2018/07/08

三省堂書店池袋本店古本まつり収穫メモ

三省堂書店池袋本店古本まつり
2018年07月04日 ~ 2018年07月09日
http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/3379

での収穫の雑感。
ちゃんと読んだわけではなくて、拾い読みなので、その程度のものとして御笑覧を。

『日本雑誌協会史 第1部 (大正・昭和前期)』日本雑誌協会, 1968
http://id.ndl.go.jp/bib/000001232664
『日本雑誌協会史 第2部 (戦中・戦後期)』日本雑誌協会, 1969
http://id.ndl.go.jp/bib/000001232665

第1部冒頭の「発刊について」(p.i-ii)によると、第1部は、「講談社の堀江常吉氏」が「嘗ての日本雑誌記念会の責任者であった大野孫平氏から病床に於て渡され」預かっていた原稿を元にしたもので、堀江常吉氏が目を通したものとのこと。第2部は、「自由出版協会の事務局長をしていられた石川静夫氏に依頼した」と記されている。
とりあえず、第1部をパラパラと見ていたら、昭和5年の項で、春になると書店が教科書販売一辺倒になってしまう状況に対して、「有らゆる刊行物の中にあつて王座を占めるのは雑誌であるといふ事を最初に力説したいと存じます」「一年中の収益の第一根源は雑誌に依って求められるべきが当然の事と信じます」(p.194)等と論じる書面を全国書店に送付していて、こういう活動が、今の書店における雑誌配置に繋がっていったのかも、などと色々考えてしまう。
昭和9年の項では、関東庁釜山出張所で、内地から満洲方面に送った雑誌が検閲用に押収されることに対して、販売上迷惑ということで、日本雑誌協会が関東庁東京出張所と協議を行い、会員社から検閲用に満洲国新京の関東庁出張所出版物検閲係に別途送付することで、流通分の途中検閲をしないとの諒解を得た、といった話もあったりする(p.259)。
昭和14年の項を見ると、東京帝大教授の穂積重遠によるラジオ講演「雑誌と人生」の全文が紹介されていた(p.353-361)。ここでは、図書館で雑誌のバックナンバーを保存利用できるようにすることの重要性も論じられていたり、ロンドン留学中の経験として、ロンドンタイムスは「インデックス」が整備され図書館でも閲覧室が整備されていて「欲する場所が手に応じて出て来て実に愉快」だったことが語られている。図書館界でこの講演が話題になったのかどうかが気になるところ。
なお、日本雑誌協会の解散は、昭和15年(1940)の8月15日の総会によって決定されている(日本出版文化協会に合流)。8月15日がそんな日でもあったとは。
第2部は戦前の日本雑誌協会解散から、戦後の日本雑誌協会が発足(昭和31年)するまでが記述対象なので、実は「日本雑誌協会」という団体が存在しなかった時期の歴史なのがある意味面白い。この後は『日本雑誌協会十年史』日本雑誌協会, 1967 http://id.ndl.go.jp/bib/000001093446 に続く、という構成になっている。ちなみに、戦後の雑協復活には、雑誌会館(戦後は雑誌記念館)という戦前の雑協財産をどこが引き継ぐのか、という議論も影響していた感じ。


城戸久『先賢と遺宅』那珂書店, 1942.
http://id.ndl.go.jp/bib/000000678664

著者の肩書きは「名古屋高等工業学校教授」。建築史が専門とのことで、戦後、城郭史関連の著作を多数書いている方と同一人物か。
各地に残る近世の著名人の住んだ家屋について、写真、図面に加えて、実際に訪問調査や、その人物の伝記から家屋についての考察を加えたりして、いちいちこだわりが深い。この時期にしては豪華な造本で、モノクロだが図版も多数で箱の作りも渋くて、ちょっとびっくりする。
しかも冒頭が契沖の円珠庵とは渋い。荷田春滿、賀茂眞淵、本居宣長と、国学に対する思い入れの深さを感じるが、伊能忠敬なども取り上げられている。ちなみに、賀茂真淵ゆかりの家(親族の旧宅)などは、この時点で既に貸家となっていて相当改造されていたとのことなので、現存しないのではないだろうか。


『図書館と社会 : 武田虎之助先生古稀記念論文集』武田虎之助先生古稀記念論文集編集委員会, 1970
http://id.ndl.go.jp/bib/000001237241

小野則秋、竹内悊、永末十四雄、加藤宗厚、菊池租、長沢規矩也といった名前が並んでいて、執筆陣が豪華だったので、つい入手。ちなみに、「武田虎之助先生略年譜」は、石井敦によるもの。
加藤宗厚「仏教と読書 付 図書館不振の原因について」(p.137-158)は、日本における仏教受容と読書について論じつつ、最後に唐突に近代日本における図書館不振の原因について語り出すという展開で、ちょっとびっくり。
巻末のあとがきによると、大学紛争の影響で編集作業は難航した模様。書き手の側も、この「図書館と社会」というテーマを持て余している感じの言い訳を冒頭に書き込んでいたりと、まあ、正直、買うほどでもなかったかも…。でも、参考文献記載なし(とほほ…)とはいえ、波多野賢一の伝記が載ってたのは収穫かも。


『かがみ』34.[2000] (特輯号・中村幸彦先生追悼文集)
http://id.ndl.go.jp/digimeta/3431407

近世文学の泰斗で、大東急記念文庫理事であった、中村幸彦氏に対する追悼文を集めたもの。谷沢永一、長友千代治、中野三敏、ロバート キャンベルといった名前が並ぶ。ぱらぱら拾い読みしていると、天理図書館時代についての記述も少しあり。
印象深いのは、今井源衛「中村幸彦先生語録など」(p.15-20)で詳細されている言葉。
「いったい、知識が無うて学者になれるんかいな」
「君たち、分からん事が出てきたら、必ずその日のうちに調べて、分かるようにしておくこっちゃ」
「登校したら、かならず一度は書庫に入って、本を取り出して中身を少しでも読みなさい。読む時間が無かったら、表紙の目次を見るだけでもええ。とにかく本と仲良うなることや。」
……厳しい。ニコニコしながら言われたら、心が折れそう。さすがとしか言いようがない。
なお、入手した一冊には、表紙に「中村博士追悼」と書き加えられていて、何かしらゆかりのあった方の旧蔵なのかもしれない、と思ったり。
なお、中村幸彦氏の旧蔵書は、現在、関西大学図書館の所蔵となっている。

中村幸彦文庫
http://opac.lib.kansai-u.ac.jp/?page_id=17232


藤山一雄『ロマノフカ村』満洲移住協会, 1942.
http://id.ndl.go.jp/bib/000000675288

満洲国立中央博物館・満日文化協会から出た初版ではなく、内地で刊行された再版。最近の自分の購入傾向からすると、ちと高目だったが(満洲関係としては高くない)、まあ、これは見つけてしまったら入手せにゃ、しょうがない。
著者の藤山一雄は、満洲国立中央博物館で活躍した人物。なかなか、ネットでまとまった紹介がないので、とりあえず、略歴はここを。

藤山一雄調査研究(梅光学院大学博物館)
http://www.baiko.ac.jp/university/museum/fujiyama

論文はネットにはあんまり出てないか。とりあえず、これを。

犬塚康博「藤山一雄『新博物館態勢』を読む」
http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900047278/

なお、初版は、満洲国立中央博物館名義だからか、こちらでインターネット公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460049

比較してみると、文章のレイアウトや、図版の配置から、初版から完全に再編集されている。少なくとも、出版物としてはまったくの別物。帯までついてて、状態も良い。表紙をめくると「26th December 1942 At Ginza」と読める書込みあり。しゃれたサインもあるのだけどこれは読めない…。

今回はこんな感じ。ちょっと買いすぎたかも。

2018/06/23

デジタルアーカイブの「哲学」概論 ver. 0.1

ある方から、大学の講義で、デジタルアーカイブについて論じる際に、デジタルアーカイブの基本にある考え方・哲学について、最低限知っておいてほしいこと、知っておいてもらいたい取組みを教えてほしい、との相談があって、考え始めたのだけど、とてもじゃないがまとまらないので、暫定版をとりあえず公開しておく。
一応、大学の講義等で活用できるように、ネットで読めたり、現在も新刊で入手できる文献を中心に紹介している。とはいえ、自分の狭い知見の範囲で書いているので、色々と、そこじゃねーよ、とか、むしろこっちだろ、という突っ込み所はあるかと。

