2015/12/20

日本古書通信2015年11月号・12月号

 まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。
 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。
 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.html 発刊の背景と内容を紹介したもの。文中で紹介されているパネルディスカッション「社会とつながる近世文学」も中身が気になるところで、『近世文藝』 http://www.kinseibungakukai.com/doc/kinseibungei.html 101号でレポートされているとのこと。
 牧野泰子「私が出会った在米日本語稀覯書たち」p.12-13は、元プリンストン大学東アジア図書館日本資料担当司書であった著者による回想第2弾(第1弾は9月号に掲載された「アメリカ図書館界に足跡を残した思い出の人々」)。米国における日本古典籍資料整理に関する貴重な証言。国立国会図書館からの助っ人として相島宏さんの名前も出てきて、紹介される発言に相島さんらしいなあ、と思わずにやり。
 「書物の周囲」p.37-40では、『蟬類博物館−昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界』(練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.neribun.or.jp/furusato.html 編)は、10月1日から11月29日まで同館で開催されていた展示会 http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/events/events_z0301_00017.html の図録とのこと。蝉類研究の大家、加藤正世(1898-1967)の標本コレクションは東京大学総合博物館に寄贈されたとのことで、タイアップ企画だった模様。やってるの気付いてなかったなあ。小石川分館でも展示やってたのか。(「セミ博士の別室 加藤正世博物学コレクション」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2015Semihakase.html
 編集後記である「談話室」p.47の「「物」と「所有」が古本屋商売のキーワードで、文化のデジタル化、ヴァーチャル化がすすむ現在とは逆行する」という言葉が重いが、「所有」へのこだわりが完全になくなることはないような気もする。楽観的にすぎるかもしれないが。

 続いて日本古書通信1037号(2015年12月号)からいくつか。
 能勢仁「最近の出版販売事情−今年に思うこと」p.4-6は、出版に関する近年の動向を今年の事件や数字を軸に論じたもの。当然ながら「栗田出版販売の民事再生の申請」から近年の取次に関する動向から話が始まる。一方で、日本の出版輸出(特に実用書・ビジネス書)や、流通ルートとしてのコンビニエンスストアとの協業の可能性についても言及。また、出版流通のプラットフォーム、販売ルートが集約されつつある現状も指摘。
 真田幸治「論文「雪岱文字の誕生−春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」の紹介」p.8-10は、タイトル通り、『タイポグラフィ学会誌』08(2015年) http://www.society-typography.jp/news/2015/10/08-1.html に収録された著者の論文の内容をかいつまんで紹介したもの。特に挿絵で知られる小村雪岱の使用した独特の書体を「雪岱文字」として、『鏡花全集』の箱に登場する「雪岱文字」について、これまで確認されていなかった雪岱の関与を周辺の証言を通じて論じている。
 牧野泰子「私の駆け出し時代からテクニカルプロセス分科会時代まで」p.11-13は、11月号に続く回想第3弾。今回は、CEAL(Council on East Asian Libraries http://www.eastasianlib.org/ )や、CRL(Center for Research Libraries https://www.crl.edu/ )に関する著者等の活躍が語られている。
 廣畑研二「さまよへる放浪記(3)」p.16-17は、林芙美子 著・廣畑研二 校訂『林芙美子放浪記 復元版』論創社, 2012. http://ronso.co.jp/book/林芙美子 放浪記 復元版/ を編集・校訂した著者が、放浪記の各版について論じた連載の最終回。戦後になっても伏せ字が復活したりまた削られたりと、何故か決定版が出ないままとなっていた、放浪記各版の差異や問題点が丁寧に辿られていて、スリリングだった。もしかして、『甦る放浪記 復元版覚え帖』論創社, 2013.の内容を圧縮して紹介したものだったりするのかな? http://ronso.co.jp/book/甦る放浪記 復元版覚え帖/
 12月という区切りだからか、内田誠一「短冊閑話」が第12回、張小鋼「中国・異域文化の往来」が第24回で連載終了。前者は、短冊という触れる機会が多くはない世界を様々な切り口で紹介、(自分で買うところまではいかないのが申し訳ないと思いつつ)毎回楽しませていただいた。後者は、毎回一つの植物を対象に中国古典を渉猟して、その中国への伝来や受容について論じたもの。現代版「本草学」といった趣で、こちらも毎回面白く読ませていただいた。最終回の鬱金香(チューリップ)も、唐代の宮廷での贅沢な使われっぷりに驚愕。
 八木正自「Bibliotheca Japonica CCXVI 追悼−新田満夫氏の事跡①」p.33は、今年の10月27日に亡くなった、前・雄松堂書店会長兼社長(むしろ創業者と紹介すべきかも)の新田満夫氏追悼文。1960年代から70年代前半の学術雑誌輸入拡大と、大学の新設に伴う和古書・洋古書購入の活性化を背景に、業績を伸ばしていった過程が語られていて、興味深い。「図書館総合展」の立ち上げにおいて果たした役割についても言及あり。
 古賀大郎「21世紀古書店の肖像 59 古書 上々堂(しゃんしゃんどう)」p.35には、「最近買取に行くと、貴重な資料を図書館が引取拒否した話をよく聞くそうだ」との記述が。「そういう貴重な資料を引取って、市場に戻していくのも、これからの古本屋の大事な役割なんじゃないかな、と店主は語った」とのこと。
 「書物の周囲」p.38-39では、津田良樹,渡邊奈津子 編集・執筆『海外神社とは? 史料と写真が語るもの』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2015.なるものが。2014年3月に開催された展示の図録とのこと。これは見たい、と思ったら、PDFでも公開されていた。ありがたや。 http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/c6j6oe000000034h-att/kaigaijinnjyatoha.pdf

