メモ書き 『モンテ=クリスト伯』とか三原順とか
公私両方でどたばたしていて、更新できず。ものを書こうという欲望があまり出てこない、というわけで、ちょっと燃え尽きぎみかも。
メモ書きその1。
『巌窟王』を見ていたら我慢できなくなってしまい、書棚から、『モンテ=クリスト伯』を取り出して読み出してしまう。私の手元にあるのは、講談社から1990年に「Super文庫」シリーズとして出た、B5サイズの一冊本で、訳者は泉田武二。講談社文庫版を一冊にむりやり押し込んだもの、と思い込んでいたのだけれど、確認してみると、訳者が違う。なるほど、評論社の「ニューファミリー文庫」とやらが元本らしい。不可思議。それにしても、改めて見ると、B5サイズで3段組というのは、かなり無茶なレイアウト。誤字脱字も多いし、重い。でも、読み始めると止まらないんだよなあ。作品が面白いと、多少のことは気にならないということか。
こういう大長編こそ、専用読書端末向けにいいような気もするのだけれど、貸本方式じゃあ何だなあ。その前に、デジタルデータがないから、改めて入力しないといけないのか、と、思っていたら、「箱男」のエントリー「「アジアinコミック2005」の風景」を読むと、日本の電子ブック事業の発想だと、画像でやっちゃえ、ということになるみたい。こりゃ、そのうちGoogleに著作権切れのおいしいところを根こそぎ持っていかれても、文句はいえんなあ。あ、あと国立国会図書館の近代デジタルライブラリーね。
そういう動きに対抗するための著作権保護期間延長なのかもしれないけれど、なんだかなあ、という気がしてしまう。あ、ごたごたしていた間にパブコメ終ってる。ありゃりゃ。
メモ書きその2。
「内田樹の研究室」のエントリー「「原因」という物語」経由で、「スーさんの熱血うなとろ日記」のエントリー「学校を責めるメディアと親たち」を読んで、三原順の「Die Energie 5.2☆11.8」(『三原順傑作選'80s』(白泉社文庫, 1998)に収録)のことを久しぶりに思い出す。
登場キャラクターを含めて、長編『X-Day』につながっていく、原子力をテーマにした短編。とにかく描かれている事件の経緯そのものが複雑で、最初に読んだときには、描かれている事件の概要が把握できなかったほど。その後、繰り返し何度も読んだけれど、未だにちゃんと理解しているかどうか自信がない。
それでも、誰もが自分が被害者であると主張して人を非難し、攻撃する現実を前にして、主人公が「オレは加害者でいい! ただの加害者でいい」と言い放つシーンは、とても印象に残っている。自分たちの仕事のことなのに、何故か評論家になってしまう同僚の姿を見るたびに、頭の中でこのセリフが甦る。
内田樹いうところの「批評性というのは、どのような臆断によって、どのような歴史的条件によって、どのような無意識的欲望によって、私の認識や判断は限定づけられているのかを優先的に問う知性の姿勢のことである」という意味での「批評性」のあり方を、三原順の作品は、今も示して続けているのだと思う。自分がそれをどれだけ実践できているかどうかはまた別の話なのだけれど。
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