清沢洌 外交評論の運命 増補版
北岡伸一『清沢洌 外交評論の運命 増補版』(中央公論新社中公新書, 2004)を読了。
清沢洌(きよさわ・きよし)といえば、何といっても『暗黒日記』なわけだが、本書は清沢の『暗黒日記』以前の、評論家としての活躍を主に追っている。
と、いいつつ実は『暗黒日記』は積ん読状態だったりするのだが、本書を読んだらがぜん面白そうな気がしてきた。とにかく、この清沢という人は鋭い。日本の満洲権益が、生命線だなんだと騒がれていたわりには、反日感情を強める対中国貿易に比べれば、投資と利益の関係で考えれば、取るに足らない、なんて現在から見てもえらく正しい主張をガンガン展開したりする。本書で描かれる、日本外交の転回点となるポイント、ポイントで的確な分析を容赦なくかましていく姿は、文句なしにかっこいい。
政府や世論に迎合せずに、独立した意見を主張しつづけるために、知人の経営する飲食店に投資したり、不動産を買ったりと経済的にも独立を保つ、といったドライかつ合理的な姿勢は、日本の社会では当然嫌われたりするわけだが、現在の視点から見ればむしろ先駆的。情報源である海外の雑誌や新聞を直接購入しているところもさすがというべきだろう。
そんな清沢も、一度だけ徹底して日本を擁護する狂信的愛国者ぶりを海外で演じたことがあるという。蘆溝橋事件、つまり日中戦争勃発の直後に、国際ペン・クラブ理事会に日本ペン倶楽部代表として出席した時だ。その際、清沢は、文化施設や病院まで攻撃対象にする日本軍に対する非難の声を前に、徹底した日本擁護に走っている。しかし、欧米の言論人たちの、反対意見にも耳を傾ける徹底してリベラルな姿勢に感銘を受け、帰国後に再度、批判的言論活動を再開したという。「愛国」おそるべし、だが、リベラルな言論の力も、捨てたものではない。
そうした清沢だからこそ、一方的に英米に敵のレッテルを貼って、狭量な愛国熱をあおり、結果として国民を窮地に追いやっておいて、いざとなると国民の覚悟が足りない、という徳富蘇峰を徹底して批判する論説を、昭和20年3月という時点(その年の5月、清沢は病で急死している)で展開することができたのだろう。今再評価されるべきは、徳富蘇峰ではなく、清沢洌ではないのか、という気分にさせる一冊である。
副読本としては『清沢洌評論集』(岩波文庫, 2002)がお勧め。本書で紹介されている清沢の論説が、抜粋の場合もあるが、かなり収録されていて便利だ。
ちなみに、増補版になって、サブタイトルが「日米関係への洞察」から、当初予定していたという「外交評論の運命」に変わり、巻末に補章として米国時代の清沢の活躍を論じた「若き日の清沢洌 サンフランシスコ邦字紙『新世界』より」が加わっている。前版を持っている人はご注意を。
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