2014/12/20

河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』

 またえらく間が空いてしまった。
 河野有理 編『近代日本政治思想史 荻生徂徠から網野善彦まで』(ナカニシヤ出版) http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html をようやく読了。途中、風邪引いたり色々調子崩したりしながら読んでたので、時間がかかってしまった。
 出版社のサイトにもPDFが掲載されている「はじめに」 http://www.nakanishiya.co.jp/files/tachiyomi/9784779508783hajimeni.pdf には、「初学者にむけて、この分野の持つ裾野の広がりと、現在における研究の大まかな到達点を示す」という「狙い」が書かれているのだけど、正直「初学者」レベルたっけーな、おい、という気分になるところもちらほら。とはいえ、これからこの分野に挑戦しようとする人に対して、変にハードル下げない、というのは、学生向けだとしたら正しいのかも。
 目次は、出版社のサイト http://www.nakanishiya.co.jp/book/b183302.html を参照してもらうとして、大ざっぱに言うと、特定の主題に関する同時代の複数の人物による議論を対比的に紹介することで、(1)その主題が抱える論点、(2)それぞれの人物の論が持つ特徴、(3)人物たちが置かれた時代状況、といった点を浮かび上がらせる、という組立はだいたい共通してるのかな、という感じ。ただ、どこに重点を置くかはそれぞれ論者で違う。
 論者によっては、さらにそこに「通説」や先行研究との対比が加わる。例えば、高山大毅「制度 荻生徂徠と會澤正志齋」では、荻生徂徠なので、丸山眞男が召喚されたりして、日本思想史における主要な参照枠が何となくそこここに見えるようになっている……んじゃないかな。主要な参照枠自体に関する知識自体が薄いので、たぶん、だけど。
 そんな感じで、色々配慮された論集なのだけれど、素人読者としては、三ツ松誠「宗教 平田篤胤の弟子とライバルたち」で、明治初期の段階での神道家たちの分裂と対立による自滅っぷりを面白がったり、河野有理「政体 加藤弘之と福澤諭吉」で、加藤弘之って結構論旨一貫してんだな、と関心したり、王前「二十世紀 林達夫と丸山眞男」で、林達夫格好いいぜ、とか思ったりするばかりなのだった。申し訳ない。他にも、尾原宏之「軍事 河野敏鎌と津田真道」での、徴兵制を巡る明治期の議論のレベルの高さにぶっとんだり、趙星銀「デモクラシー 藤田省三と清水幾太郎」で60年安保における清水幾太郎の目的達成できなきゃ結局負けだろ的な発言に共感したりと、色々楽しかった。
 そういえば、長尾宗典「美 高山樗牛と姉崎嘲風」での日露戦争のように、複数の論者に共通する隠し(?)テーマとして、それぞれの時代における「戦後」というのもあったかもしれない。戦争だけではなく、安保のような広範な社会的運動や事件の後、という場合も含めると、思想史の持つ、大きな歴史的転換点に直面した人々が、それをどう受け止め、何を考えたのかを論じる学問という側面を楽しむ、という読み方もできるかも。
 ボーナストラック的に入っている、河野有理・大澤聡・與那覇潤「【討議】新しい思想史のあり方をめぐって」は、ほぼ同世代の三人の論者が、どのような体験を経ながら研究者となったのかを語りつつ、現在の学問状況を論じる、という趣向。ただ、初学者用に人名・用語解説が欲しかった気が。同時代性・同世代性が強くて難易度高い……。とはいえ、日本史・日本思想史周辺の、人文系学会の現状がちらちらと見えて、やじ馬根性的には興味深かったり。2000年前後の人文系学問状況に関する証言として、後で貴重になるかも。
 共通する人物や主題が複数の論考に登場することもあって、ちゃんと巻末に人名・事項索引があるのはさすが。各論考にあげられたキーワード(言語、風景、政体、美、正閏、イロニー…)に興味があったり、人名(本居宣長、阪谷素、福澤諭吉、高山樗牛、保田與重郎、山本七平…)に関心があったら、そこから拾い読みしてみるのが良いかと。ただ、「初学者向け」であって入門書ではないかもしれない。

2014/08/11

富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』

 さて、予告通りに、富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』新書館, 2014. https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21106-5/について書いてみる。
 困ったことに、自分がどういう経緯で富士川英郎(ふじかわ・ひでお, 1909-2003)という名前を知ったのか、どうしても思い出せずにいる。
 富士川英郎の父、富士川游(ふじかわ・ゆう, 1865-1940)の名は、日本医学史の大家として学生時代から知っていたが、富士川英郎の名を認識したのは、もっとずっと後のはずだ。まだ10年と経ってはいないように思う。誰かのエッセイか何かで紹介されていたのを読んで、興味を持ったのだと思うが、どうにもよくわからない。
 と思ったら、同じようなことを、2010年にも同じようなことを書き出しで書いていた(http://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2010/05/post-900a.html)。我ながら本当に進歩がない。

