刊本と思われる『仏国禅師文殊指南図讃』(善財童子の話、と言えば分かる人は分かるか)を紹介。なお、使われている図版は、民国初期に来日していた羅振玉が見出した「宋版」(実際には宋版を元にした和刻本らしい)で、現在は大谷大学図書館が所蔵しているものとのこと。

○丸川知雄「「コワントン省」「チュー川」など、日本の地理教科書で珍妙な中国地名表記がされている由来を探求」p.33-37
 明木茂夫『中国地名カタカナ表記の研究 教科書・地図帳・そして国語審議会』(東方書店 ,2014)の書評。しかし、中学・高校の地理教科書や地図帳で、中国語の地名が基本カタカナ表記に統一されていたとは知らなかった。中国史ネタの歴史ものとか場所が全然分からなくなる、ってことだよね、それ…。
 本評によると、中国地名をカタカナ表記することについては、国語審議会での議論が基礎となり、昭和53年、平成6年に財団法人教科書研究センターから発行された『地名表記の手引』が決定的な影響を与えた、とのことだが、その背景が、「日本語の中の漢字使用を制限し、いずれは廃止しようとする動きの一環」とは…。このあたりは、『中国地名カタカナ表記の研究』自体を読んでみないと詳細は分からないが、漢字廃止論がこんなところに影響を与えていたとしたら、かなり根が深い問題かもしれない。

 他にも記事・連載・書評があるけど、メモとしてはこんなところで。

2015/02/24

日本古書通信 2015年2月号 [1027号]

日本古書通信 2015年2月号 [通巻1027号]を読了。
以下、いくつかの記事についてメモ的に。

○塩村耕「大身旗本の俳諧日記『都の伝』について」p.2-4
 岩瀬文庫の悉皆調査の中心となられている塩村耕氏が、東京古典会の大市(古典籍展観大入札会か)で入手した資料を紹介。『都の伝』は、本稿によれば、江戸幕府の大御番頭であり、立羽不角門下の俳人でもある、杉浦出雲守正方(俳号は円水堂方角)が享保14年(1729)に京都在番となった際の見聞記とのこと。赴任の際の道中での見聞や、象が渡来したさいの京都の大騒ぎっぷりなど、興味深い内容が紹介されている。
 岩瀬文庫で別の不角門下の俳人による俳諧紀行を実見していたことが、今回の落札入手につながったとのこと。「岩瀬文庫の恩恵は海よりも深い」という一言の実感度が凄い。

○秋山豊「本と出会うということ 漱石『草枕』引用の原点」p.7-9
 『夏目漱石周辺人物事典』を話の枕にしつつ、漱石が引用した漢文のネタ元であった『宋元明清名家文鈔』にたどり着くまでの過程を語り、さらに話は、全集収録の漱石の蔵書目録に記載された同書の書写者・佐藤友熊の略歴と、友熊と漱石との交流に及ぶ。友熊は、肺病にかかった息子たちの療養のためか、千葉の海辺に住んでいた際に関東大震災による家屋の倒壊で亡くなっている。末尾「その最後を思うとき、熱いものが胸をよぎる」、とあるそのすぐ後に、編集部による「秋山豊氏は去る一月二十一日逝去されました」との記述が続く。何ということか。
 ただ、仙台の文学館の漱石文庫からコピーを取り寄せた、というのは、東北大学附属図書館のことではなかったか、と思うのだが……

○川島幸希「『月に吠える』の論文 弥永徒史子さんの思い出と共に(前編)」p.10-13
 牧義之『伏字の文化史 : 検閲・文学・出版』(森話社, 2014)第3章(読んでないけど)における『月に吠える』初版の内務省への納本のタイミングに関する記述に関して、多数の『月に吠える』初版本を実見してきた立場から、根本的な疑問を呈す、というスリリングな一篇。田中清光『月映の画家たち 田中恭吉・恩地孝四郎の青春』(筑摩書房, 1990)で紹介されたという、『月に吠える』の納本日付についての決定的ともいえる恩地孝四郎の日記の記述への参照がないことについて、「随所に緻密な論証を展開する牧氏が、自説と相反する重要な一次資料の存在を知っていて取り上げなかったとは思えないのだが」と、突っ込みを入れるあたりは、突っ込まれているのが自分でないと分かっていても胃が痛くなりそう。
 それにしても、国会図書館本だけに依拠した議論が、出版史研究においては、いかに危険か、ということがよく分かる。

