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2009/11/02

平成21年度第95回全国図書館大会(東京大会)第3分科会レポート(前編)

 えー、Twitterで、レポートをあげると宣言してしまったので、何とかまとめてみました。
 かなり雑なメモを元に、雑にまとめたものです。間違ったかたちで要約してしまっている部分もあると思いますし、その辺りは適宜割り引いて読んでください。図書館雑誌に掲載されるであろう、正式レポートなども合わせてご覧になることを強くお勧めしておきます。

 これは書くまでもないかもしれませんが、今年の全国図書館大会は、2009年10月30日(金)に主に明治大学を会場として開催されました。
 私の参加した、第3分科会のテーマは「国民読書年をみんなで考える」です。
 当日は、事務方の方々に頼み込んで、電源まで確保して、Twitterで実況していたのですが、発言数制限食らって、途中で切れてしまいました。考えなさすぎ。
 というわけで、途中までは、Twitterでの実況とかぶってますが、ご容赦を。

 司会は前半後半を通して、調布私立図書館の小池さんという方が担当されていました。
 冒頭、今日の分科会の全体構成の説明があったあと、前半がスタートしました。
 その前半は、財団法人文字・活字推進機構理事長の肥田美代子さん(以下、敬称は「さん」で統一します。ご容赦ください。)の講演「読む--それは未来である 2010年国民読書年の持続的な発展をめざして」でした。
 文字・活字推進機構と関連資料が、あらかじめ机上に配布されており、特に、「読書推進––20年の国の動き(年表)」という資料を軸に、講演は進みました。
 あとはちょっとTwitter風に、箇条書きで(再編集してます)。

