博物館の誕生
関秀夫『博物館の誕生 町田久成と東京帝室博物館』(岩波書店岩波新書, 2005)を最近読了。
東京国立博物館の草創期を、町田久成という人物を中心に語る一冊。なのだけれど、これが実は画期的。これまで、日本の国立博物館の草創期は、江戸時代の博覧会(博物会・本草会)の流れを汲む、田中芳男という人物を軸に語られることが多かった。田中は、日本最初の理学博士の一人となった江戸後期の洋学・本草学者で、シーボルトの弟子でもあった伊藤圭介の弟子で、当然ながら、構想していた博物館も自然誌系の博物館。元々幕臣だった田中が、薩摩出身で文化財系博物館を構想する町田と組んで、初期の博物館を推進した、というのが、これまでのお決まりのストーリーだったのだが、本書は違う。
町田=文化財系博物館を推進する善玉、田中=それを邪魔する悪玉、という感じで、これまでのものを田中史観とするなら、町田史観ともいえる見方を徹底的に主張している。そもそも、町田こそが、大久保利通の影響力を利用しつつ、近代的博物館構想を推進した第一人者であり、文化財系博物館こそが日本の近代博物館の本流、元幕臣の田中風情がそれに動物園やら何やらと余計なものをくっつけようとして邪魔をした、というのが(かなり乱暴にまとめると)、本書の基本的な立場、ということになる。
ただ、この立場を主張するために、町田がモデルとした大英博物館(The British Museum)には、最初から自然誌系のコレクションはなかったかのように書いているのはいただけない。大英博物館から自然誌系のコレクションが分離されたのは1880年ごろ(自然誌博物館(Natural History Museum)として独立。ただし、運営が大英博物館から完全に独立したのは1963年とのこと)のことであって、それまでは、自然誌系の標本類は、大英博物館の他のコレクションと一体だったはずだ(Marjorie Caygill "The Story of the British Museum". British Museum Press, 1981.による)。ということは、幕末にイギリスに留学していた町田が見た大英博物館には、まだ自然誌系のコレクションがあったと考えるべきだろう。
明治期の日本の国立博物館から、自然誌博物館的要素が排除されていく過程については(それが大英博物館と同様の当然のあるべき姿、というのではなく)、もうちょっと慎重な検討が必要なのではないだろうか。
……と、ついつい文句をつけてしまったが、何より、これまで今一つその実像が浮かび上がってこなかった、町田久成について詳細な伝記的事項を明らかにし、旧薩摩藩との結びつきなど、その影響力の源泉まで含めて分析した本書の功績は大きい(というか、個人的に、この町田っていう人、いったい何者なんだろう、と気になっていたので……)。文化財保存における町田の功績についての記述も見逃せない。
文化財系博物館こそが近代的博物館、という主張はともかくとして、従来の田中史観的な記述に見直しを迫るものであることは確かだと思う。
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