兵学と朱子学・蘭学・国学
前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学 近世日本思想史の構図』(平凡社選書, 2006)を、これまた少々前に読了。
幕末における学問・思想における対立軸は、東洋対西洋で表現できる、というイメージがあったのだけど、本書を読んでその認識の甘さを痛感。そんな単純な二項対立的歴史理解を大変分かりやすく崩壊させてくれる一冊だ。
大体、考えてみれば、国学(特に本居宣長系の)が仮想(?)敵にしていたのは、中国由来の朱子学等の「漢学」だったわけで、「西洋」対「東洋」という枠組みだけでは、物事が語れないのは当り前なのだった。指摘されないと分からない自分が浅はかなだけ、という話もあるが、話はこれでは終らない。
どういうわけか、本書のタイトルは「兵学」で始まっている。
中国や朝鮮では、儒学・朱子学を学んだものが、科挙によって選抜されて官吏となる。江戸期の日本はどうだろう。いくら朱子学を学んでも、普通は官吏にはなれない。時々取り立てられる学者はいたにせよ、幕府なり藩の運営を支えたのは武士であって、中国・朝鮮における官吏の役割も武士が担っていた。では、中国型の試験によって選抜された官僚による行政ではなく、武士による行政を支えていた学問は何だったのか。それが「兵学」であった、というのが本書で踏まえるべき論点の一つだ。この認識を出発点にして、朱子学や蘭学の位置づけをしなおす、というのが本書の趣旨、ということになる(……と思う)。
特に、メキシコの研究誌からの江戸時代の思想の通史をという求めに応じて書かれた序章が刺激的。「兵営国家」を常態化させたのが江戸時代である、という分析に膝を打ち、商品(市場)経済の発展に応じて、それを機会と捉え個人の才覚によって成功し、その成功によって国家を救うのだ、という意識を生み出した蘭学に対して(例えば平賀源内)、経済構造の変化によって敗者となっていった人びとの不満と不安を、「皇国」「天皇」への絶対的服従という形で回収していこうとした国学、といった対比に思わず唸る、といった具合。
各論部分も、それぞれ切り口が見事で、近世思想史の素人としては、どれも口あんぐり状態なのだが、それ以上に、神道家・増穂残口(1655-1742)や、幕府の儒者・古賀侗庵(1788-1847)といったその道の人しか知らないだろう、という人物について、写本として残されたそれぞれの著作を丹念に読み解き、その可能性や後に与えた影響を再評価していくあたりが読みどころ。一次資料に基づく緻密な分析と、全体的な流れを捉えた大胆な分析が組み合わさると強い、というお手本みたいな一冊。
« 地名の巨人 吉田東伍 | トップページ | 天神さんの古本まつり »
コメント