厚生省の誕生
藤野豊『厚生省の誕生 医療はファシズムをいかに推進したか』(かもがわ出版, 2003)を読了。
厚生省が1938年に、陸軍の後押しを受けつつ、優生政策的な発想を背景にして、関係組織を統合する形で発足した経緯を語る第1章、欧米のリクリエーション運動の輸入、という性格を持ちつつも、国民動員を目的とした健康化のための活動として展開される「厚生運動」の展開を語る第2章までが、書名どおり、厚生省の設立前史から初期の活動を論じた部分。さらに、第3章では、満洲国における厚生運動の展開を追っている。それにしても、厚生省ができるまで、「厚生」という言葉が、今の「福利厚生」の「厚生」の意味では使われていなかったとは知らなかった。
しかし、本書の白眉は第4章・第5章で論じられる国立公園と、第6章で展開される無医村対策についての分析だったりする。その意味では、ちょっとこのタイトルではもったいない感じ。
今は自然保護の文脈で語られる国立公園だが、もともとは国民の健康増進(と初期には外貨獲得のための観光客誘致)が主要な目的として設置されたものだったりする。その後、1940年代になると「健民地」と呼ばれる「健民錬成」の場となり、軍事教練的な訓練の場として活用されるようになっていく過程が、資料に基づいて論じられている。
無医村対策は、戦前の農村問題の一つの象徴だったようだ。開業医保護のために公立医療施設の設置に反対した日本医師会の運動との関連もあり、その経緯はなかなか複雑。国民を兵士、あるいは生産力として動員する必要性が、一定レベルの健康の維持のための無医村対策を政策目標に押し上げていく過程や、地域の様々な思惑の中で、実際の政策がほとんど実効性を持たないまま終息していく過程が、丹念な資料の分析から浮かび上がる。
国立公園と無医村対策については、国レベルの政策論だけではなく、富山県公文書館に残された地域の行政文書を駆使した、個別具体的な分析も併せて展開されているところが読みどころ。最近、アーカイブズの必要性が(やっと!)認知されてきた感じがするけれど、歴史研究者にとって蓄積・保存された文書は宝の山だ、ということを実例をもって示してくれた感じ。やっばり、ちゃんと行政文書(司法も立法もだけど)は残さんといかんなあ。
各章の末尾では、ファシズム国家としての戦前・戦中期日本、という結論(問題意識かそこから出発しているので、ある意味当然ではあるのだけれど)が、やや唐突に展開されるきらいもないではない。とはいえ、個々の分析自体は、単純なイデオロギッシュな議論に引きずられることなく、資料に基づいて丹念に展開されていて、じっくり読む価値はある。
「今」こうなっている背景には、多かれ少なかれ、何らかの歴史的な背景がある、ということを、今さらながら思い出させてくれる一冊。国立公園や無医村対策について感心のある向きは、一読の価値ありかと。
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