1 ハイパーメディア/WWW

明示的に議論されることがほとんどない気がするのだけど、デジタルアーカイブの背景には、アラン・ケイのダイナブックや、ティム・バーナーズ=リーのWorld Wide Webのビジョンが存在している、と思う。何故なら、デジタルアーカイブで、こういうことができるようになったら良いよね、ということのかなりの部分は、彼らのビジョンで既に描かれているから。
デジタルアーカイブには、こうしたビジョンを現実化するパーツの一つとしての性格があることは、もう少し、自覚的に議論されてよいのではなかろうか。
WWWが普及する前に蓄積された知識・文化・情報や、あるいはWWWに残らないデジタル情報と、今ここに存在しているWWWをつなぐ存在として、デジタルアーカイブを考えることも必要だろう。
ということで、やはり、原点を抑えておく必要があるのではないか、と思って確認したら、アラン・ケイも、ティム・バーナーズ=リーも、彼ら自身が書いたものを日本語で手軽に読める状態にないというのはどうしたことか。これで技術者教育や、経営者育成に困らないのだろうか(英語で読むからいいのか?)。

アラン・ケイについては、浜野保樹氏の論考がまとまっていて分かりやすい。

浜野保樹「アラン・ケイ : 未来を見通す力とは何か」コンピュータソフトウェア. 7(4). 1990年
http://id.nii.ac.jp/1141/00287179/
浜野保樹「ハイパーメディアと教育II : アラン・ケイを中心に」放送教育開発センター研究紀要. 1. 1998年
http://id.nii.ac.jp/1146/00001145/

ダイナブックについては、次の記事の説明が簡明かと。

牧野武文 「連載:ハッカーの系譜(4) アラン・ケイ (1/7) 未来を予測する最善の方法は、それ
を発明してしまうこと」 THE ZERO/ONE. 2015年
https://the01.jp/p000966/

ティム・バーナーズ=リーについては、自らがTEDで、リンクトデータについて語っている次の動画を。

Tim Berners-Lee “The nest web” TED. 2009年 (日本語字幕あり)
https://www.ted.com/talks/tim_berners_lee_on_the_next_web

メタデータも、オープン化を求められているデータの一つであり、標準化や、識別子の重要性も、全てティム・バーナーズ=リーのビジョンと繋がっている。
そういえば、画像に関するAPI標準であるIIIFが重要なのは、デジタルアーカイブの画像データを、アノテーション(注釈)を分散的に付与することも含めて、リンクトデータの世界に解き放つ可能性を開いたからだとも言えるかもしれない。

[補足]ヴァネヴァー・ブッシュのMemex、テッド・ネルソンのXanaduあたりから議論すべきなのかもしれないが、現在に直結しているビジョンとしては、この二人が代表ということでどうかと…

2.オープンソース/オープンデータ/フリーカルチャー

インターネット以前のデジタルアーカイブの初期段階では、特定施設の中での利用が主であって、必ずしもオープンであることは主眼ではなかったように思う。とはいえ、現在では、無料で多くの人が、できるだけ制限なく使えるような状態で公開することが重視されるようになってきていて、背景としては、様々な情報や作品のオープン/フリー化を目指す運動が深く関わっている。
とりあえず、こうした運動の概説としては、次の一冊を。

ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック: クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』フィルムアート社, 2012年.
http://filmart.co.jp/books/business/2012-5-10thu/
(PDFダウンロードあり)

この一冊で大まかなところはカバーできるが、せっかくなので、オープンの思想の源流としての、オープンソースによるソフトウェア開発文化についてもこの際触れておきたいところ。とりあえず、これは読んでおきたい。

Eric S. Raymond 著, 山形浩生 訳「ノウアスフィアの開墾」1998年
https://cruel.org//freeware/noosphere.html

また、ティム・バーナーズ=リーによるセマンティックウェブと具体的取組みとしてのリンクトオープンデータ(LOD)については、上述のTED動画を参照。ユーザによる様々な加工が自由に可能であることの意義もそこで触れられている。

デジタルアーカイブは、過去の蓄積をインターネットにおける創造の循環に組み込む仕組みでもある。このため、クリエイティブコモンズライセンスと、それを支えるフリーカルチャーの思想は、近年のデジタルアーカイブの動向と深く関わっている。『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』で尽きている気もするが、より手短に、ということであれば、次の記事か。

クリエイティブ・コモンズ・ジャパン事務局「クリエイティブ・コモンズの理念と実践: Web2.0における権利表現という文化について」情報管理. 49(7). 2006年
https://doi.org/10.1241/johokanri.49.387
「ドミニク・チェンとの対話 フリーカルチャーという思想をめぐって」 WIRED(日本版). 2012年
https://wired.jp/2012/07/09/freeculture/

3.学術情報・研究のデジタル化/オープン化とデジタルヒューマニティーズ/デジタル人文学

学術雑誌を中心としたオープンアクセスや、STM(自然科学、工学、医学)系を中心としたオープンサイエンスも無関係ではなく、むしろ関係は深まりつつあるが、これを読むと背景が分かる、というのがなかなかない。とりあえず、デジタルアーカイブとの関連についての問題提起としては、次を参照。

林和弘「口頭発表[A31] オープンサイエンス政策と研究データ同盟 (RDA)が進める研究データ共有と、デジタルアーカイブの接点に関する一考察:新しい研究パラダイムの構築に向けて」デジタルアーカイブ学会誌. 2(2). 2018年
https://doi.org/10.24506/jsda.2.2_40

デジタルアーカイブは、学術研究においては、特にデジタルヒューマニティーズ/デジタル人文学の基盤となりうる。ただ、なりうる、ということと、実際に研究に使える環境を整えることの間には裂け目があり、これを超えるための取組みが必要とされている。
この観点からの議論については、永崎研宣氏の一連の論文、ブログ記事などどれも参考になるが、どれか一つ、ということだと、図書館との関係が中心ではあるものの、背景も含めて概説しているこちらを。

永崎研宣「大学図書館とデジタル人文学」大学図書館研究. 104. 2016年.
https://doi.org/10.20722/jcul.1439

この論考では、デジタル技術が研究の内容や、研究への参加の仕方自体を変化させていること、研究の前提として標準化の意義などがコンパクトに論じられているが、加えて、図書館員を中心とした研究を支援するスタッフの役割の重要性が語られている点がポイントで、デジタルアーカイブの人的側面についての言及が少ないこともあって貴重かと。

なお、デジタルヒューマニティーズに関連して、蛇足かもしれないが、

ピーター・シリングスバーグ 著/明星聖子・大久保譲・神崎正英 訳『グーテンベルクからグーグルへ: 文学テキストのデジタル化と編集文献学』慶應大学出版会, 2009年.
http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416718/
の巻末に収録された

明星聖子「編集文献学の不可能性――訳者解説に代えて」

は、日本における人文学の研究基盤を今後どう構築、維持するのか、という点で、研究者の視点からの切実な問題提起となっており、もっと読まれてしかるべき文章だと思う。

4.ナショナル/ローカルなコミュニティ形成

デジタルアーカイブを通じたコミュニティ形成については、特に地域のデジタルアーカイブの場合に、推進している側が目的として言及することがあるが、理論的な検討はあまりなされていないのではないか。
デジタルアーカイブだから登場したという論点ではなく、図書館・博物館・文書館等において、特にナショナリズムとの関連で主に否定的な観点から議論となってきた論点ではあるが、ナショナルな一体性が完全に崩壊した時に、内戦という名の隣人同士の殺し合いが起こった事実を東欧やアフリカで繰返し見てしまった以上、危険性だけではなく、その必要性も含めて、論じ直しが必要なのかもしれない。
出生地や血統に寄らない、国/地域の統合の仕組みとしての、文化・歴史・自然誌の共有。背後に同じ知的文化的蓄積を共有している、という認識を、ネット時代にどうやって作り出すのか。出生地、血統主義に偏りつつある現状にどう異なる統合のあり方を提示できるのかが、デジタルアーカイブに問われているともいえる。
事例としては、まずは、Europeanaの第一次世界大戦関連事業を。

E1535 - Europeana 1914-1918:第一次世界大戦の記憶を共有する試み
http://current.ndl.go.jp/e1535

Europeanaは、特に第一次世界大戦関連の事業を通じて、ヨーロッパという地域の統合・包摂を文化を通じて実現することを目指しているように思えるのだが、この観点からの日本語で読める分析はなかなか見つからない。敵同士として戦った戦争を、統合を支える共通の記憶として呼び起こす、というのは、東アジアの現状からすると、ちょっと信じがたいし、どこまでうまくいったのかは気になるところだけど、ともかくも、取り組むことができた、ということ自体が一つの希望ではないか。

