文化=政治
毛利嘉孝『文化=政治』(月曜社, 2003)を読了。
1999年のWTOシアトル会議で見られたような、旧来のデモや集会とは異なる新しい形態の「いまどきの政治運動」を紹介しつつ、その特徴や問題点、そして可能性を語る一冊。
WTOシアトル会議における反グローバリズム運動が、マスコミの語る無秩序な暴動、というイメージとは異なり、様々な立場、意見を持ったいくつもの集団が集まり、時間をかけて合意を形成しつつ行われたものだった、という話は、知っている人は知っている話なのかもしれないが、ちょっとびっくりした。
祝祭的(本当にカーニバルだったり、パフォーマンスが中心だったりする)で、非暴力的で、絶対的な権威を持った指導者が存在しない(そもそも中心がなかったりする)という、そのあり方は、政治的発言権を確保して既存の権力構造の中に入り込んで行こうとする旧来の政治運動とは全く別物。権力の奪取ではなく、その時、その場の空間を奪取する、というと、そんなことをして何の意味があるのか、という気もするが、権力構造の枠組みから排除されてしまった集団・問題が、存在しているということそのものをあからさまにする、というのは、案外効果的な戦略なのかもしれない。とはいえ、シアトル会議のように、マスコミというフィルターを通したとたんに、集団・問題の見え方はまったく別のものになったりするわけだが……。
というわけで、インターネットというマスコミとは情報ルートが存在していることが、大きな意味を持ってくる。じゃあ、その別の情報ルートで流される情報が正しいのか、というと、そうと決まっているわけでもないわけなので、なかなか世の中難しい。
日本でも同様の動きが始まっている、という部分が一番面白い。薬害エイズがらみの「運動」の時に指摘されていた生真面目さが薄れているところがいい感じだが、じゃあ自分も何かやってみようか、とまではいかないところが、しんどいところかもしれないなあ。
(どうでもいいが、カウンターが不調。誰かに適当に設定をいじられているような気もするなあ。nifty純正のカウンターをさっさと提供してほしいものだが…)
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