恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近!
ああ、やっぱり面白い。エドモンド・ハミルトン著・野田昌宏訳『恐怖の宇宙帝王 暗黒星大接近!』(東京創元社創元SF文庫 キャプテン・フューチャー全集 1, 2004)をついつい読みふけってしまう。
小学生の頃にハヤカワSF文庫版のキャプテン・フューチャー・シリーズに出会わなければ、人生色々変わっていたに違いない。今となっては良かったのか悪かったのか。私の少年時代をSFで染め上げた、恩深く罪深いシリーズだ。時代が時代(1940年代の作品)だけあって、太陽系の各惑星が居住可能で原住民がいたりと、科学考証的には、うひゃあ、というところがあるけれど、きっちりと冒険活劇しつつ、ちょっととぼけた味わいのキャラクターがいい感じ。偶然に救われたりとか色々あるけど、細かいことはいいっこなしでしょ。
正直、読み返すのが怖くもあったのだが、いやあ、ちゃんと面白くて嬉しくなってしまった。さすが野田大元帥、見る目が確かだなあ。鶴田謙二による表紙や口絵もいい感じ。ちゃんとコメット(キャプテン・フューチャーの宇宙船)が、原作どおりなのがいいですな。ジョオンが黒髪の長髪、ってのは賛否両論ありそうだけど。
コメットといえば、ハヤカワ文庫版と同様、口絵に断面図がついているのだけれど、今回、見返してみて、「マイクロフィルム参考図書ロッカー」というのがあることに、気がついた。そういえば、昔読んだときにもあった気がする。
このロッカー、キャプテン・フューチャーの科学の師匠である「生きている脳」サイモン教授(脳だけケースの中で生きていて、しゃべったりするんである)と、キャプテン・フューチャーが、悪の科学者の謎を解明するために、過去の論文を調査するために使ったりする、という具合に登場する。
「そしてこの研究室の一隅にあるロッカーには、かつて出版された文献や資料のなかの貴重なものがすべてマイクロフィルムにおさめられて並んでいる」(p.50)
「この研究室にはまた、おどろくべき量の参考図書が−−本は一冊もない書庫がちゃんとそなえられていた。それは四角いキャビネットで、その中にはかつて出版されたあらゆる貴重な専門書や数表のたぐいが全部マイクロフィルムにおさめられ、それを読むときに使う装置(リーダー)とともに格納されているのである。」(p.294)
このくだりを読んで、何かを思い出さないだろうか。私の頭に浮かんだのは、そう、ヴァニヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)のmemexだ。memexは、ブッシュの考えた仮想の機械で、超高密度のマイクロフィルムと検索機構との組み合わせで、厖大な文献を自由自在に見ることができる、というもの。電子図書館構想の元祖、ともいわれている。
で、キャプテン・フューチャーとmemexとどっちが早いかというと、第1作の『恐怖の宇宙帝王』が1940年、memexの発表は1945年、ということになる。まあ、キャプテン・フューチャーの方には検索機構についての記述は特にないので、memexのオリジナリティがなくなるわけではないのだけれど、宇宙船の研究室の片隅にマイクロフィルムで構築された図書館が収まっている、というイメージを1940年に描いたハミルトンはやっぱりすごい。それに、電子図書館のルーツが、キャプテン・フューチャーにある、と思うと、図書館屋としてはちょっと楽しい気持ちになるので、とりあえず、以後、私の中では、電子図書館の原点はmemexではなくて、コメットの研究室、ってことにする。
もう一つ、今回読み返して驚いたのは、太陽系の各惑星の原住民が大きな役割を担っている、という点だった。文化人類学SFだ、といってはいいすぎかもしれないが、地球人の植民地となった各惑星に、純朴な原住民が住んでいて、時に高貴な野蛮人(『ラスト・サムライ』みたいなもんですな、見てないけど)として活躍したりするんである。そして、原住民は、独自の言語と、独自の文化を持ち、時に、高度な文明を持っていたりする(今は失っていることもあり)し、文明の高い低いに関わらず、原住民には原住民の誇りや文化がある、ということが常に意識的に描かれているところに、何ともいえない味わいがある。1940年という時代が米国にとってどういう時代だったのか、もう一度見直してみないと、ハミルトンの先進性はよくわからないのだけれど(戦間期の植民地独立運動の状況とか、よく知らないからなあ)、実は結構、別の読み方が可能な作品なのかもしれない。
もちろん、こんな斜めからの読みをせずとも、単なる娯楽作品として楽しめるので、ご安心を。