フル本こそルフ本!`・ω・´)o:「納本刷」と流布本の関係(古本おもしろがりずむ:一名・書物蔵)
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20150216/p1
川島幸希「『月に吠える』の論文」が出た(漁書日誌 β.ver.)
http://d.hatena.ne.jp/taqueshix/20150215/1424021760

も参照のこと。

○西村成雄「歴史家の本棚 第Ⅱ架(49)中国近代東北地域社会の鼓動をさぐる」p.14
 『中国近代東北地域史研究』(法律文化社, 1984)、『張学良 : 日中の覇権と「満洲」』(岩波書店, 1996)等の著者による自らの研究史の回顧と展望。張学良との面談につながった人脈についての記述あり。

○内田誠一「短冊夜話(2)森村大朴が栗林公園を詠じた漢詩短冊」p.15
 高松藩主生駒高俊が築庭した栗林荘(現・栗林公園)を題材にした、尾張藩儒・森村大朴(1812-1896)の漢詩短冊の、栗林公園を実見しての解説。詩に描かれた、レンゲソウかと思いきや、実は緋鯉だった、という鮮やかな情景が印象的。

○加納一朗「めぐりあった探偵作家の巨星たち 8 香山滋」p.20-21
 戦後の混乱期からの香山滋の作品や活躍とともに、ゴジラについて紹介。何故か池田憲章『ゴジラ99の真実』(徳間書店, 2014) http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198638382 が紹介されている。

○「談話室」p.21
 3人の常連執筆者の訃報について。2014年12月17日に中野書店中野智之氏、2015年1月21日に秋山豊氏、同1月29日に上笙一郎氏が亡くなられたとの記述。残念としか言いようがない。ご冥福をお祈りいたします。

○岡崎武志「昨日も今日も古本さんぽ 第52回 「青春18」を使って、ちょいと遠出 茨城県・竜ケ崎「リブラ」古本市
 関東鉄道(常磐線佐貫駅で乗り換え)竜ケ崎駅近くのショッピングモール「リブラ」( http://www.rsc.co.jp/ )を侵食しつつある古本市についてのレポート。「学校のプールを独占で使うという気分で、古本のなかを泳いでいく」という表現がそそる。「つちうら古書倶楽部」とセットで行ってみたいが……

○木村八重子「未紹介黒本青本 55」p.30
 国立国会図書館所蔵の「化物三ツ目大ほうい」 http://id.ndl.go.jp/bib/000007313613 のタイトルが実はまったく別物であったことを明らかに。実は「妖相生の盃(ばけものあいをいのさかづき)」 http://id.ndl.go.jp/bib/000007313598 と同じものだったとのこと。しかも仮題とした登場人物は「ほうい」ではなく、「ほうつ(坊主)」だった…。まあこの崩しだと「い」と読みたくなるのは分かる(図版あり)。

○「書物の周囲」p.42
 土浦市立博物館, 日野市立新選組のふるさと歴史館, 壬生町立歴史民俗資料館, 板橋区立郷土資料館 編刊『幕末動乱 : 開国から攘夷へ』(2014) http://id.ndl.go.jp/bib/025746446 が紹介されている。あれは面白い展示だった。幕末では注目されることの少ない、江戸近辺の動向に焦点を当てたところがポイント。

