参謀本部と陸軍大学校
黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』(講談社現代新書, 2004)を読了。
陸軍を中心に、近代日本の軍と政治との間の意志の統一がどのようなシステムで行われていたのか(行われていなかったことの方が多いのだけれど)、ということと、参謀などの陸軍エリートの育成機関であった陸軍大学校による人材育成の問題を絡めつつ論じる、という趣向。
日清・日露までは日本の軍隊もまともだった、とはよくいわれる。けれども、実際には、日清戦争の段階で、既に戦争における国家意思の決定システムには齟齬が生じており、そこを強力なリーダーの存在でカバーしていた、というのが実情だった、というのが本書のキモである。昭和に入って、元勲や、日清・日露時代の功労者たちが退場していくにつれて、強力なリーダーシップによって押さえ込まれていた陸軍・海軍間の意志の不統一や、「統帥権の独立」という名の既得権益防衛のための策動があらわになっていく過程が、本書ではこれでもかとばかりに描かれている。システムとしての組織が欠点を持っていても、人材が揃っていればある程度カバーできるが、組織が駄目で人材も駄目になると救いようがない、という現実をまざまざと見せつけられる。
陸大の人材育成については、明治初期の段階で、即戦力となる人材の養成に主眼を置いたために、戦術偏重の教育となってしまったのが後々まで後をひく、ということが、様々な事例から語られている。当初は参謀の育成が目的だったのに、高級将校の育成まで目的に加わり、でも、カリキュラムはあまり変わらず……というわけで、歴史・外交・経済についての幅広い視野を持った、総力戦時代に対応する人材を生み出すことができなかった、ということが語られる。そういえば、今の産業界も即戦力を求めて、実践的な大学教育を要求したりしているけれど、マネジメントする人間が育たなかったりして。そういう意味でも、やたらと示唆的。
ちなみに、戦術重視の結果、日露戦争の段階で、兵站の軽視(実際これで好機を逸している)などの弊害が既に生じていたらしい。日露戦争は、日本の近代史のクライマックスとして語られることが多いけれど、その後の失敗につながる種はこの時点で既に蒔かれていたことになる。
国際情勢などを大局的に見て(未完成かつ不完全ではあれ)国家戦略を組み立て、その戦略に基づいて軍事・政治を統一的に動かしていこうとした石原莞爾が高く評価されているので、石原莞爾ファンは必読かも。陸大時代の石原は、課題を短時間で片づけつつ、カリキュラムとは関係ない歴史の研究に没頭したりしていたらしい。というわけで、陸大の教育は、石原の戦略的思考を育成するためには役にも立たなかった、と著者は結論づけている。むしろ、本書によれば、陸大出身者たちは短期的な戦術論しか語ることができなかったし、外交的駆け引きも理解できず、目先の勝利に簡単に幻惑されるばかりだったようだ。当然ながら、著者は、陸大の教育を失敗だったと評価している。
石原の構想は日中戦争によって完全に破綻し、石原も陸軍中枢を追われるが、その後は国家戦略とは名ばかりの、陸・海軍と政府の三者の意見を併記したどうとでもとれるような方針(要するに、意思決定の基準にならない玉虫色の方針)ばかりが決定され、最初から勝てないことがわかっているのに、終らせ方も分からない戦争に突入していくことになる。
また、陸軍・海軍・政府という三者の意見を統一する場がなく、陸・海軍側の既得権益防衛の力が強くてどうにも抜本的対策は取れない、という時に、何が起こったか、というあたりをポイントにして読むと、ビジネス書的にも面白いかもしれない。実は、機能や権限のはっきりしない、調整のための会議がやたらと設置されるのである(そしてうまく機能しない)。そういえば自分の組織でも、と思った方は要注意……って、私のところも……。
ちなみに著者は、防衛大出身で、陸上自衛隊を経て、防衛庁防衛研究所の戦史部主任研究官となった人物。過去の歴史を美化するだけでは、これから起こるかもしれない失敗は防ぐことはできない、という、リアリズムが背景にあると思うのだけれど、防衛大の教育に対する批判とかも含まれていたりするんじゃ……と余分な勘ぐりへの誘惑も少しあったりして。同じ著者が、国レベルで決定された方針について論じた『日本を滅ぼした国防方針』(文芸春秋社文春新書, 2002)もお勧め。併せて読むと、うんざりしつつも、こんなのをもう一回やられたらたまらん、という気分をたっぷり味わえる。
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