ジェリー・パーネルの混沌の館にて
全然本題と関係ないのだけれど、小寺信良「被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (後編)」は、いい記事だったなあ。内容についてどうこう、というより、こういう絶妙の距離感で文章が書ける、ということにぐっときてしまう自分が浅ましい……。
それはさておき、ジェリー・パーネル『ジェリー・パーネルの混沌の館にて カリスマ・ユーザーが綴るパソコン20年史』(日経BP, 2004)である。
日経バイトに連載されたエッセイの、1985年5月から2004年7月まで、その時代時代を象徴するものを選んで収録。CPUでいうと、最初の頃がZ80で、最後の方はPentium 4だったりする。
それにしても、『神の目の小さな塵』(東京創元社創元推理文庫, 1978)をラリー・ニーヴンと共作したパーネルが、これほどまでにPCとその周辺機器を試しまくり、使いまくる人だったとは知らなかった(ニーヴンもちょこちょこわき役として登場するので、ちょいと古株のSFファンも一応要チェックかと。二人の共作の様子が少しだけわかる)。
しかし、この20年間の変化の激しいこと激しいこと。メモリなんて、64Kから数Gですがな。その変化そのものが生々しく記録されているというだけでも、価値ある一冊だと思う。ARPANETの初期の姿(と、それが魅力を失った経緯)についての証言や、OS/2敗退の分析など、価値ある証言も多い。ExcelやPowerPointがMacintoshでしか動かなかった時代(いや、本当にそれぞれそうだった時代があったんだって)を知っている人であれば、たっぷりと楽しめるに違いない。
が、そういう時代を知らない人には、えらい敷居が高い本になってしまっている。驚くべきことに、注がない。いや、CP/Mという単語(?)を見て、ああ、あったなあ、とか、TurboPASCALとか聞いて、あれね、とか思う人には必要ないかもしれないが、特に初期のエッセイは、既に歴史的ドキュメントなんだから、ちゃんとそこで書かれているものが何だったのか、注をつけておくべきなのではなかろうか。日経バイトなら、自分のところのバックナンバーひっくり返すだけで、結構できると思うのだけれど……。
それに、当時の米国では通じるけど日本では?というような単語についても何の説明もない、というのもちょっと。いきなり、「Stewart Brand(Whole Earthで有名になった)」と書いてあってもなあ(この辺読むとわかるけど)。インターネットのおかげで、色んなことが調べやすくはなったけど、電車の中で読んでたら調べようもないし。ついでに元SFファンから言わせてもらえば、パーネルの作品で日本語訳が出ていたものですら、原題のまま表記してある、というのはいかがなものか(例え今絶版だったとしても、だ)。ちょっと調べればわかると思うのだけれど……。
というわけで、読者を選ぶので、若い人には勧めないけど、パソコン少年だった年寄りにはたまらない一冊。推薦する。
ただ、やっぱり、注を付けないことが、こういう本にとって正しい選択だったのかについては疑問だなあ。
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