図書館の学校 2004年7月号
ここのところまじめに読んでいなかった『図書館の学校』の最新号が届いたのでパラパラと読んでみる。
3月号で連載が二本終了した話を以前書いたことがあるのだけれど、結論からいえば、別にページ数は減らずに、新連載がちゃんと始まっている。
新連載の一つ、永井由美子「これからの社会における情報デザイン デザインから生活を見つめ直す」は、この7月号で第4回。メディアが変われば、それに応じたデザインも変わり、それに応じて読み方も変わる、のではないか、という話を、紙の本とスクリーンを対照させながら語っている。まだ実践としては、試行錯誤の段階なんだろうけど、こういう試行錯誤の繰り返しが、新しいものにつながっていく(はず)。
色モノ系連載の「都市伝説新聞 『ウワサ』の深層」のお題は、「電器製品に仕込まれた静かなる「時限爆弾」! 秘かに機器を破壊する「×××タイマー」は実在するか?」。中身は、まあ、無実である事を検証する、という趣旨なのだが、主な参考資料が傑作。『松下が×××を超える日』(サンマーク出版)/『×××と松下』(講談社)/『青い目が見た×××VS松下』(東洋経済)……って、ばればれですがな(あと、一部書名が不正確なのはいかんですな)。
とはいえ、一番面白かったのは、今回の巻頭記事、リーパー・すみ子「この頃のアメリカの学校図書館 マナー、リテラシー、オンライン・プログラムなど」。著者はアメリカのアルバカーキー市公立小学校の図書館司書(Media specialist/Librarian)。
国語教育(アメリカなので、当然英語教育なわけだが)の基本プログラムの紹介では、アメリカにおけるリテラシー教育の基本パターンが紹介されていて、うーむ、ただ読ませて感想を聞くだけのものとはまるで違うなあ、と思わず感心。
学校図書館の司書が何で教育プログラム? と思われるかもしれないが、アメリカでは学校図書館の司書は教員免許(と修士)を持つスペシャリストであり、各クラス週一回程度の図書の時間は、担任の教師ではなく、司書が生徒の教育の責任を負うシステムになっているそうな。日本の司書教諭と何と差があることよ……。
また、「リサーチ」と呼ばれるいわゆる調べ学習的なプログラムでは、ProQuestの小学生用データベースなどを用いて、ペーパーを書く訓練などが行われているという。ううむ、小学生からProQuest使っとるのか……。これは差がつくとか、そういうレベルの話ではないような気がしてきたな。ちなみに、著者は、この「リサーチ」では、参照文献の明示を必ず強調して教えているとのこと。
あと本題とは関係ないのだけれど、「アメリカの男性は日本の男性より、はるかに女性に意見されるのを嫌う」そうな。まあ、アメリカといっても地域にもよるのかもしれないが、ちょっと面白い。
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