  • 来年の国民読書年は、突然出てきたものではない。そこに至るまでには、涙ぐましい歴史があった。
  • 1989年
  • 初めて国会議員となった年。この年に、子どもの権利条約が採択された。
  • ところが、このころの国会での議論では、まだ「子どもはわがままばかり言う。子どもにものを言わせてどうするのだ」という論調がかなりあった。
  • そうしたこともあって、子どもの権利条約が、国連で採択されてから、日本で★採択されるまでに、4、5年かかってしまった。
  • 1990年
  • 子どものための世界サミット開催。
  • 84か国の首脳が集まった。ここで、世界中が、子どものことを政治の最優先の課題にしようとしていることを知った。
  • ところが日本では学校の中が大変乱れていた時期。日本からは、そのことについて率直な話があるかと思ったが、発展途上国への支援にお金を出しただけだった。
  • 1992年
  • この年、文教委員会に入ることになった。政治家として、子どものことを最大のテーマにしようと決意。
  • 当時既に、子どもの本が売れなくなっていることが問題になっていた。
  • そのことについて話を聞く内に、学校図書館を見てくるように示唆を受けた。
  • 実際に見てみると、学校図書館の状況は劣悪。視察に行くと、鍵も開いておらず、慌てて鍵を開けに行くような状況の学校もあった。何かおかしい、と感じた。
  • 学校図書館法では、既に、司書教諭を置くことになっていた。しかし、実際には置かれていない。その理由を探ってみたところ、学校図書館法では、当分の間、司書教諭を置かなくてもよいとなっていた。
  • 1992年に学校図書館悉皆調査が、文科省により行われた。これでやっと状況が把握された。
  • 1993年
  • 学校図書館図書整備5か年計画開始。
  • 毎年100億円が投入され、現在も続いている。累積すれば膨大な額が、学校図書館の充実のために投入されたはず。しかし、実際に、学校図書館に本が入っているか、というと、30-40%程度(筆者注 何に対しての何の割合か、聞き逃しました。恐らく、学校図書館の費用として使用した自治体数だと思われます。)。
  • 言い方は悪いが、子どもの本代を、大人たちが「ピンハネ」した。
  • そして学校図書館法改正。
  • 人がいなければ、図書館の扉も開かない。司書教諭を当分置かなくてよい、という文言を外した。ただし、専任ではなかった。
  • それでも問題がある。あて職の先生が困っている。専任の司書を置くなど、積極的な地域と、そうでないところで、子どもたちの状況に大きな格差が生じている。
  • そろそろ再改正が必要な時期に来ていると思う。
  • 改正にあたっては、学校司書を置ける、という文言を入れるよう話をしていた。それが去年。
  • 学校図書館が、学校の中で一番大事なところだ、という認識がない。だから日本の教育は世界から遅れてしまっている。
  • 1997年
  • 子ども国会が開催された。
  • 子どもの権利条約の意見表明権をようやく具体化した。
  • わがままどころか、子どもたちによる立派な討論が行われ、びっくりした。
  • 2000年
  • 翌年を子ども読書年とする決議。
  • 子どもたちの失われた何十年かを取り戻したかった。
  • 十年たってみると、子ども読書年のエネルギーを受けて、民間の人たちが動き出してくれた。ブックスタートなど。
  • 2000年
  • 国際子ども図書館設立。
  • この図書館をどうしても欲しいと思った理由が一つ。
  • 国会図書館は18才未満お断り。それでは、子どもはどこに行くのか。国がやらなければ、地方も一緒。
  • 100年たたないとできないといわれたが、5年でできた。
  • 2001年
  • 子どもの読書活動の推進に関する法律。
  • 国会の決議だけでは甘い。法律に書くと、やらなければならないものになる。
  • 最初は嫌々だった自治体も、何年かたつと、積極的に取り組み、やる気になってきてくれている。
  • 法律を作ったことは、良かったと思っている。この法律によって、子ども夢基金ができた。それが読書推進活動に使われている。
  • 2001年
  • 再販制度について公取から廃止の動きがあった。
  • それに対して、活字文化議員懇談会を作り、278名議員を集めた。数は力なり。結局、公取はちょっと後ろに引いた形になった。
  • 活字文化議員懇談会を翌年、議員連盟に格上げした。
  • ところが、選挙の結果、現在は数が減っている。なるべく早く再編成しなければならないと思っている。
  • 2005年
  • 活字文化議員連盟が一丸となって作ったのが、文字・活字文化振興法。
  • 大人が本を読んでいない。大人の反省を込めて、法律に持っていきたいと思った。
  • 何故こだわったかというと、大人が読んでいれば、子どもも読む。本が並んでいれば、子どもは読む。親が、朗読、読み聞かせをすれば、読書人はずいぶん育つと思う。まず大人が本を読まなければならない。
  • お茶の水大学の調査でも(筆者注 調査名等紹介があったのですが、メモを取り損ねました)、家にたくさん本がある家の子どもは、本を多く読む。
  • 日本は教育を一所懸命やってきた。しかし、OECDの調査では、読解力、数学リテラシー、科学も、日本は全体に学力が下がってきている。
  • 何故かは断言できないが、日本の子どもは論述問題が白紙のこと多かったという。
  • フィンランドの学力が高い原因を調査したところ、フィンランドでは、本を読む。そして、本がたくさんある家では本をたくさん読む。ということが出てきた。
  • 本を読むことで、教育のかなりのことが解決できる。
