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2007/01/21

学士会会報 No.862

 以前の紹介にコメントをいただいたりしたので、気を良くして『学士会会報』No.862 [2007.1]の記事の一部を紹介。

西水美恵子「ブータン王国に学ぶリーダーシップの形」p.34-46
 世界銀行の職員による、ブータンの王制の歴史と、段階的な民主化への過程、ブータン政府の基本的政策を紹介した講演記録。
 それにしても、西洋諸国からのプレッシャーを受けながらの王制確立、そして段階的な民主化など、日本と類似する点がある一方で、日本が明治維新以後、日清戦争やら何やら拡張政策をとったのとは、相当に対照的な道を歩んできた、というのが印象的。その上で、中国からも、インドからも、「大国」として、非常に尊重された扱いを受けているというのがまた……。これ読むと、日本は、植民地化の圧力を受けていたから植民地獲得を目指さざるを得なかった、という自己正当化論は、グレートゲームまっただ中で独立を守ったブータンと比較すると、ちょっと説得力ないかも、という気分になったりもする。
 何より、国王のリーダーシップの下、為政者(と公務員も?)に徹底されている哲学がすごい。少し長めに引用。

「世界中の国のほとんどは、国家の目的、政策の目的を経済成長で豊かになることに置いていますが、ブータンはそれは目的ではないとはっきり断言しています。経済成長は目的ならず、経済成長は国民が幸せを追求するための手段のひとつである。手段と目的を取り違えてはいけない。大きな間違いの元になる。成長の速度ではなくて、いろいろな形の人の和を大切にする経済成長の質を、いつも考えなくてはいけない。
 そういう基本的で、聞けば非常に常識的な哲学から始まって、だんだん具体化していきます。まず、政治とは何か。政治は国民の幸福追求を可能にすることにつきる。社会政策でも、教育政策、経済政策でも、国がとる政策の目的は、一人一人の国民が、幸福を追求する時に現れうる、公の性質を持つ障害を取り除くことである。それこそが政策の役割である。行政、司法などの責任を持つ人びとのいちばん重要な姿勢は、民の視線から司ること。上下関係の上から国を司ってはいけないということです。」(p.41-41)

 ううむ。耳が痛い。

(2007年1月26日追記)
 西水さんからのコメントで、この講演録が全文、経済産業研究所のサイトに掲載されていることが判明。

http://www.rieti.go.jp/users/nishimizu-mieko/glc/004.html

で、全文が読めます。必読。(追記終了)

小野寺龍太「日本の大学の父・古賀謹一郎の生涯」p.54-59
 東京大学の源流、蕃書調所の創設者である古賀謹一郎の略伝。詳しくは、著者の『古賀謹一郎 万民の為、有益の芸事御開(ミネルヴァ日本評伝選)』(ミネルヴァ書房, 2006)を読め、ということになるようだが、儒者であり、かつ洋学者であった古賀の業績の概略を知るには便利。
 それにしても、今年(2007年)が、蕃書調所開所150年とは気付かなんだ。

久世了「日本の学校教育におけるキリスト教系学校」p.60-65
 1910年に結成されたキリスト教学校教育同盟の理事長でもある著者が、明治から戦後にいたるまでのキリスト教系学校(主に大学)の歴史の概要を語ったもの。
 特に、教育基本法に関する発言が興味深かったのでちょっと長めに引用。ちなみに、ここでいう「現行」というのは、先日の改正前の、の意味。

「……いま強調されているような国家への意識を高めるという方向の場合、その国家に何らかの明確な目標があればそこに確かに求心力が生ずるだろうが、しかしすでに「富国」の目標をクリヤーしてしまったわが国が、一体何を国家目標としたら良いのであろうか。私は、はなはだ逆説的ながら、「日本人を、国家目標なるものが存在しなくても自分自身の判断で高いモラルを保ちながら社会生活を送ることができるように教育すること」を国家目標として掲げることしか道は残されていないように思うのだが、実はまさにそのことをあらわしているのが現行の教育基本法にほかならない。今日の憂うべき状況が生まれたことは、教育基本法の内容に問題があるのではなく、むしろその内容を生かすような教育がなされてこなかったことの結果と考えなければならない。……」(p.64-65)

