本道楽
中野三敏『本道楽』(講談社, 2003)を読了。
近世文学や近世文人伝研究の泰斗、というよりも、むしろ、愛書家・集書家・蔵書家として知られているような気もする著者の自叙伝である。
本自体が凝った作りだったりするところがさすがだが(書店で見かけたら、カバーをちょっとはずしてみてほしい)、中身がまたなんとも。東京、名古屋、九州と、移り住んだ土地での古書店との出会いと、個性的な古書店主たちの生き生きとした挿話もいいのだが、特に著者若き日の思い出が、伝説の世界を垣間見るかのようなきらびやかさ。
そもそも、森銑三を中心とした三古会や、藤波剛一を中心とした掃苔会(著者が関わったころには未亡人の和子夫人が中心となっていたとのこと)が、昭和40年ごろまでは活動していたということに呆然。おそらく、山口昌男が『内田魯庵山脈』(晶文社, 2001)で描いたような、江戸の知的伝統を引継いだ趣味人的サークルを実地に体験しえた(そしてその伝統を継承しえた)、著者が最後の世代なのではなかろうか。
その粋のかけらの持ち合わせもないこちらとしては、ただ、その輝きのあまりのまぶしさに、目もくらまんばかり。
さらには、反町茂雄、長沢規矩也、横山重といった、古典籍界の重鎮が次々と登場し、様々な横顔を見せてくれる。近世文学にはとんと疎いので、登場する研究者の名前には今一つぴんとこないのだが、その筋の人が読めば、それはそれでまた楽しめるはず。『国書総目録』刊行の衝撃などは、その時代を経ているからこその証言だろう。今、当たり前にあるものが、いかに衝撃的なものであったか、よくわかる。
一方で、和本が大量に流通していて、当たり前のように古書店に並んでいた時代は、もはや完全に過去のものになってしまった。著者が書いているような武勇伝の数々は、現在ではちょっと考えられない。かつては当然だったものが、失われてしまったことも、よくわかる。
自叙伝だけに、客観的な記述、とはいかないが、近世古典籍資料に関心があるのであれば、こんな時代があったのか、と、ため息がでること必至。
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