  • 指導要領で、2011年から、言語活動の充実ということが明記される。今回の改訂の目玉。
  • ここまで文科省が書いた、ということは、文科省はよほど悩んでいる。国際的に求められる人物を育ててこなかったという反省。
  • しかし、現場の先生方は、そうとう悩んでいる。言語活動の充実、といっても、どういう教え方をすればよいのだろう、と。
  • もう一言、読書を進めることだ、と指導要領に書いていれば、と思うが、そこまでは書いていない。読書が教育の中に位置づけられることが必要。我々大人の責任。今でも遅くない。
  • 趣味で読む、読書は暗い、とかそういう話ではない。言語力が大切、その言語力を育てるためには読書が必要と、言い切ってほしい。
  • 文字・活字文化推進機構を作ったのはその思い。
  • 業界だけの話ではなく、医者の説明する能力が落ちている、という話も聞いた。顧客とのトラブルが多い航空会社は、言葉を使ったコミュニケーションの訓練を3年やって、改善したという。
  • 出版界、新聞界が縁の下の支え役にならなければならない。大きな責任がある。
 ここで、配布されていた、衆議院、参議院における決議についての紹介がありました。
  • 衆議院、参議院の決議。文字活字は、人類が生み出した文明の根源をなす崇高な資産、とうたっている。この決議をどう生かしていくか。
  • 来年一年が勝負、とみなさんにお話ししている。
  • ここで本当に世の中に啓発できなければ、また何十年もチャンスはやってこない、と申し上げたい。一人一人のみなさんが、国民読書年の主体。
  • 公立図書館にお願いしたい。国民読書年に図書館が何をするか、相当期待されている。どんどん行動してほしい。
  • どこの国でも読書推進には熱心。例えば、イギリスでは、テレビにベビーシッターを任せるな、小学校入学までに言葉をしゃべれるように、と言われている。(注 この他、ドイツの例なんかもあったような)
  • 先日も、オバマ大統領、ホワイトハウスで絵本を朗読した映像が報道されていた。
  • 国作りというのは、こういうことではないか。小さいことが、つながっていくもの。
 といったところで、話を切り上げ、みなさんがどういうことをしたいと思っているが、どうしたら、機構がみなさんの応援をできるか、率直な話し合いをしたい、と肥田さんが話をまとめられて、質疑応答へ。  最初は、愛知県の国語教師の方から。
  • 司書教諭の資格、一週間の研修で取れてしまう。それでは足りないと思い、2年間、仕事を休んで今大学で勉強している(所得補償なし。身分保障あり。)。しかし、こうした再教育を受けるための制度があるところ、ないところがある。司書教諭や学校司書の方が、勉強しなおす機会が必要ではないか。
  • 国立で附属の学校を持っているところが、もっと積極的な取り組みをしてほしい。
  • 司書教諭の中には、やりたくてやる人と、割り振られたからやる人がいる。授業を持ちたい、という理由で、司書教諭専任はいやだ、という人もいた。司書教諭はそのための専門のコースがあるわけではなく、ついでに取る、という形。教科、担任への思いが強い人の場合、100%司書教諭ではいやだ、となるのでは。
 続いて、若干、司書教諭に対する負担軽減についてのやりとりなどはあったものの、まずは、法改正の参考にするということで、次は、以前学校司書をされていた千葉県の公共図書館の方から。
  • 司書教諭が必置になったが、結果として、図書館を担当していた「司書」(職名は様々)が、仕事から外されていった。
  • 学校司書と司書教諭、両方はいらない。養護教諭のような司書教諭がいればよい。現状では、司書教諭の力がないと感じる。司書としての単元もきちんとこなした上で、教員としての資格も持たなければ、学校図書館での仕事をこなすことはできない。それに、その方が、結果としてお金がかからないのではないか。
 これに対して肥田さんからは、次のようなコメントが。
  • 司書教諭、学校司書、前の改正の時に議論になった。その結果、司書教諭について、一歩踏み出した。今度は、学校司書を法律に書きたい。学校司書の制度を法律で置いて、のばしていくのがよいのではないか。
  • 司書教諭について、養護教諭のようなやり方は、すぐには難しいだろう。司書教諭のレベルアップも何とか、法改正に書き込みたい。
  • 学校図書館が一番重要だ、という認識に立てば、司書教諭も学校司書ももっと良くなっていくのではないか。
 続いては、横浜の図書館サポーターの方から。

文字・活字文化の日記念事業「言葉を楽しむ日」
http://www.mojikatsuji.or.jp/katsudou.html#091027roudoku

に感動した話に絡めて、国民読書年のロゴやキャッチフレーズ(「じゃあ、読もう」)を自由に使ってよい、というその場で発表された話を紹介。こうしたものを活用して、図書館だけではなく、公民館の図書室など、図書館的なところも一緒に集まり、どんどん活動していきたいと、決意表明がありました。
 他にも、U40に参加して元気づけられた話(長尾国立国会図書館長登場の話も)などもあったり。
 また、提言として、情報が少ないので、機構に問い合わせると、どこでどういうことをやっているかがわかる、といった体制の整備、また、情報の発信を進めて欲しい、とのコメントがあり、これに対しては、肥田さんから、必ず取り組むとの、力強い回答がありました。

 というところで、前半終了です。
 続きは後半へ。

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 読書の神様も応援しております。
 頑張ってください。
 本の力は無限大ですね

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