 ともかくも、私にとって、富士川英郎は、江戸後期の漢詩人への道案内人であり、また、優れた、かつ、入手困難な(コレクター心をそそる)随筆集の書き手であった。残念ながら、ここ数年は富士川英郎本を入手できていないが、それはまあ、時の運なので、気長に楽しむことにしている。
 そういえば、富士川英郎のご子息である富士川義之氏(ああ、敬称の使い方がなんだかぐちゃぐちゃに…)も学者であることも、どこで読んだのか…猫猫先生のブログだったような気もするが、これまたよく覚えていない。2012年の日本医史学雑誌(58(4) http://ci.nii.ac.jp/naid/40019550492)に、日本医史学会平成24年4月例会 シンポジウム「富士川游先生と富士川英郎先生」の抄録が掲載されており、この中に、富士川義之氏の報告が掲載されていたのは覚えているので、この時には既に認識していたのだろう。
 後書きによると、この『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』の最初の部分は、今はなき新書館の『大航海』68号(2008年10月)から71号(2009年7月)に掲載されたものを元に加筆した、というから、もしかすると、それを掲載時に読んで、富士川英郎という名前を覚えたのかもしれない。いや、富士川英郎の名は既に認識していて、こんな連載やってたのか、と驚愕したような気もしなくもなし……うーむ、ダメだ、こりゃ。

 さて、というわけで、本書は、著者の父親の評伝、ということになる。しかも、富士川英郎は、富士川游著作集の編者であり、富士川游の業績の再評価に尽くしたことから、結果的に、祖父についても、本書で多くを語っている。
 そして、本書では、富士川英郎という人物について直接語られるだけではなく、富士川英郎の代表的著作のエッセンスが紹介されている。富士川英郎著作集がもし編まれるとしたら、本書はその格好のガイドブックになるだろう。
 例えば、富士川游と森鷗外(富士川游は、森鷗外の史伝執筆のための調査や資料探索に協力していた)が親しげに話す姿を目撃した幼き日の英郎の印象や、萩原朔太郎の詩と出会って詩に開眼していく青年期の様子などが、英郎自身の筆による回想を見事にまじえながら、丁寧に辿るように詳細に語られていく。特に後半は、代表的著作の内容を紹介しながら、その魅力と、富士川英郎の著作の魅力を詳細に解き明かしていて、まだ見ぬ多くの著作への夢が膨らむ。
 結果として、本書はリルケを始めとするドイツ詩の綿密な注釈・解釈を行い、森鷗外の史伝に傾倒しそしてその方法論を自らのものとしながら、江戸後期の漢文学の最善の部分を現代に継承しようとした富士川英郎の遺したものについての最善の入門書であり、解説書になっている……と思う。そもそも、富士川英郎の著作で自分が読んだことがあるのは、ほんの一部でしかないので、そもそもが判断などできようがないのだけど。
 一方で、評伝にしては、著者の富士川英郎に対する視線はなんとも複雑だ。ところどころに現れる、父と自分との関係を問い直す記述は、自分自身の奥底を見つめ直すかのような、重苦しさを時にまとっている。しかし、そこがまた、本書のおいしいところでもある。本書で語られている、森鷗外の史伝をモデルとしたという、ひたすら事実を積み重ねていく富士川英郎の菅茶山伝のスタイルとは異なり、著者の主観が顔を出し、その主観の向こう側に、ストイックで静かな印象の富士川英郎の随筆とは異なる、語り、生活する富士川英郎の姿が、本の少し、読者であるこちらにも見えてくる……ような気がするのだ。

 それにしても、本書を読んで驚愕したのは、富士川英郎が教養学部の教授として活躍していた、ということだったり(いや、もっと早く認識しようよ、と自分に突っ込んだ)、自分が駒場キャンパスに通っていた間に、退職してずいぶん経った後ではあるが、講演をしていたという事実であった。もったいないことをした、とも思うが、学生時代の自分は、興味は持たなかっただろうな、とも思う。年を食ったから面白いと思うようになるものだってあるんだからしょうがない。
 自分には、富士川英郎のように、「淡々と自分の好むことについてだけ書」(p.387)き、「自然の流れのままに生きる」(p.424)ような、生き方はできそうもない。けれども、富士川英郎が既に失われて久しい江戸期の文人たちの交流をいとおしんだように、本書を通じて、最後の文人の生き方に勝手にあこがれることくらいは許されるだろう。
 そんなこんなで、古書店や古本まつりをのぞきながら、富士川英郎の随筆集を探す楽しみはこれからも続くのである。

2014/07/12

富士川英郎『鷗外雑志』

 富士川英郎『鷗外雑志』小沢書店,1983. http://id.ndl.go.jp/bib/000001634308 をようやく読みえた。富士川英郎(1909-2003)は、ドイツ文学者であるともに、江戸時代後期の漢詩の紹介に活躍し、また、文学や書物を題材にしたエッセイを多数残したことでも知られる。
 まずは目次を書き起こしておこう。