もう一つの事例としては、渡邉英徳氏の関わった東日本大震災、広島、長崎、沖縄に関するデジタルアーカイブがある。これらの取組みにおいては、デジタルアーカイブを利用する側ではなく、構築、維持していく側のコミュニティ形成こそが重要とする点が特徴。次を参照。

渡邉英徳『データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方』講談社, 2013年. (講談社現代新書)
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210720
渡邉英徳「多元的デジタルアーカイブズと記憶のコミュニティ」人工知能学会誌. 31(6) .2016年.
(本文リンク) https://drive.google.com/open?id=0B7uKeVg3VJZRMUNaRHBCZ2tVSUU

こうしたローカルなデジタルアーカイブは、ナショナルレベルのコミュニティ形成とは異なる、多様な主体の形成という意味でも重要かもしれない。アイデンティティの根拠をナショナルなものだけに頼ることによる社会の不安定化や冗長性の欠落を避ける仕組みとして、多様なデジタルアーカイブの存在が必要、という議論もありえるように思う。

5.情報社会論

情報技術が社会をどう変貌させるのか、という議論と、デジタルアーカイブがどうあるべきかの議論は、本来は密接に関連するはずなのだけど、案外、まとまったものを探すとすぐに出てこない。あるいは、情報技術のインパクトがフロー情報中心であるためか、そこに一定の蓄積(ストック)を構築しようとするデジタルアーカイブについては情報社会論の枠組みでは扱いにくいのかもしれない。

論点整理としては、紙しかないので、入手に一手間かかるが、中井正一に言及しつつ、新たな時代における文化資本としての電子図書館・デジタルアーカイブについて問いかける次の論文を。

合庭惇「文化の再定義のために: 電子図書館とデジタルアーカイブ」現代の図書館. 34(3). 1996年.
http://id.ndl.go.jp/bib/4141260
(合庭惇『デジタル知識社会の構図 : 電子出版・電子図書館・情報社会』産業図書, 1999年.にも再録)

次の合庭惇氏の論文も参考になるかも(こちらはネットで読める)。

合庭惇「情報社会論のための脚注」哲学. 1997(48). 1997年.
https://doi.org/10.11439/philosophy1952.1997.69

より深く追求したものを探すとしたら、翻訳ものを探るべきか、とも思うものの、山形浩生氏の次の書評を読むと、どうしたものかと、途方にくれる。

山形浩生「なんかえらく古くさいハイパーメディア万歳論なんですけど。(『月刊 論座』2000 年 06 月)」YAMAGATA Hiroo. 2000年
https://cruel.org/other/gutenberg.html

時代をすっとばす形になるが、情報技術が社会を変容させる、という議論の最新バージョンとしてはとりあえず、この一冊を。

ケヴィン・ケリー 著, 服部桂 訳『〈インターネット〉の次に来るもの  未来を決める12の法則』NHK出版, 2016年
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817042016.html

特に、デジタルアーカイブとの関連では、「4. SCREENING スクリーニング/画面で読んでいく」を参照。
ここでは、これまでの「読む」(READING)行為から、スクリーン上のイメージを読み、操作するSCREENINGへの変化が、主に本・書籍を例に論じられている。デジタルアーカイブ構築の際に行われるデジタル化とは、物理的な資料・作品を、スクリーンに表示できる形式に変換する営為であり、どのような未来を目指してそれが行われているのかを考える材料になるかと。

[予告]

この他、デジタルアーカイブの「哲学」を考えるために考えておきたいことについて,まだまとまらないのだけど、項目だけ示しておく。途中で挫折するかも。

* デジタル情報の長期保存とボーンデジタル情報
* 文化経済学とデジタルアーカイブの経済効果
* 民主主義を支えるものとしての文化と、運営の専門性と自律性
* 収録対象の選択とコレクションの構築

2018/05/27

中野区立歴史民俗資料館 企画展「花・草木を愛でる、育てる」

中野区立歴史民俗資料館 企画展「花・草木を愛でる、育てる」
2018年4月27日~6月3日
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/403200/d025588.html

に行ってきた。
同資料館の名称は、資料館が置かれた土地を寄贈した旧家を顕彰するため、正確には「山崎記念」が冠されている。今回の展示でも解説されていたが、敗走する彰義隊を一時受入れたという山崎家旧蔵の庭にあった椎の木が、同資料館の敷地に現在も残されている他、同家旧蔵の資料も引き継がれているようだ。
今回の展示では、江戸から明治の園芸書や、絵画、錦絵、華道関係資料を中心にしつつ、花卉園芸と中野区との関わりを紹介している。
園芸書では、貝原益軒『花譜』 http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_138158 、岩崎常正『草木育種』 http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_350572 などの定番資料に加えて、守静庵湖貢『栽菊玉手箱』 http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_2707348 の写本と思われる『養菊玉手箱』や、伊沢蘭軒の著作だという『朝顔水鏡』といった資料も展示。朝顔図譜『三都一朝』 http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_2782641 や、明治期の賀集久太郎『芍薬花譜』 http://id.ndl.go.jp/bib/000000487675 の色合いも鮮やかで、蔵書印等は展示部分には見当たらなかったが、来歴が少々気になった。
絵画作品は、山崎家旧蔵で、狩野常信、椿椿山、酒井抱一、小杉放庵といった名前が並んでいた。錦絵は近代のものや、覆刻中心。とはいえ、広重の名所江戸百景の覆刻と大正期当時の同じ場所の写真を組合せた『今昔対照江戸百景』 http://id.ndl.go.jp/bib/000001525164 など、覆刻ならではの面白さもあり。
華道関係では、明治・昭和の関連図書・雑誌に加えて、昭和15年の池坊の免状と席札が展示されていて、特に免状は、崩し字で印刷されているものの、赤字のカタカナでふりがなも一緒に印刷されており、当時既に崩し字リテラシーが失われてきていたことが示されていて、面白かった。
パネルでは、中野区内にかつてあった花卉栽培地が紹介されていた。例えば、現在の江古田の森公園にあった、国立療養所中野病院のさらに前身、東京市療養所に苗圃や薬草花園が併設されており、国立療養所中野病院になった後も、東京都苗園として維持されていたとのこと。大正9年の東京市療養所設立時の図面では、病棟の周りを回遊式の庭園が取り囲んでいるが、昭和45年には、一部は大蔵省に移管され、病棟の周辺の土地だけが療養所施設として残される形になっているのが、何ともいえない感じだった。
資料館へは、西武池袋線の沼袋駅から徒歩で移動できるが、その途中に、古書店の天野書店 https://www.kosho.or.jp/abouts/?id=12030140 がある。何故か数学史を中心に科学史関係が充実していたり、文学、歴史、民俗、思想など、きっちりとした硬派な品揃え。ついでに立ち寄るのもまた良いかと。

2018/03/27

泉屋博古館分館(六本木)「生誕140年記念特別展 木島櫻谷 PartⅠ 近代動物画の冒険」

先日、泉屋博古館分館「生誕140年記念特別展 木島櫻谷 PartⅠ 近代動物画の冒険」(2018年2月24日〜4月8日)に行ってきた。六本木の方の泉屋博古館 https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/index.html である。

木島櫻谷(このしま・おうこく,1877-1938)については、丸善・丸の内本店で開催された、第29回慶應義塾図書館貴重書展示会「古文書コレクションの源流探検 -反町十郎、反町茂雄、木島誠三、木島櫻谷、そして…」(2017年10月4日〜10月10日)で、現在は慶應義塾大学所蔵となっている反町文書の一部を成している、木島誠三による古文書コレクション構築のパトロンだったと推定されていたことと、同貴重書展のギャラリートークで、木島櫻谷旧蔵の江戸漢詩文コレクションが現在も櫻谷旧邸に未整理のまま残されている、という話を聞いたことで強く印象に残っていた。

実は、過去のツイートを確認してみたら、泉屋博古館分館の2016年の展示、「住友春翠生誕150年記念特別展 バロン住友の美的生活 ―美の夢は終わらない。 第2部 数寄者住友春翠 ―和の美を愉しむ」(2016年6月4日~8月5日)でも、住友春翠が、現在の大阪市立美術館の敷地にあった茶臼山本邸のために櫻谷に描かせた大作屏風を見て、印象に残ったことをメモしていたのだけど、検索してみるまですっかり忘れていた。

