2018/03/27

泉屋博古館分館(六本木)「生誕140年記念特別展 木島櫻谷 PartⅠ 近代動物画の冒険」

先日、泉屋博古館分館「生誕140年記念特別展 木島櫻谷 PartⅠ 近代動物画の冒険」(2018年2月24日〜4月8日)に行ってきた。六本木の方の泉屋博古館 https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/index.html である。

木島櫻谷(このしま・おうこく,1877-1938)については、丸善・丸の内本店で開催された、第29回慶應義塾図書館貴重書展示会「古文書コレクションの源流探検 -反町十郎、反町茂雄、木島誠三、木島櫻谷、そして…」(2017年10月4日〜10月10日)で、現在は慶應義塾大学所蔵となっている反町文書の一部を成している、木島誠三による古文書コレクション構築のパトロンだったと推定されていたことと、同貴重書展のギャラリートークで、木島櫻谷旧蔵の江戸漢詩文コレクションが現在も櫻谷旧邸に未整理のまま残されている、という話を聞いたことで強く印象に残っていた。

実は、過去のツイートを確認してみたら、泉屋博古館分館の2016年の展示、「住友春翠生誕150年記念特別展 バロン住友の美的生活 ―美の夢は終わらない。 第2部 数寄者住友春翠 ―和の美を愉しむ」(2016年6月4日~8月5日)でも、住友春翠が、現在の大阪市立美術館の敷地にあった茶臼山本邸のために櫻谷に描かせた大作屏風を見て、印象に残ったことをメモしていたのだけど、検索してみるまですっかり忘れていた。

外部記憶は大事だなあ。なお、茶臼山本邸のために描かれた大作屏風は、4月14日からの櫻谷展Part II 「木島櫻谷の「四季連作屏風」+近代花鳥図屏風尽し」で展示されるようなので、又も泉屋博古館分館に迷わずゴーである。

さらに言うと、今回の櫻谷展のパネルに、平安読書室の山本渓愚(章夫)に師事したことが書かれていて、あれ、どこかでこの話、見たことあるぞ、と思ったら、京都文化博物館の2016年の特別展「江戸の植物画」(2016年4月29日〜6月26日) http://www.bunpaku.or.jp/exhi_kikaku_post/edo_syokubutsu/ だった。

今回の櫻谷展の図録には、参考として京都府蔵(京都文化博物館管理)の「群芳之図」の図版が掲載されていて、おお、文博で見たのこれだよこれ、ということで、今までバラバラに何となく印象に残っていた事柄が、やっとつながった感じ。

整理すると、木島櫻谷は、

○江戸期において小野蘭山後の京都本草学の中心となった、平安読書室の明治期における門人
○住友春翠の依頼を受けて大作を制作するなど、住友家との関わりがある
○櫻谷の養子となった日本史学者・木島誠三の古文書蒐集のパトロンだった?
○残された櫻谷のコレクションには江戸漢詩文や漢籍が多数残されている模様だが現在調査中でまだ全貌は不明

という人物、ということになる。

櫻谷といえば、今回の展示のタイトルからも分かるように、動物画の名手として知られており、平安読書室における博物画の伝統との関係も気になるところだが、櫻谷が通っていた明治20年代半ばの平安読書室は漢学塾であって、本草学について櫻谷が学んだという話は出てこないようだ。ただ、櫻谷の日本画の師である今尾景年(1845-1924)は、若い頃に平安読書室で本草学を学んだそうで、江戸期の博物画の伝統が景年を経由して櫻谷に受け継がれている、という線もあり、という感じである。とはいえ、櫻谷に対する平安読書室の影響は、むしろ漢文・漢籍の受容・蒐集に表れている可能性の方が高そうで、ここは櫻谷文庫 http://www.oukokubunko.org/ に遺されているという漢詩文・漢籍の整理・分析が進むことを期待したい。

さらに、今回の展示では、木島櫻谷についての新たな注目点が明らかになっている。櫻谷に送られた、大正11年の京都市立紀念動物園特別優待券(要するに年間パス)が展示されているのだ。加えて、櫻谷文庫に残された大量の写生帖の一部が展示され、動物園におけるスケッチがあることが明確となっている。つまり、日本の美術における、動物園の受容と影響が、櫻谷を通じて見えてくる可能性がある、ということだ。
考えてみれば、生きたライオンや熊の姿を直接かつ長時間観察して描く、といったことは、動物園ができるまでは基本的に不可能であったわけで、関西圏における博覧会における動物展示や、動物園の整備が、櫻谷の画題を拡げる役割を果たしたことはおそらく間違いないだろう。
動物園が果たす社会的役割は、時代に応じて変化してきているが、近代の日本美術において動物園が果たした役割、ということを考えるという意味でも、櫻谷展は必見だと思う。
個人的な感想でしかないが、写生帖では客観視されている動物が、作品として描かれる段になると、明らかに表情や何かしらの感情を持つ存在として描き出されているように見受けられた。動物をありのままに描くのではなく、人物と同様にある種のキャラクターとして描いていることについては、賛否両方の評価があり得ると思うが、現代の方がキャラクター化された動物表現が抵抗なく受入れられる素地はあるのかもしれないな、という気がした。

展示図録も必見で、櫻谷の生涯と業績を整理した、実方葉子「画三昧への道、ふたたび—木島櫻谷の生涯と動物画」p.8-19.や、櫻谷の代表作の一つで夏目漱石がボコボコに酷評したことで知られる「寒月」を軸に、同時代に制作された下村観山、菱田春草らの樹林図表現との関連を論じる、中野槙之「明治末の樹林図—落葉と寒月の周辺」p.87-93.など、読みごたえのある論考が多い。関心のある向きはぜひ入手を。

あと、会場では、晩年の櫻谷と家族を撮影したモノクロ・サイレントのホームムービーが上映されいて、孫たちと戯れる櫻谷の好々爺ぶりと、櫻谷邸の庭と施設の充実ぶりをかいま見る事が出来る。
この映像に登場する木島櫻谷旧邸は2018年3月3日〜4月4日まで公開されている。時々公開があるようなので、櫻谷文庫 http://www.oukokubunko.org/ のサイトをご確認のこと。

2018/02/26

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」
日時:2018年2月11日(日曜日)13:30~17:00
会場:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum17.html

に先日参加してきた。
これまでの例からすると、詳細な報告書が今後作成されて、上記ページで公開されると思うので、詳しくはそちらを見ていただくとして、いくつか気になった点だけ、メモ的に書いておこうと思う。

まず、このイベントの性格について、確認しておこう。
配布資料の表紙に

企画運営:「文化資源学フォーラムの企画と実践」履修生

とあることから分かるように、このフォーラムは、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻という大学院の演習の一環となっている。
フォーラム冒頭の中村雄祐氏(同大学院教授)の説明によれば、M1、D1の学生が1年かけて企画を練り上げ、開催するという、人文系の大学院では珍しいタイプのグループ演習なのだそうだ。
あ、ちなみにこのメモでは、敬称は「氏」で統一するのでご容赦を。学生と先生とで区別しているとややこしいので。

修士1年の鈴木健吾氏による開催主旨説明では、テーマ設定に至るまでの過程も紹介された。候補としては、50年前の学生運動や、オリンピック・パラリンピックなどが候補になったそうで、運動と祝祭の対立という議論を経て、近代の周年行事を考察することになったとのこと。なるほど本当にグループ演習だ、という感じである。
また、開催主旨説明に合わせて、配布された学生による論集のダイジェスト的な報告もされていた。この学生の論集がなかなか面白いのだが、ネットで公開されるかどうか分からないので、目次を掲げておこう。

