2020/02/02

2020年2月1日三田図書館・情報学会月例会 「教育と図書館の関係について考える」(根本彰慶應義塾大学文学部教授)感想

慶應大学三田キャンパスで開催された、三田図書館・情報学会月例会に、根本彰先生の「教育と図書館の関係について考える」という発表を聞きに行ってきた。
レジュメが論文形式で書かれていることを考えると、何か別の形で発表される可能性もあるので、内容について詳しく紹介するのはやめておく。

(2020-02-03 補記)当日の資料は、根本先生が事前に次のご自身のブログで公開されていたので補記しておく。

三田図書館・情報学会月例会「教育と図書館との関係を考える」発表原稿(オダメモリー)
資料へのリンク

当日の発表も、大筋は資料の通り。ただし、前半に集中的に口頭での補足が入って、終盤はかなり端折った展開になっていたので、資料だけ読むと、若干印象が異なるかも知れない。(補記ここまで)

一応、内容をざっくり言うと、「図書館」という枠組みを一旦踏み越えて、個人が自分の知を構築していく営みと、社会がそれを共通の確立された知識として組み込んでいく過程全体を、「教育」という角度から捉えた上で、その過程全体を視野に入れて図書館が果たす(べき)役割を考えていく、という議論を展開、という感じ(だと思う)。客観主義、経験主義、構成主義、といった教育学上の概念などを援用した、野心的な議論だった。

以下、発表の内容の本筋と直接リンクはしていないと思うのだけれど、話を聞いて自分が思いついたことを忘れないうちにメモしておく。

一つ目は、ドメイン分析とヨーロッパの図書館情報学の話。
Hjørland, Birger. (2002), Domain analysis in information science: Eleven approaches – traditional as well as innovative. Journal of Documentation, Vol. 58 No. 4, pp. 422-462.
https://doi.org/10.1108/00220410210431136 を下敷きにした議論の中で、図書館情報学の方法論として紹介された「ドメイン分析」という考え方が、まず印象に残った。これは「情報がその利用者コミュニティ(ディスコースコミュニティ)との関係で発生しコミュニティが関わる」ものとのこと。ざっくりと、情報がやり取りされるコミュニティごとに、必要な情報の組織化や、情報に到達するための案内方法が異なる、ということを示したもの、という感じで理解。(引用は発表レジュメから。以下同様。)
さらに、「これはヨーロッパの図書館情報学やドキュメンテーションの伝統を背景として、個別領域ごとのメタ的なアプローチをしてきたことの発展形である」とも論じられていた。要するに、コミュニティごとに情報システム、情報サービスのあり方は異なる、と捉えた上で、領域間での共通要素を切り出し、それをまた各領域ごとにカスタマイズする、という欧州の図書館情報学の特徴を示すものと理解した。さて、ここで、本筋から外れて、ふと、以前、自分が翻訳に関わった、ドイツの電子情報保存プロジェクトnestorの保存計画のためのガイドラインを思い出した。これだ。

保存計画のためのガイドライン 手続モデルとその実装 バージョン2.0(朝日大学機関リポジトリ)
http://id.nii.ac.jp/1128/00005314/

このガイドラインは、電子情報を種別ごとに分けた上で、それぞれがどのようなコミュニティによって使用されるかを想定し、そのコミュニティの特製に応じて、保存すべき要素を決定していく、という形で構成されている。欧州の図書館情報学が、コミュニティによる情報利用のあり方の違いを踏まえて組み立てられているのだとすれば、その伝統は、電子情報保存の領域においても活用されているのではないか、といったことを思ったりした。
ちなみに、発表本筋の話は、欧州の図書館情報学の考え方は、日本の図書館においても、各種の図書館ごとのドメインを考えるという形で、適用可能ではないか、という議論に展開していくのだけど、詳述はしない(というかできない)。

もう一つ印象に残ったのは、前置き的な話の中で出て来たもの。日本の図書館が今一つ発展しきれないのは、欧米の図書館のでき上がった形式だけを持ち込んで、その背景となる歴史的蓄積を無視して導入されたからではないか(そしてそれは戦前も戦後も同様なのでは)、という問題意識が提示されていたこと。
この議論については、今回の月例会で、チラシが配布されていた「根本彰先生退職記念シンポジウム『近代日本の知識資源システムー図書館、出版、アーカイブの観点から」(2020年3月21日 14:00-17:00 会場:慶應義塾大学三田キャンパス)でも展開されるようで、共同研究なども準備されているとのこと。
この話を聞いてちょっと思ったのは、江戸期以前において、「教育」の中で書物やドキュメントが果たしてきた役割や、書物を分析・活用しようとした活動について、それがどう近代に接続されたのか(されなかったのか)という論点も同時に必要なのではないか、ということだった。例えば、米国と欧州の図書館のあり方は異なるし、欧州内でも、フランスやドイツ、北欧など、それぞれ図書館のあり方は異なっているように思える。単なる接ぎ木では駄目だ、というのであれば、持ってくる先の海外の図書館のあり方だけを見て、その歴史や文化を丸ごと移植すべきだ、という発想だけではなく、それぞれの国・地域の文化・歴史に応じた図書館のあり方があると想定した上で、日本の歴史や文化に適合的な図書館のあり方を探る必要もあるのではないだろうか。
ちなみに、このあたりの海外文化・制度受容の話は、大滝詠一の分母分子論や普動説とも接合しうるのかもなあ、と思ったりもしたけど、これはちょっと宿題かな。

あともう一つ。最後の質疑応答で、学校図書館の現場において具体的にどうすればよいのか的な質問があったけれど、図書館情報学に全ての解を求めるのはそもそもちょっと違う気がした。以前から、図書館情報学における研究と現場の乖離、という議論があるけれど、ちょっと捉え方の筋が違うのでは、という話でもある。
もう少し具体的にいうと、現場で必要となるのは、図書館情報学だけではなくて、それ以外の様々な異なる領域で開発され、研究されたスキルなんじゃないだろうか。例えば、組織内の意識改革が必要なら経営学の先行するの知見が必要だろうし、制度を変える必要があるのであれば法学や政治学の知見も必要だろう。考えてみれば、理工学系でも、理論と実験は違うし、それを工学に落とし込むのもまた違う話で、さらにそれを工業製品に落とし込んだり、工場のラインに乗せたり、その工場のラインを安定的・高品質で運用したりするのは、それぞれ異なるスキルが必要なはずだ。一つで何でも解決してくれる魔法の学問やスキルなんてのはもともと存在していない、と考えるべきではないだろうか。
図書館でもそれは同じことで、図書館情報学は、図書館という領域に特化した理論や、技術や、あるいは理念などを提示してくれるものではあるけれど、それを現場に落とし込むためには、図書館が普通に人で構成された組織であり、法制度・社会制度の中に置かれたものである以上、図書館に限定されていない別の知識も必要なんじゃないかなあ。別に研究が現場から乖離しているのではなくて、現場が必要なものが、図書館情報学の中に全部揃っている訳ではない、というだけのことなのでは。
ここはちょっと発表内容の、図書館情報学が教育学や文学部の他領域と接続していない、という論点とも関連するかもしれないが、裏返すと、図書館情報学の側も、自分たちのディシプリン内に閉じるのではなく、どこで他の領域と接続していくのかということを意識して展開する必要があるのかもしれない。
……などということを考えたりしたのだけど、すぐに忘れそうなので、ここで記録しておく。

(2020-02-03 追記)発表当日は、後半急ぎ足だったこともあって、触れられていなかったのだけれど、当日資料の末尾の次の一節は実は極めて重要な問題提起であるように思う。望まれるものをそのまま提供することが公共性を持つ、という理屈は、フェイクとヘイトと歴史修正主義が跋扈する出版状況下では、成立しえないのではないか、という問題に、正面から向合うべき状況が生じているのではないだろうか。

これまで、図書館は中立性を装い価値の問題を避ける傾向があったが、社会的営為あるいは社会的機関として価値の問題は避けて通れない。資料や情報の選択や評価、 知と知とを結びつけるレファレンスの過程、どのようなタイプの情報システムをつくりど のように経営するのかといった政策や経営は、いずれも知に対する社会的な価値と関わる。

2019/07/14

五島美術館「大東急記念文庫創立70周年記念特別展示[第3部]書誌学展ー経籍訪古志の名品を中心に―国宝「史記」をはじめとする漢籍―」

五島美術館 https://www.gotoh-museum.or.jp の「動物のかたち展」2019年6月22日~8月4日とセットで開催されている「大東急記念文庫創立70周年記念特別展示[第3部]書誌学展ー経籍訪古志の名品を中心にー国宝「史記」をはじめとする漢籍ー」を見てきたのでメモ。

今回は、狩谷棭斎(1775~1835)まつり。何と『狩谷棭斎と経籍訪古志:大東急記念文庫所蔵の漢籍から』(大東急記念文庫, 2019)なる小冊子も販売中。狩谷棭斎、森立之(枳園)、渋江抽斎といった名前にピンと来たら、ぜひとも入手すべし。