それにしても、野田昌宏作の新・キャプテン・フューチャーも文庫化してくれないもんかなあ。
« ジェリー・パーネルの混沌の館にて | トップページ | 文化資源学フォーラム2004「文化経営を考える〜オーケストラの改革・ミュージアムの未来」 »
コメント
« ジェリー・パーネルの混沌の館にて | トップページ | 文化資源学フォーラム2004「文化経営を考える〜オーケストラの改革・ミュージアムの未来」 »
いいですね。
実は児童書(小学生高学年くらいまで)が読める、SF全集/SFシリーズものって、最近皆無なくらいないんです。かつてNHK少年ドラマシリーズの原作になった物語のシリーズとか...復活しないものでしょうか...。と思うのは、オジサンになってきたせいかな。では。
投稿: maru3@yamanakako | 2004/11/19 07:53
山中湖情報創造館ブログ、いつも読ませていただいてます。
ジュブナイルSFは、ライト・ノベルに駆逐(?)されてしまったんでしょうか……。
図書館関係者で連合組んで、
復刊ドットコム
http://www.fukkan.com/">http://www.fukkan.com/
で組織票、とかできないですかねぇ…。
投稿: oba | 2004/11/19 23:08
> 図書館関係者で連合組んで、
「日本SF図書館員協会」↓というのはあります.
http://www.asahi-net.or.jp/~rh7r-oosw/cybrarian.html
日本SF大会にも顔を出す方々の集まりのようですが.
投稿: G.C.W. | 2004/11/20 10:08
な、なるほど。
もはや現役SFファンとはいえない身なので、会員にはなれそうもないですが、こういうのもアリなんですね。もっとSFを読んでた若い時分ならなあ…。
それと、単なる思い付きですが、
歴史書懇話会
http://www.nepto.co.jp/publisher/rekikon/">http://www.nepto.co.jp/publisher/rekikon/
の復刊事業みたいなものに、図書館界側から情報を提供するとか、そういう復刊事業モデル、というのもあってもいいような気もしてきました。出版事業=商売として成り立ちうるのかどうかは、今一つわかりませんが……。
と、その前に、図書館が持っている情報を商売のために提供する、ということに拒否反応があるような気も。
投稿: oba | 2004/11/21 23:54
>>obaさん
お返事ありがとうございますm(_ _)m
先日のコメントで,うっかり書き忘れていましたが,わたしも日本SF図書館員協会の会員ではありません(^^;).SF者の知人は何人かおりますし,あの協会の会員も2,3人は存じてますが.
で,本題.もう10年くらい前の話ですが,あるところで筑○書房の営業の方とご一緒したことがありまして,その方がおっしゃるには
「図書館から復刊のリクエストはよくいただきます.ところが,その集計に基づいて復刊書を出しても,肝心の図書館が買ってくれないんですよね」
そのときわたしは『柳宗悦全集』の復刊を,その方に働きかけていたのでした(^^;).こーゆうところでも,既に図書館業界は出版業界の信用を失ってしまっているようです.
ちょっとしたタイムラグがあると予算が使われてしまい,それまで買えた物が買えなくなってしまうこともありますので,難しいところだとは思いますが・・・.
投稿: G.C.W. | 2004/11/22 23:33
いやふざけんなボケ
memexのが先だわ
ブッシュのお陰で今ブログ更新出来んだよ
あやまれ
電子図書館の父に土下座しろ
投稿: | 2009/07/22 15:10
名無し様
コメント、ありがとうございます。
The Atlantic Monthlyに掲載された、As We May Think論文は1945年なのですが、その前の論文がある、という話は聞いたことなかったりします。よかったら教えてください。
あと、別に、ブッシュの影響や功績を否定しているわけでも何でもないです(あくまで私の気分の問題としてしか書いてないのですが)。
投稿: oba | 2009/07/22 23:26
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8D%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
ウィキによると、1930年代のようですね。
もっとも30年代は、アメリカの図書館にマイクロフィルムが普及した時期なので
SF作家なら、その発展形を思いつく事は難しくなかったハズです。
投稿: | 2010/11/08 13:41