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2005/01/04

満鉄調査部事件の真相

 いやはや、年が明けましたな。
 といいつつ、昨年末の話でなんなのだけれど、某学会誌に投稿した論文の査読結果が戻ってきた。一撃でリジェクトされなかったのは良かったものの、指摘そのものは結構きびしいところを突いていて、心に刺さる刺さる(それだけ弱点が分かりやすい論文ってことか……)。さて、どこまでどう直すか、考えどころだなあ。
 というわけで、今回は気分を変えて久しぶりに堅い本。数週間前に読了していた、小林英夫・福井紳一『満鉄調査部事件の真相 新発見史料が語る「知の集団」の見果てぬ夢』(小学館, 2004)を。
 「満鉄調査部事件」といっても、知らない人はまったく知らない「事件」だろう。何しろ、「満鉄」で「調査部」で「事件」、ときた。全部知らないと、何のことやらわからない。というわけで、以下、若干の説明。
 「満鉄」というのは、日露戦争の後、日本がロシアから譲り受けた鉄道事業(と、その鉄道周辺地域の事実上の行政権)を運営していくために1905年に設立された、半官半民の国策会社、南満洲鉄道株式会社のこと。その満鉄には、初期の段階から、植民地における事業活動を円滑に進めるための調査機関があって、中国東北部(当時の言い方をすれば「満洲」地域の)経済状況や、土地取引などの商活動に関する慣習などの調査を行ったり、1917年のロシア革命以降、ソ連の活動が活発になってくると、ソ連から文献を収集してそれを翻訳してソ連の動向を調査したり、そんなことをしていたのである。この調査部門が(正確には名称の変遷が色々あるんだけど)「満鉄調査部」と呼ばれている。
 で、1931年の満洲事変を経て、1932年に「満洲国」が成立(現在の中国的にはそもそも「満洲国」は国としては成立してない「偽満洲国」なんだけど、あくまで当時の日本側の視点からすると、ということで、ご勘弁を)してから、満鉄調査部は、「満洲国」の「国策」推進のための調査にも関わるようになっていた。
 で、その後、満鉄調査部の盛衰があったりするんだけど、色々あって1939年から40年ごろにかけて、組織・人員ともに大幅に拡充される。で、実はこの満鉄の調査部門、マルクス主義経済学の流れを汲む人が結構多かった(が、「満洲国」自体が、結構統制経済的な指向が強かったので、何とかそれなりに整合性が取れていた)のだけれど、この増員時点で、内地で行き場を失っていた左翼系の優秀な人材がさらにどっと流れ込んでくる。
 この他にも、土着の小作農による農村共同体の強化を協同組合運動を通じて実現し、それによって満洲地域の近代化を構想する元左翼派人脈とか、色んな動きがこの調査部の周辺であったりした、ということもあって、左傾化に対する危機感を強めた憲兵が、満鉄の調査マンたちを対象にした一斉検挙を、1942年9月と1943年10月に行った。この一斉検挙(その周辺の動き)を、「満鉄調査部事件」と呼ぶ……って、話の前提を説明するだけで、大変だな、こりゃ。
 やっかいなのは、この「事件」、正に当時の満鉄調査部で中核をなしていたメンバーが獄中で病死してしまっていたり、一次資料がほとんどなく、生き残った関係者の回想が頼り、ということもあって、「知の集団」として栄華を誇った満鉄調査部をほとんど壊滅状態にした、というほどの影響力を持った「事件」だったにも関わらず、いったいぜんたい、何がどうしてどうなったの? というのが、今一つわかりにくい事件だったのだな。
 ちなみに、何で一次資料がほとんどないかというと、満洲国の崩壊時に満洲国政府側が主な文書を焼却してしまっていたから。ともかく、日本はどこでも撤退するときに文書を焼きまくっているので、後に何があったかよくわかんないことが多い。だから、「あった」「なかった」論争が始まると、泥沼になりやすいんだけどね。本当に、日本の占領地行政や植民地行政が、後世に恥じるものでなかったのなら、ちゃんと文書を残しといてくれればよかったのに(ちなみに、台湾は比較的残っていたので、これから順次検証が進められていくことになるんだと思う)。余談だけど、日本国内の各省庁の資料も焼くか捨てるか隠すかされてるのがまた困るんだよなあ……。
 で、話は戻る。ほとんど燃やしていたはずなんだけど、実は、燃やしきれずに地中に埋めていた文書もあって、それが後に中国によって発見・修復されている。その中に、何と、憲兵隊に捕まった調査部の面々が残した供述書が含まれていたのだ。その供述書の抜粋と、そこから読み解くことのできる「満鉄調査部事件」の「真相」を論じたのが、本書、というわけ。
 ……ぜーぜー。あー、なんというか、説明だけで力尽きるな、こりゃ。きっと戦国時代とか、幕末とかの方が、説明するのは楽に違いない。この、「常識」的知識のアンバランスはなんとかならんかなあ。
 ともかく、本書はそういうものなので、「満鉄調査部事件」と聞いて、「おお!、あの『満鉄調査部事件』のことかっ!」とすぐに思わない人にとっては、あまりピンとこない一冊かもしれない。
 供述書を書かせた憲兵隊の狙いは、相互告発と、左翼思想から「日本精神」への転向の二点にあって、特に前者の相互告発によって、調査部内の影響関係や派閥などの動きが、まざまざと明らかになっていく。もちろん、どこまで信用できるかどうかは、微妙な部分もあるんだけど。
 後者は、著者がまとめている通り、「合理性」の否定、という一言に尽きる。「合理的判断」をすれば、中国との長期戦は日本側不利となる(満鉄調査部は、そんな調査もやっている)としても、そういう都合の悪い「合理性」は捨てて、「日本精神」による勝利を確信するということを、憲兵隊は合理性の権化のような調査マンたちに求め、ある者は心の底から、ある者は形だけ、それに従ったのだろう。合理的判断の死に際を記録したドキュメントとして読むと、何ともいえない味わい。
 ちなみに、「帯」にゾルゲ事件(これも説明しないといかんかなあ……でも、面倒なので略)のことが書かれているけれども、供述書にそれらしき記述はあるとはいえ、本当に満鉄調査部事件と直接の関係があるかどうかははっきりしない(時代状況として共通している、という著者の指摘は妥当だと思うけど)。全体として、供述書に書かれていることが、歴史記述の根拠としてどこまで使えるのか、微妙なところがあって、なんとも読み方が難しい。中国側からの条件で、供述書の全文収録はできなかったそうで、主要部分の抜粋になっているという点も、資料としての扱いを難しくしている。
 それでも、当事者による貴重な同時代証言として、一級の資料であることは間違いない。そこに価値を認めるかどうか、なんだけど、まあ、関心の持ち方によるよなあ。
 気になるのは、こんな地味な内容の本が、何故に小学館から出たのか、という点。正直、歴史系の中小出版社から出てもおかしくない、というかその方がしっくりくるんだけど。この手の本で2,800円(本体)は激安だしなあ。ちょっと不思議。

(1/11追記)
 検索でここにたどり着く方がそれなりにいるみたいなので、ちょっとだけ追記。
 年末年始にかけて、5回くらいに分けて細切れに書いたので書きわすれてましたが(我ながらへなちょこだなあ)、この本、著者による分析をまとめた論考の部分と、供述書そのものの抜粋をまとめた資料の部分が、組み合わさった構成になっています。一応、対応するような構成にはなっていますが、正直、資料は資料でまとまっていた方が,実は便利だったかも。

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