的川泰宣「宇宙進出と日本の未来」p.94-119
 はやぶさの話を中心に、JAXAのプロジェクトについて紹介。アインシュタインとツィオルコフスキーから話を始めて、宇宙開発の歴史から説き起こすところが、さすがというかなんというか。はやぶさの話のところでは、「おつかいできた」のイラストが紹介されていたりする。
 ちょっと気になったのは次の一節。

「JAXAに新しい人間が数十人入ってきて、将来何をやりたいのと聞くと、八割がたが「プロジェクトマネージャーになりたい」と応えます。「ああ、そう。何のプロジェクトマネージャー?」「いや、何でもいいです」と、宇宙の組織に入って、何でもいいからプロ真似になりたいというのでは、どこの会社に入っても同じではないか。もう少し宇宙そのものへの野心にあふれた、どういうことをやりたいと、きちっと高い目的があるような人たちが入ってこないと、宇宙が政治戦略的にだけ考えられる時代になっていくのではないかなというのが、私の憂慮するところです」(p.118)

 大丈夫かなあ。

関雄二「文化遺産をめぐる国際協力」p.126-131
 ラテンアメリカで、考古学・文化人類学に関する調査を行ないながら、その地域に根ざした文化財の保存・活用に関わってきた著者が、グアテマラでの博物館指導の経験について語ったもの。
 グアテマラはスペインによる征服に始まり、内戦、虐殺を経てきた国だそうで、その国で、国民統合という課題に応えつつ、博物館における歴史展示をどう組み立てるのか、という困難に課題にどう取り組んだのかが、語られている。歴史は途中でぶち切れてるし、内戦の傷はまだ癒えていないという状況で、どう国立博物館の展示を組み立てるか、現地のスタッフとの苦闘の様子がうかがえる。

「このように博物館を植民地主義批判や表象研究の対象として分析するだけならば、ある意味で易しい。「不連続である」と語れば済むからである。しかし、研究者自らが国民統合というナショナルな性格を担った場に身を置き、実践に関わっていくとなると話は別である。……」(p.131)

といったあたり、「実践」に関わってきた著者ならではのポスコロ的研究に対する批判となっていて、なかなか痛烈。
 文化政策に関心のある向きは一読の価値ありかと。

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コメント

はじめまして。学士会での講演を紹介してくださり、嬉しく思います。この講演録は、経済産業研究所のホームページに転載されましたので、ご連絡いたします。
http://www.rieti.go.jp/users/nishimizu-mieko/glc/004.html
ありがとうございました。

西水様、コメントありがとうございます。
ブータンに関する講演、もっと広く読まれるようになるといいと思っていたので、ネットで公開されて喜んでいたりします。
後で、本文からもリンクしときます。

おお。
ミーハーなわたしは、早速、ブータンとかWangchuk王関係をあれこれ探しました。
赤瀬川原平「ブータン目撃」では、彼がブータンに行こうと思ったのは、国王が、今はもうほとんど見当たらない凛々しい日本人のようだったから、とか(正確な表現ではないですが)、それに、ブータンの人々は、とにかく人柄が良い、のだそうです。

わたしの友人にもこの話をしてみるつもり。日本で一番人口の少ない県で、ご夫婦でけっこう奮闘して暮らしています。わたしの友人(奥さんの方)は町内会長をしていて、草の根からの地方自治をいかに根付かせるか、というような話をときどき聞くので。

追伸。
思わせぶりな書き方をしたのが気になって追伸です。わたしの友人のお連れ合いは、「ガバナンス」という雑誌に2005年9月号に、「図書館は民主主義の砦」という記事を寄せていました。小さな県で全力投球していた方ですが、この3月で今の仕事から退きます。
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=36750

「や」さん、追伸までありがとうございます。
確かに、ブータンのあり方は、地方自治にとっても、一つのモデルになりうるかもしれません。
西水さんの講演録がご友人にとっても何かの参考になったりすると、紹介したこちらも嬉しいです。

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