メディアの未来に灯をともす
4月27日の夜は、第6回新宿セミナー@Kinokuniya「水越伸×岩井敏雄 メディアの未来に灯をともす」を聴きに、紀伊国屋ホールへ出かけてきた。先日感想を書いた、水越伸『メディア・ビオトープ』(紀伊国屋書店, 2005)の刊行記念のイベントでもあったりする。
当日の昼に、席があるかどうか(全席指定だったので)電話で確認してみたところ、その場で予約できる、とのことだったので、実は行こうかどうしようか迷っていたのだけれど、行くことに決定。で、実際行ってみると、結構、席には余裕があった感じ。もったいない。
開演19時、とのことで、その前に紀伊国屋書店の地下で軽く腹ごしらえ、と思ったら、久しぶりに来たら、店が随分変わっていた。釜揚げうどん屋があったり、バスタ屋が何軒もあったりとか。で、釜揚げうどんを食す。
対談の中身は、まず水越さん(以下、敬称は「さん」で統一。直接面識があるわけでもなんでもないですが、そういう雰囲気の対談だったのですよ)が、『メディア・ビオトープ』の要点を、本の中で使っていたスケッチをスクリーンに映写しながら説明。例の杉林の比喩とかですな(わからない人は買って読むように)。
現実のメディア関連の活動、例えば、メディア・リテラシーに関する地域の活動とか、すごく面白いことをやっている人たちはあちこちにいるのだけれど、その結果として残る記録は、マニュアル的な、カリキュラムはこうするのがいいとか、そんな無味乾燥なものになってしまう。その一方で、学問の世界でメディアについて論じられていることは、細かい細工もののようで、実際に子供たちが触ったら壊れてしまいそうものになってしまっている(要するに、現実の問題解決には応用しにくい、ということでしょうね)。その両者をどうやってつないでいくのか、ということを、水越さんはずっと考えてきていて、その結果として生まれたのが、この『メディア・ビオトープ』だった、という話があったりして、聴いていて、問題意識がより明確にわかったような気になる。あと、状況がまったく楽観できないからこそ、読むと(見ると)元気の出る本を作りたかった、という話が印象的。確かに、元気が出る本になっていると私も思う。
そして、メディアを巡る活動が広がって定着していく最初の段階で最も重要なのが、メディア遊び(メディアを使って何か今までにやらなかったことをやってみて楽しんでみる)で、その達人が、岩井さん、という流れから、話の主役は岩井さんへ。
岩井さんについては、私もよく知らなくて、ウゴウゴ・ルーガの人、くらいの認識しかなかったり。お二人の著書を売っていた売り子の人が、「あ、この人、ウゴウゴ・ルーガやってた人だったんだ、サイン会できるんじゃないか」とか、もう一人に話しかけていたのが(私も人のことはいえないけど)妙におかしかった。
で、その岩井さんが何故ここで登場かというと、実は、二人は筑波大の同期だったとのこと。学群は違ったけど、学生時代、既に接触があって、その後も、長期間一緒に何かをする、ということはないけれど、時々、すれ違ったり、一緒に何かやることがあったり、という関係だったりするらしい。活動のフィールドは違うけれども、どこか問題意識を共有しながら、それぞれ独自に進みつつ、時々並走するような関係、という印象。
さて、肝心の話の中身なのだが、てっきり、岩井さんは、メディア・アーティストとしての活動の話をするのかと思いきや、そうは問屋が卸さない。いきなり、岩井さんの生い立ちから話と映像は始まった。1962年生まれ(だったかな?)の岩井さん、集英社が1970年代半ばに出していた理科学習漫画(正確には、「なぜなぜ理科学習漫画」というシリーズ名らしい)の「光・音・熱の魔術師」に夢中になったり、お母さんがもうおもちゃは買いません宣言(!)をして以降は自分で自作のおもちゃをテレビや雑誌からネタを集めて作ったり(このネタ帳がまたすごかった)、学研の前の元祖電子ブロックを持っていたり、ラジカセで録音して、ワイヤレス・マイクを使った簡易ラジオ放送を友達とやったりとか、自分で録音する趣味のための雑誌『レコハン』(だったかな?)を持っていたりとか(これがまた驚愕もの)とか、まさに、メディア遊び人生(?)まっしぐら、という経験を、モノや当時の自分の姿の写真をスクリーンに映写しながら語っていく。