森鷗外の史傳をめぐって
『伊澤蘭軒』のこと
『伊澤蘭軒』をめぐって


森鷗外と三村竹清
森鷗外と呉秀三
森鷗外と喜田貞吉

あとがき
初出一覧

 実は、子息である富士川義之氏による『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館, 2014)の方を先に読み終わっていて、そちらの感想を書こうと思っていたのだが、近所の図書館でこの『鷗外雑志』があるのを発見して、うっかり読み始めてしまったのが運の尽き。富士川英郎の本は、斜め読みができない。引用と細部にこそ味わいがあるタイプの書き手なので、読むのにどうしても時間がかかってしまう。
 富士川英郎が鷗外の、特にその史伝に特別な思い入れがある、ということは、実は『ある文人学者の肖像』を読むまで認識していなかったのだが、考えてみれば、鷗外の史伝の対象は医家でもあり、英郎の父である富士川游が、鷗外と同時代を生きた医学史研究の大家であったことを考えれば、結びつきを思い浮かべないこちらが間抜けというものだろう。
 といっても、そもそも、実はまだ鷗外の史伝を読んでないんだから、気付かなくて当たり前といえば当たり前か。実は、本書で最大のページ数をとっているのは、岩波版第三次鷗外全集の月報に連載された「『伊澤蘭軒』標注」から再構成された「『伊澤蘭軒』をめぐって」なのである。ここでは、鷗外の『伊澤蘭軒』における考証の遺漏を補い、鷗外の時代には知られていなかった関連の資料を紹介したり、鷗外の考証の誤りを、原資料を読み直すことで正していく作業が淡々と行われている。
 間抜けな話だが、本体を読まずに、標注だけ読んだわけだ。ところが、これが案外面白い。現在と比較すれば検索ツールもほとんど整備されていない状況で、鷗外がどれだけの資料と情報を集約し、考証を進めていったのかが、その鷗外の解釈を踏まえた上で、さらに考証を深めていく富士川英郎の淡々とした筆致から、返って浮かび上がってくる、といえばよいか。
 しかも、そこに登場するのは、狩谷棭斎、屋代弘賢、大田南畝といった、江戸期の定番文人連であり、鷗外説に検討を加える森銑三だったりするのである。なんだよ、鷗外の史伝って、案外、自分の領域に近いとこだったんじゃないの、という気分が高まってくるのだが、とても注釈なしに読みこなせる自信がない。誰かどの版で読めばよいか教えてくれないものか。

 一方で、鷗外がどのように史伝に必要な情報や資料を集めていたのかを解き明かしているのが、「森鷗外と三村竹清」「森鷗外と呉秀三」といえるかもしれない。後者、呉秀三は医学ルートで鷗外と接触あっても別におかしくないよな、という感じだし(実際には、鷗外の弟の森篤二郎が、呉秀三と医学部の同窓でそこからの縁とのこと)、呉も医学史研究をやってた時期があるので、何となく納得なのだが、三村竹清には驚いた。
 竹清についての紹介は、富士川英郎の筆を借りるとしよう(漢字は新字体に改めた)。

「三村竹清は名を清三郎といい、東京の京橋八丁目の竹屋の主人であった。幼いときに両親を失い、十二歳で小学校を退学して、丁稚奉公にでたというような経歴の持主でありながら、生まれつき頭が良かったうえに、読書好きであったせいか、のちには和漢の書物にわたって、その造詣には量るべからざるものがあったという。…(中略)…その学問には別に千文がなく、江戸時代の雑学者の伝統のうえに立っていた最後のひとりで、森銑三氏は、「京伝、種彦の系統を引く江戸の雑学が、伝えられて(三村)翁に至り、そこでぷッつり切れてしまつた形である」と言っておられる。」

 富士川英郎は、残された書簡や、日記、回想などから、鷗外と竹清の交流と、二人の間で鷗外の史伝の材料となる様々な資料や情報がどのようにやりとりされたのかを、多くの引用と考証によって解き明かしている。これを読むと、図書館や参考図書、検索ツールが整備されていない状況で、どのようにして鷗外が江戸時代の人物の事細かな事跡を明らかにしていったのか、その過程や手法が、部分的にせよ見えてくる。
 あることがわからない場合には、知っていそうな人に片っ端から手紙を送り、本人は分からなくても知っていそうな人を紹介してもらい、またその人に手紙を書く。関連する資料があるとわかれば、それを持っている人を探し出し、借りて写しを作る。史伝の対象の遺族・子孫を探し出し、その人たちの話を採取する。そういったことを地道に鷗外は行っていたのである。
 特に人的ネットワークは強力で、呉秀三や富士川游ら、一流の学者たちが、鷗外の質問を受けて、それぞれの知識や調査結果を鷗外に送り返していた。まあ、鷗外に、これ知らない?、と聞かれたら、つい調べたくなるのもわかるような……。
 そうした人的ネットワークが大学アカデミズムの枠を飛び越え、市井の学者である三村竹清にも届いていた、というわけだ。竹清は、鷗外の質問に答えるだけではなく、新聞での史伝連載をリアルタイムで読みながら、疑問点や誤りの指摘などの手紙を随時送り、鷗外もそれに謙虚に応えていたことを、富士川英郎は淡々と紹介している。
 最後の「森鷗外と喜田貞吉」は、歴史学者喜田貞吉と鷗外との交流を紹介する小文。こちらは史伝絡みではなく、帝室博物館長時代の鷗外と、京大時代の喜田貞吉が、正倉院の曝涼の際に結んだ交流が語られ、これはこれで、博物館史的にも、歴史学史的にもちょっと面白いエピソードかもしれない。

 さて、次は『ある文人学者の肖像』の感想に手を付けたいところだけど、だんだん忘れてきてるぞ。大丈夫かなあ。

(2014年7月14日追記。若干、誤字等修正しました。まだありそう…。)

