マリア様がみてる
今野緒雪『マリア様がみてる』(集英社文庫COBALT-SERIES)シリーズを、初代薔薇さま卒業編まで読了。最新刊まで、ゆっくり読もうっと。
著者の『夢の宮』シリーズは結構好きで読んでいたのだけど、こういう話でブレークするとはなあ。著者本人は狙っていたのだろうか。
幼稚園から大学までの一貫教育が売りの私立女子高で、上の学年の生徒と下級生との間に一対一の「姉妹」関係があって、というだけでもすごいが、さらに、生徒会の役員は、紅、黄、白の三色の薔薇になぞらえて呼ばれ、その「妹」が「つぼみ」と呼ばれ……とくれば、現実離れしたお伽話になってしまうところ。
が、その仕掛けが見事なまでに効果的だったりする。つまり、高校の3学年に対応して、薔薇ーつぼみーつぼみの妹、という系統が、紅、黄、白の三つ存在することになるわけで、その中には、「姉妹」関係が、六つ存在することになる(実際には、物語の仕掛け上、数は少なくなっているのだが)。さらに、同じ学年どうしの関係という切り口もあるし、色の系統をクロスした関係も当然ありえるわけで、うまくキャラクターを配置することができれば、物語は作者の腕次第でいくらでも広がりうる。
後は、学園ものの定番イベントごとに、このキャラクター関係図をどうはめこんで、描き出していくのかが勝負だ。で、これが、実にいい仕上がりだったりするわけだな。
お菓子を並べるのがティッシュの上だったり(これが豪華なティーセットだったりしないところがお見事)、妙に生活感あふれる描写があることで、単なるお伽話になりそうな物語世界を、こっちの世界にギリギリのところでつなぎ止めているのもおいしい。
もちろん、「姉妹」における疑似(?)恋愛が、絶妙の調味料になっていることも確かで、世のコミュニケーション・スキルの低い男性(私も人のことをとやかく言えないが……)が、はまってしまうのもむべなるかな。男性にとってはある種安全なファンタシーとしての魅力があることは否定しがたい。
しかし、コバルト文庫にとって、そういうところで(も)うけてしまうのはどうなんだろうか(といいつつ、自分も読んでいるわけだが)。うーん、氷室冴子や久美沙織全盛期のコバルトが好きだった者としては、複雑な気分ではある。登場人物と同世代(あるいはもう少し下の世代)の女の子にとっても魅力的であるのなら、それはそれでよいのだけれど。
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