展示の詳細は、出品目録も参照のこと。以下、( )内の番号は、出品目録の番号。見たのは前期のものなので、後期展示のものは未見。

なお、できるだけ、前掲の小冊子で補正してるものの、暗い中でとったメモを元にしているので、正確性はあまりあてにしないように。

出品目録の順とはちょっと異なるが、冒頭には、経籍訪古志の第三稿本(62)と、国立国会図書館所蔵の第四稿本と同時期の写本と見られる(63)が登場していた。あれ? NDL所蔵本ってデジタル化されてなかったのか…。それはともかく、第三稿本には、森、渋江、小島抱沖の手が見られるとのこと。さらに、同第三稿本には、松雲堂鹿田静七から滝川亀太郎宛の葉書も付されていて、それも展示されてた(松井簡治から滝川に第三稿本が渡った時のものの模様)。古書店を通じた古典籍流通の面でも興味深い。(63)の方は国学者の木村正辞の旧蔵(蔵書印は展示では見られなかったが、前掲の小冊子では図版あり)。

後は展示順とは異なるが、出品目録番号の順で(メモを展示目録に書き込んでいるので…)。松崎慊堂撰の棭斎狩谷先生墓碣銘拓本(58)は、大正期に狩谷三市が墓碑を移転した際の拓本で、狩谷新氏旧蔵とのこと。なお、現在墓碑は倒壊して早稲田大学の會津八一記念博物館の所蔵となっているそう。確認してみたら、同博物館に寄贈された際に展示会やってた。

狩谷棭斎墓碑受贈記念 狩谷棭斎 ―学業とその人―(2017年11月28日~2018年1月20日) https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/news/2017/11/10/1844/

狩谷棭斎序文版下(60)は、小野道風「絹地切」の模刻を評したもの。棭斎自筆かな。模刻そのものも一緒に貼り込まれていて、上方の彫師・谷清好の名が刻されている。古筆切の模刻出版というのもあったんだなあ。

 

狩谷棭斎書簡 松崎慊堂宛(61)は、尾張の真福寺(=大須観音かな?)における原本調査の際の、漢籍写本の欠画による書写年代推定についての記載があり、当時の書誌学的調査の状況がうかがえるもの。

森立之とともに経籍訪古志編纂に関わった小島抱沖による漢籍目録、古巻聞見録(64)は、経籍訪古志の第三稿本と同時期のもの。第三稿本にはなく、第四稿本には含まれている漢籍も記録されているそうで、経籍訪古志編纂に使用された可能性があるとのこと。

周易注疏 宋版模刻(65)は、江戸期の模刻の一部と近藤正斎(重蔵)の解題を貼り込んだもの。近藤は御書物奉行時代に、紅葉山文庫と足利学校蔵本の識語模刻に取り組んでいたそうで、その一環の模様。近藤正斎全集を見ると、蝦夷地探検の後に御書物奉行になって、その後金沢文庫再興に取り組んだりしてるのか…

玉篇 心部断簡(66)は、重要文化財。大広益会玉篇として再整理される以前の古いテキストを伝える写本断簡。前掲小冊子によると、古筆手鑑に含まれていたものを、大正期に佐々木竹苞楼が引き離して入手、久原文庫所蔵となったものとのこと。

史記 孝景本紀第十一(68)は国宝。経籍訪古志にも記載ありとのこと。書写年が明らかな写本としては最古級だそう。

南華真経注疏 金沢文庫本(70)は、狩谷棭斎から森立之に引き継がれたものとのこと。鎌倉時代の写本は少ないらしい。展示箇所に森の蔵書印である「問津館」「森氏」印が見えた。文選 伝 金沢文庫本(72)も、狩谷棭斎から森立之に伝わったもの。「森氏」印が見えた。

展示箇所で蔵書印が多数だったのは、魁本大字諸儒箋解古文真宝(73)。森の「森氏図書冊府之記」、渋江抽斎の「弘前医官渋江氏蔵書記」、黒川春村の「黒川氏図書記」の蔵書印が見られた。

石林先生尚書伝(74)は南宋時代の刊本で重要文化財。「清見寺常住」の印があり、泣き別れた巻1~4は現在も静岡県の清見寺に伝存とのこと。「江風山月荘」印も見えたが、これは、小冊子によると明治の書店主で政治家の稲田福堂の蔵書印だそう。

史記(76)は明代の刊本で、宋版の模刻で狩谷棭斎旧蔵。木記「震澤王氏刻梓」の箇所が展示されていた。経籍訪古志に、王延喆(震澤)が宋版を模刻した逸聞についての記載があるとのこと。木村正辞旧蔵だが、小冊子によると、棭斎に学んだ考証学者岡本況斎の所蔵となった際に、岡本が死後に木村に譲ると約束した際にその証拠として巻頭に「木村」印を捺した、との話が伝わっているとのこと。壮絶。

戦国策(77)も明代刊本で、幕府医官の曲直瀬正琳(養安院)旧蔵とのことで壷形の蔵書印が見えた。解説で、切り取られた蔵書印の僅かに残った枠と印文の断片から、和学講談所の旧蔵ではないかと推定されているのがすごい。小冊子にも同記述あり。

史記(79)と、魁本大字諸儒箋解古文真宝(80)は古活字版。(79)は角倉素庵開版とされるもので、森立之による旧抄本との校勘記が加えられている。(80)では「森氏」「弘前医官渋江氏蔵書記」の蔵書印が見られた。

清客筆話(80)は、斯道文庫所蔵。森立之と来日した楊守敬との筆談録。その楊守敬が活字化した経籍訪古志 光緒版(81)には、森による明治18年の追加文があるとのこと。留真譜 初篇(83)は楊守敬の編刊による貴重漢籍の書影集。経籍訪古志に記録された本としては、楓山文庫本が多く、その閲覧には、文部省書記官巌谷一六(小波の父)、博物館局長町田久成の助力があったとのこと。

さて、五島美術館的には本体となる展示の「動物のかたち」展では、兎大手柄(22)、花さきぢヽい(23)、ねずみ文七(24)、鼠の嫁入り(25)の赤本4点は必見。

また、蟹の彩色図譜である蟹譜七十五品図(50)には、展示箇所には見えなかったと思うが「栗瑞見像図」といった記載があるとのことで、栗本瑞見(丹州)所蔵の図を写したものも含まれている可能性もあり。展示箇所には「大州候蔵図」との記載もあり、実見した蟹の図もあるかもしれないが、様々な図譜から蟹の図を写して編纂したものかもしれない。

絵画作品では、小茂田青樹の緑雨(57)に描かれたカエルが印象に残った。なお、小茂田を援助したのは原三渓とのこと。

2019/06/09

天理ギャラリー「奈良町 -江戸時代の「観光都市を巡る」-」展

 天理ギャラリー第167回展「奈良町 -江戸時代の「観光都市を巡る」-」(会期:2019年5月12日~6月9日)に終了日に駆込みで行ってきたので感想をメモ。

 今回の展示は、天理図書館所蔵の保井文庫の資料を中心に、奈良町が登場する江戸期の文学作品なども交えて、主に近世の奈良町の姿を多面的に紹介したもの。

 ちなみに、保井文庫は、奈良在住の郷土史家・収集家、保井芳太郎(1881-1945)旧蔵の古文書・近世文書等のコレクション。『天理図書館四十年史』(天理大学出版部, 1975)によると、保井の没後、奈良県外への流出を危惧した歴史家永島福太郎(1912-2008)の斡旋で、天理図書館に収蔵されることになったとのこと。同四十年史によるとその規模は約6万点(p.517)。なお、保井の古瓦のコレクションは、天理参考館の収蔵となっている。搬入は、終戦間際の1945年8月13日に、「敵艦載機の跳梁の間をはかって行なわれた」(p.106)と四十年史にあるように、緊迫した状況下での資料受入だったようだ。

 以下、展示の中から、いくつか気になった資料を紹介。番号は、天理図書館のページに掲載された出品目録の番号と対応しているので、適宜ご参照を。

 『建久二歳辛亥十月御巡礼記』(5)は、『建久御巡礼記』の名前で知られるが、展示資料が、唯一の完本とのこと。帝に仕えていた采女の入水、という、猿沢池について語られる定番エピソードの出典。

 『二条宴乗記』(7)は、興福寺の一条院門跡に仕えた二条宴乗の日記。元亀2年(1571)に、松永久秀によって薪能が再興され、久秀も一族とともに見物したことについて記載されている。松永久秀といえば、奈良の大仏殿を兵火に巻き込んだ(永禄10年(1567))ことで悪名高いが、奈良町復興にも寄与したそう。