○「受贈書目」p.43
 山口静一『三井寺に眠るフェノロサとビゲロウの物語』(宮帯出版社, 2012) http://id.ndl.go.jp/bib/023626846 はフェノロサらが三井寺に葬られるに至った経緯を追ったものとのこと。明治18年にフェノロサ、岡倉天心が巡回中の三井寺の阿闍梨桜井敬徳によって受戒し、仏教に帰依したのは、町田久成の東京小梅の別邸だった、というエピソードが紹介されていて、気になる。
 木村八重子 編・中野三敏 監修『ホノルル美術館所蔵 黒本青本』(九州大学ホノルル美術館所蔵和本調査団, 2014) http://id.ndl.go.jp/bib/025884445 も目を引く。ホノルル美術館の黒本青本コレクションは、「リチャード・レイン氏が蒐集したもので、端本が目立つが他に見ない本や希少な本・零葉も多い」とのこと。

 他にも色々記事はあるが、この辺で。

2014/12/20

河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』

 またえらく間が空いてしまった。
 河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版) http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html をようやく読了。途中、風邪引いたり色々調子崩したりしながら読んでたので、時間がかかってしまった。
 出版社のサイトにもPDFが掲載されている「はじめに」 http://www.nakanishiya.co.jp/files/tachiyomi/9784779508783hajimeni.pdf には、「初学者にむけて、この分野の持つ裾野の広がりと、現在における研究の大まかな到達点を示す」という「狙い」が書かれているのだけど、正直「初学者」レベルたっけーな、おい、という気分になるところもちらほら。とはいえ、これからこの分野に挑戦しようとする人に対して、変にハードル下げない、というのは、学生向けだとしたら正しいのかも。
 目次は、出版社のサイト http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html を参照してもらうとして、大ざっぱに言うと、特定の主題に関する同時代の複数の人物による議論を対比的に紹介することで、(1)その主題が抱える論点、(2)それぞれの人物の論が持つ特徴、(3)人物たちが置かれた時代状況、といった点を浮かび上がらせる、という組立はだいたい共通してるのかな、という感じ。ただ、どこに重点を置くかはそれぞれ論者で違う。
 論者によっては、さらにそこに「通説」や先行研究との対比が加わる。例えば、高山大毅「制度 荻生徂徠と會澤正志齋」では、荻生徂徠なので、丸山眞男が召喚されたりして、日本思想史における主要な参照枠が何となくそこここに見えるようになっている……んじゃないかな。主要な参照枠自体に関する知識自体が薄いので、たぶん、だけど。
 そんな感じで、色々配慮された論集なのだけれど、素人読者としては、三ツ松誠「宗教 平田篤胤の弟子とライバルたち」で、明治初期の段階での神道家たちの分裂と対立による自滅っぷりを面白がったり、河野有理「政体 加藤弘之と福澤諭吉」で、加藤弘之って結構論旨一貫してんだな、と関心したり、王前「二十世紀 林達夫と丸山眞男」で、林達夫格好いいぜ、とか思ったりするばかりなのだった。申し訳ない。他にも、尾原宏之「軍事 河野敏鎌と津田真道」での、徴兵制を巡る明治期の議論のレベルの高さにぶっとんだり、趙星銀「デモクラシー 藤田省三と清水幾太郎」で60年安保における清水幾太郎の目的達成できなきゃ結局負けだろ的な発言に共感したりと、色々楽しかった。
 そういえば、長尾宗典「美 高山樗牛と姉崎嘲風」での日露戦争のように、複数の論者に共通する隠し(?)テーマとして、それぞれの時代における「戦後」というのもあったかもしれない。戦争だけではなく、安保のような広範な社会的運動や事件の後、という場合も含めると、思想史の持つ、大きな歴史的転換点に直面した人々が、それをどう受け止め、何を考えたのかを論じる学問という側面を楽しむ、という読み方もできるかも。
 ボーナストラック的に入っている、河野有理・大澤聡・與那覇潤「【討議】新しい思想史のあり方をめぐって」は、ほぼ同世代の三人の論者が、どのような体験を経ながら研究者となったのかを語りつつ、現在の学問状況を論じる、という趣向。ただ、初学者用に人名・用語解説が欲しかった気が。同時代性・同世代性が強くて難易度高い……。とはいえ、日本史・日本思想史周辺の、人文系学会の現状がちらちらと見えて、やじ馬根性的には興味深かったり。2000年前後の人文系学問状況に関する証言として、後で貴重になるかも。
 共通する人物や主題が複数の論考に登場することもあって、ちゃんと巻末に人名・事項索引があるのはさすが。各論考にあげられたキーワード(言語、風景、政体、美、正閏、イロニー…)に興味があったり、人名(本居宣長、阪谷素、福澤諭吉、高山樗牛、保田與重郎、山本七平…)に関心があったら、そこから拾い読みしてみるのが良いかと。ただ、「初学者向け」であって入門書ではないかもしれない。

