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2004/04/29

文化財報道と新聞記者

 中村俊介『文化財報道と新聞記者』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー, 2004)を読了。
 遺跡などの埋蔵文化財を中心に、新聞報道と文化財との関わりを、様々な事例を通じて語る、という趣旨の一冊。新聞報道されたことによって発掘後、保存が進められたものもあれば、新聞報道されなかったことによって、学術的には重要だった遺跡が保存されることなく破壊されていくこともある。朝日新聞の記者である著者の視点から、そうした事例の背景や課題が、要領良くまとめられていて、そういう意味では、便利な一冊なのだが、バランスがとれすぎていて物足りないような気も。
 ただし、終盤の聖嶽(ひじりだき)洞穴問題についての記述は、結果として一人の老研究者の自殺に至ってしまったという経緯や、その問題が混乱していく過程に著者自身が記者として関与していたという事情もあって、本書の中では突出している。正直、この問題だけにしぼって、一冊にするべきだったのでは、と思ってしまった。
 聖嶽洞穴についての詳細は前期旧石器論争indexなどを見てもらったほうがよいと思う。簡単にまとめると、例の旧石器遺跡の捏造が明らかになったその時期と、1960年代初頭に旧石器時代の人骨が見つかったとされていた聖嶽洞穴の再調査の実施がたまたまぶつかり、それに併せて週刊誌がこれも捏造だったのではと、におわせる(かのような?)記事を掲載した、というのが発端。マスコミが騒ぎたてた結果、当初の発掘に参加した研究者の一人が自殺し、遺族は週刊誌を訴え……という経緯をたどった。
 著者は、本書の中で、繰り返しマスコミの限界や問題点を語りつつ、同時に必要性や積極的な役割を強調しているのだけれど、結局、一人の研究者の自殺という結果に対して、マスコミがどうあるべきだったのか、という問題については、明確な答えを示していない。ここに課題がある、ということを示しているというだけでも、もちろん、意味はあるとは思う。けれども、例えば、読者の側のメディア・リテラシーの問題を含めて考えるとか、記者という提供側の視点から離れた、別の視点も意識して組み込まないと、この問題は解決の方策が見つからないような。現役の新聞記者に、そこまで要求してはいけないのかもしれないけど。

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