日韓近現代歴史資料の共用化へ向けて─アーカイブズ学からの接近─
ああ、読んだ本が(読んでない本も)たまっていく……。
といいつつ、人間文化研究機構 国文学研究資料館アーカイブズ研究系が主催の国際シンポジウム「日韓近現代歴史資料の共用化へ向けて─アーカイブズ学からの接近─」(2004年12月11日(土)〜12日(日) 会場:学習院大学北1号館401教室(11日) 同大学百周年記念会館小講堂(12日))に出かけてきた。
プログラムは、Daily Searchvistのエントリー「国際シンポジウム「日韓近現代歴史資料の共用化へ向けて」【12/11-12】」を参照のこと。それにしても、二日間みっちり、というのはきつい。聞いてるだけで、結構ぐったり。雑用もたまるし。
とはいえ、韓国における文書・記録資料の公開の状況を聞くことができたのは収穫だった。既に、韓国では、国・地方公共団体における記録・文書の作成の義務化、そのアーカイブズへの移管の義務化、アーカイブズの制度化、といった法制度の整備と、文書を作成時点から電子的に管理するシステム化の進展によって(実際には色々問題があるにせよ)、記録管理システムとしての整備が(少なくとも日本よりははるかに)進んでいる。情報公開をインターネットを通じて申し込むことが可能で、その申込み後の処理状況もインターネットで確認できるというからびっくり。
金 翼漢(キム・イッカン)氏は、こうした記録管理の進展が、市民の歴史資料への要求の高度化につながり、それが歴史資料の組織化に対する要求を高めると予想。同時に、合法的に廃棄され続ける歴史資料の現状と、失われた資料を補うためにも民間に散財する資料の収集が重要であることなどを指摘していた。日韓で歴史資料を共用するためには、所在情報の徹底的な調査と、記述やデータベース化の標準化が必要であるが、それはまた極めて困難な課題であるという結論には思わず頷いてしまう。
李 炅龍(イ・ギョンニョン)氏は、朝鮮総督府文書の現状を韓国側に残存する資料から検討。戦後も公文書再分類などの影響で、大量の文書が廃棄された、といった歴史的家庭を辿りつつ、解題集の編纂刊行やデジタル化への対応など、最近の動向をレポートしていた。しかし、朝鮮総督府自身が組織的に文書の廃棄を行っていた可能性が高いこともあって、欠けた部分は大きく、それを埋めるためには日本側に残存する文書の探索と公開が必要と指摘していた。レジュメの最後は、そうした努力が「韓日両国の歪曲された記録管理体系を革新(改革)するための下地となるであろう」と結ばれている。
李 承輝(イ・スンヒ)氏は、植民地期の記録資料は、旧植民地側に残された資料だけでは完結せず、本国側の意思決定過程の記録と組み合わさることで、初めてアーカイブズとして完結する、ということを強調し、日本側の文書・記録が、韓国にとっても極めて重要であることを示した。また、韓国の市民にとっては日本語で残された資料が障害となることによって、歴史資料が限られた専門家に独占されてしまうという問題を提起。「民主社会において、市民は歴史記録物であれ現行記録物であれ知る権利があり、その記録文化を共有する権利がある」という一言が、重い。
許 英蘭(ホ・ヨンナン)氏は、データベース化によって、歴史研究の状況が一変したことを指摘するとともに、韓国内の植民地期関連資料を中心とする、各種のインターネットで提供されているデータベース類を紹介。結構、イメージまで入手できるのも多いなあ。色々紹介されていたのだけれど、特に、韓国歴史情報統合システム(http://kh2.koreanhistory.or.kr/)が充実。が、全部(検索語も)ハングル。勉強しないと駄目か……。自身が関与したデータベースか事業において、統合的に検索できることを重視するか、資料の特性にあったこまやかな記述のデータベース化を重視するか、という議論があり、その時点では資料の特性にあわせることを重視したものの、結果的には統合的な検索が効果的な面もあった、という話は示唆的。一部のデータベースでは、日本語原文がなく、韓国語訳のみで全文を提供、というものもあり、研究者としては、原文が見たいが……と、いう話もあり。うーむ、色々考えさせられる。
日本勢は若干簡略に。
安藤正人氏は、今回のシンポジウムが、三ケ年にわたる研究プロジェクトの一環であり、当面は東アジアを対象とするが、最終的にはアジア・太平洋地域全体のアーカイブズのネットワーク化を目指したい、と、趣旨と目標を提示。また、旧植民地地域で問題となっているarchival claim(記録資料の返還を求める運動)などを通じて国際的動向を解説するともに、戦前の日本側の史料収集・整理についても略述していた。
林雄介氏は、韓国における朝鮮総督府文書の現状を、日本側研究者の視点からレポート。データベース化の進展を評価するものの、ハングルが障壁になってはいるという問題提起も。ただし、技術的解決は可能ではないか、という示唆もあり。
加藤聖文氏は、朝鮮総督府文書の現状と問題点を分析。失われた部分の大きさを示しつつも、個人文書による復元の可能性を語る。
辻弘範氏は、学習院大学東洋文化研究所所蔵の「友邦文庫」の概要を紹介。朝鮮からの引き上げ者から収集した資料を中心としたもので、関係者による談話録音もあったりするところがポイント。
竹内桂氏は、日本における朝鮮総督府関連資料の状況を、個人文庫などを丹念に探索して紹介。EAD化による総合的な検索システムの構築の可能性を示唆する。
最後の討論においては、日本側の文書管理法制や、アーカイブズの整備の遅れの問題がクローズアップされた。韓国において、状況が動いたのは、市民による情報公開への要求(表面に出てこない特別な経費に関する問題がきっかけだったとのこと)と、それに答えたアーカイブズ研究者との動きが組み合わさったことによる、とのこと。必要なのは「運動」だ、という韓国側研究者の発言は、民主化運動の成果に対する自信を感じさせた。
残念なのは、国立公文書館など、日本側のアーカイブズの現場の参加がなかったこと。来年に期待。
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