学生報告(1):「皇紀2600年」1940年
「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の絵画にみる〈日本的なもの〉の〈保存〉(大橋利光)
「紀元二千六百年祈念万国博覧会」における保守と進歩(石橋幹己)
紀元二千六百年記念行事を彩った音楽――国家による音楽利用(高橋舞)

学生報告(2):「明治100年」1968年
明治百年を巡る「歴史戦」(鈴木健吾)
明治百年記念事業と国立歴史民俗博物館(市太佐知)

学生報告(3):「明治150年」2018年
「明治150年」関連施策の概況(田中淳士)
「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈)
祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六)
松田陽准教授に聞く――「明治期の文化遺産を取り巻く状況と明治150年事業について」(聞き手:門脇愛)

さて、フォーラムの本体は、古川隆久氏(日本大学文理学部史学科教授)の講演「紀元2600年奉祝の諸相」と、佐藤卓己氏(京都大学大学院教育学研究科教授)の講演「記憶の歴史化イベントとしての明治百年祭」と、講演のお二人にモデレーターとして木下直之氏(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻教授)を加えたパネルディスカッション「明治150年について」の3部構成。
詳細は報告書で見てもらえば済むことではあるのだが、一応、ポイントだけ紹介しておくと、古川氏の講演では、経済効果を狙った万博、オリンピックが、紀元二千六百年記念事業に合流していく過程や、国家イデオロギー浸透策的性格が強調されがちな紀元二千六百年記念事業の中にも、当初から観光振興的な要素が含まれていたことなどが紹介されていた。記念式典の日は昼から酒が飲めると飲食店が満員、とか、神武天皇の聖跡を訪ねることを名目に奈良への観光に出かけるなど、戦時下の息抜きとして記念事業や式典を捉えていた様子も興味深い。
佐藤氏の講演では、トルコからの留学生トパチョール・ハサン氏の博士論文「戦後日本における近代化「記憶」と「場」の揺らぎ―メディア・イベント「明治百年祭」(1968)を例に―」の概要が紹介されていた。現在を象徴する1964年の東京オリンピックと、未来を象徴する1970年の大阪万博に挟まれ、同時代的には様々な議論を呼び起こし大規模な式典も開催されながら、現在はほぼ忘れられた存在となっており、過去を指向する「明治百年祭」について、背景や反対論、京都とハワイの事例にみる受容の多様性などが紹介されていた。なお、トパチョール・ハサン氏の博士論文の一部を構成すると思われる次の論文が公開されているので、そちらも参照いただくと良いかと。

「トルコ共和国百年祭(2023年)のメディア・イベント-明治百年祭(1968年)との比較分析から-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 61. pp.285-297.
http://hdl.handle.net/2433/196900

「戦後日本の記憶研究と歴史学者の記憶意識-明治百年祭(1968)を例に-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 63. pp.367-378.
http://hdl.handle.net/2433/219234

パネルディスカッションでは、木下氏から、神戸須磨浦公園の現在は「みどりの塔」と呼ばれる記念碑についての話が紹介された。みどりの塔の説明板には、戦後まもなく、26年にみどりの羽運動で造られたとの説明が書かれているが、実はその裏に、神武天皇の陶製のレリーフが残っていて、実はこの塔は紀元2600年の慶祝記念物として、神戸新聞社が力を入れて建設されたものである……という話で、終わるかと思いきや、木下氏の話はさらに続く。このみどりの塔に置かれていた地球儀の像が、阪神淡路大震災の際に落ちたことで、震災のモニュメントになっているという。一つのモニュメントが時代に応じて、意味を変えていく、という興味深い話だった。
その後は、紀元2600年、明治百年、明治150年のそれぞれに関連して、講演のお二人による議論が展開されたのだけど、詳細は報告書にお任せすることにして、特に明治150年とデジタルアーカイブに関する議論を紹介しておこう。
まず、何故デジタルアーカイブが話題になったのかを確認しておこう。学生の論集でも紹介されているが、明治150年関連事業においては、建築物でも、式典でもなく、デジタルアーカイブ事業が取り上げられていることが一つの特徴となっている。
ソースとしては、首相官邸ウェブサイトの

「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議/内閣官房「明治150年」関連施策推進室
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/

で公表されている、第8回「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議でとりまとめられた関連施策と、

明治150年ポータルサイト
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/

の「デジタルアーカイブ」からリンクされている各データベース等を参照いただきたい。
なお、学生の論集では、個別のデジタルアーカイブの整備から連携の重要性について議論が展開されていたり(「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈))、デジタル化を次世代の継承のためと位置づけていたり(祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六))という形で、デジタルアーカイブが取り上げられている。
シンポジウムでは、明治百年との比較として、民間での出版事業との対比がなされていた。明治百年では、岩波書店『近代日本総合年表』や、筑摩書房『明治文学全集』、原書房『明治百年叢書』などの、基本的な文献・資料集が民間から刊行されたが、明治150年ではこうした基礎資料的なものがデジタルアーカイブとして提供されようとしている、という話である。木下氏は、アーカイブ化の重要性とともに、何がアーカイブされるのかが問われる、という問題も提起していた。
また、明治150年において「記憶の道具化」を避けえるか、という問いについての、佐藤氏による回避しえない、という回答をきっかけとして、検証可能性が確保される形で、デジタルアーカイブ化が進み、基礎資料が誰が利用できる状況を作り出していけるのかという課題が、木下氏から示されていた。同じ時代、事象であっても、光の当て方で、まったく異なる歴史が浮かび上がる、という状況をどのように作り出していけるのか、という問いでもある。
その一方で、佐藤氏からは、デジタルアーカイブについて文化政策とメディア政策という観点から触れる場面があった。文化政策として取り組む場合には、良いものを選別する、という方向になりがちなので、アクセスを幅広く、多く増やしていくというメディア政策として取り組むべき、との提言である。日本がいかに情報のハブとして機能し得るのか、海外にどう発信していけるのか、というメディア政策的視点が不足しているし、問われているという話だった。
これを受けて、木下氏からは、何を公開するのか裏には何を公開しないのか、ということが隠れているとの指摘があり、その事例として、日清戦争・日露戦争の際に皇居敷地内に作られた戦利品を入れる蔵(「御府」)についての話が紹介された。台湾からは、Googleマップで今も存在が確認できるものの、戦利品そのものは宮内庁は存在していないとしているのだが、実は、宮内庁書陵部のデジタルアーカイブで、かつてのその蔵の写真が公開されていたという話である。
(なお、戦利品の一例としては、台湾から返還要求のあった「台湾民主国の国旗」が紹介されていた。同国旗は台湾総督府博物館時代に作られた複製が国立台湾博物館に遺されている。 http://www3.ntm.gov.tw/jp/Collect_4_1_2_50.htm
また、デジタルアーカイブに限定された話ではないのだが、日本の「強み」としてかつては重視されていた軍事という側面が、明治150年関連事業では様々な点で欠落している、という話も示唆的だった。