 一方で、大仏修復のための勧進に幕府が関与し、奈良奉行に勧化金を集約する仕組みが整えられていった状況を語る文書群(12-1,2,3)も、興味深かった。

 その他、特に面白かったのは絵図や、奈良を訪れた人々の残した日記、旅行記。特に絵図については、元禄期から大正期まで、奈良の中心部の案内図がまとめて展示されていたのがすごかった(13-1~8)。建物が変ったところ、変らなかったところ、鹿の扱いの時代による変化(明治初期は鹿は囲いの中にまとめられている)なども読みとれる。

 『大和名所図会』(16)では、茶屋で鹿に餌をやる様子も描かれていたり。なお、同じ図は、早稲田大図書館本 でも確認できる http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_05326/ru04_05326_0001/ru04_05326_0001_p0025.jpg。右の人、鹿煎餅投げてるよね、これ…

 『大坂京奈良旅中備忘録付旅途指掌』(21)は、国学者の伴信友の旅程表と備忘録。奈良町滞在は半日ほどだが、元興寺の五重塔に6文払って登っている。旅程表には「遠見ヨシ」、備忘録には「アヤフクテオカシカラス」と記載しており、景色は良かったものの、どうやら五重塔の上は、あまり居心地が良くなかったようだ。

 『寺社名所拝覧記』(27)もそうなのだが、17世紀末には案内人による観光案内が確立されていたせいで、効率的に見物できる分、奈良町での滞在時間は短いことが多かった模様(京都のついで、みたいな感じか。現代もそうかもしれないが…)。奈良に数日間連続滞在という例は珍しかったそうで、奈良の薪能を目的にした旅行の記録『奈良之道連』(30)では、宿屋の亭主が声をかけて、語り合ったことが記されている。

 江戸後期に武士が残した『大和廻り日記』(31)では、鹿に食べ物を与えると「あつまりてこれをあらそいくふ」と、記されていた。ちょうど少し前に、

渡辺伸一「奈良のシカ保護管理の歩みとこれから―その社会学的検討―」生物学史研究, 2017, 96 巻, p. 35-52 https://doi.org/10.24708/seibutsugakushi.96.0_35

を読んだところだったので、奈良の鹿の置かれた環境の変化と、一方で変らぬ鹿の行動とを合わせて考えさせられた。

 展示全般としては、詳細な翻刻をプリントで配布してくれるのはありがたかった。一方で、パネルにあって図録にない説明が結構あって(保井文庫の説明もパネルはあったけど、図録には解説なし)、しまった、もっとちゃんとメモとっておけば良かった、と後で後悔。展示リストにない、参考展示(主に絵図・地図類)もあって、これもちゃんとメモをとっておけば……という感じだった。まあ、最終日に駆け込む方が悪い、という話なんだけど。

2018/10/15

アート・ドキュメンテーション学会第11回秋期研究集会

 2018年10月13日にお茶の水女子大学で開催された、アート・ドキュメンテーション学会第11回秋期研究集会に行ってきたのでメモ。あくまで個人の聞き取れた範囲のメモと感想なので、その点、ご留意を。

 ちなみに当日は、他の複数の学会が開催され、さらに午前中には附属小学校の保護者説明会も開催されていて、JADS(アート・ドキュメンテーション学会の略称)の会場はどこ?状態に。ただ、構内の案内図や標識がわかりやすく、何とか会場の共通講義棟にたどり着いた。
 とりあえず、会場前に男子トイレの場所を確認。本題と関係ないけど、あれだけ男性参加者がいて、休憩時に混乱が起きなかったことを考えると、公共施設におけるトイレ面積の男女比率は考え直すべき、って気がする。

 開会挨拶は、会長の前田富士男先生から。来年度は学会創立30周年ということで、学会が果たす研究支援の役割について、他分野の研究者との対話の経験などの紹介などもありつつ話があった。なお、最後にも少し触れるが、前田先生は、各発表の質疑においてもこの日は大活躍だった。

○発表1 酒井晶(東京国立博物館学芸企画部博物館情報課情報管理室アソシエイトフェロー)「アート・ドキュメンテーションにおける“弁当型”検索の親和性と展望」

 午前の部、最初の発表は、7月から東博でアソシエイトフェローをされている酒井晶氏。複数のデータベースを横断的に検索して検索結果をまとめて表示する統合検索や、インデックスをあらかじめ集約し、かつウェブ上の情報源もまとめて検索するウェブスケールディスカバリーの特徴と効果を紹介しつつ、コード化されていない文字でしか表現できない情報(例に挙げられた瓦編に泉(と書いて𤭯「はんぞう」)は、正確にはコード化されてはいるのだが、サロゲートベアの模様)や、各データベースごとに独自に工夫された検索方法が捨象されてしまう、という問題点を指摘。検索の結果の裏に何があるのかをユーザは意識せずにする反面、ブラックボックス化も進む。
 その問題点を踏まえた上で、弁当型検索を紹介。いきなり検索結果リストそのものを提示するのではなく、最適なディスカバリーツール、データベースに誘導することを目的としたもの。各データベースごとの代表的ヒット事例を、データベースのカテゴリーごと(例えば、論文データベースや、デジタルコレクション等)に提示し、ここではヒットしてないよ、ということも提示したり、さらに踏み込んで検索するにはどのデータベースを使えば良いかの手がかりを与える、というもの。
 質疑でも補足されていたが、専門知識を持っていて、適切な検索結果を引き出す「強いキーワード」を持っている人には、Googleのような検索結果をリスト形式で表示する方が向いているが、弁当型は、そうではない幅広い層を対象としている、とのことだった。
 ただ、結局、弁当型も検索自体はキーワードに依るわけで、キーワード検索に向かない(かもしれない)アート領域に、弁当型が適合的であるかどうかは、もう一歩検討が必要かもしれない、というのが、現時点での自分の感想ではあったり。

○発表2 黒澤美子(公益財団法人石橋財団 ブリヂストン美術館 学芸課司書)「石橋財団アートリサーチセンターライブラリーの取り組みについて」

 2017年4月にオープンした、石橋財団アートリサーチセンターライブラリーの概要と取り組みの紹介。石橋財団が分散して所蔵していた図書資料(久留米市の旧・石橋美術館旧蔵資料など)を統合し、独自の件名(BMASH)所蔵作品の図版が掲載されている資料に作品管理番号を注記で入力し、検索可能とするなどの、ドキュメンテーション面での整備の紹介が中心だが、それに加えて、研究室・ゼミ単位で利用者を受け入れて、レクチャーや見学などをセットで対応する団体利用や、「西洋美術史分野の文献探索」をテーマにしたライブラリーセミナーなど、利用者認知度向上のための取り組みも紹介。
 課題としては、作品データベース側で管理されている文献歴と、OPACとの連携や、展覧会・調査研究に関する記録の整理と公開などが示されていた。
 質疑では、前田先生から、欧米同様に、所蔵作品について、世界中の学会誌の論文が一度で把握できることが求められる、という話も出ていたりして、組織としての課題にどうレベルを上げていくかだなあ、と思ったり。

○発表3 住広昭子(東京国立博物館学芸企画部情報資料室)「ミュージアム・ライブラリーにおける館蔵文化財情報と文献情報の関連付けについて――東京国立博物館資料館の試み」

 東京国立博物館資料館における目録、画像のデータベース化とその充実の過程を概観した発表。
 さすがに歴史が長いだけあって、データベース化も1980年代後半の話から。
 興味深かったのは、資料館がかつて、館蔵品等を撮影した写真の利用窓口(主に出版物)であった、という話や、そのために今でも画像や列品(館蔵品)に関するレファレンスが多い、という話。また、デジタル画像の商用利用についてのTMNイメージアーカイブへの申請情報に基づいて、図書の画像に関する注記(列品番号)を記入している、という話もなるほどだった(このへん、オープン化する際の課題かも、と思ったり)。
 東博刊行物については、列品番号の注記の遡及作業は着実に進んでいる一方で、国立博物館所蔵品統合検索システム(ColBase)への展示会出展歴や、文献歴の追加はまだ将来の課題、ということだった。
 どうやら、欧米の博物館・美術館では解決ずみの、所蔵品に関する文献情報の集約、という課題が、日本の博物館・美術館においては、まだこれからの課題になっている、ということが、石橋財団アートリサーチセンターライブラリーの話と合わせて、見えてきた感じもあり。

○発表4 グッド長橋広行(ピッツバーグ大学図書館)「JALプロジェクト参加者、現場からの報告」

 JALプロジェクト(Japanese art librarian)に参加した、日本研究者の反応やその後の動向の紹介と、ピッツバーグ大学での自身のその後の取り組みの紹介。
 他のJALプロジェクト参加者の中では、プロジェクトの過程で形成した人脈を生かして、日文研でフィールドワークに取り組む、ピッツバーグ大のキャロリン・ワグーラ(Carolyn Wargula
)氏の話が興味深かった。プロジェクト参加前は、日本の学芸員、司書との交流が少なく、威圧感や敷居の高さを感じていたが、直接相談する機会を得て、それが変化したことが紹介されていた。
 グッド氏自身は、プロジェクトを通じて資料支援に自信が付き、サポートしていた7人の博士課程の学生の内、6名が既に博士を取得したと成果を紹介するとともに、現在取り組んでいる、月岡耕漁の能楽を題材にした木版作品のデジタル化とメタデータ整備について紹介(Kōgyo, Tsukioka, The Art of Noh )。
 質疑では、立命館大学の赤間亮先生が、能の専門家が軽視し、日本では忘れられている月岡耕漁の作品が、かえって能研究の入り口にもなり、日本研究にとっても重要、といった指摘をされていて、印象に残った。