外部記憶は大事だなあ。なお、茶臼山本邸のために描かれた大作屏風は、4月14日からの櫻谷展Part II 「木島櫻谷の「四季連作屏風」+近代花鳥図屏風尽し」で展示されるようなので、又も泉屋博古館分館に迷わずゴーである。

さらに言うと、今回の櫻谷展のパネルに、平安読書室の山本渓愚(章夫)に師事したことが書かれていて、あれ、どこかでこの話、見たことあるぞ、と思ったら、京都文化博物館の2016年の特別展「江戸の植物画」(2016年4月29日〜6月26日) http://www.bunpaku.or.jp/exhi_kikaku_post/edo_syokubutsu/ だった。

今回の櫻谷展の図録には、参考として京都府蔵(京都文化博物館管理)の「群芳之図」の図版が掲載されていて、おお、文博で見たのこれだよこれ、ということで、今までバラバラに何となく印象に残っていた事柄が、やっとつながった感じ。

整理すると、木島櫻谷は、

○江戸期において小野蘭山後の京都本草学の中心となった、平安読書室の明治期における門人
○住友春翠の依頼を受けて大作を制作するなど、住友家との関わりがある
○櫻谷の養子となった日本史学者・木島誠三の古文書蒐集のパトロンだった?
○残された櫻谷のコレクションには江戸漢詩文や漢籍が多数残されている模様だが現在調査中でまだ全貌は不明

という人物、ということになる。

櫻谷といえば、今回の展示のタイトルからも分かるように、動物画の名手として知られており、平安読書室における博物画の伝統との関係も気になるところだが、櫻谷が通っていた明治20年代半ばの平安読書室は漢学塾であって、本草学について櫻谷が学んだという話は出てこないようだ。ただ、櫻谷の日本画の師である今尾景年(1845-1924)は、若い頃に平安読書室で本草学を学んだそうで、江戸期の博物画の伝統が景年を経由して櫻谷に受け継がれている、という線もあり、という感じである。とはいえ、櫻谷に対する平安読書室の影響は、むしろ漢文・漢籍の受容・蒐集に表れている可能性の方が高そうで、ここは櫻谷文庫 http://www.oukokubunko.org/ に遺されているという漢詩文・漢籍の整理・分析が進むことを期待したい。

さらに、今回の展示では、木島櫻谷についての新たな注目点が明らかになっている。櫻谷に送られた、大正11年の京都市立紀念動物園特別優待券(要するに年間パス)が展示されているのだ。加えて、櫻谷文庫に残された大量の写生帖の一部が展示され、動物園におけるスケッチがあることが明確となっている。つまり、日本の美術における、動物園の受容と影響が、櫻谷を通じて見えてくる可能性がある、ということだ。
考えてみれば、生きたライオンや熊の姿を直接かつ長時間観察して描く、といったことは、動物園ができるまでは基本的に不可能であったわけで、関西圏における博覧会における動物展示や、動物園の整備が、櫻谷の画題を拡げる役割を果たしたことはおそらく間違いないだろう。
動物園が果たす社会的役割は、時代に応じて変化してきているが、近代の日本美術において動物園が果たした役割、ということを考えるという意味でも、櫻谷展は必見だと思う。
個人的な感想でしかないが、写生帖では客観視されている動物が、作品として描かれる段になると、明らかに表情や何かしらの感情を持つ存在として描き出されているように見受けられた。動物をありのままに描くのではなく、人物と同様にある種のキャラクターとして描いていることについては、賛否両方の評価があり得ると思うが、現代の方がキャラクター化された動物表現が抵抗なく受入れられる素地はあるのかもしれないな、という気がした。

展示図録も必見で、櫻谷の生涯と業績を整理した、実方葉子「画三昧への道、ふたたび—木島櫻谷の生涯と動物画」p.8-19.や、櫻谷の代表作の一つで夏目漱石がボコボコに酷評したことで知られる「寒月」を軸に、同時代に制作された下村観山、菱田春草らの樹林図表現との関連を論じる、中野槙之「明治末の樹林図—落葉と寒月の周辺」p.87-93.など、読みごたえのある論考が多い。関心のある向きはぜひ入手を。

あと、会場では、晩年の櫻谷と家族を撮影したモノクロ・サイレントのホームムービーが上映されいて、孫たちと戯れる櫻谷の好々爺ぶりと、櫻谷邸の庭と施設の充実ぶりをかいま見る事が出来る。
この映像に登場する木島櫻谷旧邸は2018年3月3日〜4月4日まで公開されている。時々公開があるようなので、櫻谷文庫 http://www.oukokubunko.org/ のサイトをご確認のこと。

2018/02/26

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」

第17回文化資源学フォーラム「周年の祝祭—皇紀2600年・明治100年・明治150年—」
日時:2018年2月11日(日曜日)13:30~17:00
会場:東京大学本郷キャンパス法文2号館1番大教室
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/forum/forum17.html

に先日参加してきた。
これまでの例からすると、詳細な報告書が今後作成されて、上記ページで公開されると思うので、詳しくはそちらを見ていただくとして、いくつか気になった点だけ、メモ的に書いておこうと思う。

まず、このイベントの性格について、確認しておこう。
配布資料の表紙に

企画運営:「文化資源学フォーラムの企画と実践」履修生

とあることから分かるように、このフォーラムは、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻という大学院の演習の一環となっている。
フォーラム冒頭の中村雄祐氏(同大学院教授)の説明によれば、M1、D1の学生が1年かけて企画を練り上げ、開催するという、人文系の大学院では珍しいタイプのグループ演習なのだそうだ。
あ、ちなみにこのメモでは、敬称は「氏」で統一するのでご容赦を。学生と先生とで区別しているとややこしいので。

修士1年の鈴木健吾氏による開催主旨説明では、テーマ設定に至るまでの過程も紹介された。候補としては、50年前の学生運動や、オリンピック・パラリンピックなどが候補になったそうで、運動と祝祭の対立という議論を経て、近代の周年行事を考察することになったとのこと。なるほど本当にグループ演習だ、という感じである。
また、開催主旨説明に合わせて、配布された学生による論集のダイジェスト的な報告もされていた。この学生の論集がなかなか面白いのだが、ネットで公開されるかどうか分からないので、目次を掲げておこう。

学生報告(1):「皇紀2600年」1940年
「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の絵画にみる〈日本的なもの〉の〈保存〉(大橋利光)
「紀元二千六百年祈念万国博覧会」における保守と進歩(石橋幹己)
紀元二千六百年記念行事を彩った音楽――国家による音楽利用(高橋舞)

学生報告(2):「明治100年」1968年
明治百年を巡る「歴史戦」(鈴木健吾)
明治百年記念事業と国立歴史民俗博物館(市太佐知)

学生報告(3):「明治150年」2018年
「明治150年」関連施策の概況(田中淳士)
「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈)
祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六)
松田陽准教授に聞く――「明治期の文化遺産を取り巻く状況と明治150年事業について」(聞き手:門脇愛)

さて、フォーラムの本体は、古川隆久氏(日本大学文理学部史学科教授)の講演「紀元2600年奉祝の諸相」と、佐藤卓己氏(京都大学大学院教育学研究科教授)の講演「記憶の歴史化イベントとしての明治百年祭」と、講演のお二人にモデレーターとして木下直之氏(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻教授)を加えたパネルディスカッション「明治150年について」の3部構成。
詳細は報告書で見てもらえば済むことではあるのだが、一応、ポイントだけ紹介しておくと、古川氏の講演では、経済効果を狙った万博、オリンピックが、紀元二千六百年記念事業に合流していく過程や、国家イデオロギー浸透策的性格が強調されがちな紀元二千六百年記念事業の中にも、当初から観光振興的な要素が含まれていたことなどが紹介されていた。記念式典の日は昼から酒が飲めると飲食店が満員、とか、神武天皇の聖跡を訪ねることを名目に奈良への観光に出かけるなど、戦時下の息抜きとして記念事業や式典を捉えていた様子も興味深い。
佐藤氏の講演では、トルコからの留学生トパチョール・ハサン氏の博士論文「戦後日本における近代化「記憶」と「場」の揺らぎ―メディア・イベント「明治百年祭」(1968)を例に―」の概要が紹介されていた。現在を象徴する1964年の東京オリンピックと、未来を象徴する1970年の大阪万博に挟まれ、同時代的には様々な議論を呼び起こし大規模な式典も開催されながら、現在はほぼ忘れられた存在となっており、過去を指向する「明治百年祭」について、背景や反対論、京都とハワイの事例にみる受容の多様性などが紹介されていた。なお、トパチョール・ハサン氏の博士論文の一部を構成すると思われる次の論文が公開されているので、そちらも参照いただくと良いかと。

