季刊・本とコンピュータ 2004年秋号
ああ、書く速度より読む速度が、読む速度よりさらに買う速度が速すぎて、更新が……。
というわけで、ちょっと前に読んだ『季刊・本とコンピュータ』2004年秋号発行:大日本印刷 発売:トランスアート, 2004)。なんだか、やたらと読みやすかった記憶があるのだけれど、その代わり、いつもより情報量的には物足りない感じが。この号から、「総まとめ特集」ということで、第二期の特徴だった子雑誌もなくなり、レイアウトもシンプルになったからだろう。メイン記事とコラムを一つのページ内で組み合わせるような複雑な構成は影を潜め、徹底して記事のみで勝負している。ある意味で、山崎浩一「雑誌のカタチ エディトリアル・デザインの系譜 第五回 『ワンダーランド』新聞+雑誌のハイブリッド」で紹介されていた『ワンダーランド』的なレイアウトの対極といってもよいかも。この号でこういう雑誌を取り上げる、というのは意図的なのかな?
その他の記事では、元木昌彦・矢野直明・龍沢武「雑誌と百科事典と新聞が、電子化の大波を受け止めた」が、一九八〇年代半ば以降の電子化の流れを現場(朝日新聞・講談社・平凡社)で受け止めてきた人たちの証言として興味深い。失敗した部分も含めて率直な話が読める。
同様に、中尾勝・後藤光弥「マルチメディアでわれわれは何をしようとしたのか」も、同時期のCD-ROMを中心としたマルチメディア作品に関わった人たちの証言。全然懲りてない、というか、まったく前向きさを失っていないところがすばらしい。
廣瀬克哉「技術よりも人が見えてきた 電子テキストの八年」も、www.honya.co.jpの変遷を回顧する内容。売れたのはテキストではなく、そこを発表の場をとした「人」だった、という話がぐっとくる。機能は引継がれないが、データそのものは意外に残る、という指摘も重要か。
二木麻里「この先は「検索」を捨てよ」は、インターネット上のリソース、特にハブになるサイトを「歩いて探す」ことの重要性を主張していて興味深い。結果として、それがインターネットの多様性の力を回復することにつながっていく、という指摘は重要だろう。特に、インターネット上のリソースを評価しなければならない図書館員は必読。
それにしても残り3号か……。第3期って話はないんだろうなあ。
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