2014/08/11

富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』

 さて、予告通りに、富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』新書館, 2014. https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21106-5/について書いてみる。
 困ったことに、自分がどういう経緯で富士川英郎(ふじかわ・ひでお, 1909-2003)という名前を知ったのか、どうしても思い出せずにいる。
 富士川英郎の父、富士川游(ふじかわ・ゆう, 1865-1940)の名は、日本医学史の大家として学生時代から知っていたが、富士川英郎の名を認識したのは、もっとずっと後のはずだ。まだ10年と経ってはいないように思う。誰かのエッセイか何かで紹介されていたのを読んで、興味を持ったのだと思うが、どうにもよくわからない。
 と思ったら、同じようなことを、2010年にも同じようなことを書き出しで書いていた(http://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2010/05/post-900a.html)。我ながら本当に進歩がない。

 ともかくも、私にとって、富士川英郎は、江戸後期の漢詩人への道案内人であり、また、優れた、かつ、入手困難な(コレクター心をそそる)随筆集の書き手であった。残念ながら、ここ数年は富士川英郎本を入手できていないが、それはまあ、時の運なので、気長に楽しむことにしている。
 そういえば、富士川英郎のご子息である富士川義之氏(ああ、敬称の使い方がなんだかぐちゃぐちゃに…)も学者であることも、どこで読んだのか…猫猫先生のブログだったような気もするが、これまたよく覚えていない。2012年の日本医史学雑誌(58(4) http://ci.nii.ac.jp/naid/40019550492)に、日本医史学会平成24年4月例会 シンポジウム「富士川游先生と富士川英郎先生」の抄録が掲載されており、この中に、富士川義之氏の報告が掲載されていたのは覚えているので、この時には既に認識していたのだろう。
 後書きによると、この『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』の最初の部分は、今はなき新書館の『大航海』68号(2008年10月)から71号(2009年7月)に掲載されたものを元に加筆した、というから、もしかすると、それを掲載時に読んで、富士川英郎という名前を覚えたのかもしれない。いや、富士川英郎の名は既に認識していて、こんな連載やってたのか、と驚愕したような気もしなくもなし……うーむ、ダメだ、こりゃ。

 さて、というわけで、本書は、著者の父親の評伝、ということになる。しかも、富士川英郎は、富士川游著作集の編者であり、富士川游の業績の再評価に尽くしたことから、結果的に、祖父についても、本書で多くを語っている。
 そして、本書では、富士川英郎という人物について直接語られるだけではなく、富士川英郎の代表的著作のエッセンスが紹介されている。富士川英郎著作集がもし編まれるとしたら、本書はその格好のガイドブックになるだろう。
 例えば、富士川游と森鷗外(富士川游は、森鷗外の史伝執筆のための調査や資料探索に協力していた)が親しげに話す姿を目撃した幼き日の英郎の印象や、萩原朔太郎の詩と出会って詩に開眼していく青年期の様子などが、英郎自身の筆による回想を見事にまじえながら、丁寧に辿るように詳細に語られていく。特に後半は、代表的著作の内容を紹介しながら、その魅力と、富士川英郎の著作の魅力を詳細に解き明かしていて、まだ見ぬ多くの著作への夢が膨らむ。
 結果として、本書はリルケを始めとするドイツ詩の綿密な注釈・解釈を行い、森鷗外の史伝に傾倒しそしてその方法論を自らのものとしながら、江戸後期の漢文学の最善の部分を現代に継承しようとした富士川英郎の遺したものについての最善の入門書であり、解説書になっている……と思う。そもそも、富士川英郎の著作で自分が読んだことがあるのは、ほんの一部でしかないので、そもそもが判断などできようがないのだけど。
 一方で、評伝にしては、著者の富士川英郎に対する視線はなんとも複雑だ。ところどころに現れる、父と自分との関係を問い直す記述は、自分自身の奥底を見つめ直すかのような、重苦しさを時にまとっている。しかし、そこがまた、本書のおいしいところでもある。本書で語られている、森鷗外の史伝をモデルとしたという、ひたすら事実を積み重ねていく富士川英郎の菅茶山伝のスタイルとは異なり、著者の主観が顔を出し、その主観の向こう側に、ストイックで静かな印象の富士川英郎の随筆とは異なる、語り、生活する富士川英郎の姿が、本の少し、読者であるこちらにも見えてくる……ような気がするのだ。