「トルコ共和国百年祭(2023年)のメディア・イベント-明治百年祭(1968年)との比較分析から-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 61. pp.285-297.
http://hdl.handle.net/2433/196900

「戦後日本の記憶研究と歴史学者の記憶意識-明治百年祭(1968)を例に-」京都大学大学院教育学研究科紀要. 63. pp.367-378.
http://hdl.handle.net/2433/219234

パネルディスカッションでは、木下氏から、神戸須磨浦公園の現在は「みどりの塔」と呼ばれる記念碑についての話が紹介された。みどりの塔の説明板には、戦後まもなく、26年にみどりの羽運動で造られたとの説明が書かれているが、実はその裏に、神武天皇の陶製のレリーフが残っていて、実はこの塔は紀元2600年の慶祝記念物として、神戸新聞社が力を入れて建設されたものである……という話で、終わるかと思いきや、木下氏の話はさらに続く。このみどりの塔に置かれていた地球儀の像が、阪神淡路大震災の際に落ちたことで、震災のモニュメントになっているという。一つのモニュメントが時代に応じて、意味を変えていく、という興味深い話だった。
その後は、紀元2600年、明治百年、明治150年のそれぞれに関連して、講演のお二人による議論が展開されたのだけど、詳細は報告書にお任せすることにして、特に明治150年とデジタルアーカイブに関する議論を紹介しておこう。
まず、何故デジタルアーカイブが話題になったのかを確認しておこう。学生の論集でも紹介されているが、明治150年関連事業においては、建築物でも、式典でもなく、デジタルアーカイブ事業が取り上げられていることが一つの特徴となっている。
ソースとしては、首相官邸ウェブサイトの

「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議/内閣官房「明治150年」関連施策推進室
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/

で公表されている、第8回「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議でとりまとめられた関連施策と、

明治150年ポータルサイト
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/

の「デジタルアーカイブ」からリンクされている各データベース等を参照いただきたい。
なお、学生の論集では、個別のデジタルアーカイブの整備から連携の重要性について議論が展開されていたり(「明治150年」関連施策と日本におけるデジタルアーカイブをめぐる課題と現状(林茉里奈))、デジタル化を次世代の継承のためと位置づけていたり(祝祭と保存、そしてデジタルアーカイブ化の意義(川島六))という形で、デジタルアーカイブが取り上げられている。
シンポジウムでは、明治百年との比較として、民間での出版事業との対比がなされていた。明治百年では、岩波書店『近代日本総合年表』や、筑摩書房『明治文学全集』、原書房『明治百年叢書』などの、基本的な文献・資料集が民間から刊行されたが、明治150年ではこうした基礎資料的なものがデジタルアーカイブとして提供されようとしている、という話である。木下氏は、アーカイブ化の重要性とともに、何がアーカイブされるのかが問われる、という問題も提起していた。
また、明治150年において「記憶の道具化」を避けえるか、という問いについての、佐藤氏による回避しえない、という回答をきっかけとして、検証可能性が確保される形で、デジタルアーカイブ化が進み、基礎資料が誰が利用できる状況を作り出していけるのかという課題が、木下氏から示されていた。同じ時代、事象であっても、光の当て方で、まったく異なる歴史が浮かび上がる、という状況をどのように作り出していけるのか、という問いでもある。
その一方で、佐藤氏からは、デジタルアーカイブについて文化政策とメディア政策という観点から触れる場面があった。文化政策として取り組む場合には、良いものを選別する、という方向になりがちなので、アクセスを幅広く、多く増やしていくというメディア政策として取り組むべき、との提言である。日本がいかに情報のハブとして機能し得るのか、海外にどう発信していけるのか、というメディア政策的視点が不足しているし、問われているという話だった。
これを受けて、木下氏からは、何を公開するのか裏には何を公開しないのか、ということが隠れているとの指摘があり、その事例として、日清戦争・日露戦争の際に皇居敷地内に作られた戦利品を入れる蔵(「御府」)についての話が紹介された。台湾からは、Googleマップで今も存在が確認できるものの、戦利品そのものは宮内庁は存在していないとしているのだが、実は、宮内庁書陵部のデジタルアーカイブで、かつてのその蔵の写真が公開されていたという話である。
(なお、戦利品の一例としては、台湾から返還要求のあった「台湾民主国の国旗」が紹介されていた。同国旗は台湾総督府博物館時代に作られた複製が国立台湾博物館に遺されている。 http://www3.ntm.gov.tw/jp/Collect_4_1_2_50.htm
また、デジタルアーカイブに限定された話ではないのだが、日本の「強み」としてかつては重視されていた軍事という側面が、明治150年関連事業では様々な点で欠落している、という話も示唆的だった。

以上、雑駁なメモなのだけれど、時間もたってしまったし、いつまでも抱え込んでおいてもしかたないので、とりあえず公開しておく。

2017/07/01

虎屋文庫編著『和菓子を愛した人たち』

虎屋文庫 編著『和菓子を愛した人たち』山川出版社, 2017
https://www.yamakawa.co.jp/product/15104

虎屋文庫ホームページで連載されていた「歴史上の人物と和菓子」から、「百人の人物を選び、大幅に加筆修正して誕生」(p.2)したのが本書とのこと。
紫式部に始まり森茉莉まで、テーマごとに9章構成で、和菓子と様々な人物との関わりを紹介している。一人当たり、基本見開き2ページのコンパクトなスペースの中で、人物と和菓子を紹介しつつ、図版も豊富に使用。執筆・編集には相当の苦労があったのでは、と想像させられる。あくまで軽い読み物としての体裁が貫かれているが、それも深い調査と知識の裏付けがあってのものだろう。
教科書に載るレベルの著名な人物に加えて、淡島寒月『梵雲庵雑話』や、岩本素白「菓子の譜」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/001534/card52198.html )、金沢藩の支藩大聖寺藩の最後の藩主前田利鬯(としか)の日記(「御帰県日記」『加賀市史料 8』加賀市立図書館, 1988所収)など、様々な文献から菓子に関する記述が集められていて、それだけでも圧巻。
既に現在は作られなくなってしまった和菓子も多く紹介されているが、文献などから再現した図版や、現存する類似の菓子を併せて紹介するなど、往年の姿を想像できるような作りになっている。
巻末には、年表、索引(菓子名と人物名)、参考文献リストあり。
注目すべきは、デジタルアーカイブの活用ぶりで、図版には国立国会図書館所蔵の古典籍があちらこちらに顔を出し、大阪府立中之島図書館の人魚洞文庫データベース https://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/ningyodou-index.html や、中村学園大学の貝原益軒アーカイブ http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/ 、江戸東京博物館の目食帖(収蔵品検索 http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/search から)など、デジタル化とインターネット公開の成果が縦横に利用されている。本書のような出版物に利用されるようになった、ということは、裏を返せば、デジタルアーカイブを提供する各機関は、取り上げられた各資料を安定的に公開し続けることを、あらためて求められているのだとも言えるだろう。
また、「あとがき」(p.290-291)では、各地の学芸員から教えられた史料の存在やエピソードなどがあったことが紹介されている。企画展示やホームページでの連載が、各専門機関・専門家とのネットワーク形成につながり、それがまた本書のような成果につながった事例としても、興味深い。
余談だが、本書を読んだら、ついでに国立国会図書館の電子展示本の万華鏡「あれもこれも和菓子」 http://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/25/index.html もぜひ。

2017/06/25

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)

徳川美術館・蓬左文庫「江戸の生きもの図鑑-みつめる科学の眼-」展(2017年6月2日〜7月9日)
http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/0602/

のポイントを、メモと記憶を頼りに。ちまちま直してたら、一週間かかってしまった。
 同展示の関連企画として、学芸部学芸員による土曜講座「尾張の本草学と博物図譜」が、2017年6月18日(日)午後1時30分〜3時に開催されていて(通常は土曜開催なのだが、都合で日曜だった模様)、たまたまこれも聞くことができたので、そこで聞いた話も組み込みつつ、自分なりに見どころを整理しておきたい。
 なお、あくまでメモと記憶を元にしているので、正確ではない点も多々あるかと思う。その点,ご容赦いただきたい。当然ながら、私的メモであって公式情報ではないのでご注意を。
 タイトル等は会場で配布されていた展示リストを参照した。また、上記の土曜講座で配布されたレジュメと講演時にとったメモも適宜参照している。
 生没年などは、磯野直秀『日本博物誌総合年表』(平凡社, 2012。文中では「磯野年表」と略記。)を参照したが、一部ネット情報を参照したものもある(その場合には参照先のURLを注記)。
 なお【 】内は、個人的に確認したり、気になった内容を書き込んでいるので、展示そのものとは切り離して読んでいただいた方がよいかと。

