論文捏造
村松秀『論文捏造』(中央公論新社中公新書ラクレ, 2006)を、これまた少し前に読了。
著者はNHKのディレクター。本書は、BSドキュメンタリーとハイビジョン特集で放送された「史上空前の論文捏造」をベースに、映像版には入りきらなかった取材の成果なども踏まえて書かれている。
題材になったのは、高温超伝導(「高温」といっても普通の感覚からすれば低温なんだけど)の分野で画期的な成果を次々と発表し、ノーベル賞受賞も間近とまで見られていた若手研究者が、実は捏造を行なっていたことが明るみに出て、表舞台から姿を消した、という事件。捏造はどのように行われたのか、何故長期間発覚しなかったのか、厖大な取材を元に明らかにしたのが、ドキュメンタリーと本書、ということになる。単なるスキャンダル暴きではなく、この事件を通じて、自然科学における研究が抱えている問題点があぶり出されているところが読みどころ。映像の方は、見たくても簡単には見られない(さっさとネットで配信してくれー)ので、こういう形で出版されたのはとてもありがたかったり。
この事件の主人公、ヤン・ヘンドリック・シェーン(Jan Hendrik Schön)については、Wikipediaにも項目が立っている。Wikipediaでは、取り下げられた論文がリストアップされていて、Scienceで8論文、Phsycal Review Journalsで6論文、Natureで7論文とこれだけでもすごい数。これだけの数の論文が、こうした一流誌に掲載されていたわけで、業績評価のプレッシャーのかかる多くの研究者にとっては(そのまま認められ続けていたとすれば)羨ましい限り、といってよかったのではないか(ちなみに、Google Scholarでauthor:jh-schonを検索すれば、撤回された論文や撤回の対象となっていない(のかな?)論文について、引用された件数をある程度確認できる)。
本書で著者も驚きをもって報告しているが、ScienceにしてもNatureにしても、比較的初期の段階から捏造の疑いが指摘されていたにも関わらず、まったくチェック機能を果たしていなかったし、そんなチェックはできないということを編集部側が当然のこととして発言していたりする。トップクラスのインパクトファクターを維持し続ける雑誌にしてこれでは、高額の購入費をはたいて購入を続けている全世界の図書館はどうしたらよいのやら、と呆然としてしまうくだりだ。
どうやら、自然科学の学術誌であっても、スクープ合戦と同じで、世界的に注目され、引用されるような、最新の画期的研究成果を報告する論文を奪い合っているということらしい。シェーンはそうした状況をうまく利用して、ScienceとNatureを競わせていた疑いさえあるという。だとすれば、自然科学におけるいわゆる狭義の科学コミュニケーションのシステムが、一部で機能不全を起こしている、ということになるだろう。やれやれ。
特許や産業化が絡む領域では、知識や情報の共有や、開かれた議論は行なわれなくなる、という背景も指摘されている。事件の主要舞台となったベル研究所がルーセント・テクノロジー配下になっていたことも、実は本書で初めて認識。ITバブル崩壊直後で、これだけの派手な成果を出せば、そりゃ研究所側は(少なくとも初期段階では)庇おうとするわなあ。
ベル研で、シェーンが捏造を行なうことになる高温超伝導研究のプロジェクトを率いた高温超伝導研究の第一人者バトログ(Bertram Batlogg)のインタビューや、ドイツにあるシェーンの母校コンスタンツ大学(Universität Konstanz)での取材など、その調査・取材は徹底している。もちろん、本書に、あるいは、映像に使われたのは、実際に行われた取材のほんの一部にすぎないだろう。一つの主題をドキュメンタリーとしてまとめるために、それだけのことをやって、しかも、見事にまとめあげることができるだけるスタッフがNHKにはいる、ということは、もうちょっと認識されてよいのでは。
NHKへの風当たりの厳しい昨今ではあるけれど、こういう仕事のできる人たちを潰すような「改革」とやらが行われないことを祈る。
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