小島憲之と東京図書館増築書庫
『学士会会報』2004-V no.848をパラパラと見ていたら、杉山英男「埋没した建築留学の先駆者」なる論考が(pp.121-129)。何となく気になって読んで見た。
小島憲之という、明治10年代に米国コーネル大学で建築学を学びながら、様々な時代背景(学閥やら東大の建築学系の研究室の変遷やら)から、建築家としてはあまり活躍の場を得られなかった人物について紹介する一文なのだが、図書館屋的にちょっと気になる記述が。
この小島が設計した数少ない建築の一つが、明治19年(1886)竣工の東京図書館の増築書庫・閲覧室であり、しかもその建物は現存していて、現在も東京芸術大学の大学院美術研究科・文化財保存学研究室によって利用されているそうな。
また、明治18年(1885)、ちょうど小島がこの設計を請け負う事になる直前に、東京図書館(後の帝国図書館)が、教育博物館と合併して湯島から上野に移転することが決まっているのだが、その決定の前後、小島は関係者(東京図書館長平山太郎、文部省の会計局長、文部省書記官手島精一など)と相次いで会っている。そして、合併後の教育博物館・東京図書館の館長となった箕作秋坪は、小島の親友であった箕作佳吉(小島と同期の米国留学組の一人)の父親で……、という話も。どうも、東京図書館と教育博物館との合併の動きの中心に近いところに小島はいたらしい。
図書館史の専門家であれば、普通に知っていることなのかもしれないけれど、佐藤政孝『東京の図書館史』(新風舎, 1998)などを見てもこういう話は出てこないようなので、一応メモ。
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