○講演 長嶋健太郎(お茶の水女子大学 図書・情報課大学資料担当)「大学アーカイブズにおける史料管理の現状と課題」

 お昼には、お茶の水女子大学の歴史資料館を、学生のサポートを除けばほぼ一人で支える長崎氏の講演があり、所蔵スペースを含む様々な限界と課題を紹介。面白かったところは、大変生々しいとこでもあるので、ので、ここでは書けません。
 一つ、なるほどこれは悩ましい、と思ったのは、歴史資料館が図書館についている組織であるために、相互に寄贈申し出に関する紹介ができたりする一方、図書資料は図書館に、それ以外が歴史資料館に、という形で、コレクションが分割されてしまうという話。これは、図書館・文書館の複合機関にとっては、常に生じうる課題だろう。

○発表5 若月憲夫(茨城大学人文社会科学部非常勤講師)・石川敦子(株式会社乃村工藝社コーポレート本部経営企画部)・岡部周子(株式会社乃村工藝社コーポレート本部経営企画部)「コミュニケーションスペースとしてのライブラリーの可能性を考える――(株)乃村工藝社大阪事業所ライブラリーを題材に」

 実は、お昼の間に、歴史資料館を見に行ったら、面白すぎて、発表冒頭に遅刻するという失態。そのため、前置きを聞き逃してしまったが、図書館屋的にこれは衝撃の報告だった。
 乃村工藝社の大阪事業所の社屋移転に伴い、大阪事務所にあったリサーチライブラリー機能を持った図書館を解体再編して、空間デザインによるコミュニケーションスペースとして再構築するプロジェクトについての紹介(大阪事業所が第31回「日経ニューオフィス賞」を受賞した際のプレスリリースにリニューアル後の写真あり)。
 最終的には27000冊を11000冊に削減、というのもすごいが、当初、空間デザインを優先して、並べた時の見た目を優先し、かつ書棚の幅にきっちりあわせろ、という指定があった、という話に驚愕。冊数もあくまで書棚の幅を計測した結果であって、蔵書数はそもそも前提になっていなかった模様。
 その選書作業を、リサーチライブラリーとして蔵書を構築しサービスを行ってきた、ベテラン図書館員にやらせるとは、乃村工藝社さん、そりゃ酷ですぜ……
 とはいえ、図書館スタッフが関わったからこそ、民俗や歴史を含む多様な分野を含む蔵書構成や、1960年代の児童書など、洋書を中心としたレアもの資料の発掘・展示なども行われるようになったわけで、空間デザイナーの要請に、図書館スタッフが魂を入れた観もあり。
 ちなみに、リサーチライブラリー機能は東京事務所中心に維持されているようで、目次などからデータを詳細に整備する作業は継続されているとのこと。ただ、処分された資料のインデックスはもう検索できないらしい。それはもったいなかったような。
 社内で機能を集約しつつ、図書館に新しい役割を持たせようとすること自体は、試みとしては意欲的なのだけど、書架に重厚な本を並べてなんとなく知的な雰囲気を作る(中身はどうでも良い)という発想は、美術館でいえば、作品はどうでもいいからなんか適当にそれっぽいのをここに置いてよ、みたいな話なわけで、結果はともかく、最初の発想はもうちょっと何とかならなかったのかなあ、とは思ったりした。

○発表6 堀井美里(合同会社AMANE)・阿児雄之(合同会社AMANE)・高田良宏(金沢大学)・堀井洋(合同会社AMANE)「学術資料調査・整理過程の検証とオープン化に関する考察」

 古文書整理の過程を公開しつつ行うプロジェクトAMANE Open Repository Project についての報告。
 プロジェクトの背景として、整理が開始され完了するまでに数年から場合によっては数十年かかることもあり、また、全ての整理が終わらなければ公開されない、という従来の古文書の整理方法の限界を指摘。従来の整理方法では対応しきれない理由として、歴史資料としての古文書の範囲が、古代・中世を中心としたものから、近世さらには近現代まで広がり量的に拡大しているという状況、さらに、家を中心にした継承システムの崩壊と、自治体の財政悪化による博物館等の保存機関の廃止や整理の担い手の減少などが挙げられていた。
 そして、こうした状況下でなお、古文書を残していくためには、活用を前提とした整理が求められている、という認識が示され、そこから、従来の整理方法とは異なる方法に取り組む、今回のプロジェクトにつながる、という展開。
 古文書整理の要素を分解し、整理の過程で段階的に生成されるデータを、実物である物理層から、目録・メタデータ・画像データなどの基礎データ層、意味データ・機械可読データなどの意味データと整理し、それらの上に、活用(アプリケーション)層が成り立つ、という階層モデルが提示されていた。
 実際のプロジェクトでは、ヤフオクで入手した複数の古文書群を対象として、段階的に整備される目録情報を時系列に沿ってGitHubで、撮影した画像情報はFlickr で公開することで、資料整理、研究データの生成プロセスの可視化を行う取り組みが行われている。
 今のところ、メンバーの知人以外の反響はあまりないようだが、過程を公開し、フィードバックを受けることで、早期の公開と、品質の向上が図れるのではないか、と考えているとのこと。
 古文書については、個々の文書を読み解かなければ、全体のタイトルすらつけられない、つまり、メタデータが意味データとなっている、という指摘もあったが、画像を公開することで自分たちだけではわからない意味を付与してもらうことも必要との回答。なお、そうなるとタイトルも変動していく可能性があるわけで、画像にDOIのような識別子を付けることを考えているとのことだった。

○発表7 鴨木年泰(公益財団法人東京富士美術館)・谷口英理(独立行政法人国立美術館国立新美術館)「全国美術館会議情報・資料研究部会によるアーカイブズ資料所在調査の実施について――その目的と可能性、および課題」

 全国美術館会議情報・資料研究部会 による、美術館所蔵のアーカイブズ資料所在調査プロジェクトと、そのパイロット調査の概要の報告。
 図書でも作品でもない、日記、スクラップブック、チラシ等のエフェメラなどは、各美術館によって扱いが異なり、一部の人だけが存在を知っている、といった形でブラックボックス化しているものもあるとのこと。さらに、ローカルルールの変更や、学芸員の交代で処遇が変わるケースもあり、一種の迷子状態で、どこに誰に関するどんなアーカイブズ資料があるかを調べる方法がなく、アクセスが困難となっている状況だそうだ。
 一方で、現代美術の研究がグローバル化し、日本人以外の研究者がこうした一次資料にアクセスする状況となり、また一方で、戦後美術を支えた作家や関係者が亡くなり、資料が散逸・海外流出が発生、ということになっているとのこと。
 こうした状況に対して、まずはそうした資料群の存在と所在を明らかにしよう、というのが今回の調査、ということになる。図書や、美術作品の整理手法が向かない資料群に対して、アーカイブズにおける資料整理の手法を導入し、誰に関するアーカイブズ資料が、どこにあるのか、主要な出所であると考えられる作家を軸にして把握していこう、という試みである。
 アーカイブズにおけるフォンドの単位を、出所である作家単位で設定して、現在は各館内で分散してしまっている資料群を一つのかたまりとして捉え直す、ということになるわけだけど、当然、そもそもアーカイブズ的な考え方自体が浸透していない美術館でそのような取り組みを行うことは簡単なことではない模様。ISAD(G)に準拠しつつも、調査票の項目を一部簡略化したり、アンケートに加えて、インタビューを組み合わせることなども検討されているとのことだった。
 質疑では、自然科学系博物館でも、論文と標本以外の資料の重要性が研究者に認識されない、といった課題があることがわかったり。
 前田先生からは、大陸系と英米系の違いに由来するアーカイブズとアーカイブズ資料の概念的区別の問題や、一つのアイテムが一つのフォンドに属するという考え方ではアートアーカイブにおけるアートそのものが持つ問題が抜け落ちるのではないか、という指摘もあり。ただ、中世の因襲を打破して、ニュートン力学を導入しよう、という話をしている時に、いや、それなら相対性理論を踏まえないといかんよ、と指摘するみたいなレベル感の差が感じられて、理論と実務をどうつなげば良いのか、という課題はここでもあるんだな、としみじみとした。

○発表8 橘川英規(東京文化財研究所)・川口雅子(国立西洋美術館)「日本の展覧会カタログ論文の国際的可視性を高めるための取り組み――「東京文化財研究所美術文献目録」のOCLCへの提供」

