図書館は公共デジタルアーカイブになれるか
第6回図書館総合展(会期:2004年11月24日〜26日 会場:パシフィコ横浜)で、11月25日に行われたフォーラム「図書館は公共デジタルアーカイブになれるか 「デジタルであること」と「公共性」の視点から」(13:00-17:00 於・パシフィコ横浜アネックスホールF202)について、忘れないうちに。
と、その前に。
「日々記—へっぽこライブラリアンの日常—」のエントリー「第6回図書館総合展」で、「情報創造館のDVDは本当に志のある方に買っていただきたいと考え、あえて購入を見送らせていただ」いた、という一言を読んで、恥じ入ることしきり。何も考えずに入手してしまったからなあ。自分に「志」は、というと……うーん、やっばり、気持ちと実行力と、両方揃っていての「志」だよなあ。これからが問われるってことですな。せっかく仕入れた情報を無駄にしないようにしないと(といつつ、まだ具体的には何も考えていないのだけれど……)。
で、本題のフォーラム「図書館は公共デジタルアーカイブになれるか」。
野末俊比古氏(青山学院大学助教授)による趣旨説明のあと、坪井賢一氏(ダイヤモンド社取締役)の司会でフォーラムは進行。
まず、高山正也氏(慶応義塾大学教授)による講演「公共デジタルアーカイブをめぐる政策の動向」では、内閣官房長主催の「歴史資料として重要な公文書等の適切な保存・利用等のための研究会」、そしてそれを受けた形で発足した内閣官房長官主催の「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」での議論の概要を紹介。アーカイブズとして必要なヒト、モノ、カネが整備され、文書が資産であり組織・機関のDNAであるという文化が定着することが必要であることが強調されていた。まず前提として、あるべきアーカイブズが確立されてこそ、「公共デジタルアーカイブ」が成立しうるのであって、デジタルライブラリーが掛け声倒れになってきているからといって、「デジタルアーカイブ」に置き換えれば物事が進むようになるというのは幻想にすぎない、といった指摘をされていたのが、印象的だった。
続く牟田昌平氏(国立公文書館アジア歴史資料センター主任研究員)の講演「公共デジタルアーカイブ〜アジア歴史資料センターをめぐって」は、国際シンポジウム「中国東北と日本−資料の現状と課題」で、中国側は档案館(文書館)関係者が多数含まれていたのに対し、日本側は図書館関係者ばかりが声を掛けられていてアーカイブズ関係者は事実上ほとんど無視されていた(が、牟田氏は押し掛け(?)参加をしたとのこと)、という話に始まって、日本国内のデジタル化事業が、民間資金を導入した結果、デジタルデータの権利が民間のものとなって、自由な公開ができなくなったケースが少ない、といった現状の問題点を紹介。対して、アジア歴史資料センターの基本的構想が、ニコラス・ネグロポンテ『ビーイング・デジタル』、ローレンス・レッシグ『コモンズ』を基礎としていることなど、アジア歴史資料センターの活動が、そうした現状の反省の上に立ったものであることが説明された。「デジタルであること」を生かすために、技術等の仕様のオープン化の必要性や、「公的な知の記憶装置」として著作権などによる利用制限がないことが、公共デジタルアーカイブの基本要素である、との指摘は、国立公文書館のデジタルアーカイブにも反映されている模様。それにしても、政治的に決まったアジア歴史資料センターの設置という課題を、ある意味逆手にとってここまで持ってきたその努力には頭が下がるばかり。
浜田忠久氏(市民コンピュータコミュニケーション研究会代表)の講演「『市民社会の情報基盤』〜公共デジタルアーカイブをめぐって」では、市民コンピュータコミュニケーション研究会(JCAFE)の活動を紹介しつつ、情報を発信する、ということ自体が、その情報に公共性を持たせるという宣言でもある、という根源的な視点を提供しつつ、NPOの発信する情報の現状と問題点を紹介。NPOが発信する情報は特定分野の専門情報であり、NPOの活動そのものが情報を産むものだ、という特性がある一方で、図書館などの公共機関にNPO発の情報が集積されておらず、充分に活用されていない現状を説明しつつ、その問題点を踏まえてNPO-Webdeskなどの活動を行っているという事例が紹介されていた。公共的であることと、中立的であることは別のことであって、公共的な情報は議論に関する情報である、判断しないことは公共的であることとは違う、という指摘も刺激的。
