学士会会報 2005-II (No.851) と U7 no.1
時期を外したような気もするが、『学士会会報』2005-II (No.851)が暫く前に届いていたので、ここのところぱらぱらと眺めていた。
学士会というのは、旧帝大(京城と台北も含む)出身者の同窓会(?)のようなもので、なんとなくエリート主義っぽい匂いを感じないでもない(昔はきっとそういう傾向が強かったんじゃないか、という気もする)。
その学士会が発行している会報が『学士会会報』で、会員を集めて行われる講演会などの内容をまとめたものだ。
今回は、その『学士会会報』に加えて、『U7』という雑誌が一緒に送られてきていた。『会報』は文字中心の、ある意味非常に古典的な作りの雑誌(これはこれで案外嫌いではなかったりする)なのに対して、今度の『U7』の方はビジュアル重視。表紙・表紙裏を入れて24頁の中綴じで、開くとA4サイズより若干縦が長め、といった具合(閉じると縦に細長くなる感じ)。柱になるのがインタビューで、今回は、1976年卒の日産自動車の商品企画室チーフ・プロダクト・スペシャリストの湯川伸次郎さんと、1993年卒の女優の葛城奈海さんが登場。現役世代をターゲットにしていることがよくわかる。法人化を受けて、国立大もOBの組織化に必死、ということなのかなあ、としみじみ。
ちなみに、『U7』というのは、北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大の国立7総合大学(=旧帝大)のこと、でしょう。『会報』をリニューアルする手もあったんだろうけど、高齢者層に逃げられることになりかねない、ということで、新雑誌という方法をとったんだろうなあ、と勝手に想像。さて、ちゃんと今後も続いて出るのかどうか。
『会報』の方は、渡辺穰二「日本の中の非効率:「人基準」から「仕事基準」へ」が面白かった。「人」を評価するのではなく、「仕事」を評価する、という発想は、当然といえば当然のように聞こえるけれども、実際には、「仕事」について否定的な評価を下そうものなら人格を否定されたと感じる人が少なくない(結果が何でも「こんなにがんばっているのに!」)。このエッセイでは、「人」を評価する(といいつつ、実際には評価できずに年齢ベースで仕事と賃金を決める)、という日本的なやり方が、うまくいかなくなってきていることを指摘、「仕事基準」の方がうまくいくことが多いことを、例示しつつ説明している。たとえば、今のやり方だと「意思決定の妥当性を議論するよりも、参加者全員の気持ちだけを優先して会議が進められる」とか、思い当たる節がありすぎ。
評価される「仕事」をする基礎的な能力を得る機会は本当に平等に与えられて(きて)いるのか、という問題もあるので、「仕事基準」が公平なのか、というのは正直、よくわからない気もするのだけれど、こういう文章を読むと、やっばり「仕事基準」の方が仕事はしやすそうだなあ、と感じてしまう。ん? これってエリート主義?
後は、今村聡子「教育長として義務教育にかかわって」。平成7年卒の文部省職員が、千葉県白井市の教育委員会に出向、教育長(事務方の長、みたいですね)として、どういう仕事をしているのかを語ったもの。もちろん、あくまで概略の話だし、文部省職員としての枠から出ることなく語っている感じなので、教育委員会の現場の問題が赤裸々に語られる、ということはないのだけれど、案外、こういう報告は他では読めないような気がするので、メモ。
藤井恵介「文化財建築の散歩道」は新連載。渋いなあ。こういう連載ができるのって、出版者のPR誌以外では(PR誌でも難しくなってきたかなあ)、あんまりないような。第1回は、まず関野貞から。今後どういう人物がとりあげられるのか、ちょっと楽しみ。
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obaさん、こんにちは。
学士会会報、偶然知り合いの税理士さんから見せていただき、驚きました。とても専門的だけどユニークな研究の発表の数々だったので。
でも、あれが誰でも購入できないのは勿体ない。「知」の塊なのに…私は帝大出身者ではないので、とても残念です。
オープン化の波が押し寄せる時代、ぜひ外販をしていただきたい、と思っています。
いきなり失礼しました。
投稿: 藤野 | 2006/12/11 14:12