 欧米におけるライブラリアンによる美術書誌構築の取り組み(The Future of Art Bibliography (FAB) )の進展を踏まえて、日本の美術文献の情報の国際流通を進めるための取り組みの紹介。
 具体的には、国際的な美術書誌Art Discovery Group Catalogue(ADGC) に参加する国立西洋美術館と、『日本美術年鑑』のために美術文献目録を編纂している東京文化財研究所が協力して、東文研の美術文献目録の内、展覧会図録掲載論文分をOCLCに提供することで、WorldCatや、ADGCで検索可能とした、というものである。発表では、提供に至るまでの背景や経緯、検討事項などが紹介された。
 なお『日本美術年鑑』自体が2年のタイムラグがあるために、提供される書誌も2年のタイムラグはあるとのこと。データの整備としては、事前のマッピングや、ISBNがある図録についてはISBNを追加したそうである。国立国会図書館の雑誌記事索引のデータがOCLCに提供されていたのも背景としてあったとのこと。

○発表9 水谷長志(跡見学園女子大学)「MLA連携は学部学生の新たな調査研究手法になるだろうか?」

 歴史的に、もともと組織的には一つのものとして存在したり、構想されたりしたMLA(Museums 博物館・美術館, Libraries 図書館, Archives 文書館)が歴史的に分化していった過程と、集積・同定・記述・検索・公開というプロセスの共通性と、キャリアの特性、バイディングネス、ユニークネスにおける、MLAの差異を論じつつ、さらに大学の講義でMLA連携の事例を探すレポート(3つの種類の資料を組み合わせることで、作品の背景や解釈を論じる、という感じ)のベストセレクションを紹介することで、美術研究におけるMLAの資料を組み合わせた研究と、その手法を学生に伝える枠組みとしてのMLA連携という概念の可能性を検討、といった感じ。なお、今回の発表内容の一部は美術フォーラム21の35号に掲載されたMLA連携に関する論考(「極私的MLA連携論変遷史試稿」 (NDLオンラインの書誌))でも論じられているとのこと。
 興味深かったのは、MとLの資料の組み合わせまでは、学生は比較的容易にたどり着くが、Aが難しい、という話と、ジャパンサーチのような領域横断的な検索システムにおいては、学生がMLAの資料間のつながりを見いだすような発想をシステムとして持てるようにすることが課題ではないか、という指摘。
 一方で、質疑でも補足されていたが、つながりを見いだす起点はやはり作品の現物そのものだ、という話もあり、それはシステム的に実装するのは難しいような、と思いつつ、現物を起点にできる、というのは、美術館・博物館の、現物そのものと接することができるという優位性ではないか、という気も。

○全体感想

 一部しか紹介しなかったけど、前田富士男先生の質問や指摘が、複数の発表に対して、様々な視点や切り口でなされていて、しかもそれらは、アーカイブズ学でも図書館学でも単なるドキュメンテーションでもない、「アート・ドキュメンテーション」という領域における固有の問題とは何なのか、それは「アート」や「美」の本質に関わるものではないのか、という問題意識に貫かれているように感じられた。質疑一つ一つを通じて、「学会」の存在そのものを問い直しているようで、圧倒されてしまった。
 あと、今回の発表は事例紹介が多く、あんまり学会学会していなかったので、実務屋的にはとっつきやすかったけど、もうちょっと理論と実践をごりごり越境する話も聞きたいなあ、と思ったり。その前にいい加減、会員になれよ、と言われそうだけど……

2018/06/22

科学基礎論学会・日本科学史学会との共催ワークショップ「学術誌の電子化と将来を多面的に考える」参加メモ

2018年6月16日・17日に開催された科学基礎論学会2018年度総会と講演会( http://phsc.jp/conference.html#2018 )の日本科学史学会との共催ワークショップ「学術誌の電子化と将来を多面的に考える」に参加してきた。日時、開催場所は次のとおり。

日時: 2018年6月17日(日)14:40~17:10
場所: 千葉大学(西千葉キャンパス)法政経学部棟106講義室

予稿は、科学基礎論学会学会のサイトに掲載されている。

趣旨説明 司会者兼オーガナイザ:松本 俊吉・伊勢田 哲治
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-1.pdf
伊藤 憲二 - 学術雑誌の科学史的研究:査読システムと学会との関係を軸として
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-2.pdf
土屋 俊 - 「電子ジャーナル」以降つまり今と近未来の学術情報流通
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-3.pdf
調 麻佐志 - ソースはどこ?―学術誌の電子化がもたらす未来
http://phsc.jp/dat/rsm/20180524_WS4-4.pdf

以下、当日取ったメモを元にポイントを紹介したい。とはいえ、あくまでメモが元なので、正確さには欠けるかと。その点はご容赦を(突っ込みがあれば修正します)。また、敬称は「氏」で統一させていただく。

冒頭、伊勢田哲治氏の趣旨説明によると、科学基礎論学会と日本科学史学会の連携強化の一環として、科学基礎論学会においても課題となっている学会誌の電子化の議論をきっかけとして、学術誌そのものについて検討するワークショップを開催することになったとのこと。
日本科学史学会の年会(2018年5月26日・27日)でまず、「学術雑誌の歴史」ワークショップが開催されており、その様子は、日本科学史学会のサイトで紹介されている。

科学基礎論学会との共催ワークショップ(6月17日)のお知らせ
http://historyofscience.jp/blog/2018/06/01/科学基礎論学会との共催ワークショップ(6月17日/

企画側の社会認識論的な関心としては、科学の信頼性を支えるものとして、特に査読の問題や、電子化の影響、望ましい知識共有のあり方、研究者の生産手段としての観点などが提示されていた。

伊藤憲二氏による報告「学術雑誌の科学史的研究:査読システムと学会との関係を軸として」は、17世紀から20世紀半ばまでの学術雑誌の歴史を概観するもの。伊藤氏の専門は物理学史だが、総合研究大学院大学での講義で研究の社会史を取り上げることから調べ始めたとのこと。教科書的なものも執筆中との話もあったので、これは公表を待ちたい。調べてみると「思ったよりおもしろい」という感想がまた面白かった。
ただし、全体像を描くにはまだ研究の蓄積はほど遠い状況で、質的・量的な変化が大きい上に、分野と地域多様性や、アーカイブズの未整備(特に日本)状況などが壁となっているとのこと。
一方で、今世紀に入ってから、学術雑誌をテーマにした論文が増加しているそうで、学術雑誌事態の変化や、科学的物体(ノート、印刷物等)への関心の高まりが背景にあるのでは、との話もあって、なるほど、と思ったり。
あとは各世紀ごとに概説があったが、印象に残ったところを断片的に。
17世紀の学会・アカデミーと学術雑誌の出現の話では、元々貿易会社の事業資金調達の方法として編み出されたサブスクリプションモデルが、書籍の予約出版に応用されていった、という話が面白かった。航海術の発達は、博物学的知識の増大という意味でも学術情報の流通に影響を与えていたとのことだが、出版モデルにも影響していた、というのは興味深い。
17世紀の個人編集者を中心とした編集方式から、18世紀には、アカデミーの出版委員会方式が始まるものの、各アカデミーが持つ出版特権を維持するための検閲的側面(政治的に危ないネタは排除)もあった、というのはなるほど(17世紀にも同様の話あり)。
19世紀になると、分野ごとの学会や雑誌が増え、さらに蒸気機関による印刷物の大量化と、ゼミナール方式など研究大学による専門分化を推し進めたドイツ学術の隆盛の時代を向かえる。1930年代まではSpringer刊行のZeitschrift für Physikが物理学における最も重要な雑誌だったが、ナチスの台頭によるユダヤ人迫害(Springer家自身も対象に)から、その地位を失っていった、という話を、実は初めて知った。そうだったのか。(ちなみに確認してみたら、Springer社のサイト( https://www.springer.com/gp/about-springer/history )でも、このあたりの背景は若干紹介されている。)
最後に、科学史学会でのワークショップについても紹介されていたが、要するにいかに知らないことが多いのかが確認された、とのこと。科学史学会で外部査読が始まった時期も分からないそうだ。うーむ。

土屋俊氏の報告「「電子ジャーナル」以降つまり今と近未来の学術情報流通」は、平成22年度大学図書館職員研修での「学術コミュニケーションの動向」 https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/choken/2010/12.pdf や、2017年の第19回図書館総合展での「学術コミュニケーションの動向 2016--2017: 「オープンアクセス」の功罪」 https://www.slideshare.net/tutiya/20162017-81979661 の最新版といった趣。
今回のスライドも、SlideShareで公開されている。
https://www.slideshare.net/tutiya/ss-102573181

