大航海(特集 ファンタジーと現代)
『大航海』(新書館)no.49 「特集 ファンタジーと現代」を読了。
風邪を引いていた(まだ治らない…)ので、更新に間が空いてしまった。『大航海』は別に毎号読んでいるわけではないのだが、某朝日新聞の論壇時評か何かで誰かが取り上げていたので、ちょっと読んでみたくなったのだった。以下、とりあえず、面白かったものだけさらっと。
一番分かりやすく面白いのは、小谷野敦「ファンタジーは君主制の夢を見るか?」。『プリンプリン物語』を話の枕に、初期ロマン主義、19世紀オペラなどから、現代のファンタジー作品まで、脈々と受け継がれる王子様、お姫様といった「貴種」の物語としての共通性をえぐり出す。要するに、みんな、王子様、お姫様の話が好きだったのだ、ということを比較文学史的に(かなり単純化して、だが)論じる、という趣向。そこに、「民主制に基づく近代社会の構成に対して感じられる違和感」までを読み込んでしまうのは、著者のサービス精神の成せる技かもしれない。ただ、君主制の方が女性の指導者が(民主的なシステムによる指導者選択に比べると相対的に)生まれやすく、「そこに、フェミニズムと君主制の親和性が生まれる理由がある」というのは、なかなか鮮やかな逆説で、やられた、という感じである。
その一方、小谷野とともに表紙にタイトルの並んだ、荷宮和子「団塊ジュニアはなぜファンタジーにはまるのか?」は、何の根拠も無く、「現実を舞台にしては、「男女平等」に則り、「人間の尊厳」を大切にする作品など作れない」ということが、ファンタジー作家の「最も素朴で素直なモチベーション」だと決めつけて論を展開するという意味不明の思い込みを語りまくる。この文章自体が一種のファンタジーとでもいうべきか。これを表紙にでかくのせる編集者のセンスがわからない。
井辻朱美「ファンタジーは地底をめざす アリスから恩田陸まで」は、19世紀の地質学、古生物学の登場と発達が契機となって、『不思議の国のアリス』やヴェルヌの『地底旅行』に共通する、地下にもぐっていくことが、時間を逆向きに進むことと結びついていく、その想像力のあり方を生み出した、という議論を展開していて、結構刺激的。知の枠組みが想像力の枠組みと緊密に結びついている、という一つの事例研究としても読めるかも。
大澤真幸「三つの反現実 理想・虚構・不可能性」は、現実からの逃避の先(反現実)のあり方が、理想・虚構・不可能性という三段階を経てきた、という時代論なのだが、虚構の時代が中心で、しかも、かなりの部分が、森川嘉一郎『趣都の誕生』(幻冬舎, 2003)(しまった、積んだままで未読だ!)を題材として語られるオタク論に割かれている。オタク論好きの人は、一応、チェックしておいた方がよいかも。
稲葉振一郎「自然状態というファンタジー?」はタイトルだけではなんのことやらだが、実は、小泉義之『弔いの哲学』(河出書房新社, 1997)を、ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』(以文社, 2003)と対照しつつ批判する、という代物。どっちも読んでないので、よくわからんのだけれど、国家制度の外にある何か別の救済の場として(本来あるべき)宗教を措定してしまう小泉よりも、国家からも宗教からも追われながら国家の領域内を逃げ惑うしかない存在に目を向けるアガンベンの方が鋭い、ということは何となくわかった(気になった)。
斎藤環・三浦雅士「ファンタジー化する世界」は、インタビューとは銘打たれているが、実際にはほとんど対談。斎藤環のサブカル蘊蓄がところどころで炸裂していて楽しい。といいつつ、精神分析で、男性治療者が女性患者を治療していると、転移性恋愛というのが起こる、という話を、患者の側も情報として普通に知ってしまってるために、「いまは普通の女子高生が「私、先生に転移しちゃった」と最初からいうんです」という状況が起きてしまっている、という話が妙に面白かったりする。「もはや精神分析にならなくて、単なる「精神分析プレイ」にしかならない」とは何とも壮絶だなあ。
ファンタジーの特集なのだけれど、色々な論者の話の中にキーワードとして登場する「リアリティ・テレビ」(日本でいえば「あいのり」みたいな、素人集めて、一定期間一緒に過ごさせて人間関係の変化を楽しむ、というやつ。欧米だと一時話題になった「サバイバー」みたいなのが多いらしい)について、「リアリティ・テレビ」を題材にした映画について語る、というやり方で語っているのが、北田暁大「リアリティ・ワールドへようこそ リアリティ・テレビの現実性」。日本の視聴者にとって、「リアリティ・テレビ」に映し出されている「現実」がメディアを媒介したものである、ということが当然のものとなってしまっていたために、映し出されている「現実」を生のものとして反応せよ、と迫るような欧米的リアリティ・テレビには、あまりリアリティを感じなかった、という指摘が面白い。
森川嘉一郎「ファンタジーと環境」は、後半は多分『趣都の誕生』の要点解説(だと思う。読んでないけど)。前半は、建築家が、ネットワーク社会のあり方に対応した建築の姿を提示できずにいる現状を批判する、という話で、なかなか痛烈。現代建築ファンは見ておいてよいのでは。
特集以外では、連載第一回の御厨貴「天皇の近代」が、「昭和天皇のオーラル・ヒストリー」という題材を扱っているのだが、何だか妙な感じ。敬意を表明しつつ、客観的に描写する、というのは、やはり難しいのでは。
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