 さて、中身に入る前に「江戸の生きもの図鑑」展について、個人的に感じたすごい点をまとめておこう。

すごい①
 蓬左文庫、岩瀬文庫など、愛知県及び尾張徳川家関連の代表的なコレクションの所蔵品を一度に見られる。

すごい②
 現在は西洋植物学の移入に活躍した点で評価されることの多い、伊藤圭介、飯沼慾斎らの近代植物学的な面に限定されない多様な活躍を確認できる。

すごい③
 尾張の本草学者グループ、「嘗百社」の草創期から近代に至るまでの代表的学者の活動を概観できる。

 これで図録があれば完璧!、という感じなのだけど、そこはやむなし。

 展示の全体の構成は次のとおり。

一、美しき図譜
二、日本の本草学略史
 Ⅰ 江戸時代前期
 Ⅱ 江戸時代中〜後期
三、園芸の流行と植物図
四、尾張の本草学
 Ⅰ 本草学の展開
 Ⅱ 嘗百社と伊藤圭介
五、尾張の殿様と本草学

 展示リストによれば、総点数は70点。

 すごい①で述べたように、蓬左文庫所蔵資料はもちろん、名古屋市東山植物園、西尾市岩瀬文庫、雑花園文庫、名古屋市博物館など、愛知県内の各コレクションに加え、尾張徳川家第19代当主徳川義親ゆかりの資料を所蔵する徳川林政史研究所の資料が一同に並ぶ。

 「一、美しき図譜」では、岩瀬文庫所蔵の高木春山(?〜1852)自筆『本草図説』(1。以下同様に展示リストの番号を付す。)がいきなり登場。続いて、岩崎灌園(1786〜1842)『本草図譜』(岩瀬文庫蔵の2、蓬左文庫蔵の3)と定番もきっちり押さえる。

 注目は、すごい②で述べたように、名古屋市東山植物園蔵の飯沼慾斎(1783〜1865)『魚譜』(5)、『魚介譜』(6)、『禽虫魚譜』(7)で、植物画が取り上げられることが多い、慾斎の動物画に焦点を当てているところ。未製本の状態のものや、『慾斎翁遺物』という文字が(裏から透けて)見える仮綴状態の資料(魚譜(5))もあった。

 伊藤圭介(1803〜1901)関連では、名古屋大学附属図書館蔵『錦窠植物図説』(8)は、写本や印葉図、印刷物からの切り抜きなどを貼り込む形で編纂されたもの。
【蛇足。これを見ていたら、東京国立博物館の『博物館禽譜』等の『博物館○譜』を思い出した。編纂方法の類似性を感じさせる。こうした、様々な素材を組合せて、新しい編纂物を作り出していく方法論は、田中芳男が伊藤圭介から受け継いだものなのかもしれない、などと思ったり。】

 なお、伊藤圭介についても、植物ではなく動物を中心に紹介しており、いずれも名古屋大学附属図書館蔵の『錦窠虫譜』(9)、『錦窠魚譜』(10)、『錦窠獣譜』(11)が並んでいた……はずなのだが、既にどんな図だったのか記憶があやふやである。
 圭介所要の顕微鏡(12)は、徳川美術館のTwitterアカウントでも紹介されているとおり、今回の一押し展示品の一つ。

 土曜講座の方では、顕微鏡について、さらに詳しい説明があった。飯沼慾斎も同形の顕微鏡を所持しており、そちらも現存しているが、比較すると、圭介所用のものは交換レンズの記号などがアラビア数字で表示されているのに大して、慾斎所用のものはローマ数字で表示されているとのこと。同じカフ型顕微鏡といっても、同一ではない、ということが指摘されていた。

 その後は、正確な図を描くために絵師に入門して学んだという、京都の本草家の名門、山本読書室の山本章夫(1827〜1903)の図譜が並ぶ。『萬花帖』(14)、『果品』(15)(ブドウの美麗な図)、『禽品』(16)、『獣類写生』(17)と、いずれも西尾市岩瀬文庫蔵。
 
 「二、日本の本草学略史」は、『本草綱目』(18)、『大和本草』(19)など定番資料を蓬左文庫所蔵本で紹介した上で、西洋からの影響を、岩瀬文庫資料の西洋植物図譜からの写本や、宇田川榕菴『植学啓原』(23)、飯沼慾斎『草木図説』(24)で、紹介する、という流れ。

 「三、園芸の流行と植物図」では、名古屋園芸創業者による園芸関係資料の一大コレクションである雑花園文庫の資料を中心に、江戸期の園芸書を紹介。講座では、尾張本草学の第一世代の一人で御下屋敷内御薬園を管理していた、三村森軒(1691〜1762)による『朝顔名鑑抄』(29)において、文化年間の江戸でのブームにはるかに先駆けて、享保8年(1723)に変化朝顔についての記載がなされている点が、注目ポイントとして紹介されていた。

 「四、尾張の本草学」では、尾張本草学の中心人物たちの著作を中心に紹介。ここでは、すごい③の嘗百社関連資料が炸裂。すごい。
 例えば、尾張本草学において活発な議論が行われていたことを象徴する事例として、寛保3年(1743)から書物奉行を務めた松平君山(1697〜1783)による『本草正譌』(39)と、それに対する反論や補足をまとめた山岡恭安『本草正々譌』(40)を並べて展示。どちらも蓬左文庫蔵。講座では、さらに『本草正々譌』に反論した『本草正正譌刊誤』というのも出ていたことが紹介されていた。

 尾張本草学者グループの嘗百社を代表する水谷豊文(1779〜1833)の著作『物品識名』(41)は漢名と和名の対応をまとめたハンディサイズの資料で、「本草学者の必携書となった」と講座で紹介されていた。展示の蓬左文庫本は薄様紙に刷られており、展示では見えなかったが巻末に「尾州薬園」の印記のあるという特装本とのこと。

 伊藤圭介『泰西本草名疏』(46)も蓬左文庫蔵で、リンネ分類を示した二十四綱図が手彩色となっている献上本。

 『扇日光採薬目録・採集用心記』(49)は、伊藤圭介が三男の譲に贈った扇。かつて圭介が日光に採薬した際の採集品目を片面に書き出し(展示されていたのはこの面)、もう片面には採集時の注意事項を記したものとのこと。こちらは、名古屋市東山植物園蔵。

 雑花園文庫蔵『嘗百社交流申入状』(51)は、嘗百社が、様々な珍しい動植鉱物等の情報と現物についての交換を呼びかけたチラシ的なもの。水谷豊文の名前があり、嘗百社という名前が成立したと思われる文政年間から、豊文存命時のものと推定されていた。禽獣の場合には、剥製にして送ってほしい、としていて、その作り方なども簡略ながら説明されているのがまた興味深い。

 『乙未本草会物品目録』(52)は、嘗百社による天保6年(1835)の本草会の記録。展示されていたのは、蓬左文庫蔵で、浅井董太郎による献上本。全編手彩色という特製本(流布本に彩色はない)で、パネル展示もされていた。
【蛇足。浅井董太郎は、尾張藩奥医師を務めた名古屋浅井家の浅井紫山(1797〜1860)のことか。
日本掃苔録 浅井紫山 http://soutairoku.com/01_soutai/01-1_a/03-1_sa/asai_tonan_owari/asai_sizan.html の項を参照。】

 『吉田翁虫譜』(55)は、名古屋市博物館蔵。国立国会図書館所蔵本と比較すると、細密度で劣るとのことで、写本からの再転写ではないかと推測されていた。
【蛇足。吉田高憲(雀巣庵・1805〜1859)の著作で、展示されていたのは弟子の小塩五郎による写本。雀巣庵虫譜とも。国会図書館本は http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537382http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2607881 の少なくとも二種あり。磯野年表によると東京大学総合図書館本がもっとも伝存巻数が多いらしいが、OPACでは特定できなかった。田中芳男文庫か。】