2014/03/22

内閣文庫と昌平坂学問所旧蔵書

 先日、ちょっとした家庭内レファレンスで苦労したので、その過程を忘れないようにメモしておく。
 内閣文庫の林羅山の展示(平成25年度連続企画展「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」 http://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_25_6.html)がきっかけなのだが、相方から「昌平坂学問所の資料ってどういう過程で内閣文庫に入ったんだっけ」との疑問が出された。
 二人ともまずは長澤孝三『幕府のふみくら』(吉川弘文館, 2012)があれば手掛かりが何か書いてあるかもしれない、というのは思いついたのだが、こういう時に限ってどこかに埋れてしまって、出てこない。
 やむなく、他に何かあったかな、という家捜しが始まった。
 まずは、『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店, 1999)を見てみたが、林羅山や昌平坂学問所などの項目には資料の来歴についての記述はあまりない。
 しかたなく、本棚を漁ると、現在は内閣文庫に資料が受け継がれているという点で共通項がある福井保『紅葉山文庫 : 江戸幕府の参考図書館』(郷学舎,1980)が出てきたが、当然ながら昌平坂学問所の話は出てこない。
さらに本棚を漁っていたら、長澤孝三編・発行『内閣文庫思い出咄』(2001)が出てきた。これには、『内閣文庫沿革略』(内閣文庫, 1970)が再録されている。で、見てみると、
「維新後は、大学・書籍館・浅草文庫など数次の変遷を経て、明治十七年に太政官文庫に移管された。」
との記述が出てきた。太政官文庫=内閣文庫で大体大丈夫なはずだし、まあ、これでよいかな、と思い、一安心。
 しかし、この記述を見た相方からは、これでは「など」がどうなっているのか分からないではないか、との反応が…
この時点でもうすぐ日付が変わる時間帯になりつつある。早く風呂入って寝たいのに、何だこの細部に対するこだわりは、ニューなクラシックとかにブログが転載されたり、原稿載ったりする野菜な人たちの影響か、おのれ野菜め、とよく分からない逆恨みをしつつ、そう言われると自分も気になるので、もうちょっと調べてみることにした。
 今度は、直接答えは出なくても、何を見れば分かりそうかが分かるだけでも良いか、と戦略を変えることにして、鈴木俊幸編『増補改訂 近世書籍研究文献目録』(ぺりかん社, 2007) を見てみた。この目録、索引がないので、目次で当たりをつけるしかない。見ると「9.享受」のところに、「9.2 蔵書」があり、「昌平黌」の項目が立っている。おお、これだな、と見てみると、そのものズバリ、というのはなさそうだが、小野則秋「昌平坂学問所文庫の研究」がそれっぽい。まあ、ここまでか、と思ったところで、ふと気がついた。あれ?小野則秋なら、『日本文庫史研究』(臨川書店, 1988(改訂新版第三刷))が、あったような…と思って見てみたら、下巻の第二章が「昌平坂学問所文庫の研究」で、その第七節が「余論−維新後における昌平黌の旧蔵書」ではないか。
 というわけで、これでかなり詳細が判明。大枠としては先の『内閣文庫沿革略』の記述で良いのだが、大学の前後がかなり錯綜していることが分かった。一方、浅草文庫から太政官文庫に入るまでの間の経緯は、小野則秋の記述でもはっきりしない。ただ、その日はこれで諦めることにした。
 その後、さらに、樋口秀雄「浅草文庫の創立と景況」参考書誌研究 (4), 1-9,図巻頭2p,[1972年3月] http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050876_po_04-02.pdf?contentNo=1 を見てみたら、浅草文庫後の経緯が詳述されていた。こりゃなんともややこしい。内務省と農商務省に、陸軍まで絡んで、綱引きが行なわれていたわけだ。さらに、小野則秋がやや詳しく書いているように、特に貴重な典籍は宮内省図書寮にも移しているわけで、こりゃよくわからない訳である。

 こういったことは、実は何か別の資料を見ると、簡単に分かることなのかもしれないが、後で何かの参考になるかもしれない(ならないかもしれないが)ので、メモとして残しておく。

(2014-03-22 21時ごろ追記)
 野菜の人から、この論文を読め、という指令、じゃなかった、ご教示をいただいたので、追記しておく。



NDL-OPACだとこちら。
http://id.ndl.go.jp/bib/3590580
Cinii Articleだと……おっと、今日は電源設備工事中だったか。残念。

2014/03/02

古賀勝次郎『鑑の近代 「法の支配」をめぐる日本と中国』春秋社, 2014

 申し訳ないのだが、私個人としてはこの本をお勧めはしにくい。残念ながら、私にとっては非常に読みにくい本だったのだ。そういう場合は、普通、こんな風にブログで採り上げようとは普通思わないのだが、本書については、書いてある内容自体は、何やら面白かったんである。
 というわけで、以下、本書の内容を、私なりに説明してみることにする。本来書いてあることと全然違ったりする可能性が、いつにも増して高いので、そういうものと思ってご覧いただきたい。

 本書では、次の三つの問いについて論じている。

(1)西洋の立憲主義、法治国家的な制度を、何故明治期の日本は一定程度確立することができたのか。
(2)そして、それが何故崩壊したのか。
(3)日本では曲がりなりにも成立しえた立憲主義が、何故中国では確立しなかったのか。

 これらの問いについて答えるために、本書の前半では、西洋法思想史と、中国儒学史、法家思想史の講義が展開される。大枠をざっくりまとめておく。この辺、基礎知識がないので、大誤解になっている可能性が高いので、あまり信じないように。

 西洋の法思想は、ローマ法とキリスト教を淵源とする自然法を中心に、法の正統性の根拠として、立法者の外部に立法者を超えた何かを置く思想が根強くあった。また、「善悪」を論じる倫理に対して、「正不正」「権利」の概念と結びつくことで、法は社会の基礎として高い位置を占めていた、というのが、本書における西洋社会の特徴の見立てである。
 ちなみに、自然法ではないが、歴史的に形成された慣習に根拠を求める歴史主義も、立法者の外部に根拠があるとする意味では、この伝統に連なるということもできるだろう。
 そうした、立法者の外部に法の根拠があるとする法思想に対する批判として、ドイツを中心に、法実証主義と呼ばれる、立法者と立法目的、そして法自身の合理性を根拠とする法思想が出てくる。ところが、法実証主義は、法を政策実現の手段とする考え方とつながることで、法と「正不正」の概念の切り離しが進むとともに、立法者やその執行者自身も法に縛られるという法治国家の基礎を切り崩すことになっていく(戦間期のドイツや日本など)。