 それにしても、本書を読んで驚愕したのは、富士川英郎が教養学部の教授として活躍していた、ということだったり(いや、もっと早く認識しようよ、と自分に突っ込んだ)、自分が駒場キャンパスに通っていた間に、退職してずいぶん経った後ではあるが、講演をしていたという事実であった。もったいないことをした、とも思うが、学生時代の自分は、興味は持たなかっただろうな、とも思う。年を食ったから面白いと思うようになるものだってあるんだからしょうがない。
 自分には、富士川英郎のように、「淡々と自分の好むことについてだけ書」(p.387)き、「自然の流れのままに生きる」(p.424)ような、生き方はできそうもない。けれども、富士川英郎が既に失われて久しい江戸期の文人たちの交流をいとおしんだように、本書を通じて、最後の文人の生き方に勝手にあこがれることくらいは許されるだろう。
 そんなこんなで、古書店や古本まつりをのぞきながら、富士川英郎の随筆集を探す楽しみはこれからも続くのである。

2014/07/12

富士川英郎『鷗外雑志』

 富士川英郎『鷗外雑志』小沢書店,1983. http://id.ndl.go.jp/bib/000001634308 をようやく読みえた。富士川英郎(1909-2003)は、ドイツ文学者であるともに、江戸時代後期の漢詩の紹介に活躍し、また、文学や書物を題材にしたエッセイを多数残したことでも知られる。
 まずは目次を書き起こしておこう。


森鷗外の史傳をめぐって
『伊澤蘭軒』のこと
『伊澤蘭軒』をめぐって


森鷗外と三村竹清
森鷗外と呉秀三
森鷗外と喜田貞吉

あとがき
初出一覧

 実は、子息である富士川義之氏による『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館, 2014)の方を先に読み終わっていて、そちらの感想を書こうと思っていたのだが、近所の図書館でこの『鷗外雑志』があるのを発見して、うっかり読み始めてしまったのが運の尽き。富士川英郎の本は、斜め読みができない。引用と細部にこそ味わいがあるタイプの書き手なので、読むのにどうしても時間がかかってしまう。
 富士川英郎が鷗外の、特にその史伝に特別な思い入れがある、ということは、実は『ある文人学者の肖像』を読むまで認識していなかったのだが、考えてみれば、鷗外の史伝の対象は医家でもあり、英郎の父である富士川游が、鷗外と同時代を生きた医学史研究の大家であったことを考えれば、結びつきを思い浮かべないこちらが間抜けというものだろう。
 といっても、そもそも、実はまだ鷗外の史伝を読んでないんだから、気付かなくて当たり前といえば当たり前か。実は、本書で最大のページ数をとっているのは、岩波版第三次鷗外全集の月報に連載された「『伊澤蘭軒』標注」から再構成された「『伊澤蘭軒』をめぐって」なのである。ここでは、鷗外の『伊澤蘭軒』における考証の遺漏を補い、鷗外の時代には知られていなかった関連の資料を紹介したり、鷗外の考証の誤りを、原資料を読み直すことで正していく作業が淡々と行われている。
 間抜けな話だが、本体を読まずに、標注だけ読んだわけだ。ところが、これが案外面白い。現在と比較すれば検索ツールもほとんど整備されていない状況で、鷗外がどれだけの資料と情報を集約し、考証を進めていったのかが、その鷗外の解釈を踏まえた上で、さらに考証を深めていく富士川英郎の淡々とした筆致から、返って浮かび上がってくる、といえばよいか。
 しかも、そこに登場するのは、狩谷棭斎、屋代弘賢、大田南畝といった、江戸期の定番文人連であり、鷗外説に検討を加える森銑三だったりするのである。なんだよ、鷗外の史伝って、案外、自分の領域に近いとこだったんじゃないの、という気分が高まってくるのだが、とても注釈なしに読みこなせる自信がない。誰かどの版で読めばよいか教えてくれないものか。