以上、雑駁なメモなのだけれど、時間もたってしまったし、いつまでも抱え込んでおいてもしかたないので、とりあえず公開しておく。

2017/07/01

虎屋文庫編著『和菓子を愛した人たち』

虎屋文庫 編著『和菓子を愛した人たち』山川出版社, 2017
https://www.yamakawa.co.jp/product/15104

虎屋文庫ホームページで連載されていた「歴史上の人物と和菓子」から、「百人の人物を選び、大幅に加筆修正して誕生」(p.2)したのが本書とのこと。
紫式部に始まり森茉莉まで、テーマごとに9章構成で、和菓子と様々な人物との関わりを紹介している。一人当たり、基本見開き2ページのコンパクトなスペースの中で、人物と和菓子を紹介しつつ、図版も豊富に使用。執筆・編集には相当の苦労があったのでは、と想像させられる。あくまで軽い読み物としての体裁が貫かれているが、それも深い調査と知識の裏付けがあってのものだろう。
教科書に載るレベルの著名な人物に加えて、淡島寒月『梵雲庵雑話』や、岩本素白「菓子の譜」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/001534/card52198.html )、金沢藩の支藩大聖寺藩の最後の藩主前田利鬯(としか)の日記(「御帰県日記」『加賀市史料 8』加賀市立図書館, 1988所収)など、様々な文献から菓子に関する記述が集められていて、それだけでも圧巻。
既に現在は作られなくなってしまった和菓子も多く紹介されているが、文献などから再現した図版や、現存する類似の菓子を併せて紹介するなど、往年の姿を想像できるような作りになっている。
巻末には、年表、索引(菓子名と人物名)、参考文献リストあり。
注目すべきは、デジタルアーカイブの活用ぶりで、図版には国立国会図書館所蔵の古典籍があちらこちらに顔を出し、大阪府立中之島図書館の人魚洞文庫データベース https://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/ningyodou-index.html や、中村学園大学の貝原益軒アーカイブ http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/ 、江戸東京博物館の目食帖(収蔵品検索 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/search から)など、デジタル化とインターネット公開の成果が縦横に利用されている。本書のような出版物に利用されるようになった、ということは、裏を返せば、デジタルアーカイブを提供する各機関は、取り上げられた各資料を安定的に公開し続けることを、あらためて求められているのだとも言えるだろう。
また、「あとがき」(p.290-291)では、各地の学芸員から教えられた史料の存在やエピソードなどがあったことが紹介されている。企画展示やホームページでの連載が、各専門機関・専門家とのネットワーク形成につながり、それがまた本書のような成果につながった事例としても、興味深い。
余談だが、本書を読んだら、ついでに国立国会図書館の電子展示本の万華鏡「あれもこれも和菓子」 http://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/25/index.html もぜひ。

2017/06/25

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)
http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/0602/

のポイントを、メモと記憶を頼りに。ちまちま直してたら、一週間かかってしまった。
 同展示の関連企画として、学芸部学芸員による土曜講座「尾張の本草学と博物図譜」が、2017年6月18日(日)午後1時30分〜3時に開催されていて(通常は土曜開催なのだが、都合で日曜だった模様)、たまたまこれも聞くことができたので、そこで聞いた話も組み込みつつ、自分なりに見どころを整理しておきたい。
 なお、あくまでメモと記憶を元にしているので、正確ではない点も多々あるかと思う。その点,ご容赦いただきたい。当然ながら、私的メモであって公式情報ではないのでご注意を。
 タイトル等は会場で配布されていた展示リストを参照した。また、上記の土曜講座で配布されたレジュメと講演時にとったメモも適宜参照している。
 生没年などは、磯野直秀『日本博物誌総合年表』(平凡社, 2012。文中では「磯野年表」と略記。)を参照したが、一部ネット情報を参照したものもある(その場合には参照先のURLを注記)。
 なお【 】内は、個人的に確認したり、気になった内容を書き込んでいるので、展示そのものとは切り離して読んでいただいた方がよいかと。

 さて、中身に入る前に「江戸の生きもの図鑑」展について、個人的に感じたすごい点をまとめておこう。

すごい①
 蓬左文庫、岩瀬文庫など、愛知県及び尾張徳川家関連の代表的なコレクションの所蔵品を一度に見られる。

すごい②
 現在は西洋植物学の移入に活躍した点で評価されることの多い、伊藤圭介、飯沼慾斎らの近代植物学的な面に限定されない多様な活躍を確認できる。

すごい③
 尾張の本草学者グループ、「嘗百社」の草創期から近代に至るまでの代表的学者の活動を概観できる。

 これで図録があれば完璧!、という感じなのだけど、そこはやむなし。

 展示の全体の構成は次のとおり。

一、美しき図譜
二、日本の本草学略史
 Ⅰ 江戸時代前期
 Ⅱ 江戸時代中〜後期
三、園芸の流行と植物図
四、尾張の本草学
 Ⅰ 本草学の展開
 Ⅱ 嘗百社と伊藤圭介
五、尾張の殿様と本草学

 展示リストによれば、総点数は70点。

 すごい①で述べたように、蓬左文庫所蔵資料はもちろん、名古屋市東山植物園、西尾市岩瀬文庫、雑花園文庫、名古屋市博物館など、愛知県内の各コレクションに加え、尾張徳川家第19代当主徳川義親ゆかりの資料を所蔵する徳川林政史研究所の資料が一同に並ぶ。

 「一、美しき図譜」では、岩瀬文庫所蔵の高木春山(?〜1852)自筆『本草図説』(1。以下同様に展示リストの番号を付す。)がいきなり登場。続いて、岩崎灌園(1786〜1842)『本草図譜』(岩瀬文庫蔵の2、蓬左文庫蔵の3)と定番もきっちり押さえる。

 注目は、すごい②で述べたように、名古屋市東山植物園蔵の飯沼慾斎(1783〜1865)『魚譜』(5)、『魚介譜』(6)、『禽虫魚譜』(7)で、植物画が取り上げられることが多い、慾斎の動物画に焦点を当てているところ。未製本の状態のものや、『慾斎翁遺物』という文字が(裏から透けて)見える仮綴状態の資料(魚譜(5))もあった。

 伊藤圭介(1803〜1901)関連では、名古屋大学附属図書館蔵『錦窠植物図説』(8)は、写本や印葉図、印刷物からの切り抜きなどを貼り込む形で編纂されたもの。
【蛇足。これを見ていたら、東京国立博物館の『博物館禽譜』等の『博物館○譜』を思い出した。編纂方法の類似性を感じさせる。こうした、様々な素材を組合せて、新しい編纂物を作り出していく方法論は、田中芳男が伊藤圭介から受け継いだものなのかもしれない、などと思ったり。】

 なお、伊藤圭介についても、植物ではなく動物を中心に紹介しており、いずれも名古屋大学附属図書館蔵の『錦窠虫譜』(9)、『錦窠魚譜』(10)、『錦窠獣譜』(11)が並んでいた……はずなのだが、既にどんな図だったのか記憶があやふやである。
 圭介所要の顕微鏡(12)は、徳川美術館のTwitterアカウントでも紹介されているとおり、今回の一押し展示品の一つ。

 土曜講座の方では、顕微鏡について、さらに詳しい説明があった。飯沼慾斎も同形の顕微鏡を所持しており、そちらも現存しているが、比較すると、圭介所用のものは交換レンズの記号などがアラビア数字で表示されているのに大して、慾斎所用のものはローマ数字で表示されているとのこと。同じカフ型顕微鏡といっても、同一ではない、ということが指摘されていた。

 その後は、正確な図を描くために絵師に入門して学んだという、京都の本草家の名門、山本読書室の山本章夫(1827〜1903)の図譜が並ぶ。『萬花帖』(14)、『果品』(15)(ブドウの美麗な図)、『禽品』(16)、『獣類写生』(17)と、いずれも西尾市岩瀬文庫蔵。
 