 一方、中国の儒学では「正不正」概念は、「徳」「礼」などの倫理ともに、「政」と強く結びつき、法と結びつくことは無かった。むしろ、法や制度を実利を求めるものとして軽んじる傾向が強かった。この儒学が国家の正当な学として位置づけられ、科挙による官僚制の基礎となったために、科挙を通過した中国の官僚は、法制度運用の実務に疎い者が少なくないという、状況を引き起こしていったという。
 対する法家は法を重視したが、統治の手段として法を重視したのであって、法(特に刑罰)によって民衆を縛るということはあっても、立法者や為政者が法に縛られる、という考え方はほとんどなかった。
 唯一の例外が、孔子以前に成立した思想であり、法家思想の創始とも言われる管子である。管子は、後の法家思想につながる要素を持ちつつも、一方で、法と道徳を強く結びつけ、両者が重なる領域の重要性を指摘しており、西洋の自然法思想に近い要素を内包していたのである。

 こうした前提を踏まえ、本書は先の問いに、次のような答えを出している。

(1)日本では、江戸後期〜幕末期に、西洋の自然法思想に近い要素を持った『菅子』の研究が安井息軒によって進み、その弟子または周辺の人たちが西洋の法制度を理解し、日本への導入に活躍する素地を作った。
(2)しかし、一旦は法治国家の確立に成功したものの、日本には自然法思想的な伝統は定着せず、むしろ、法家思想に関する教養が法実証主義を受入れることを容易にした。また、法実証主義は、法を立法者と為政者の意図を実現するための手段と化すことで、国家の権限と権力を強化することで社会変革を目指す国家社会主義等と結びくこととなった。これらの結果、立法者、為政者に対する法の支配は切り崩され、日本の立憲主義、法治主義は崩壊した。
(3)中国でも、管子を梃子として、西洋の立憲主義、法治主義を導入する動きが進み、辛亥革命を経て、当時最も立憲主義を理解していたと思われる宋教仁を中心として制定した憲法、中華民国臨時約法に結実する。しかし、この暫定憲法の下で複数政党による選挙が行なわれたものの、第一党の党首であった宋教仁は袁世凱によって暗殺され、その後の混乱の中、立憲制は崩壊してしまった。ちなみに、その後の社会主義国家における法思想は、法実証主義に近いものであり、法は立法者=計画者が計画の実現のために制定するものであって、立法者自身が法に従う法治主義とは異なる性質のものである。

と、本書の結論を私なりに大ざっぱにまとめると、こんな感じ。

 何と言うか、本書のテーマは、実に現在的なものなんじゃなかろうか。
 本書を読んでいると、今の日本に必要なのは『管子』の読み直しなんじゃね?、という気がしてしまう。いや、別に本書では現在の問題として議論されているわけではないのだが、読めば読むほど、なんだかそんな気分に…

 また、その管子の研究を進め、多くの弟子を育てた安井息軒(1799〜1876)も興味深い。
 例えば、息軒の私塾三計塾で学び、明治期に活躍した人物としては、谷干城、陸奥宗光、井上毅、千葉卓三郎らが紹介されている(特に谷干城は三計塾での教育について詳しく書き残している)。ほかにも大量の名前が並んでいるのだが、自分がよく知らない人も多いので省略。三計塾以外に息軒と親交があった人物としては、木戸孝允、西村茂樹らの名前もあがる。
 安井息軒は、朱子学者以外で昌平黌の教授となった(文久2年(1862))最初の人物である。徂徠学の影響を受けた儒者であるとともに、師の松崎慊堂や清朝考証学の影響を受けた考証学者でもあった。本書では、その立場を「法、制度を重視する考証学」と表現している。「周礼」を中心とした中国古代法制史研究を踏まえた上で、管子などの中国思想の理解を進めたということなので、現在の言葉で言えば、法制史研究と思想史研究を同時に行なったような感じだろうか。正直、本書を読むまで、中国法制史研究の意義を甘く見てました。反省。

 ちなみに、本書では特に触れられていないようだが(見落としてたらすみません)、森鷗外「安井夫人」(青空文庫版 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card696.html)は、息軒(=仲平)の若き日の姿を描いた作品だったりする(というのは、wikipediaの安井息軒の項目 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95%E6%81%AF%E8%BB%92 で知った)。それにしても、森鷗外、どんだけこのあたりの人物ネタにしてんだ。

 ああ、まとまりがどんどんなくなってきた。要するに、何が言いたいかというと、ニーチェとか孫子とか現代語訳するんだったら、管子を出してくれ、ってこと。それから、息軒についての(もうちょっと読みやすい)新書とか、人物叢書がほしいです……

 余談だが、安井息軒旧蔵書は斯道文庫に受け継がれている。詳細は、高橋智「安井家の蔵書について : 安井文庫研究之二 」『斯道文庫論集』No.35(2000), p,189-257 http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000035-0189 等を参照のこと(蔵書印の紹介もあり)。
 も一つ余談だが、本書で紹介されている管子の言葉で最も衝撃的だったのはこれ。

「衆人の言、別に聴けば即ち愚なるも、合して聴けば聖」

 まるで集合知……だよね、これ。中国でも最も古い時期の思想が(たまたまなんだろうけど)現在と斬り結んでしまう、というのは、何なんだろうなあ。

2014/02/02

幼児教育の先駆者・浮世絵研究家飯島半十郎虚心についてメモ

小林修「箱館戦争の幕臣飯島半十郎と浮世絵研究家飯島虚心 : そして『家事経済書』のこと 」『日本古書通信』79(1), 4-6, 2014-01.