冒頭、ビッグディールを推進した張本人として弁明する、と自らの立場を明確に打ち出した上で、冊子体における個人購読から機関購読への転換による価格高騰(シリアルズクライシス)と、論文数の増加を背景とした電子ジャーナルの価格上昇の違いや、理念としてのオープンアクセスから大手出版社が参入しビジネスモデルとなったのオープンアクセスへの変貌などの様々な通説とそれに対する批判が展開された。
面白かったのは、Predatory Journals(ハゲタカ出版)に対する評価で、安く論文を公開するのであれば、そんなに悪くないのでは、という話(ただ、後のディスカッションでは参加者から、査読があるかのように見えることが問題では、との指摘あり。)。その他、学術雑誌掲載が高等教育機関の採用時の評価と連動しているものの、結局同じ分野内の仲間内の評価でしかないのでは、と疑念を呈しつつ、しかし、ではその枠組みを外した時にはさらなる腐敗が待っているのではないか、との指摘もあったり。最後は成り行きに任せるしかない、と締めていたが、そう言いつつも、ディスカッションも含めて語りまくるいつもの土屋氏であった。
また、スライドにも登場するが、報告中で紹介されていた、
Rick Anderson "Scholarly Communication: What Everyone Needs to Know" Oxford University Press, 2018.
https://www.amazon.co.jp/dp/B07C6WVFPC/
は、学術コミュニケーションの現状を整理した、非常に良い本らしい。なお、土屋氏にとって、kindle+iOSの読み上げ機能で一冊読み切った最初の本とのこと。
そう言われると気になってしまって、早速、Kindle版で入手して、最初の方を見てみたけど、確かにこれは良さげ。図書館に関する章もある。

調麻佐志氏の「ソースはどこ?―学術誌の電子化がもたらす未来」では、専門家と素人の区別、ジャーナルの「格」、査読による質の保証、科学と非科学/未科学との差異、といった、既存の秩序が、電子化を巡って揺さぶられている現状が論じられた。「論文」自体の形態の変化(短い本文と大量のsupplementの組合せや、ソフトウェアのバージョンアップごとに更新され、アクセスを集める論文、リアルタイムの処理結果を示す動画を含む論文など)や、日本語での「糖質制限ダイエット」と英語の「low carbohydrate diet」での検索結果の性質の違い、偽論文投稿実験で大手出版社や学会でも通ってしまう現状、STAP細胞を巡る「ネット査読」に関わった人たちの同分野おけるものとは異なる多様な「専門性」、低線量被爆を巡る科学的に問題のある発言の流通など、様々な事例が紹介された。
ネットにおける「ソースはどこ?」「ソースを示せ」の普及は、一見、科学への信頼の向上のようにも見えるが、実は「エビデンス的なもの」があれば良い、という状況なのではないか、という問いかけが重い。
また、科研費に対する攻撃では、実際に、日本学術振興会の前で街宣活動が行われ、職員との間でのトラブルなども発生したそうだ。こうした、ダイレクトに研究内容に対して介入が行われる可能性に対する危惧を示しつつも、調氏は、一方で、行きすぎた科学至上主義の修正につながる可能性についても触れるなど、現状を多義的に捉える姿勢が一貫していた。

撤収時間が近づいていたこともあり、最後のディスカッションは時間がわずかしかなかったが、大学によるプレスリリースにおける研究内容評価の問題や、図書館の役割(もはや関係ない、と土屋氏がばっさり)、デジタル情報の保存の問題など、様々な論点が示されていた。

以下、時間があれば、質問してみたかったこと……を元に、終了後に考えたことをメモ(実際には、当日はここまでは考えてなかった)。

○日本では、特に中小規模学会を中心に、学会誌が、そのコミュニティの核となっていた時代があったように思うが、現在はおそらくもうそうではなくなっているのではないか。学会というコミュニティを維持・形成する核となる役割を果たすのは、今後は何になるのか。
○金がなければ、投稿すること自体が困難なオープンアクセスジャーナルモデルが普及する中で、税金を主要な財源としている、現在の学術研究の自律性をどう確保するのか。査読を中心にした、学術コミュニティ内の自律的評価モデルが信頼を失えば、税金の使途の妥当性を理由とした、政治介入の可能性はより高まるのではないか。
○電子ジャーナルを含めて、デジタル情報の保存を一箇所で集中的に行うことは困難。分散的に行うしかないが、そうすると、結果的に、ある機関なり個人の手元に残っていた情報の信頼性をどう評価するのかという問題が生じる。時間的経過の要素を組み込んだ評価モデルをどう組み上げていくべきか。

と、いう感じで、色々なことを後から考えてみたくなるワークショップだった。

2016/10/17

国立国会図書館企画展示「続・あの人の直筆」感想

国立国会図書館企画展示「続・あの人の直筆」 http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/exhibition2016.html 良かった。戦国時代から戦後まで、100点以上。さらに解説の情報量がめちゃ多いので1時間では足りない感じ。前期(〜10/29)後期(10/30〜)で一部展示替があるので注意。

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

展示リストPDFはこちら。 http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1610exhibition.pdf 小野蘭山、大槻玄沢、伊能忠敬、渋江抽斎、司馬江漢とか近世ものも良いが、やはり近現代が充実。>NDL「続・あの人の直筆」展

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

伊藤圭介、白井光太郎、新城新蔵の直筆では伊藤文庫、白井文庫、新城文庫にも言及。また白井の「採集日記」は絵入で、生涯の友、坪井正五郎の姿もあり(後期は展示箇所が変わる模様)。布川角左衛門旧蔵の安倍能成宛献辞入り資料には丸山眞男の署名も。>NDL「続・あの人の直筆」 展

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

政治家、実業家、作家、力士などなど、多様な人物が取り上げられているので、それぞれの興味のあるところを中心に見るのも楽しいかと。幕末・維新がらみも充実。古筆のコーナーでは、あえて「伝」を付けずに展示しつつ(解説では示唆)、極書の実例も展示したり。>NDL「続・あの人の直筆」展

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

NDL「続・あの人の直筆」展を見て、所蔵資料全体中の割合から見れば僅かなんだけど、印刷物でも複製物でもない資料が、「図書館」に相当数残されていることを、積極的に捉えていいんじゃないかな、と思ったりした。「出版物」という枠からはみ出すことを、肯定する場面があっても良いのかも。

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

あと、岡不崩(楽只園主人)『新帝都看板考』は面白いので、とりあえず、デジタルコレクションで見ると良いかと。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2610285 その上で現物をぜひ展示で。>NDL「続・あの人の直筆」

— Toshiyasu Oba (@tsysoba) 2016年10月17日

ちゃんと読めるともっと面白いんだろうなあ、とか、もっとじっくり見たかったなあ、という印象。
翻刻もところどころに参考に置いてある(持ち帰っちゃダメ)けど、混んでる時だとじっくり読めないかも。
せめて、後期に入ったらもう一度見たい。

2016/02/11

利根川樹美子『大学図書館専門職員の歴史 : 戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』

利根川樹美子 著『大学図書館専門職員の歴史 : 戦後日本で設置・教育を妨げた要因とは』勁草書房, 2016
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b214134.html
を読了。
 自腹を切ったので、一言文句を言わせて貰えると、最初の読者に恵まれなかったのかな……という印象が強い。注記のリンクミスや付与漏れ、論点先取的な論述がなされている部分、箇条書きの項番付与漏れなど、誰かが一度丹念に読んでいれば回避できたのではなかろうか、というところが、ちらちらとあり、読んでいてつい気になってしまった。
 とはいえ、書いてあること自体は非常に興味深く、特に1960年代の岩猿敏生氏を中心とした専門職論の先駆性と、それらの議論が生かされることなく、公共図書館職員を中心とした待遇維持を中心とした論理に阻まれていく過程を論じるくだりは、「官製ワーキングプア」とまで言われてしまっている公立公共図書館における待遇の現状を鑑みると、何とも感慨深いものがある。
 本書全体として、いかに「貸出中心主義」が、様々な建設的提案の推進を阻む役割を果たしたが繰り返し論じられている。大ざっぱにまとめると、ここでの「貸出中心主義」とは、図書館サービスの中心を資料の貸出に置き、情報サービス的側面を軽視する考え方と、もう一つ、現職者は現状のままで専門職であり、新たな資格や教育制度等は不要とする考え方の双方を指している。その双方が渾然一体となって、図書館における専門職に関する議論を混迷させた事例が、繰り返し本書では紹介されている。
 例えば、1968年時点で文部省社会教育課長であった中島敏教氏の「司書養成制度の現状と将来」(『現代の図書館』9巻2号[1971年6月] p.92-96)に拠る部分(p.250-251)で、学校図書館司書の資格・教育の創設を目指す法案に対して、公共図書館の「司書の地位を低くすることになる」という理由で、日図協関連団体から反対の陳情があったという証言が紹介されていたのにはひっくり返った。そんな証言があったのか、ということにも驚いたが、中島氏の証言の裏が本書で取られているわけではないものの、紹介されている他の事例から考えるとかなり蓋然性が高い、と思わせてしまうあたりが何とも言えない。
 大学図書館の戦前と戦後の断絶と連続に関する分析がもうちょっとほしいな、とか、冒頭の大学図書館数の変動分析とか後の論述で全然参照されないじゃん、とか(このあたりも、最初の読者の不在を感じさせるが…)、いろいろ突っ込みたいところもあるし、何より文章が読みにくいのだけれど(自腹切ってるし、このくらいは書いても許されるよね…)、これから図書館における専門職論をやる人は、見ておくべき一冊かと。
 ちなみに、そもそも大学の教員側や学生側が図書館スタッフによる専門的な支援を積極的に求めていたのか、という点は、本書では論じられていない。欠点というわけではなく、そもそもスコープ外なので、そこはしょうがないだろう。
 ただ、これは本書と無関係な、まったくの私見なのだが、大学に所属する人文社会科学系の研究者が、資料の研究者個人又は研究室単位での囲い込み等、大学図書館という組織・機能を十分に生かすことができなかった、ということも、大学内における図書館と図書館職員の位置づけの背景としてあったのではなかろうか、という気もしている。そのことが、結果として、大学内における人文社会科学分野の研究における組織・制度的支えの必要性自体を掘り崩してしまった(そんな研究、大学でなくても、別に趣味で個人でもできるでしょ、とか)側面もあるのではなかろうか。
 この見立てに若干なりとも妥当性があるとすれば、本書で論じられている、大学図書館における専門職制度確立の敗北の歴史は、大学における人文社会科学分野を支える制度・組織の問題を考える意味でも、参照すべきものになるかもしれない。
 あと、本書で紹介されている岩猿先生の専門職論が格好良すぎなので、『岩猿敏生の挑戦と挫折』(敬称略)みたいな新書サイズの一般向けの概説書を書いていただけないものか、とか思ったり。