で、岩井さんの話はこれでは終らない。今度は今の話。娘さんと、様々な手作りおもちゃや自分で考えた遊んでいる、という話が続く。絵描き歌遊び(2歳くらいだと、真似しては描けなかったものが、絵描き歌風に一緒にやるとそれなりにカタチが描けたりするらしい)からはじまって、面白くなって色々やりはじめた、とのこと。
単に絵を描いてあげてもあんまり反応示さなかった娘さんが、厚紙を組み合わせて、羽根の部分が動くペンギンとか、首の部分が動くキリンとか、そういう自分で動かせるものを作ってあげたところ、目の色が変わった、という話が印象的。水越さんの「多孔質」というのと、多分、この話はつながっていて、ただの平面ではなくて、自分で動かすことができて、しかも複数のキャラクターを組み合わせて遊ぶことができる、というところが、何かを活性化したんじゃなかろうか、というのは、私の勝手な憶測。
その後も、トイレがうまくできたら、シール(もちろん岩井さんお手製)を貼っていいとか、三画クジが引けるとか、生活の中に、様々な仕掛けを、岩井さんは組み込んでいく。これも、写真を中心に紹介。会場に娘さんも来られていたそうで、時々、照れ臭そうな笑い声が会場に響いて、ほのぼの。
岩井さんは、いきなりコンピュータや携帯電話ではなく、手で触れるもの、自分の手で描けるもの(引っ越した友達とのやり取りは、メールではなくFAXを使うとか)という、メディアの原点的なものを与えていく、ということを意識している、とのこと。自分たちは、様々なメディアやテクノロジーが誕生して普及していく過程に居合わせた、ラッキーな世代だけれども、これから後の世代にとっては、そういったものが、あって当り前のものになってしまっている。だから、同じ経験はできないのだけれど、自分が経験してきたことを、何か別のカタチで伝えていきたい、と(いうようなことを)岩井さんは語っていた。
大ざっぱにまとめる、日本のメディア状況などのマクロな話を水越さんが語り、親子二人という最小単位のメディア・ビオトープの実例を岩井さんが見せてくれた、という感じ。
で、最後の方で水越さんがこんなことを語っていた。非常に面白いことをやっているメディアの中心には、球根になっている面白い人が必ずいて、その人が周りに球根を増やしていったりする。けれども、それだけでは、広がりがなくなっていくので、種を広くばらまく、といったことも必要なんじゃないか。
もしかすると、今回の対談は、岩井さんという球根が家族の中で(あと、近所の人くらいには広がっているのかな?)咲かせている本当に小さな(けれども、なんとも面白い)花の種を、今回、対談という形で(そんなに広くではないかもしれないけれど)、ちょっと播いてみた、という感じのイベントだったのかもしれない。
その他、色々面白い話があったような気がするのだけれど、メモをとってなかったこともあって既にかなり忘れてしまった。記録、出してくれないかなあ。
終了は21時過ぎ。待っていれば、著書にサインをしてくれる、という話もあったのだけれど、ちょっと疲れ気味だったこともあって、直ぐに帰路へ。ちょっともったいなかったかも。
あ、そうそう。司会をしていた、『メディア・ビオトープ』の担当編集者の方が、この本にほれ込んでいることが伝わってくる語りっぷりで、なんとなくうれしくなってしまった。作り手が、思い入れを持って送り出した本ってのはいいもんだなあ。
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