を読んでいて、飯島虚心『河鍋暁斎翁伝』について、その稿本が出版されるまで、国会図書館に眠っていたという記述があったので、今はどこにあるんだろう?とちょっと疑問に思い、飯島虚心について、少しだけ調べてみた。
一応、分かったことについて、メモとして残しておく。ちなみに、書誌事項の書き方が統一されていないのは、あちこちからのコピペだからだったりする。手抜きで申し訳ない。

簡単に紹介すると、飯島半十郎・号虚心(1841-1901)は、昌平黌で学んだ旧幕臣で、幕末・維新期には、函館まで転戦。明治に入ると、文部省で教科書編纂等に従事するとともに幼児教育における先駆的業績を残すとともに、洋々社に参画して『洋々社談』の編集に活躍している。晩年は、日本美術・浮世絵史研究に没頭し、多くの著作を残すが、多くが刊行されないままとなった。
その伝記については、次の論文に詳しい。

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その一) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(9), 40-45, 1977-09-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42315

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その二) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(10), 16-22, 1977-10-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42331

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その三) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(11), 8-14, 1977-11-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42351

URLは全て、お茶の水大学教育・研究成果コレクションTeaPotのもの。当然、全文が読める。機関リポジトリ万歳。

小林論文によると、交遊関係としては、昌平黌での中村敬宇、成島柳北、幕臣時代には三井物産を起こす益田孝、一橋大学の初代校長となる矢野二郎(ともにちょんまげを落として「ざんぎり頭の開山」となったとか)、文部省・洋々社人脈としては、大槻如電、大槻文彦、「古事類苑」を編纂した小中村清矩などなど。
文部省以外では、内務省山林局で、『木曽沿革史』等を作成している。小林論文では「帝室に納本」されたと紹介されており、実際、図書寮文庫所蔵資料目録・画像公開システムを検索すると、編著者飯嶋半十郎として、明治写の「木曽沿革史」が所蔵されいてることがわかる(函架番号260・73)。
http://toshoryo.kunaicho.go.jp/Kotenseki/Detail/20999

晩年の浮世絵研究については、小林論文でも引用されている、

玉林晴朗「浮世絵研究の先覚者飯嶋虚心」書物展望 昭和13年(1938)7月号

が、

斎藤昌三編『書祭』人 書物展望社, 1940

に再録されていることが分かり、それがたまたま手元にあったので(表紙が取れたり状態悪いんだけど、天地人3冊揃いがあったので買ってた)、読んでみた。

それによると、明治期に刊行された、虚心の浮世絵研究関連の著作は、次の二点。

『葛飾北斎伝』明治26年
『浮世絵師便覧』明治26年

その他、未刊の著作として、次のものが揚げられている。

『浮世絵年表』1冊
『歌川列伝』3冊
『歌川雑記』1冊
『河鍋暁斎翁伝』5冊
『日本絵類考』10册、附録2冊

未完とはいえ、写本などで研究者の間では読まれていたようで、その後の様々な研究に影響を与えていると玉林氏はその業績を高く評価している。
ちなみに、このうち『歌川列伝』は畝傍書房(1941年)・中公文庫(1993年)、『河鍋暁斎翁伝』はぺりかん社(1984年)・河鍋暁斎記念美術館(2012年)で刊行されていたりする。
玉林氏によれば、『歌川列伝』『歌川雑記』は、東京帝大図書館に原本があったようだが、関東大震災の際に焼失したとのこと。ただし、写本が伝存するとも書かれており、畝傍書房版はそれを元にしたものなのかもしれない。
驚いたのは『日本絵類考』で、これは写本が頒布されたとのこと。明治32年に写本を予約で売り出したとのことで、10部目標だったところ、5、6部しか売れなかったらしい。三村竹清もこの写本を購入しており、竹清翁によると、この写本は虚心自身が移したものと、「島田佐内その他の人」によるものがあるとのこと。帝国図書館にも一部入っていることを玉林氏は報告しており、これが、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているものだろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2605932
しかし、ここでは本体の10冊までしかデジタル化されていないようだ。OPACで検索しても記述は10冊。附録の春本目録2冊はどこにいったのだろうか…

ちなみに、飯島虚心著の写本をCinii Booksで探すと、特に蒔絵・漆器関係の著作が、京都大学文学研究科図書館に集まっていたりするようだ。京大文学研究科には『日本絵類考』もあるが、これも附録の春本目録がないように見えるのがちょっと謎。
結局、稿本問題は解決してないけど、まあ、家の中にいてわかるのはこんなものかな。
飯島虚心の著作の影響の広がり、というのは、実は、近代写本の作成と流通の問題とも関連するような気がするけど、誰か調べてくれないものか。
あと、この飯島虚心、山口昌男好み(?)の人のような気がするけど、何か書いてたりするかなあ。

