マンガと公共図書館
先日(2005年11月26日)、久しぶりにマンガ史研究会に参加してきた。
発表テーマが「マンガと公共図書館」では、こりゃ何としても行かねばなるまい。
発表者は横浜市立中央図書館の吉田倫子さん。雑誌記事索引で確認すると、ヤングアダルトサービスや、公共図書館におけるマンガの扱いに関して、継続して発言されてきている方だということがわかる。
おそらく今回の発表内容についても、何らかの形で文章にまとめられるのだと思うので(期待してます)、内容の詳細についてここで紹介することはしないが、とりあえず(私なりにまとめた)要点はこんな感じ。
・最近の日本におけるコンテンツ振興政策には、保存やアーカイブの視点が欠如している。
・行政だけの問題ではなく、研究者や評論家も、マンガの保存の必要性について、積極的な発言を行なっていない。(大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川書店角川oneテーマ, 2005)が、数少ない例外)
・文化の継承、人材の育成の基盤として、マンガの保存機能・研究機能を持った、マンガ専門のアーカイブが必要であることを、強く訴えたい。
・保存のためには、紙質が悪いことの多いマンガ資料の特性を考慮した、外光対策や温湿度制御が可能な施設が必要であり、既存の施設を安易に転用するには無理がある。そして、専門的な知識を持った職員の確保が必須。
・酸性紙問題などを考慮すると、物理的な保存には限界がある。デジタル化を前提にした保存を今後は考えるべきではないか。
・しかし、こうした保存機能を、一般の図書館が担うには無理がある。保存機能と普及機能は、分けて考えるべき。公共図書館や学校図書館は、普及を中心的な役割と考えるべきだろう。
・マンガを読むためのリテラシーが、子供たちから失われつつあり、マンガの普及について、本気で取り組むべき時期にきている。
・マンガ喫茶では、個々の作品を読むだけで完結してしまい、作品の背景や、関連する資料へのつながりを持たせることができない。図書館がマンガを所蔵し、提供する意義はそこにある。
・しかし、公共図書館や学校図書館関係者は、長い間、マンガをまともな図書館資料として認めず、収集方針を明確に持っている場合であっても、小説等とは異なる基準を設けて、限定的に扱っているのが現状。多くの公共図書館では、購入ではなく、寄贈が主な収集手段となっている。
・こうした現状を変えていくためには、市民と、研究者が声をあげていく必要がある。今回の発表は、そのための問題提起を目指した。
という具合か。ちょっと省略しすぎかもしれないけれど……。
さて、一日たって、この問題提起に対する私自身の考え方が、少しずつ、まとまってきたのでコメントしておきたい(その場で発言できれば恰好良かったのだけれど)。
まず、マンガの保存機関が必要であることについては、全面的に賛成。
公立では、国立国会図書館(国際子ども図書館を含む)、国際児童文学館など、私立では現代マンガ図書館など、マンガ資料を保存している機関はあることはあるが、公立の施設はマンガ「も」集めているだけであって、マンガ資料の特性を配慮した保存・提供体制を組んでいるわけではない。そして、現代マンガ図書館は個人の力に多くを負っており、永続的な保存のためには、財政面を含めて、より強固な体制が必要だろう。
とはいっても、具体的な組織形態をなかなかイメージできないのが、自分の限界か。今、公立の施設としてありうるとすれば、国立近代美術館フィルムセンターのような、親組織(フィルムセンターの場合、実際にはさらにその上に独立行政法人があるわけだけれど)の下にぶら下がる形態か、と妄想してはみるものの、それが理想的かというと……。うーむ。
実際の運営そのものは、NPOだろうが何だろうが、色々な形態が考えられるとは思うものの、財政基盤が脆弱では何にもならない(民間でできることは民間で、とはいうものの、儲からないことに金をしっかり出してくれる「民間」はさほど多くはない)。何か妙案はないものか。
内容についてはデジタル化、ということになるのだとは思うものの、実はデジタルデータを保存する方法はまだまだ手探り状態なので、デジタルデータのみでの保存は望ましくないのではなかろうか。デジタルからフィルムに出力してバックアップ、といったことも必要になるかもしれない。
また、マンガを印刷された紙の状態で保存することも重要だろう。印刷・製本の状態も、将来的には、重要な情報となるはず(国立国会図書館のように、カバーを廃棄し、製本しなおしたりしている資料は、資料としての情報量は実は減ってしまっている)。現物保存の原則は(困難なのは確かだけれど)可能な限り守りたいところだ。
公共図書館や学校図書館におけるマンガ、という問題については、門外漢もいいところなのだけれど、マンガを読む為のリテラシーの育成と、教養としてのマンガの必要性を、社会的にどこまで認めさせられるのかが、一つの分かれ目、という気がする。マンガを読む基本的能力を身に付けている、あるいは、代表作やその時その時に注目される作品を読んでいることが、社会生活を営むために必要な基盤である、という認識が、ある程度の割合の人たちに共有され、かつ、社会的に発言力の大きな人たちがそのことを強く主張する状況が生じれば、流れは大きく変わりうるだろう。
一方で、研究会の席上、内記稔夫現代マンガ図書館長が、結果として貸本屋は公共図書館に駆逐された、といったような意味のこと(もうちょっと表現は柔らかかったかも)を語っていたことが印象に残っている。内記館長によると、かつての貸本屋は、一人一人の利用者に合わせて、読書相談にのったり、内容紹介をしたりと一種のレファレンス機能を果たしていたという(資料の装備のノウハウも、貸本屋が開発したものを図書館が採用していったものも結構あるらしい)。そういう話を聞くと、私立の有料公共図書館として、貸本屋やマンガ喫茶を発展させていく道もあってもいいような気もしてくる(それもまた、困難な道ではあるが)。……が、そのためには貸与権がやっかいか。うーむ。
マンガと図書館の関係は、社会全体におけるマンガの位置づけによって決まってくるものだろう。マンガに関わる全ての人が、マンガを単なる消費財として消費して捨て去るのか、それとも、重要な文化的財産として認めるのか。後に続く全てのサブカルチャーにとっても、試金石になりうる問題ではなかろうか。ぼちぼち、正念場が近づいてきたかなあ。


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