 「二、日本の本草学略史」は、『本草綱目』(18)、『大和本草』(19)など定番資料を蓬左文庫所蔵本で紹介した上で、西洋からの影響を、岩瀬文庫資料の西洋植物図譜からの写本や、宇田川榕菴『植学啓原』(23)、飯沼慾斎『草木図説』(24)で、紹介する、という流れ。

 「三、園芸の流行と植物図」では、名古屋園芸創業者による園芸関係資料の一大コレクションである雑花園文庫の資料を中心に、江戸期の園芸書を紹介。講座では、尾張本草学の第一世代の一人で御下屋敷内御薬園を管理していた、三村森軒(1691〜1762)による『朝顔名鑑抄』(29)において、文化年間の江戸でのブームにはるかに先駆けて、享保8年(1723)に変化朝顔についての記載がなされている点が、注目ポイントとして紹介されていた。

 「四、尾張の本草学」では、尾張本草学の中心人物たちの著作を中心に紹介。ここでは、すごい③の嘗百社関連資料が炸裂。すごい。
 例えば、尾張本草学において活発な議論が行われていたことを象徴する事例として、寛保3年(1743)から書物奉行を務めた松平君山(1697〜1783)による『本草正譌』(39)と、それに対する反論や補足をまとめた山岡恭安『本草正々譌』(40)を並べて展示。どちらも蓬左文庫蔵。講座では、さらに『本草正々譌』に反論した『本草正正譌刊誤』というのも出ていたことが紹介されていた。

 尾張本草学者グループの嘗百社を代表する水谷豊文(1779〜1833)の著作『物品識名』(41)は漢名と和名の対応をまとめたハンディサイズの資料で、「本草学者の必携書となった」と講座で紹介されていた。展示の蓬左文庫本は薄様紙に刷られており、展示では見えなかったが巻末に「尾州薬園」の印記のあるという特装本とのこと。

 伊藤圭介『泰西本草名疏』(46)も蓬左文庫蔵で、リンネ分類を示した二十四綱図が手彩色となっている献上本。

 『扇日光採薬目録・採集用心記』(49)は、伊藤圭介が三男の譲に贈った扇。かつて圭介が日光に採薬した際の採集品目を片面に書き出し(展示されていたのはこの面)、もう片面には採集時の注意事項を記したものとのこと。こちらは、名古屋市東山植物園蔵。

 雑花園文庫蔵『嘗百社交流申入状』(51)は、嘗百社が、様々な珍しい動植鉱物等の情報と現物についての交換を呼びかけたチラシ的なもの。水谷豊文の名前があり、嘗百社という名前が成立したと思われる文政年間から、豊文存命時のものと推定されていた。禽獣の場合には、剥製にして送ってほしい、としていて、その作り方なども簡略ながら説明されているのがまた興味深い。

 『乙未本草会物品目録』(52)は、嘗百社による天保6年(1835)の本草会の記録。展示されていたのは、蓬左文庫蔵で、浅井董太郎による献上本。全編手彩色という特製本(流布本に彩色はない)で、パネル展示もされていた。
【蛇足。浅井董太郎は、尾張藩奥医師を務めた名古屋浅井家の浅井紫山(1797〜1860)のことか。
日本掃苔録 浅井紫山 http://soutairoku.com/01_soutai/01-1_a/03-1_sa/asai_tonan_owari/asai_sizan.html の項を参照。】

 『吉田翁虫譜』(55)は、名古屋市博物館蔵。国立国会図書館所蔵本と比較すると、細密度で劣るとのことで、写本からの再転写ではないかと推測されていた。
【蛇足。吉田高憲(雀巣庵・1805〜1859)の著作で、展示されていたのは弟子の小塩五郎による写本。雀巣庵虫譜とも。国会図書館本は http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537382http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2607881 の少なくとも二種あり。磯野年表によると東京大学総合図書館本がもっとも伝存巻数が多いらしいが、OPACでは特定できなかった。田中芳男文庫か。】

 伊藤圭介が江戸・東京に転じた後も嘗百社で活躍した小塩五郎(1830〜1894)筆の『扶桑動物随観図説 魚之部』(56)も名古屋市博物館蔵で、愛知医学校の奈良坂源一郎旧蔵。東京帝大の田中茂穂によるという学名同定結果を記した付箋あり。
【蛇足。奈良坂源一郎(1854〜1934)は愛知医学校・医学専門学校(名古屋大学医学部の前身)で活躍した解剖学者。愛知県教育博物館に設立に関わるなど、博物館史の面でも要注目の人物の模様。
島岡眞「奈良坂源一郎関係史料目録(一) - 履歴関係資料のリスト及び解題 -」名古屋大学博物館報告. v.22, 2006, p.249-266 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.022.10
西川輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その1)」名古屋大学博物館報告. v.21, 2005, p.173-182 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.021.12

 徳川美術館蔵『百鳥図』(59)は、幕府所蔵の『百花鳥図』を借用して作成した写本とのこと。
【『百花鳥図』は元文2年(1737)に中国からもたらされたといわれるものか。尾張徳川家で作られた写本となれば、舶来した写本の姿をよく残している可能性もありそう。】

 「五、尾張の殿様と本草学」では、尾張徳川家に関わる資料やエピソードを紹介。
 ここでは、天保4年(1833)の海獣(ゴマフアザラシかアゴヒゲアザラシだったと推定されるとのこと)騒動について、『天保四巳日記 海獺談話図会』(60・岩瀬文庫蔵)、銅鐫海獣図説』(61・名古屋市博物館。鐫はつくりの上にに山かんむりあり)、『萩山焼膃肭臍置物』(62・徳川美術館蔵)の3点の関連資料が並ぶのが目を引いた。当時の海獣ブームの盛上りぶりを示していて興味深い。なお、62はアザラシっぽい動物を象った陶器。

 徳川慶勝(1824〜1883)『小禽帳』(67)は、安政4年(1857)に慶勝が目撃した鳥の名前を日付とともに記録したもの。押花標本を冊子にまとめた『群芳帖』(65)なども。徳川林政史研究所蔵。
【蛇足。磯野年表では「今後の研究が待たれる博物大名である」と評されており(p.664)、今回、関連資料が展示されたことで再検討が進むと良いなあ、と思ったり。】

 『築地名苑真景・草木虫魚写生図巻』(70)は徳川美術館蔵で、植物、昆虫、魚類などが描かれているが、筆者等は不明。巻頭・巻末に、尾張藩の江戸蔵屋敷周辺の風景が描かれていることから、その周辺で観察されたものが描かれているとも。講座では、名古屋市の水族館(名古屋港水族館か)や植物園(名古屋市植物園か)のスタッフと共同で、描かれている魚類、植物等の同定を試みているものの、種の特定に必要な情報が描き込まれていないことも多く、難しいとの話が紹介されていた。
 『木挽町御屋敷絵図』(69)はその関連資料で、蓬左文庫蔵。蔵屋敷周辺の工事予定図面で、対照することで、70で描かれている風景が、確かに蔵屋敷であることが確認できる。

 というわけで、つくづく図録がないのがもったいない展示でした。紹介しなかった展示資料についても、違う方が見れば、また違った面白さがあるかと。
 あ、尾張本草学や嘗百社に関心を持った方は、講座でも紹介されていた、名古屋市博物館『没後100年記念 伊藤圭介と尾張本草学 名古屋で生まれた近代植物学の父』展(2001)の図録も参照していただくと良いかと。