 伊藤圭介が江戸・東京に転じた後も嘗百社で活躍した小塩五郎(1830〜1894)筆の『扶桑動物随観図説 魚之部』(56)も名古屋市博物館蔵で、愛知医学校の奈良坂源一郎旧蔵。東京帝大の田中茂穂によるという学名同定結果を記した付箋あり。
【蛇足。奈良坂源一郎(1854〜1934)は愛知医学校・医学専門学校(名古屋大学医学部の前身)で活躍した解剖学者。愛知県教育博物館に設立に関わるなど、博物館史の面でも要注目の人物の模様。
島岡眞「奈良坂源一郎関係史料目録(一) - 履歴関係資料のリスト及び解題 -」名古屋大学博物館報告. v.22, 2006, p.249-266 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.022.10
西川輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その1)」名古屋大学博物館報告. v.21, 2005, p.173-182 http://dx.doi.org/10.18999/bulnum.021.12

 徳川美術館蔵『百鳥図』(59)は、幕府所蔵の『百花鳥図』を借用して作成した写本とのこと。
【『百花鳥図』は元文2年(1737)に中国からもたらされたといわれるものか。尾張徳川家で作られた写本となれば、舶来した写本の姿をよく残している可能性もありそう。】

 「五、尾張の殿様と本草学」では、尾張徳川家に関わる資料やエピソードを紹介。
 ここでは、天保4年(1833)の海獣(ゴマフアザラシかアゴヒゲアザラシだったと推定されるとのこと)騒動について、『天保四巳日記 海獺談話図会』(60・岩瀬文庫蔵)、銅鐫海獣図説』(61・名古屋市博物館。鐫はつくりの上にに山かんむりあり)、『萩山焼膃肭臍置物』(62・徳川美術館蔵)の3点の関連資料が並ぶのが目を引いた。当時の海獣ブームの盛上りぶりを示していて興味深い。なお、62はアザラシっぽい動物を象った陶器。

 徳川慶勝(1824〜1883)『小禽帳』(67)は、安政4年(1857)に慶勝が目撃した鳥の名前を日付とともに記録したもの。押花標本を冊子にまとめた『群芳帖』(65)なども。徳川林政史研究所蔵。
【蛇足。磯野年表では「今後の研究が待たれる博物大名である」と評されており(p.664)、今回、関連資料が展示されたことで再検討が進むと良いなあ、と思ったり。】

 『築地名苑真景・草木虫魚写生図巻』(70)は徳川美術館蔵で、植物、昆虫、魚類などが描かれているが、筆者等は不明。巻頭・巻末に、尾張藩の江戸蔵屋敷周辺の風景が描かれていることから、その周辺で観察されたものが描かれているとも。講座では、名古屋市の水族館(名古屋港水族館か)や植物園(名古屋市植物園か)のスタッフと共同で、描かれている魚類、植物等の同定を試みているものの、種の特定に必要な情報が描き込まれていないことも多く、難しいとの話が紹介されていた。
 『木挽町御屋敷絵図』(69)はその関連資料で、蓬左文庫蔵。蔵屋敷周辺の工事予定図面で、対照することで、70で描かれている風景が、確かに蔵屋敷であることが確認できる。

 というわけで、つくづく図録がないのがもったいない展示でした。紹介しなかった展示資料についても、違う方が見れば、また違った面白さがあるかと。
 あ、尾張本草学や嘗百社に関心を持った方は、講座でも紹介されていた、名古屋市博物館『没後100年記念 伊藤圭介と尾張本草学 名古屋で生まれた近代植物学の父』展(2001)の図録も参照していただくと良いかと。

2017/05/07

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界〜」展(2017年4月15日〜5月28日)

 静嘉堂文庫美術館(http://www.seikado.or.jp/)の「挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界〜」展(2017年4月15日〜5月28日)の感想、というかメモ。
 挿絵という切り口と、いくつかのテーマを掛け合わせる形で、静嘉堂文庫所蔵の古典籍を紹介する、といった趣向。以下、とりあえず、若干メモを取った内容を忘れないうちに。
 「神仏をめぐる挿絵」のコーナーでは、南宋期の写本『妙法蓮華経変相図』が今回初公開。妙法蓮華経全体の絵解きが含まれている点でも珍しい模様。江戸時代後期の姫路藩家老の河合道臣(1767-1841)旧蔵。他にも、斯道文庫蔵の『仏説仁王護国般若波羅蜜経』(楊守敬、黎庶昌旧蔵)、『太乙集成』(明の宮廷で制作された彩色写本)なども。
 「辞書・参考書をめぐる挿絵」としては、南宋刊の科挙の参考書(礼記関連3点、詩経関連1点)が、いきなり並んでいて圧巻。それにしても、受験参考書における図表重視は、既に南宋期から始まっていたのか、と思うと趣深い。科挙合格者リストである『紹興十八年同年小録』(写本)には朱熹の名前が90人目として記載されている箇所が展示されていた。『永楽大典』、『欽定古今図書集成』などの定番もここ。『三才図会』の影響を受けた日本での刊行物として、『訓蒙図彙』2種(初版と再版系統。1丁当りの図版数が違う。)、『和漢三才図会』などもあり。
 「解説する挿絵」では、程大約『程氏墨苑』(万暦34年(1606)刊)と、先行した弟子の方于魯『方氏墨譜』(万暦16年(1588)刊)を並べて比較する、という趣向。師匠が教養の深さを見せつける形で弟子を圧倒する、という大人げない感じが味わい深い。『芥子園画伝』『天工開物』といった漢籍の定番に加えて、和本では細川頼直『機巧図彙』、岩崎灌園『草木図譜』なども。高野長英『勧農備考二物考』、滝沢馬琴『玄同放言』は、どちらも渡辺崋山が挿絵に参加。前者の「二物」とは早熟そばと馬鈴薯とのこと。キャプションに「フランスで出された百科事典の蘭訳」を利用したと記載があったけど、ショメルのことかな? 渡辺崋山繋がりで、重要文化財、崋山の『芸妓図』もここに展示。
 なお、『芸妓図』等の軸ものについては、付された賛について「おしゃべり館長による戯訳」が配布されており、とっつきにくい漢文の意味を分かりやすく、親しみやすい調子で説明してくれていて、好趣向。この「戯訳」を集めた展示会企画があったら楽しそう。
 「記録する挿絵」としては、長久保赤水(『東奥紀行』)、司馬江漢(『西遊旅譚』)、間宮林蔵(『東韃紀行』)らの旅行記や、『環海異聞』などの漂流記が並ぶ。特に『亜墨新話(初太郎漂流記)』の、メキシコの風景の彩色図による再現は、他にあまり見たことがない感じ。
 「物語る挿絵」としては、明代の絵入刊本として『琵琶記』『隋煬帝艶史』『唐書志伝通俗演義』が並び、どれも細密な挿絵が堪能できる。挿絵は見開き構成になっていたりして、後の日本への影響もちょっと気になる。和本は、伊勢物語の写本と刊本。特に承応3年(1654)刊本の方は色変わり雁皮紙を使用した小型本で、同様のものはあまり見たことない気がする。その他、奈良絵本、狂歌絵本など。ちなみに狂歌絵本『吾妻曲狂歌文庫』は、音声ガイドでも大活躍されている河野元昭館長が「僕の一点」にも選んでいるように、正に逸品。

静嘉堂文庫美術館「挿絵本の楽しみ」3 (饒舌館長)
http://jozetsukancho.blogspot.jp/2017/04/blog-post_27.html

狂歌が「物語」?という気もしたけど、作者を含めてキャラクター化しているという意味で、広く「物語」として見ることもできそうなので、これはこれで良いのではないかと。

2015/12/20

日本古書通信2015年11月号・12月号

 まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。
 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。
 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.html 発刊の背景と内容を紹介したもの。文中で紹介されているパネルディスカッション「社会とつながる近世文学」も中身が気になるところで、『近世文藝』 http://www.kinseibungakukai.com/doc/kinseibungei.html 101号でレポートされているとのこと。
 牧野泰子「私が出会った在米日本語稀覯書たち」p.12-13は、元プリンストン大学東アジア図書館日本資料担当司書であった著者による回想第2弾(第1弾は9月号に掲載された「アメリカ図書館界に足跡を残した思い出の人々」)。米国における日本古典籍資料整理に関する貴重な証言。国立国会図書館からの助っ人として相島宏さんの名前も出てきて、紹介される発言に相島さんらしいなあ、と思わずにやり。
 「書物の周囲」p.37-40では、『蟬類博物館−昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界』(練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.neribun.or.jp/furusato.html 編)は、10月1日から11月29日まで同館で開催されていた展示会 http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/events/events_z0301_00017.html の図録とのこと。蝉類研究の大家、加藤正世(1898-1967)の標本コレクションは東京大学総合博物館に寄贈されたとのことで、タイアップ企画だった模様。やってるの気付いてなかったなあ。小石川分館でも展示やってたのか。(「セミ博士の別室 加藤正世博物学コレクション」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2015Semihakase.html
 編集後記である「談話室」p.47の「「物」と「所有」が古本屋商売のキーワードで、文化のデジタル化、ヴァーチャル化がすすむ現在とは逆行する」という言葉が重いが、「所有」へのこだわりが完全になくなることはないような気もする。楽観的にすぎるかもしれないが。