 一方で、鷗外がどのように史伝に必要な情報や資料を集めていたのかを解き明かしているのが、「森鷗外と三村竹清」「森鷗外と呉秀三」といえるかもしれない。後者、呉秀三は医学ルートで鷗外と接触あっても別におかしくないよな、という感じだし(実際には、鷗外の弟の森篤二郎が、呉秀三と医学部の同窓でそこからの縁とのこと)、呉も医学史研究をやってた時期があるので、何となく納得なのだが、三村竹清には驚いた。
 竹清についての紹介は、富士川英郎の筆を借りるとしよう(漢字は新字体に改めた)。

「三村竹清は名を清三郎といい、東京の京橋八丁目の竹屋の主人であった。幼いときに両親を失い、十二歳で小学校を退学して、丁稚奉公にでたというような経歴の持主でありながら、生まれつき頭が良かったうえに、読書好きであったせいか、のちには和漢の書物にわたって、その造詣には量るべからざるものがあったという。…(中略)…その学問には別に千文がなく、江戸時代の雑学者の伝統のうえに立っていた最後のひとりで、森銑三氏は、「京伝、種彦の系統を引く江戸の雑学が、伝えられて(三村)翁に至り、そこでぷッつり切れてしまつた形である」と言っておられる。」

 富士川英郎は、残された書簡や、日記、回想などから、鷗外と竹清の交流と、二人の間で鷗外の史伝の材料となる様々な資料や情報がどのようにやりとりされたのかを、多くの引用と考証によって解き明かしている。これを読むと、図書館や参考図書、検索ツールが整備されていない状況で、どのようにして鷗外が江戸時代の人物の事細かな事跡を明らかにしていったのか、その過程や手法が、部分的にせよ見えてくる。
 あることがわからない場合には、知っていそうな人に片っ端から手紙を送り、本人は分からなくても知っていそうな人を紹介してもらい、またその人に手紙を書く。関連する資料があるとわかれば、それを持っている人を探し出し、借りて写しを作る。史伝の対象の遺族・子孫を探し出し、その人たちの話を採取する。そういったことを地道に鷗外は行っていたのである。
 特に人的ネットワークは強力で、呉秀三や富士川游ら、一流の学者たちが、鷗外の質問を受けて、それぞれの知識や調査結果を鷗外に送り返していた。まあ、鷗外に、これ知らない?、と聞かれたら、つい調べたくなるのもわかるような……。
 そうした人的ネットワークが大学アカデミズムの枠を飛び越え、市井の学者である三村竹清にも届いていた、というわけだ。竹清は、鷗外の質問に答えるだけではなく、新聞での史伝連載をリアルタイムで読みながら、疑問点や誤りの指摘などの手紙を随時送り、鷗外もそれに謙虚に応えていたことを、富士川英郎は淡々と紹介している。
 最後の「森鷗外と喜田貞吉」は、歴史学者喜田貞吉と鷗外との交流を紹介する小文。こちらは史伝絡みではなく、帝室博物館長時代の鷗外と、京大時代の喜田貞吉が、正倉院の曝涼の際に結んだ交流が語られ、これはこれで、博物館史的にも、歴史学史的にもちょっと面白いエピソードかもしれない。

 さて、次は『ある文人学者の肖像』の感想に手を付けたいところだけど、だんだん忘れてきてるぞ。大丈夫かなあ。

(2014年7月14日追記。若干、誤字等修正しました。まだありそう…。)

より以前の記事一覧

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Creative Commons License

無料ブログはココログ