2017/05/07

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界〜」展(2017年4月15日〜5月28日)

 静嘉堂文庫美術館(http://www.seikado.or.jp/)の「挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界〜」展(2017年4月15日〜5月28日)の感想、というかメモ。
 挿絵という切り口と、いくつかのテーマを掛け合わせる形で、静嘉堂文庫所蔵の古典籍を紹介する、といった趣向。以下、とりあえず、若干メモを取った内容を忘れないうちに。
 「神仏をめぐる挿絵」のコーナーでは、南宋期の写本『妙法蓮華経変相図』が今回初公開。妙法蓮華経全体の絵解きが含まれている点でも珍しい模様。江戸時代後期の姫路藩家老の河合道臣(1767-1841)旧蔵。他にも、斯道文庫蔵の『仏説仁王護国般若波羅蜜経』(楊守敬、黎庶昌旧蔵)、『太乙集成』(明の宮廷で制作された彩色写本)なども。
 「辞書・参考書をめぐる挿絵」としては、南宋刊の科挙の参考書(礼記関連3点、詩経関連1点)が、いきなり並んでいて圧巻。それにしても、受験参考書における図表重視は、既に南宋期から始まっていたのか、と思うと趣深い。科挙合格者リストである『紹興十八年同年小録』(写本)には朱熹の名前が90人目として記載されている箇所が展示されていた。『永楽大典』、『欽定古今図書集成』などの定番もここ。『三才図会』の影響を受けた日本での刊行物として、『訓蒙図彙』2種(初版と再版系統。1丁当りの図版数が違う。)、『和漢三才図会』などもあり。
 「解説する挿絵」では、程大約『程氏墨苑』(万暦34年(1606)刊)と、先行した弟子の方于魯『方氏墨譜』(万暦16年(1588)刊)を並べて比較する、という趣向。師匠が教養の深さを見せつける形で弟子を圧倒する、という大人げない感じが味わい深い。『芥子園画伝』『天工開物』といった漢籍の定番に加えて、和本では細川頼直『機巧図彙』、岩崎灌園『草木図譜』なども。高野長英『勧農備考二物考』、滝沢馬琴『玄同放言』は、どちらも渡辺崋山が挿絵に参加。前者の「二物」とは早熟そばと馬鈴薯とのこと。キャプションに「フランスで出された百科事典の蘭訳」を利用したと記載があったけど、ショメルのことかな? 渡辺崋山繋がりで、重要文化財、崋山の『芸妓図』もここに展示。
 なお、『芸妓図』等の軸ものについては、付された賛について「おしゃべり館長による戯訳」が配布されており、とっつきにくい漢文の意味を分かりやすく、親しみやすい調子で説明してくれていて、好趣向。この「戯訳」を集めた展示会企画があったら楽しそう。
 「記録する挿絵」としては、長久保赤水(『東奥紀行』)、司馬江漢(『西遊旅譚』)、間宮林蔵(『東韃紀行』)らの旅行記や、『環海異聞』などの漂流記が並ぶ。特に『亜墨新話(初太郎漂流記)』の、メキシコの風景の彩色図による再現は、他にあまり見たことがない感じ。
 「物語る挿絵」としては、明代の絵入刊本として『琵琶記』『隋煬帝艶史』『唐書志伝通俗演義』が並び、どれも細密な挿絵が堪能できる。挿絵は見開き構成になっていたりして、後の日本への影響もちょっと気になる。和本は、伊勢物語の写本と刊本。特に承応3年(1654)刊本の方は色変わり雁皮紙を使用した小型本で、同様のものはあまり見たことない気がする。その他、奈良絵本、狂歌絵本など。ちなみに狂歌絵本『吾妻曲狂歌文庫』は、音声ガイドでも大活躍されている河野元昭館長が「僕の一点」にも選んでいるように、正に逸品。

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」3 (饒舌館長)
http://jozetsukancho.blogspot.jp/2017/04/blog-post_27.html

狂歌が「物語」?という気もしたけど、作者を含めてキャラクター化しているという意味で、広く「物語」として見ることもできそうなので、これはこれで良いのではないかと。

2015/12/20

日本古書通信2015年11月号・12月号

 まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。
 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。
 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.html 発刊の背景と内容を紹介したもの。文中で紹介されているパネルディスカッション「社会とつながる近世文学」も中身が気になるところで、『近世文藝』 http://www.kinseibungakukai.com/doc/kinseibungei.html 101号でレポートされているとのこと。
 牧野泰子「私が出会った在米日本語稀覯書たち」p.12-13は、元プリンストン大学東アジア図書館日本資料担当司書であった著者による回想第2弾(第1弾は9月号に掲載された「アメリカ図書館界に足跡を残した思い出の人々」)。米国における日本古典籍資料整理に関する貴重な証言。国立国会図書館からの助っ人として相島宏さんの名前も出てきて、紹介される発言に相島さんらしいなあ、と思わずにやり。
 「書物の周囲」p.37-40では、『蟬類博物館−昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界』(練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.neribun.or.jp/furusato.html 編)は、10月1日から11月29日まで同館で開催されていた展示会 http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/events/events_z0301_00017.html の図録とのこと。蝉類研究の大家、加藤正世(1898-1967)の標本コレクションは東京大学総合博物館に寄贈されたとのことで、タイアップ企画だった模様。やってるの気付いてなかったなあ。小石川分館でも展示やってたのか。(「セミ博士の別室 加藤正世博物学コレクション」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2015Semihakase.html
 編集後記である「談話室」p.47の「「物」と「所有」が古本屋商売のキーワードで、文化のデジタル化、ヴァーチャル化がすすむ現在とは逆行する」という言葉が重いが、「所有」へのこだわりが完全になくなることはないような気もする。楽観的にすぎるかもしれないが。

