大瀧詠一から学んだこと
2013年12月31日に流れてきた、大瀧詠一師匠の訃報には、本当に驚いた(12月30日没)。
とりあえず、ナタリーの記事にリンクしておく。
大瀧詠一が急逝(ナタリー 2013年12月31日 12:35)
師匠(他にふさわしい敬称が思いつかない)の書いたものや、ラジオでの語り(といっても、あんまり聞いてない駄目なファンだったのだけど)から、自分が学んだことを今振り返って整理すると、次の3点に集約されるんじゃないかと思う。
(1)あらゆるものには前史がある
ロックに関しては、自分こそがオリジナルだ、とか、さもなきゃ何でもかんでもビートルズから始まった、と書いとけば何とかなる世の中だが(偏見)、ビートルズのハーモニーはエヴァリーブラザーズを踏まえているし、ビーチ・ボーイズのハーモニーはフォーフレッシュメンを踏まえていたりする。真のオリジナリティは、巨人の肩の上に乗っかって成立するのだ。
一部のアーティストを神様扱いして、それが全てだ、というような見方は、その前にあった様々な作品を楽しむ可能性を妨げてしまうし、その人たちの何が本当に革新的だったのかを、覆い隠してしまう。考えてみれば、日本語ロックについてはっぴいえんどが神格化される流れの中で、洋楽のメロディとリズムに日本語を乗せる、という明治以来の苦闘の歴史を語ってみせたのが師匠だった。
(2)傑作は単独では存在しえない
(1)が通時的な観点だとすれば、こちらは共時的観点。
ビートルズの例でいえば、同時代のいわゆるブリティッシュインヴェイジョン勢が同時多発的に出てきた中でのビートルズなのであり、一方でそれに対抗する米国勢のフォー・シーズンズやビーチ・ボーイズの傑作群だったりするわけで、傑作を生み出すようなアーティストは、確かに他よりも突き抜けていたとしても、単独で存在するわけではない。単独の山として捉えるのではなく、常に山脈の中での位置づけを見ることで、個々のアーティストの魅力もより見えてくるし、同時に、同時代の様々な作品を聞き比べる楽しみも広がる。そんなことも、大瀧師匠から学んだことの一つだ。
(3)あらゆる作品にはそれを作った人たちがいる
ほとんどの商業作品は、一人の人間だけで作られるものではない。特に商業音楽は、様々な演奏者、プロデューサー、エンジニアが関わって成立しているし、その人たちが様々な異なる作品にどのように関わったのか、ということは、作品の中に何かしら痕跡が残されているものだ。
一つの作品がそのようにある、ということの背後に、様々な作り手が関わり、活躍していることを教えてくれたのも、大瀧師匠だった。フィル・スペクターのように、音の作り自体に大きな足跡を残す人もいるし、ハル・ブレインのドラムや、キャロル・ケイのベースみたいに、その音色が個性として刻み付けられているプレイヤーもいる。映画もそうだが、誰が関わったのかという観点から作品を見ていくと、これまで見えなかった景色が見えてくるような気がしてきたものだ。
3つと書いておいてなんだが、もう一つ加えるとすれば、一度神格化されてしまうと、過去にその神格化が投影されてしまう(日本でビートルズをみんながみんな聞いていたわけではないし、はっぴいえんどが活動時にさほど売れていたわけではない)から、同時代の状況を考える時には、気をつけないといかんよ、ということだろうか。
こうやってまとめてみると、どれもこれも、音楽に限らず、他のジャンルや、さらには歴史に対しても共通する、自分のものの見方の一つの基礎になっていることを痛感する。
大瀧詠一師匠が示してくれたのは、様々な事象に対するモノの見方そのものだった、ということなのだと思う。
改めて感謝を。そしてやすらかに。
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