自由の精神
萩原延壽『自由の精神』(みすず書房, 2003)を読了。
萩原延壽といえば、アーネスト・サトウの評伝『遠い崖』を書いた人、という印象が強い(といいつつ、『遠い崖』は未読なのだが)。ところが、1960年代初頭の論壇デビューのころから晩年までの、単行本未収録の論考を収録した本書を読むと、むしろ、初期の段階では、自由民権運動家であった馬場辰猪、自由民権運動家として出発しつつ外交官として活躍した陸奥宗光にこだわりまくった人なのであった。何で陸奥宗光かというと、研究テーマを決めようとした時に、ちょうど国立国会図書館憲政史料室で陸奥宗光文書が公開されたから、というなんとも拍子抜けする理由を飄々と書いてしまうあたりが、なんともいえない。一度こだわると徹底的にこだわるのだけれど、同時にフットワークの軽さも持っている、というのが、この人の魅力なのだろうなあ。
初期の論考で論じられている「革新とは何か」という主題は、今読んでも古くない、というか、60年代の問題は現在も生き続けていることにがく然としてしまう。現状を変革し、新しいものに取り組んでいくことこそが「革新」なのであって、日本では「保守」の方がむしろ「革新」的である、という指摘なのだが、今でも全然変わっていないよなあ。だからこそ、真に「革新」の側であろうとすることが、いかに困難な課題であるかも指摘していて、重い。
国際交流基金にも関わっていたようで、最後に収録されているインタビュー(というか対談か?)では、文化事業についても論じている。「結局、友だちができればいいわけですから」でまとめてしまうあたりが、実にいい感じである。英国びいきではあっても、進歩・発展ではなく、リトリート(retreat: 退却、撤退)のモデルとして英国を捉える、という視点も、今の国際社会における責任論や、世界経済における地位に汲々として、人材をすりつぶしている今だからこそ生きてくる気がする。
余談だが、外務省の30年ルールによる文書公開制度は田中内閣時代に外相であった大平正芳が作り、後の大平内閣時代には、全省庁にそれを広げようとしていたという話は、全然知らなかったのでびっくりした。このとき、うまく話が進んでいれば、現在の文書保存制度を欠いた情報公開制度よりもう少しまっとうな制度が組み立てられたかもしれない。もったいなかったなあ……。
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萩原さんのその本、去年か一昨年図書館で借りて読みました。
とても腑に落ちなかったのは、
「福澤に比べて、馬場は品格がない。。」というような文字を見つけたとき。萩原の、中公叢書「馬場辰猪」を読んで以来私は馬場のファン。 妥協妥協の福澤に比べ、馬場のどこが、品格がないのだろうか? わからない。
兆民を最近読んでいますが。。だいぶイメージが変わりました。変人ですねえ。目的が正しければ、金だってもらう。。かなりの機略家。
自由の精神。萩原の政治記者?の側面(わたしはあまり興味がない)がわかった。でも、最後の対談は余計じゃなかったですか?
大仏次郎、の 天皇の世紀、文庫版をすこし熱心によもうとおもっています。
投稿: 古井戸 | 2006/04/03 11:45