 続いて日本古書通信1037号(2015年12月号)からいくつか。
 能勢仁「最近の出版販売事情−今年に思うこと」p.4-6は、出版に関する近年の動向を今年の事件や数字を軸に論じたもの。当然ながら「栗田出版販売の民事再生の申請」から近年の取次に関する動向から話が始まる。一方で、日本の出版輸出(特に実用書・ビジネス書)や、流通ルートとしてのコンビニエンスストアとの協業の可能性についても言及。また、出版流通のプラットフォーム、販売ルートが集約されつつある現状も指摘。
 真田幸治「論文「雪岱文字の誕生−春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」の紹介」p.8-10は、タイトル通り、『タイポグラフィ学会誌』08(2015年) http://www.society-typography.jp/news/2015/10/08-1.html に収録された著者の論文の内容をかいつまんで紹介したもの。特に挿絵で知られる小村雪岱の使用した独特の書体を「雪岱文字」として、『鏡花全集』の箱に登場する「雪岱文字」について、これまで確認されていなかった雪岱の関与を周辺の証言を通じて論じている。
 牧野泰子「私の駆け出し時代からテクニカルプロセス分科会時代まで」p.11-13は、11月号に続く回想第3弾。今回は、CEAL(Council on East Asian Libraries http://www.eastasianlib.org/ )や、CRL(Center for Research Libraries https://www.crl.edu/ )に関する著者等の活躍が語られている。
 廣畑研二「さまよへる放浪記(3)」p.16-17は、林芙美子 著・廣畑研二 校訂『林芙美子放浪記 復元版』論創社, 2012. http://ronso.co.jp/book/林芙美子 放浪記 復元版/ を編集・校訂した著者が、放浪記の各版について論じた連載の最終回。戦後になっても伏せ字が復活したりまた削られたりと、何故か決定版が出ないままとなっていた、放浪記各版の差異や問題点が丁寧に辿られていて、スリリングだった。もしかして、『甦る放浪記 復元版覚え帖』論創社, 2013.の内容を圧縮して紹介したものだったりするのかな? http://ronso.co.jp/book/甦る放浪記 復元版覚え帖/
 12月という区切りだからか、内田誠一「短冊閑話」が第12回、張小鋼「中国・異域文化の往来」が第24回で連載終了。前者は、短冊という触れる機会が多くはない世界を様々な切り口で紹介、(自分で買うところまではいかないのが申し訳ないと思いつつ)毎回楽しませていただいた。後者は、毎回一つの植物を対象に中国古典を渉猟して、その中国への伝来や受容について論じたもの。現代版「本草学」といった趣で、こちらも毎回面白く読ませていただいた。最終回の鬱金香(チューリップ)も、唐代の宮廷での贅沢な使われっぷりに驚愕。
 八木正自「Bibliotheca Japonica CCXVI 追悼−新田満夫氏の事跡①」p.33は、今年の10月27日に亡くなった、前・雄松堂書店会長兼社長(むしろ創業者と紹介すべきかも)の新田満夫氏追悼文。1960年代から70年代前半の学術雑誌輸入拡大と、大学の新設に伴う和古書・洋古書購入の活性化を背景に、業績を伸ばしていった過程が語られていて、興味深い。「図書館総合展」の立ち上げにおいて果たした役割についても言及あり。
 古賀大郎「21世紀古書店の肖像 59 古書 上々堂(しゃんしゃんどう)」p.35には、「最近買取に行くと、貴重な資料を図書館が引取拒否した話をよく聞くそうだ」との記述が。「そういう貴重な資料を引取って、市場に戻していくのも、これからの古本屋の大事な役割なんじゃないかな、と店主は語った」とのこと。
 「書物の周囲」p.38-39では、津田良樹,渡邊奈津子 編集・執筆『海外神社とは? 史料と写真が語るもの』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2015.なるものが。2014年3月に開催された展示の図録とのこと。これは見たい、と思ったら、PDFでも公開されていた。ありがたや。 http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/c6j6oe000000034h-att/kaigaijinnjyatoha.pdf

2014/12/20

河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』

 またえらく間が空いてしまった。
 河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版) http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html をようやく読了。途中、風邪引いたり色々調子崩したりしながら読んでたので、時間がかかってしまった。
 出版社のサイトにもPDFが掲載されている「はじめに」 http://www.nakanishiya.co.jp/files/tachiyomi/9784779508783hajimeni.pdf には、「初学者にむけて、この分野の持つ裾野の広がりと、現在における研究の大まかな到達点を示す」という「狙い」が書かれているのだけど、正直「初学者」レベルたっけーな、おい、という気分になるところもちらほら。とはいえ、これからこの分野に挑戦しようとする人に対して、変にハードル下げない、というのは、学生向けだとしたら正しいのかも。
 目次は、出版社のサイト http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html を参照してもらうとして、大ざっぱに言うと、特定の主題に関する同時代の複数の人物による議論を対比的に紹介することで、(1)その主題が抱える論点、(2)それぞれの人物の論が持つ特徴、(3)人物たちが置かれた時代状況、といった点を浮かび上がらせる、という組立はだいたい共通してるのかな、という感じ。ただ、どこに重点を置くかはそれぞれ論者で違う。
 論者によっては、さらにそこに「通説」や先行研究との対比が加わる。例えば、高山大毅「制度 荻生徂徠と會澤正志齋」では、荻生徂徠なので、丸山眞男が召喚されたりして、日本思想史における主要な参照枠が何となくそこここに見えるようになっている……んじゃないかな。主要な参照枠自体に関する知識自体が薄いので、たぶん、だけど。
 そんな感じで、色々配慮された論集なのだけれど、素人読者としては、三ツ松誠「宗教 平田篤胤の弟子とライバルたち」で、明治初期の段階での神道家たちの分裂と対立による自滅っぷりを面白がったり、河野有理「政体 加藤弘之と福澤諭吉」で、加藤弘之って結構論旨一貫してんだな、と関心したり、王前「二十世紀 林達夫と丸山眞男」で、林達夫格好いいぜ、とか思ったりするばかりなのだった。申し訳ない。他にも、尾原宏之「軍事 河野敏鎌と津田真道」での、徴兵制を巡る明治期の議論のレベルの高さにぶっとんだり、趙星銀「デモクラシー 藤田省三と清水幾太郎」で60年安保における清水幾太郎の目的達成できなきゃ結局負けだろ的な発言に共感したりと、色々楽しかった。
 そういえば、長尾宗典「美 高山樗牛と姉崎嘲風」での日露戦争のように、複数の論者に共通する隠し(?)テーマとして、それぞれの時代における「戦後」というのもあったかもしれない。戦争だけではなく、安保のような広範な社会的運動や事件の後、という場合も含めると、思想史の持つ、大きな歴史的転換点に直面した人々が、それをどう受け止め、何を考えたのかを論じる学問という側面を楽しむ、という読み方もできるかも。
 ボーナストラック的に入っている、河野有理・大澤聡・與那覇潤「【討議】新しい思想史のあり方をめぐって」は、ほぼ同世代の三人の論者が、どのような体験を経ながら研究者となったのかを語りつつ、現在の学問状況を論じる、という趣向。ただ、初学者用に人名・用語解説が欲しかった気が。同時代性・同世代性が強くて難易度高い……。とはいえ、日本史・日本思想史周辺の、人文系学会の現状がちらちらと見えて、やじ馬根性的には興味深かったり。2000年前後の人文系学問状況に関する証言として、後で貴重になるかも。
 共通する人物や主題が複数の論考に登場することもあって、ちゃんと巻末に人名・事項索引があるのはさすが。各論考にあげられたキーワード(言語、風景、政体、美、正閏、イロニー…)に興味があったり、人名(本居宣長、阪谷素、福澤諭吉、高山樗牛、保田與重郎、山本七平…)に関心があったら、そこから拾い読みしてみるのが良いかと。ただ、「初学者向け」であって入門書ではないかもしれない。

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