« ゆきのはなふる | トップページ | 時をかける少女 »

2006/08/09

フラット化する世界

 トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳『フラット化する世界 経済の大転換と人間の未来』上・下(日本経済新聞社, 2006)をやっとこ読了(リンクは上巻)。
 原著は2006年4月に出たupdate and expanded edition(アップデート&増補版)だというから、日本語版の出版は驚異的なスピードとしかいいようがない。おそらくそれが可能だったのは本書の主題である「フラット化」のおかげだろう。英語版の印刷本が流通してから輸入で入手して、権利関係の交渉をして契約をして、紙版を見ながら翻訳をして……とやっていたら、2006年5月の奥付、というのはありえなかったはずだ。恐らく、前版が出た段階から、英語圏での評判をネット上で捉え、日本語版出版の権利獲得交渉を電子メールを中心に行ないつつ、アップデート版の情報を得た段階で、それをベースにした翻訳に話を切り替え、英語版の紙版が流通する前に、暗号化された電子ファイルで原稿を入手して、それを元に翻訳を……といったことが、行われていたのではなかろうか(想像だけど)。
 もうちょっと説明すると、これまでなら、物やサービスが流通する単位としての国の内側にいるか外側にいるかは、様々な点で決定的な違いをもたらしていたのだけれど、いわゆるITとブロードバンドの普及によって、それほどは致命的な差がなくなりつつある、というのが、著者のいう「フラット化」(の一つの側面)だ。著者は、様々な距離的、政治的な障壁がなくなった状態を「フラット(flat)」という言葉で象徴させ、どのような要因によって「フラット化」が進んだのか、「フラット化」によってビジネスはどう変わっていくのかを、様々な事例や、インタビューを材料に論じている。
 ビジネス的にわかりやすい現象面を取り出せば、主にモノ(や、その生産)だけが国際的に国境を越えてやり取りされていたのが、いわゆる知識集約型のサービスまで含めてやりとりされるようになって、海外の企業が市場に参入してくる時代がきた(くる)ということになる。
 図書館業界にはあんまり関係なさそうな話のように思うかもしれないが、そんなことはない。例えば、日本語が堪能で、図書館学に関する素養が一定程度ある人材が相当数揃えば、資料の整理や、電話やチャットによるレファレンスなどは、別に国内でやらなければならない話ではなくなってきている、ということなのだから(運営コストの切り詰めが徹底されていけば、どこかの段階でこういう話は出てくるのではなかろうか)。
 それは、仕事を受ける側にとっては、自らの能力を存分に発揮し、生活を向上させていく大きなチャンスである。と同時に、仕事を海外に出す側にとっても自分たちの仕事をより高度化していく機会でもある、と、著者は指摘する。この変化を押しとどめるのではなく、より積極的に受け止めて、どう自ら(著者の場合には、米国)を発展させていくのかを論じるのが、本書の主題だ(と思う)。
 恐らく、今後出てくる後追い解説本は、こうした市場の変化と、これに対して個人がどう対処すべきか、というところを抜き出して強調していくのではないか、というのが、個人的なヨミなのだけれど、本書そのものは、こうした変化によって、社会にどういった影響があるかを、多面的に考察していて、案外奥が深い。単なるビジネス書としては、上巻だけで話が終ってもおかしくはないのだけれど、実は、じっくり読まれるべきは下巻の、「フラット化」のマイナス面と、それにどう対応すべきか、という提案の部分だろう。下巻では、環境問題や、テロ、「フラット化」から取り残された人びとなど、様々な課題が語られている。米国と日本は違う、という人もいるかもしれないが、例えば、次のような言葉は、そのまま日本の状況に当てはめて読むことも可能だろう。

「過去の業績がよかったことばかり話すようだと、その企業は苦境に陥っているとわかる。国でも同じだ。自分のアイデンティティを大切にするのはいい。14世紀には世界を制していたというのは結構なことだ。しかし、それは昔のことで、大切なのは現在だ。思い出が夢をしのぐようでは、終りは近い。ほんとうに栄えている組織の特質は、それを栄えさせたものを捨て、新たに始める意欲があることだ。」(下巻, p.383 組織コンサルタントのマイケル・ハマーの発言)

夢よりも思い出の多い社会では、多くの人が日々過去ばかりに目を向けている。尊厳や自己肯定や自尊心を、現在から探すのではなく、過去にこだわって得ようとする。それもたいがい真実の過去ではなく、想像と憧れから派生した過去である場合が多い。当然ながら、そういう社会は、イマジネーションをすべて費やして、じっさいよりもずっと美しい想像上の過去をこしらえ、ロザリオか触って不安をまぎらす数珠代わりにして手放そうとしない。(下巻, p.383-384)

 著者の分析(というより、「フラット化」に対する評価?)に賛成するか否かは別にして、本書のような著作を書けるジャーナリストが常にいる、という社会をどう作ったら良いのかがを考えるために、本書は広く読まれるべきという気がする。

« ゆきのはなふる | トップページ | 時をかける少女 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フラット化する世界:

« ゆきのはなふる | トップページ | 時をかける少女 »

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

Creative Commons License

無料ブログはココログ