 続いて日本古書通信1037号(2015年12月号)からいくつか。
 能勢仁「最近の出版販売事情−今年に思うこと」p.4-6は、出版に関する近年の動向を今年の事件や数字を軸に論じたもの。当然ながら「栗田出版販売の民事再生の申請」から近年の取次に関する動向から話が始まる。一方で、日本の出版輸出(特に実用書・ビジネス書)や、流通ルートとしてのコンビニエンスストアとの協業の可能性についても言及。また、出版流通のプラットフォーム、販売ルートが集約されつつある現状も指摘。
 真田幸治「論文「雪岱文字の誕生−春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」の紹介」p.8-10は、タイトル通り、『タイポグラフィ学会誌』08(2015年) http://www.society-typography.jp/news/2015/10/08-1.html に収録された著者の論文の内容をかいつまんで紹介したもの。特に挿絵で知られる小村雪岱の使用した独特の書体を「雪岱文字」として、『鏡花全集』の箱に登場する「雪岱文字」について、これまで確認されていなかった雪岱の関与を周辺の証言を通じて論じている。
 牧野泰子「私の駆け出し時代からテクニカルプロセス分科会時代まで」p.11-13は、11月号に続く回想第3弾。今回は、CEAL(Council on East Asian Libraries http://www.eastasianlib.org/ )や、CRL(Center for Research Libraries https://www.crl.edu/ )に関する著者等の活躍が語られている。
 廣畑研二「さまよへる放浪記(3)」p.16-17は、林芙美子 著・廣畑研二 校訂『林芙美子放浪記 復元版』論創社, 2012. http://ronso.co.jp/book/林芙美子 放浪記 復元版/ を編集・校訂した著者が、放浪記の各版について論じた連載の最終回。戦後になっても伏せ字が復活したりまた削られたりと、何故か決定版が出ないままとなっていた、放浪記各版の差異や問題点が丁寧に辿られていて、スリリングだった。もしかして、『甦る放浪記 復元版覚え帖』論創社, 2013.の内容を圧縮して紹介したものだったりするのかな? http://ronso.co.jp/book/甦る放浪記 復元版覚え帖/
 12月という区切りだからか、内田誠一「短冊閑話」が第12回、張小鋼「中国・異域文化の往来」が第24回で連載終了。前者は、短冊という触れる機会が多くはない世界を様々な切り口で紹介、(自分で買うところまではいかないのが申し訳ないと思いつつ)毎回楽しませていただいた。後者は、毎回一つの植物を対象に中国古典を渉猟して、その中国への伝来や受容について論じたもの。現代版「本草学」といった趣で、こちらも毎回面白く読ませていただいた。最終回の鬱金香(チューリップ)も、唐代の宮廷での贅沢な使われっぷりに驚愕。
 八木正自「Bibliotheca Japonica CCXVI 追悼−新田満夫氏の事跡①」p.33は、今年の10月27日に亡くなった、前・雄松堂書店会長兼社長(むしろ創業者と紹介すべきかも)の新田満夫氏追悼文。1960年代から70年代前半の学術雑誌輸入拡大と、大学の新設に伴う和古書・洋古書購入の活性化を背景に、業績を伸ばしていった過程が語られていて、興味深い。「図書館総合展」の立ち上げにおいて果たした役割についても言及あり。
 古賀大郎「21世紀古書店の肖像 59 古書 上々堂(しゃんしゃんどう)」p.35には、「最近買取に行くと、貴重な資料を図書館が引取拒否した話をよく聞くそうだ」との記述が。「そういう貴重な資料を引取って、市場に戻していくのも、これからの古本屋の大事な役割なんじゃないかな、と店主は語った」とのこと。
 「書物の周囲」p.38-39では、津田良樹,渡邊奈津子 編集・執筆『海外神社とは? 史料と写真が語るもの』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2015.なるものが。2014年3月に開催された展示の図録とのこと。これは見たい、と思ったら、PDFでも公開されていた。ありがたや。 http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/c6j6oe000000034h-att/kaigaijinnjyatoha.pdf

2014/12/20

河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』

 またえらく間が空いてしまった。
 河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版) http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html をようやく読了。途中、風邪引いたり色々調子崩したりしながら読んでたので、時間がかかってしまった。
 出版社のサイトにもPDFが掲載されている「はじめに」 http://www.nakanishiya.co.jp/files/tachiyomi/9784779508783hajimeni.pdf には、「初学者にむけて、この分野の持つ裾野の広がりと、現在における研究の大まかな到達点を示す」という「狙い」が書かれているのだけど、正直「初学者」レベルたっけーな、おい、という気分になるところもちらほら。とはいえ、これからこの分野に挑戦しようとする人に対して、変にハードル下げない、というのは、学生向けだとしたら正しいのかも。
 目次は、出版社のサイト http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html を参照してもらうとして、大ざっぱに言うと、特定の主題に関する同時代の複数の人物による議論を対比的に紹介することで、(1)その主題が抱える論点、(2)それぞれの人物の論が持つ特徴、(3)人物たちが置かれた時代状況、といった点を浮かび上がらせる、という組立はだいたい共通してるのかな、という感じ。ただ、どこに重点を置くかはそれぞれ論者で違う。
 論者によっては、さらにそこに「通説」や先行研究との対比が加わる。例えば、高山大毅「制度 荻生徂徠と會澤正志齋」では、荻生徂徠なので、丸山眞男が召喚されたりして、日本思想史における主要な参照枠が何となくそこここに見えるようになっている……んじゃないかな。主要な参照枠自体に関する知識自体が薄いので、たぶん、だけど。
 そんな感じで、色々配慮された論集なのだけれど、素人読者としては、三ツ松誠「宗教 平田篤胤の弟子とライバルたち」で、明治初期の段階での神道家たちの分裂と対立による自滅っぷりを面白がったり、河野有理「政体 加藤弘之と福澤諭吉」で、加藤弘之って結構論旨一貫してんだな、と関心したり、王前「二十世紀 林達夫と丸山眞男」で、林達夫格好いいぜ、とか思ったりするばかりなのだった。申し訳ない。他にも、尾原宏之「軍事 河野敏鎌と津田真道」での、徴兵制を巡る明治期の議論のレベルの高さにぶっとんだり、趙星銀「デモクラシー 藤田省三と清水幾太郎」で60年安保における清水幾太郎の目的達成できなきゃ結局負けだろ的な発言に共感したりと、色々楽しかった。
 そういえば、長尾宗典「美 高山樗牛と姉崎嘲風」での日露戦争のように、複数の論者に共通する隠し(?)テーマとして、それぞれの時代における「戦後」というのもあったかもしれない。戦争だけではなく、安保のような広範な社会的運動や事件の後、という場合も含めると、思想史の持つ、大きな歴史的転換点に直面した人々が、それをどう受け止め、何を考えたのかを論じる学問という側面を楽しむ、という読み方もできるかも。
 ボーナストラック的に入っている、河野有理・大澤聡・與那覇潤「【討議】新しい思想史のあり方をめぐって」は、ほぼ同世代の三人の論者が、どのような体験を経ながら研究者となったのかを語りつつ、現在の学問状況を論じる、という趣向。ただ、初学者用に人名・用語解説が欲しかった気が。同時代性・同世代性が強くて難易度高い……。とはいえ、日本史・日本思想史周辺の、人文系学会の現状がちらちらと見えて、やじ馬根性的には興味深かったり。2000年前後の人文系学問状況に関する証言として、後で貴重になるかも。
 共通する人物や主題が複数の論考に登場することもあって、ちゃんと巻末に人名・事項索引があるのはさすが。各論考にあげられたキーワード(言語、風景、政体、美、正閏、イロニー…)に興味があったり、人名(本居宣長、阪谷素、福澤諭吉、高山樗牛、保田與重郎、山本七平…)に関心があったら、そこから拾い読みしてみるのが良いかと。ただ、「初学者向け」であって入門書ではないかもしれない。

2014/08/11

富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』

 さて、予告通りに、富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』新書館, 2014. https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21106-5/について書いてみる。
 困ったことに、自分がどういう経緯で富士川英郎(ふじかわ・ひでお, 1909-2003)という名前を知ったのか、どうしても思い出せずにいる。
 富士川英郎の父、富士川游(ふじかわ・ゆう, 1865-1940)の名は、日本医学史の大家として学生時代から知っていたが、富士川英郎の名を認識したのは、もっとずっと後のはずだ。まだ10年と経ってはいないように思う。誰かのエッセイか何かで紹介されていたのを読んで、興味を持ったのだと思うが、どうにもよくわからない。
 と思ったら、同じようなことを、2010年にも同じようなことを書き出しで書いていた(http://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2010/05/post-900a.html)。我ながら本当に進歩がない。