2015/12/20

日本古書通信2015年11月号・12月号

 まずは日本古書通信1036号(2015年11月号)から気になった記事をいくつか。
 久松健一「サバティカル余滴」p.4-6は、蘭学・洋学史にかかわるこぼればなしをいくつか紹介したもの。そのうちの一つ、大槻玄澤の「玄澤」の由来が、故郷一関藩の黒澤(玄は黒に通ず)から来ている、という話には、あれ、そうなんだ、と驚いた。杉田玄白、前野良澤から一字ずつもらった、というのは誤伝とのこと。玄澤の『畹港漫録』(早稲田大学蔵 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_a0011/index.html )に記載があるそう。
 佐藤至子「「和本リテラシーニューズ」のこと」p.6-8は、日本近世文学会が刊行を開始した「和本リテラシーニューズ」 http://www.kinseibungakukai.com/doc/wabonichiran.html 発刊の背景と内容を紹介したもの。文中で紹介されているパネルディスカッション「社会とつながる近世文学」も中身が気になるところで、『近世文藝』 http://www.kinseibungakukai.com/doc/kinseibungei.html 101号でレポートされているとのこと。
 牧野泰子「私が出会った在米日本語稀覯書たち」p.12-13は、元プリンストン大学東アジア図書館日本資料担当司書であった著者による回想第2弾(第1弾は9月号に掲載された「アメリカ図書館界に足跡を残した思い出の人々」)。米国における日本古典籍資料整理に関する貴重な証言。国立国会図書館からの助っ人として相島宏さんの名前も出てきて、紹介される発言に相島さんらしいなあ、と思わずにやり。
 「書物の周囲」p.37-40では、『蟬類博物館−昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界』(練馬区立石神井公園ふるさと文化館 http://www.neribun.or.jp/furusato.html 編)は、10月1日から11月29日まで同館で開催されていた展示会 http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/events/events_z0301_00017.html の図録とのこと。蝉類研究の大家、加藤正世(1898-1967)の標本コレクションは東京大学総合博物館に寄贈されたとのことで、タイアップ企画だった模様。やってるの気付いてなかったなあ。小石川分館でも展示やってたのか。(「セミ博士の別室 加藤正世博物学コレクション」 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2015Semihakase.html
 編集後記である「談話室」p.47の「「物」と「所有」が古本屋商売のキーワードで、文化のデジタル化、ヴァーチャル化がすすむ現在とは逆行する」という言葉が重いが、「所有」へのこだわりが完全になくなることはないような気もする。楽観的にすぎるかもしれないが。

 続いて日本古書通信1037号(2015年12月号)からいくつか。
 能勢仁「最近の出版販売事情−今年に思うこと」p.4-6は、出版に関する近年の動向を今年の事件や数字を軸に論じたもの。当然ながら「栗田出版販売の民事再生の申請」から近年の取次に関する動向から話が始まる。一方で、日本の出版輸出(特に実用書・ビジネス書)や、流通ルートとしてのコンビニエンスストアとの協業の可能性についても言及。また、出版流通のプラットフォーム、販売ルートが集約されつつある現状も指摘。
 真田幸治「論文「雪岱文字の誕生−春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」の紹介」p.8-10は、タイトル通り、『タイポグラフィ学会誌』08(2015年) http://www.society-typography.jp/news/2015/10/08-1.html に収録された著者の論文の内容をかいつまんで紹介したもの。特に挿絵で知られる小村雪岱の使用した独特の書体を「雪岱文字」として、『鏡花全集』の箱に登場する「雪岱文字」について、これまで確認されていなかった雪岱の関与を周辺の証言を通じて論じている。
 牧野泰子「私の駆け出し時代からテクニカルプロセス分科会時代まで」p.11-13は、11月号に続く回想第3弾。今回は、CEAL(Council on East Asian Libraries http://www.eastasianlib.org/ )や、CRL(Center for Research Libraries https://www.crl.edu/ )に関する著者等の活躍が語られている。
 廣畑研二「さまよへる放浪記(3)」p.16-17は、林芙美子 著・廣畑研二 校訂『林芙美子放浪記 復元版』論創社, 2012. http://ronso.co.jp/book/林芙美子 放浪記 復元版/ を編集・校訂した著者が、放浪記の各版について論じた連載の最終回。戦後になっても伏せ字が復活したりまた削られたりと、何故か決定版が出ないままとなっていた、放浪記各版の差異や問題点が丁寧に辿られていて、スリリングだった。もしかして、『甦る放浪記 復元版覚え帖』論創社, 2013.の内容を圧縮して紹介したものだったりするのかな? http://ronso.co.jp/book/甦る放浪記 復元版覚え帖/
 12月という区切りだからか、内田誠一「短冊閑話」が第12回、張小鋼「中国・異域文化の往来」が第24回で連載終了。前者は、短冊という触れる機会が多くはない世界を様々な切り口で紹介、(自分で買うところまではいかないのが申し訳ないと思いつつ)毎回楽しませていただいた。後者は、毎回一つの植物を対象に中国古典を渉猟して、その中国への伝来や受容について論じたもの。現代版「本草学」といった趣で、こちらも毎回面白く読ませていただいた。最終回の鬱金香(チューリップ)も、唐代の宮廷での贅沢な使われっぷりに驚愕。
 八木正自「Bibliotheca Japonica CCXVI 追悼−新田満夫氏の事跡①」p.33は、今年の10月27日に亡くなった、前・雄松堂書店会長兼社長(むしろ創業者と紹介すべきかも)の新田満夫氏追悼文。1960年代から70年代前半の学術雑誌輸入拡大と、大学の新設に伴う和古書・洋古書購入の活性化を背景に、業績を伸ばしていった過程が語られていて、興味深い。「図書館総合展」の立ち上げにおいて果たした役割についても言及あり。
 古賀大郎「21世紀古書店の肖像 59 古書 上々堂(しゃんしゃんどう)」p.35には、「最近買取に行くと、貴重な資料を図書館が引取拒否した話をよく聞くそうだ」との記述が。「そういう貴重な資料を引取って、市場に戻していくのも、これからの古本屋の大事な役割なんじゃないかな、と店主は語った」とのこと。
 「書物の周囲」p.38-39では、津田良樹,渡邊奈津子 編集・執筆『海外神社とは? 史料と写真が語るもの』神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2015.なるものが。2014年3月に開催された展示の図録とのこと。これは見たい、と思ったら、PDFでも公開されていた。ありがたや。 http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/c6j6oe000000034h-att/kaigaijinnjyatoha.pdf

