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2004/05/24

逝きし世の面影

 渡辺京二『逝きし世の面影(日本近代素描1)』(葦書房, 1998)を、数日前に読了。先日、所用で東京駅に行った際に、八重洲ブックセンターの歴史棚で平積みされていた上に、ポップが立てられていたので、何となく気になって手に取ったら、これがやけに面白そうな代物。というわけで即購入。どうもいろいろ賞も貰っているらしいし(今まで知らなかったのが恥ずかしい…)、amazon.co.jpや、八重洲ブックセンターのオンラインショップでは購入可能になっているのに、bk1では検索に引っ掛かってこないのは何故だろう?
 それはさておき、日本近代素描、と題するシリーズの一冊目として書かれたものでありながら、実際にここで描かれているのは、近代化によって失われた、江戸期の「文明」、特にその明るく、魅力的な側面だったりする。著者がいう「文明」というのは、「ある特定のコスモロジーと価値観によって支えられ、独自の社会構造と習慣と生活様式を具現化し、それらのありかたが自然や生きものとの関係にも及ぶような、そして食器から装身具・玩具にいたる特有の器具類に反映されるような、そういう生活総体」(p.7-8)のことであって、謎の巨大建造物とか、そういう話ではない。江戸の隅々、あるいは農村にまで浸透した園芸とか、職人が作る日用品とか、今からすれば精神を病んでいたと思われる人たちの社会の中での位置づけとか、死に対する感覚とか、動物に対する共感とか、そういった日常の生活全体を構成するような全体的な何か、といったものを、「文明」と著者は呼んでいる。
 その失われた「文明」について語るために著者が採用したのが、幕末から明治初期にやってきた西洋人たちによる旅行記類を渉猟する、という方法である。もちろん、欧米からやってきた人だけに、西洋が進んでいて他は遅れてるぜ幻想をばっちり身に付けていたりする人も多いのだけれど、そういう人でも、思わず江戸時代人の屈託のない好奇心や、人好きの良さ、あるいは、日用品の質の高さを褒めずにはいられなかったりするし、モースのように、江戸時代の名残を徹底して褒め称え、愛した人もいる。そんなのは、西洋人の勝手な感傷だ、というのは簡単だし、所詮は西洋人による「オリエンタリズム」の反映の結果でしかない、という批判もありうる。著者は、そんなことは承知した上で、「オリエンタリズム」的な、失われた楽園を日本に見る、という幻想のフィルターの存在を認めつつも、それでも、西洋人たちの記述には何かが残されているはずだ、という立場を取っている。
 実際、時期も地域も出身国も異なる様々な異人たちによる記述なのに、江戸期の「文明」を褒めるポイントは奇妙なほどに重なっていく。そうした記述を幾重にも重ねつつ、江戸末期から明治初期を生きた女性の回想や日記などの資料を補助線に描き出される「文明」の姿は、圧政に苦しめられた暗黒時代とはほど遠い、奇妙に明るく充実した民衆の生き生きとした様子に満ちたものだ。
 ただ、正直、本書を読みながら、「江戸時代って素晴らしい! 日本って素晴らしい国だ!」という気分になるのを避けるのは難しいことに気づいた。所々に留保を加える一節が加えられていて、何でもかんでも全部明るい、ってことはないんだ、ということが強調されているものの、全体としては、能天気なほどに明るい印象は強烈だ。さらに本書は、「江戸時代」と「近代日本」との差異を強調する出発点として書かれたはずなのに、その断層の深さを感じることが意外に難しかったりもする。
 ちゃんと読めばわかるはずだが、ここに描かれた「文明」は、現代の日本の「文明」とはまったくの別物だ。はっきりいって、今こんな国があったら、世界ウルルン滞在記が黙っちゃいないだろう。そのくらいには間違いなく「異国」である。にもかかわらず、「懐かしい」という一種の「錯覚」から、連続性を「幻視」してしまいたくなる、という誘惑は強烈だ。
 本書は、明るい江戸、という、ある意味現代的な近世像を、西洋人による記述を集積することによって描き出すことに、見事なまでに成功していて、どこを読んでも大興奮なのだけれど、その興奮が、「日本って素晴らしい!」という、妙な感覚(だって、今の日本は、江戸期の「文明」を消し去ることで成立しているのだから)に引きずられてしまうことに戸惑ってしまう。これはいったい何なのだろう。
 続編である、『日本近世の起源 戦国乱世から徳川の平和へ』(弓立社, 2004)も出ているようだが、タイトルからわかるように、何と、さらに時代を遡ってしまっているらしい。いつか、著者が近代を正面から語った時には、懐かしさを幻視してしまう理由がわかるだろうか。

(2005年10月11日補記)
 本書『逝きし世の面影』が平凡社ライブラリーで再刊され、入手しやすくなった。めでたい。
 平凡社ライブラリー版の後書きを立ち読みしたところ、著者は、近代はもういい、という気分だとか。というわけで、「日本近代素描」というシリーズは続かない模様。

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