 ともかくも、私にとって、富士川英郎は、江戸後期の漢詩人への道案内人であり、また、優れた、かつ、入手困難な(コレクター心をそそる)随筆集の書き手であった。残念ながら、ここ数年は富士川英郎本を入手できていないが、それはまあ、時の運なので、気長に楽しむことにしている。
 そういえば、富士川英郎のご子息である富士川義之氏(ああ、敬称の使い方がなんだかぐちゃぐちゃに…)も学者であることも、どこで読んだのか…猫猫先生のブログだったような気もするが、これまたよく覚えていない。2012年の日本医史学雑誌(58(4) http://ci.nii.ac.jp/naid/40019550492)に、日本医史学会平成24年4月例会 シンポジウム「富士川游先生と富士川英郎先生」の抄録が掲載されており、この中に、富士川義之氏の報告が掲載されていたのは覚えているので、この時には既に認識していたのだろう。
 後書きによると、この『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』の最初の部分は、今はなき新書館の『大航海』68号(2008年10月)から71号(2009年7月)に掲載されたものを元に加筆した、というから、もしかすると、それを掲載時に読んで、富士川英郎という名前を覚えたのかもしれない。いや、富士川英郎の名は既に認識していて、こんな連載やってたのか、と驚愕したような気もしなくもなし……うーむ、ダメだ、こりゃ。

 さて、というわけで、本書は、著者の父親の評伝、ということになる。しかも、富士川英郎は、富士川游著作集の編者であり、富士川游の業績の再評価に尽くしたことから、結果的に、祖父についても、本書で多くを語っている。
 そして、本書では、富士川英郎という人物について直接語られるだけではなく、富士川英郎の代表的著作のエッセンスが紹介されている。富士川英郎著作集がもし編まれるとしたら、本書はその格好のガイドブックになるだろう。
 例えば、富士川游と森鷗外(富士川游は、森鷗外の史伝執筆のための調査や資料探索に協力していた)が親しげに話す姿を目撃した幼き日の英郎の印象や、萩原朔太郎の詩と出会って詩に開眼していく青年期の様子などが、英郎自身の筆による回想を見事にまじえながら、丁寧に辿るように詳細に語られていく。特に後半は、代表的著作の内容を紹介しながら、その魅力と、富士川英郎の著作の魅力を詳細に解き明かしていて、まだ見ぬ多くの著作への夢が膨らむ。
 結果として、本書はリルケを始めとするドイツ詩の綿密な注釈・解釈を行い、森鷗外の史伝に傾倒しそしてその方法論を自らのものとしながら、江戸後期の漢文学の最善の部分を現代に継承しようとした富士川英郎の遺したものについての最善の入門書であり、解説書になっている……と思う。そもそも、富士川英郎の著作で自分が読んだことがあるのは、ほんの一部でしかないので、そもそもが判断などできようがないのだけど。
 一方で、評伝にしては、著者の富士川英郎に対する視線はなんとも複雑だ。ところどころに現れる、父と自分との関係を問い直す記述は、自分自身の奥底を見つめ直すかのような、重苦しさを時にまとっている。しかし、そこがまた、本書のおいしいところでもある。本書で語られている、森鷗外の史伝をモデルとしたという、ひたすら事実を積み重ねていく富士川英郎の菅茶山伝のスタイルとは異なり、著者の主観が顔を出し、その主観の向こう側に、ストイックで静かな印象の富士川英郎の随筆とは異なる、語り、生活する富士川英郎の姿が、本の少し、読者であるこちらにも見えてくる……ような気がするのだ。

 それにしても、本書を読んで驚愕したのは、富士川英郎が教養学部の教授として活躍していた、ということだったり(いや、もっと早く認識しようよ、と自分に突っ込んだ)、自分が駒場キャンパスに通っていた間に、退職してずいぶん経った後ではあるが、講演をしていたという事実であった。もったいないことをした、とも思うが、学生時代の自分は、興味は持たなかっただろうな、とも思う。年を食ったから面白いと思うようになるものだってあるんだからしょうがない。
 自分には、富士川英郎のように、「淡々と自分の好むことについてだけ書」(p.387)き、「自然の流れのままに生きる」(p.424)ような、生き方はできそうもない。けれども、富士川英郎が既に失われて久しい江戸期の文人たちの交流をいとおしんだように、本書を通じて、最後の文人の生き方に勝手にあこがれることくらいは許されるだろう。
 そんなこんなで、古書店や古本まつりをのぞきながら、富士川英郎の随筆集を探す楽しみはこれからも続くのである。

2014/07/12

富士川英郎『鷗外雑志』

 富士川英郎『鷗外雑志』小沢書店,1983. http://id.ndl.go.jp/bib/000001634308 をようやく読みえた。富士川英郎(1909-2003)は、ドイツ文学者であるともに、江戸時代後期の漢詩の紹介に活躍し、また、文学や書物を題材にしたエッセイを多数残したことでも知られる。
 まずは目次を書き起こしておこう。


森鷗外の史傳をめぐって
『伊澤蘭軒』のこと
『伊澤蘭軒』をめぐって


森鷗外と三村竹清
森鷗外と呉秀三
森鷗外と喜田貞吉

あとがき
初出一覧

 実は、子息である富士川義之氏による『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館, 2014)の方を先に読み終わっていて、そちらの感想を書こうと思っていたのだが、近所の図書館でこの『鷗外雑志』があるのを発見して、うっかり読み始めてしまったのが運の尽き。富士川英郎の本は、斜め読みができない。引用と細部にこそ味わいがあるタイプの書き手なので、読むのにどうしても時間がかかってしまう。
 富士川英郎が鷗外の、特にその史伝に特別な思い入れがある、ということは、実は『ある文人学者の肖像』を読むまで認識していなかったのだが、考えてみれば、鷗外の史伝の対象は医家でもあり、英郎の父である富士川游が、鷗外と同時代を生きた医学史研究の大家であったことを考えれば、結びつきを思い浮かべないこちらが間抜けというものだろう。
 といっても、そもそも、実はまだ鷗外の史伝を読んでないんだから、気付かなくて当たり前といえば当たり前か。実は、本書で最大のページ数をとっているのは、岩波版第三次鷗外全集の月報に連載された「『伊澤蘭軒』標注」から再構成された「『伊澤蘭軒』をめぐって」なのである。ここでは、鷗外の『伊澤蘭軒』における考証の遺漏を補い、鷗外の時代には知られていなかった関連の資料を紹介したり、鷗外の考証の誤りを、原資料を読み直すことで正していく作業が淡々と行われている。
 間抜けな話だが、本体を読まずに、標注だけ読んだわけだ。ところが、これが案外面白い。現在と比較すれば検索ツールもほとんど整備されていない状況で、鷗外がどれだけの資料と情報を集約し、考証を進めていったのかが、その鷗外の解釈を踏まえた上で、さらに考証を深めていく富士川英郎の淡々とした筆致から、返って浮かび上がってくる、といえばよいか。
 しかも、そこに登場するのは、狩谷棭斎、屋代弘賢、大田南畝といった、江戸期の定番文人連であり、鷗外説に検討を加える森銑三だったりするのである。なんだよ、鷗外の史伝って、案外、自分の領域に近いとこだったんじゃないの、という気分が高まってくるのだが、とても注釈なしに読みこなせる自信がない。誰かどの版で読めばよいか教えてくれないものか。

 一方で、鷗外がどのように史伝に必要な情報や資料を集めていたのかを解き明かしているのが、「森鷗外と三村竹清」「森鷗外と呉秀三」といえるかもしれない。後者、呉秀三は医学ルートで鷗外と接触あっても別におかしくないよな、という感じだし(実際には、鷗外の弟の森篤二郎が、呉秀三と医学部の同窓でそこからの縁とのこと)、呉も医学史研究をやってた時期があるので、何となく納得なのだが、三村竹清には驚いた。
 竹清についての紹介は、富士川英郎の筆を借りるとしよう(漢字は新字体に改めた)。