最後の常世田良氏(浦安市教育委員会生涯学習部次長)の講演「パブリックドメインとしての公共図書館」は、デジタル、という視点から、有料のデータベース、電子ジャーナルなどが、米国では、公共図書館を通じて提供されることで、事実上パブリックなものに変換されている、という事例を紹介しつつ、日本の現状が米国の状況とかけ離れていることを指摘。ビジネス、医療、法律の三分野の情報が、日本の公共図書館における生き残りの鍵だ、という指摘もあり。
質疑応答も活発に行われたが、いくつか印象に残った点だけ。
高山氏は、講演を補足する形で、文化を変えていくためには、現場側の努力と、リーダーの力の両方が必要であり、アーカイブズは今、その時と人を得ている、といったコメントをされていた。ロビーイング的な、政治的活動の必要性まで踏み込んで主張されていたのが印象的。最近のマスコミでもアーカイブズが話題になることが多いのは、偶然ではない、ということだろう。
また、常世田氏からは、図書館界ではまだガダルカナルを戦っていると思っている人が多いが、実際には沖縄戦がとっくに終っている状況だ、という痛烈な発言も。
高山氏が最後に紹介した、カナダ、オーストラリアの文書館でも、最初からアーカイブズの必要性を認める文化があったわけではなく、現場とリーダーの努力で文化を変えていった、という話に希望を見いだしつつも、現状の厳しさを再認識する4時間だった。
全体としては、図書館の話とアーカイブズの話が、あまりうまく斬り結ばなかったような気もするけれど、図書館屋があまり認識していないアーカイブズの話をじっくり聞けた点に意味があったのかも。まだまだ学ぶべきことがいっぱいあるなあ。
ちなみに、このフォーラムは図書館総合展事務局の主催なのだけれど、NPO法人 知的資源イニシアティブ(IRI)が企画・運営を行ったとのこと。今後もフォーラムなどを開催していく模様。
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こんにちは。自分のところの記事ではなんだか偉そうなことを書いてしまいましたが、デジ研さんのブースに立ち寄った時の気持ちがまさに、自分に「気持ちと実行力と、両方揃って」いるか自信のない状態でして・・・。とても人を批判するようなことを書けたものではありません。
今も自信がないのは一緒です。ただ、デジ研さんのメンバーとして来場されていたとある大学図書館の方に出会って、
「今の立場では自分には何もできない」
と決めつけるのもまた間違いだと気づいたのは収穫だったと思います。
投稿: MIZUKI | 2004/11/29 00:23
お買い求めいただきまして、ありがとうございます。DVDは、いつでも増刷(?)できますのでご安心下さい。ご購入いただきましたおかげで、次回作への熱意をわいて来ております。
このフォーラムには、裏番組に関わっていた関係で参加できませんでした。まぁ、「〜なれるか」ではなく「〜なっている」当方としては、技術論・手法論に移っておりまして...これもいつかDVDにします。
三者三様のお話で、どいうふうにまとめたのか、コーディネータのご苦労が忍ばれます。
常世田さんの「ガダルカナル〜」は、おもしろいですね。戦局はすでに決定しており、いかに有利な条件で終戦を迎えるかを考えなければ....広島/長崎級の出来事が起こらない...とは言いきれませんね。
投稿: まる3@山中湖 | 2004/11/29 13:29
MIZUKIさん、コメントありがとうございます。
私の場合には立場をフル活用してないのが問題だったりしますが……。ぼちぼちと、手探りしていこうかな、という感じです。
まる3@山中湖さん、DVD、「いつでも増刷」可能とのことで、安心いたしました。指定管理者制度には、(警戒感も含めて)関心が高まっているところですし、機会あるごとに宣伝してしまおうと思っています。
続編(?)にも期待が膨らみますね。
フォーラムの方は、「裏番組」の方も気になってはいたのですが、色々しがらみもありまして……。
常世田さんの発言は、「もう引き返せるポイントは過ぎてしまっている」ということを強調する文脈で出てきたものでした。「戦後」を考えるとすれば、これまでとは違う枠組みを考える必要があるでしょうし、その意味でも、デジ研の活動は先駆的なものになるんじゃないかという気がしています。
投稿: oba | 2004/11/29 23:51