2009/03/01

近世版木展

 今日、じゃない、もう昨日か。2009年2月28日(土)に立命館大学アートリサーチセンターで開催されている「近世版木展」(2009年2月16日〜3月6日。ちらしPDF)を見てきた。
 奈良大学が所蔵する竹苞楼など由来の版木4,000点をデジタル化するプロジェクト(立命館大のグローバルCOEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ」拠点・日本文化研究班によるもの)に関連して、その版木自体を展示する、というもの。実際には奈良大学だけではなく、アートリサーチセンター所蔵の版木などもあり。
 版木の構造など、基礎的な解説から、版木における様々な技法、虫害により痛んだ版木や、版下を貼付けて途中まで彫った状態の版木(何故か作業が中断したようだが、それによって、どのように彫っていたかが、ちょっとだけ伺える)などなど、小さい展示スペースながら内容は充実。複数の版元による共同出版の場合の版木の持ち合いの仕組みなどを現物に即して分かりやすく解説してくれるなど、近世出版史入門編の趣も。
 それにしても、版木におけるレイアウトの自由度には驚愕。入木や埋木といわれる、版木の一部を削って、新たに別の文字や言葉を入れる(版元が変わったりするケースでよく使われる)という手法くらいは知っていたものの、パーツごとに分割できる版木を組み合わせて、大判の一枚ものを摺ったり、枠からはみ出した頭註の部分だけちょこっと継ぎ足したりと、ここまで自由自在に対応していたとはまったく知らなかった。
 枠があってその中に文字という部品を詰め込んでいく、活字印刷系の発想とはまったく別の本の作り方があった、ということを痛感。版木的な発想のDTPソフトとかあったら、面白いかもしれないなあ。
 ああ、それにしても、図録がないのがもったいない。この展示自体をデジタルアーカイブ化しておいてもらえないものか。
 会場では、版木を様々なライティングで撮影したデジタル画像を検索できるデータベース等も触れるようになっていたけれど、さすがにこれは研究者向け、という感じ(版木自体を分析することを目的としたものなので)。何をやっているのかが、より広い層に分かる、という意味では、今回の展示は実は重要なのでは、という気も。
 ちなみに、同じキャンパス内でDH-JAC2009 第1回 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ国際シンポジウムをやっていたのも知っていたのだけど、諸般の事情でパス。大英博物館とか、ボストン美術館の話はちょっと聞きたかったかも。

2009/02/23

「ARGカフェ(03)商業利用の是非をめぐって(補足)」をめぐって

 當山日出夫さんが「ARGカフェ(03)商業利用の是非をめぐって(補足)」で書かれている、著作権保護期間を満了し、パブリックドメインとなった著作物における「所蔵者の権利」と「デジタル化した〈引用者注:機関・人の?〉権利」の問題についてちょっと感想めいたことなど。
 国の機関(直営)の場合、資料・史料は、国の財産であり、国の財産は何であれ、商用で利用する際には、何らかの対価を必要とする(国有財産の使用料が必要)という組み立てになっているのでは。公共財たる国の財産を使って、何らかの利益を得るのであれば、それに対して一定の適切な(何が適切なのかがまた難しいけれど)対価を国に対して提供することが必要、という理路だったと思う。おそらく、地方自治体で直営の機関の場合にも同様では。
 デジタルデータも、国(地方自治体)の財産であり、一時期、国のデータベースの無料公開が遅々として進まなかった理由も、ここにあったように記憶している。だとすると、デジタル化を国(地方自治体)の予算で実施した場合には、同様にデジタル画像やテキストデータも国(地方自治体)の財産として扱われ、その商用利用には対価が必要ということになるのではなかろうか。
 逆にいえば、著作権保護機関を満了した資料について、復刻を拒絶する根拠は(適切な対価が支払われる限りにおいて)法的にはないのではなかろうか。少なくとも、自分のところでは、実務的にはそうなっている。
 ただ、著しく公共性を欠く(例えば悪質な複製を作って、不当に高額で売りまくる、とか)場合には、所蔵者として、復刻自体を拒否することも可能な気もする。
 このあたり、本当は会計法とかの知識が必要なのだと思うのだけれど、法律ネタは自分の最も苦手とするところなので、これ以上はちょっとよくわからない。いかん。
 おそらくは、独立行政法人や、国立大学法人などの場合はまた話が違うのだろう。ん? そういえば、国立博物館の所蔵品は国の財産なんだろうか。その博物館を運営する法人の財産なんだろうか。我ながらこういう基本的なことを知らないなあ。
 何にしても、この問題は、所蔵しているのが誰なのか、というところから、その所蔵者の法的位置づけを明確にしていかないと、漠然と、博物館・美術館・図書館・文書館とまとめてしまうと、議論が混乱してしまうのではなかろうか。その点、ちょっと気になってしまった。

2008/10/07

月光に書を読む

 鶴ケ谷真一『月光に書を読む』(平凡社, 2008)を読んだ。『日本古書通信』読者は必読っていうか、正確に言うと、比較的読者歴の短い読者には必読かと。
 様々なテーマを軸に古今東西の様々な著作をめぐるエッセイである前半「月光に書を読む」や、随筆の名手、岩本素白について語る「素白点描」も味わい深いが、何といっても、本書の後半約半分を占める「読書人柴田宵曲」が白眉。
 柴田宵曲の著作は、最近、ちょこちょことその著作がちくま文庫に入ったりしていて、何となく読んでいたいたのだけれど、いったいぜんたい、何をしたどういう人だったのか、さっぱりわからないままだったのが、ようやく氷解。子規庵との関わりとか、こういうことだったのか。三田村鳶魚の著作とか、ほとんど柴田宵曲が口述筆記してまとめたものだったとか、別の人の名前で著作が刊行されても別に怒るでもなく、淡々としていたとか、そんな話がいろいろ。著作権とか、そんな話は、まったく超越したところにいた人だったんだろうなあ。
 というわけで、柴田宵曲って、何となく名前を見るけど、この人は誰、と思った人は本書を読むべし。
 しかし、初出が出てないけど、この本、全部書き下ろしなのかなあ。こういう本を書き下ろしで出しているとすれば、平凡社(特に担当編集者の方)偉い、と思ってしまった。

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