2014/03/22

内閣文庫と昌平坂学問所旧蔵書

 先日、ちょっとした家庭内レファレンスで苦労したので、その過程を忘れないようにメモしておく。
 内閣文庫の林羅山の展示(平成25年度連続企画展「江戸幕府を支えた知の巨人-林羅山の愛読した漢籍-」 http://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_25_6.html)がきっかけなのだが、相方から「昌平坂学問所の資料ってどういう過程で内閣文庫に入ったんだっけ」との疑問が出された。
 二人ともまずは長澤孝三『幕府のふみくら』(吉川弘文館, 2012)があれば手掛かりが何か書いてあるかもしれない、というのは思いついたのだが、こういう時に限ってどこかに埋れてしまって、出てこない。
 やむなく、他に何かあったかな、という家捜しが始まった。
 まずは、『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店, 1999)を見てみたが、林羅山や昌平坂学問所などの項目には資料の来歴についての記述はあまりない。
 しかたなく、本棚を漁ると、現在は内閣文庫に資料が受け継がれているという点で共通項がある福井保『紅葉山文庫 : 江戸幕府の参考図書館』(郷学舎,1980)が出てきたが、当然ながら昌平坂学問所の話は出てこない。
さらに本棚を漁っていたら、長澤孝三編・発行『内閣文庫思い出咄』(2001)が出てきた。これには、『内閣文庫沿革略』(内閣文庫, 1970)が再録されている。で、見てみると、
「維新後は、大学・書籍館・浅草文庫など数次の変遷を経て、明治十七年に太政官文庫に移管された。」
との記述が出てきた。太政官文庫=内閣文庫で大体大丈夫なはずだし、まあ、これでよいかな、と思い、一安心。
 しかし、この記述を見た相方からは、これでは「など」がどうなっているのか分からないではないか、との反応が…
この時点でもうすぐ日付が変わる時間帯になりつつある。早く風呂入って寝たいのに、何だこの細部に対するこだわりは、ニューなクラシックとかにブログが転載されたり、原稿載ったりする野菜な人たちの影響か、おのれ野菜め、とよく分からない逆恨みをしつつ、そう言われると自分も気になるので、もうちょっと調べてみることにした。
 今度は、直接答えは出なくても、何を見れば分かりそうかが分かるだけでも良いか、と戦略を変えることにして、鈴木俊幸編『増補改訂 近世書籍研究文献目録』(ぺりかん社, 2007) を見てみた。この目録、索引がないので、目次で当たりをつけるしかない。見ると「9.享受」のところに、「9.2 蔵書」があり、「昌平黌」の項目が立っている。おお、これだな、と見てみると、そのものズバリ、というのはなさそうだが、小野則秋「昌平坂学問所文庫の研究」がそれっぽい。まあ、ここまでか、と思ったところで、ふと気がついた。あれ?小野則秋なら、『日本文庫史研究』(臨川書店, 1988(改訂新版第三刷))が、あったような…と思って見てみたら、下巻の第二章が「昌平坂学問所文庫の研究」で、その第七節が「余論−維新後における昌平黌の旧蔵書」ではないか。
 というわけで、これでかなり詳細が判明。大枠としては先の『内閣文庫沿革略』の記述で良いのだが、大学の前後がかなり錯綜していることが分かった。一方、浅草文庫から太政官文庫に入るまでの間の経緯は、小野則秋の記述でもはっきりしない。ただ、その日はこれで諦めることにした。
 その後、さらに、樋口秀雄「浅草文庫の創立と景況」参考書誌研究 (4), 1-9,図巻頭2p,[1972年3月] http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050876_po_04-02.pdf?contentNo=1 を見てみたら、浅草文庫後の経緯が詳述されていた。こりゃなんともややこしい。内務省と農商務省に、陸軍まで絡んで、綱引きが行なわれていたわけだ。さらに、小野則秋がやや詳しく書いているように、特に貴重な典籍は宮内省図書寮にも移しているわけで、こりゃよくわからない訳である。

 こういったことは、実は何か別の資料を見ると、簡単に分かることなのかもしれないが、後で何かの参考になるかもしれない(ならないかもしれないが)ので、メモとして残しておく。

(2014-03-22 21時ごろ追記)
 野菜の人から、この論文を読め、という指令、じゃなかった、ご教示をいただいたので、追記しておく。



NDL-OPACだとこちら。
http://id.ndl.go.jp/bib/3590580
Cinii Articleだと……おっと、今日は電源設備工事中だったか。残念。

2014/02/02

幼児教育の先駆者・浮世絵研究家飯島半十郎虚心についてメモ

小林修「箱館戦争の幕臣飯島半十郎と浮世絵研究家飯島虚心 : そして『家事経済書』のこと 」『日本古書通信』79(1), 4-6, 2014-01.

を読んでいて、飯島虚心『河鍋暁斎翁伝』について、その稿本が出版されるまで、国会図書館に眠っていたという記述があったので、今はどこにあるんだろう?とちょっと疑問に思い、飯島虚心について、少しだけ調べてみた。
一応、分かったことについて、メモとして残しておく。ちなみに、書誌事項の書き方が統一されていないのは、あちこちからのコピペだからだったりする。手抜きで申し訳ない。

簡単に紹介すると、飯島半十郎・号虚心(1841-1901)は、昌平黌で学んだ旧幕臣で、幕末・維新期には、函館まで転戦。明治に入ると、文部省で教科書編纂等に従事するとともに幼児教育における先駆的業績を残すとともに、洋々社に参画して『洋々社談』の編集に活躍している。晩年は、日本美術・浮世絵史研究に没頭し、多くの著作を残すが、多くが刊行されないままとなった。
その伝記については、次の論文に詳しい。

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その一) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(9), 40-45, 1977-09-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42315

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その二) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(10), 16-22, 1977-10-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42331

小林恵子「飯島半十郎の生涯と思想(その三) : 『幼稚園初歩』の著者 (人でつづる保育史) 」幼児の教育 76(11), 8-14, 1977-11-01
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/42351

URLは全て、お茶の水大学教育・研究成果コレクションTeaPotのもの。当然、全文が読める。機関リポジトリ万歳。

小林論文によると、交遊関係としては、昌平黌での中村敬宇、成島柳北、幕臣時代には三井物産を起こす益田孝、一橋大学の初代校長となる矢野二郎(ともにちょんまげを落として「ざんぎり頭の開山」となったとか)、文部省・洋々社人脈としては、大槻如電、大槻文彦、「古事類苑」を編纂した小中村清矩などなど。
文部省以外では、内務省山林局で、『木曽沿革史』等を作成している。小林論文では「帝室に納本」されたと紹介されており、実際、図書寮文庫所蔵資料目録・画像公開システムを検索すると、編著者飯嶋半十郎として、明治写の「木曽沿革史」が所蔵されいてることがわかる(函架番号260・73)。
http://toshoryo.kunaicho.go.jp/Kotenseki/Detail/20999

晩年の浮世絵研究については、小林論文でも引用されている、

玉林晴朗「浮世絵研究の先覚者飯嶋虚心」書物展望 昭和13年(1938)7月号

が、

斎藤昌三編『書祭』人 書物展望社, 1940

に再録されていることが分かり、それがたまたま手元にあったので(表紙が取れたり状態悪いんだけど、天地人3冊揃いがあったので買ってた)、読んでみた。

それによると、明治期に刊行された、虚心の浮世絵研究関連の著作は、次の二点。

『葛飾北斎伝』明治26年
『浮世絵師便覧』明治26年

その他、未刊の著作として、次のものが揚げられている。

『浮世絵年表』1冊
『歌川列伝』3冊
『歌川雑記』1冊
『河鍋暁斎翁伝』5冊
『日本絵類考』10册、附録2冊

未完とはいえ、写本などで研究者の間では読まれていたようで、その後の様々な研究に影響を与えていると玉林氏はその業績を高く評価している。
ちなみに、このうち『歌川列伝』は畝傍書房(1941年)・中公文庫(1993年)、『河鍋暁斎翁伝』はぺりかん社(1984年)・河鍋暁斎記念美術館(2012年)で刊行されていたりする。
玉林氏によれば、『歌川列伝』『歌川雑記』は、東京帝大図書館に原本があったようだが、関東大震災の際に焼失したとのこと。ただし、写本が伝存するとも書かれており、畝傍書房版はそれを元にしたものなのかもしれない。
驚いたのは『日本絵類考』で、これは写本が頒布されたとのこと。明治32年に写本を予約で売り出したとのことで、10部目標だったところ、5、6部しか売れなかったらしい。三村竹清もこの写本を購入しており、竹清翁によると、この写本は虚心自身が移したものと、「島田佐内その他の人」によるものがあるとのこと。帝国図書館にも一部入っていることを玉林氏は報告しており、これが、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているものだろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2605932
しかし、ここでは本体の10冊までしかデジタル化されていないようだ。OPACで検索しても記述は10冊。附録の春本目録2冊はどこにいったのだろうか…

ちなみに、飯島虚心著の写本をCinii Booksで探すと、特に蒔絵・漆器関係の著作が、京都大学文学研究科図書館に集まっていたりするようだ。京大文学研究科には『日本絵類考』もあるが、これも附録の春本目録がないように見えるのがちょっと謎。
結局、稿本問題は解決してないけど、まあ、家の中にいてわかるのはこんなものかな。
飯島虚心の著作の影響の広がり、というのは、実は、近代写本の作成と流通の問題とも関連するような気がするけど、誰か調べてくれないものか。
あと、この飯島虚心、山口昌男好み(?)の人のような気がするけど、何か書いてたりするかなあ。

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