「三村竹清は名を清三郎といい、東京の京橋八丁目の竹屋の主人であった。幼いときに両親を失い、十二歳で小学校を退学して、丁稚奉公にでたというような経歴の持主でありながら、生まれつき頭が良かったうえに、読書好きであったせいか、のちには和漢の書物にわたって、その造詣には量るべからざるものがあったという。…(中略)…その学問には別に千文がなく、江戸時代の雑学者の伝統のうえに立っていた最後のひとりで、森銑三氏は、「京伝、種彦の系統を引く江戸の雑学が、伝えられて(三村)翁に至り、そこでぷッつり切れてしまつた形である」と言っておられる。」

 富士川英郎は、残された書簡や、日記、回想などから、鷗外と竹清の交流と、二人の間で鷗外の史伝の材料となる様々な資料や情報がどのようにやりとりされたのかを、多くの引用と考証によって解き明かしている。これを読むと、図書館や参考図書、検索ツールが整備されていない状況で、どのようにして鷗外が江戸時代の人物の事細かな事跡を明らかにしていったのか、その過程や手法が、部分的にせよ見えてくる。
 あることがわからない場合には、知っていそうな人に片っ端から手紙を送り、本人は分からなくても知っていそうな人を紹介してもらい、またその人に手紙を書く。関連する資料があるとわかれば、それを持っている人を探し出し、借りて写しを作る。史伝の対象の遺族・子孫を探し出し、その人たちの話を採取する。そういったことを地道に鷗外は行っていたのである。
 特に人的ネットワークは強力で、呉秀三や富士川游ら、一流の学者たちが、鷗外の質問を受けて、それぞれの知識や調査結果を鷗外に送り返していた。まあ、鷗外に、これ知らない?、と聞かれたら、つい調べたくなるのもわかるような……。
 そうした人的ネットワークが大学アカデミズムの枠を飛び越え、市井の学者である三村竹清にも届いていた、というわけだ。竹清は、鷗外の質問に答えるだけではなく、新聞での史伝連載をリアルタイムで読みながら、疑問点や誤りの指摘などの手紙を随時送り、鷗外もそれに謙虚に応えていたことを、富士川英郎は淡々と紹介している。
 最後の「森鷗外と喜田貞吉」は、歴史学者喜田貞吉と鷗外との交流を紹介する小文。こちらは史伝絡みではなく、帝室博物館長時代の鷗外と、京大時代の喜田貞吉が、正倉院の曝涼の際に結んだ交流が語られ、これはこれで、博物館史的にも、歴史学史的にもちょっと面白いエピソードかもしれない。

 さて、次は『ある文人学者の肖像』の感想に手を付けたいところだけど、だんだん忘れてきてるぞ。大丈夫かなあ。

(2014年7月14日追記。若干、誤字等修正しました。まだありそう…。)

2014/03/22

内閣文庫と昌平坂学問所旧蔵書

 先日、ちょっとした家庭内レファレンスで苦労したので、その過程を忘れないようにメモしておく。
 内閣文庫の林羅山の展示(平成25年度連続企画展「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」 http://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_25_6.html)がきっかけなのだが、相方から「昌平坂学問所の資料ってどういう過程で内閣文庫に入ったんだっけ」との疑問が出された。
 二人ともまずは長澤孝三『幕府のふみくら』(吉川弘文館, 2012)があれば手掛かりが何か書いてあるかもしれない、というのは思いついたのだが、こういう時に限ってどこかに埋れてしまって、出てこない。
 やむなく、他に何かあったかな、という家捜しが始まった。
 まずは、『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店, 1999)を見てみたが、林羅山や昌平坂学問所などの項目には資料の来歴についての記述はあまりない。
 しかたなく、本棚を漁ると、現在は内閣文庫に資料が受け継がれているという点で共通項がある福井保『紅葉山文庫 : 江戸幕府の参考図書館』(郷学舎,1980)が出てきたが、当然ながら昌平坂学問所の話は出てこない。
さらに本棚を漁っていたら、長澤孝三編・発行『内閣文庫思い出咄』(2001)が出てきた。これには、『内閣文庫沿革略』(内閣文庫, 1970)が再録されている。で、見てみると、
「維新後は、大学・書籍館・浅草文庫など数次の変遷を経て、明治十七年に太政官文庫に移管された。」
との記述が出てきた。太政官文庫=内閣文庫で大体大丈夫なはずだし、まあ、これでよいかな、と思い、一安心。
 しかし、この記述を見た相方からは、これでは「など」がどうなっているのか分からないではないか、との反応が…
この時点でもうすぐ日付が変わる時間帯になりつつある。早く風呂入って寝たいのに、何だこの細部に対するこだわりは、ニューなクラシックとかにブログが転載されたり、原稿載ったりする野菜な人たちの影響か、おのれ野菜め、とよく分からない逆恨みをしつつ、そう言われると自分も気になるので、もうちょっと調べてみることにした。
 今度は、直接答えは出なくても、何を見れば分かりそうかが分かるだけでも良いか、と戦略を変えることにして、鈴木俊幸編『増補改訂 近世書籍研究文献目録』(ぺりかん社, 2007) を見てみた。この目録、索引がないので、目次で当たりをつけるしかない。見ると「9.享受」のところに、「9.2 蔵書」があり、「昌平黌」の項目が立っている。おお、これだな、と見てみると、そのものズバリ、というのはなさそうだが、小野則秋「昌平坂学問所文庫の研究」がそれっぽい。まあ、ここまでか、と思ったところで、ふと気がついた。あれ?小野則秋なら、『日本文庫史研究』(臨川書店, 1988(改訂新版第三刷))が、あったような…と思って見てみたら、下巻の第二章が「昌平坂学問所文庫の研究」で、その第七節が「余論−維新後における昌平黌の旧蔵書」ではないか。
 というわけで、これでかなり詳細が判明。大枠としては先の『内閣文庫沿革略』の記述で良いのだが、大学の前後がかなり錯綜していることが分かった。一方、浅草文庫から太政官文庫に入るまでの間の経緯は、小野則秋の記述でもはっきりしない。ただ、その日はこれで諦めることにした。
 その後、さらに、樋口秀雄「浅草文庫の創立と景況」参考書誌研究 (4), 1-9,図巻頭2p,[1972年3月] http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050876_po_04-02.pdf?contentNo=1 を見てみたら、浅草文庫後の経緯が詳述されていた。こりゃなんともややこしい。内務省と農商務省に、陸軍まで絡んで、綱引きが行なわれていたわけだ。さらに、小野則秋がやや詳しく書いているように、特に貴重な典籍は宮内省図書寮にも移しているわけで、こりゃよくわからない訳である。

 こういったことは、実は何か別の資料を見ると、簡単に分かることなのかもしれないが、後で何かの参考になるかもしれない(ならないかもしれないが)ので、メモとして残しておく。

(2014-03-22 21時ごろ追記)
 野菜の人から、この論文を読め、という指令、じゃなかった、ご教示をいただいたので、追記しておく。



NDL-OPACだとこちら。
http://id.ndl.go.jp/bib/3590580
Cinii Articleだと……おっと、今日は電源設備工事中だったか。残念。

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